文
出張帰りで早めの昼食を取ってから高専へと戻ろうとしていた伊地知はふらりと引き寄せられるように路地裏に入ると小さな喫茶店を見つけた。
入り口には手書きで〈当店自慢の青空クリームソーダ〉と書かれた看板が立っていた。可愛らしいイラストも描かれており、正しく手作りといった感じだ。
「青空……」
仕事ばかりの生活で癒されたいという気持ちに〈青空〉という単語が妙に刺さった伊地知は、ここで昼食を取ろうと決めた。
ドアを開けるとカランカランとベルが鳴り、トマトの良い香りが店内に広がっていた。
奥から「ちょっと待っててください!」と男性の声が聞こえ、少しばかり待っているとバタバタと店主らしき男性が出てきた。
男性は30代くらいで、申し訳なさそうにしながらエプロンで手を拭いていた。
「お待たせしました。一名様ですね」
「はい」
「こちら、どうぞ」
「ありがとうございます」
案内された席に座ると、これまた手書きのメニューを渡された。
「一人でやってるんで、直ぐ対応出来ない時があるんですよ。はい、お冷やです」
「気になさらないで下さい」
「すみませんね。あ、本日の日替わりメニューにあるスープはコンソメスープでサラダはフレンチドレッシングになります。また、決まったら声掛けてください!」
「解りました」
店主は厨房に戻ると、仕込み途中だったらしくトントンとリズム良く包丁を動かしていた。
その音ですら耳に心地よく、伊地知は心を弾ませながらメニューを開いた。
パスタ、ハンバーグ、サラダにデザート等々の喫茶店らしいラインナップだったが、やはり目を引くのはドリンクメニューに大きく載っているクリームソーダである。
これは、是非とも頼もう。後はーー。
どれも美味しそうだと悩んだ末にホットサンドに決めると、他に客は居なかったが手を軽く上げながら声を掛けた。
「すみません」
「はーい。ーーご注文どうぞ!」
「じゃあ、このクリームソーダとホットサンドを」
「あ、当店自慢なんです。そのクリームソーダ!」
「入り口の看板にも書かれてましたよね。それで気になりまして」
「嬉しいです!少々、お待ち下さいね」
注文が入って嬉しかったのか、軽やかに再び厨房へと戻っていった。
少しばかりだが厨房の様子が見える。
手際よく食材が切られ、食パンに挟むとホットサンドメーカーを取り出し、コンロに火をかけた。
こうして、厨房を覗くのは新鮮で楽しいかもしれない。
自分でも料理をする機会が遠退いているので休日に簡単なものでも作ってみるのもアリかなと考えながら、連絡がないかとスマホを確認すると特に連絡はなく、これはゆっくり昼食を取れそうだと暫しの休息に微笑んだ。
少しだけ次の予定等を確認していると、良い香りがしてきてお腹がくぅと小さく鳴った。
「お待たせしました!青空クリームソーダとホットサンドです。熱いんで気を付けて下さい」
「ありがとうございます」
テーブルに並べられたクリームソーダは正しく青空という表現がピッタリなくらい綺麗なブルーで夏の様な空色だった。
上に乗っているバニラアイスが雲のようで、少し溶けてクリームソーダの青さをより際立たせていた。
ちょこんと乗っているマラスキーノ・チェリーは太陽といった所だろうか。
ホットサンドはローストチキンにレタスとオニオンスライス、トマトと具沢山で溢れ落ちそうなぐらいギッシリ詰まっていた。
見た目だけで思わず、涎が溢れそうなぐらい美味しそうだった。
伊地知は小さく「いただきます」と手を合わせた。
「おお……」
がぶりとホットサンドにかぶりつくとじゅわっとローストチキンの肉汁が口に広がり、レタスとオニオンスライスもシャキッと良い音を立てた。
トマトの酸味がこれまた味を引き立たせ、食が細い方の伊地知だったが、ペロリと食べてしまいそうだと舌鼓した。
ーークリームソーダも飲んでみよう。
バニラアイスが溶け進むと味も変わってくるので、そのままの味も楽しみたいと飲んでみると、これまた爽やかな味がした。
しかし、どこか懐かしさも感じる味だった。
そして、青空と表現された色合いが眩しさを感じさせるが、吸い込まれるような青さをしており、これはまるでーー。
「どうですかね、味は」
「えっあっはい!美味しいです!」
「それは良かった!」
「そう言えば、このトマトの香りは何でしょうか」
「ミートソースです!パスタもいつか食べてください」
厨房からフライパンでミートソースを煮詰めながら店主はにこやかに笑った。
そう言えば、ミートソーススパゲティも載っていたなと伊地知は先程眺めていたメニューを思い出した。
これはまた来なければ、と伊地知は次の楽しみにと心を踊らせた。
モリモリとホットサンドを平らげた後、クリームソーダのバニラアイスをデザート代わりにとスプーンで掬って、口に入れると優しい甘さにじんわりとした。
クリームソーダを飲んだり、バニラアイスを食べてと交互に楽しんだ後は溶け出しているバニラアイスをスプーンでクルリと混ぜ合わせた。
この色合いが変わってしまうのは勿体ない気もしたが、混ぜ合わせた時の味も好きなのだ。
思う存分に堪能した伊地知は幸せたっぷりだったが、スマホの振動により一瞬に崩れた。
連絡は五条からで「デスクにUSB置いといたから」とだけメールに書かれていた。
ああ、幸せとは儚いものだと落ち込みつつ、会計を済ませると「また来ます」と喫茶店を後にした。
それから何週間も経った後、久しぶりの休日という事で読んでいた小説の続編である中巻を買いに本屋へと立ち寄った。
忙しさ故に読み進められていなかった自覚はあったが、いつの間にか下巻まで出ており時の流れの残酷さを感じた。
無事に購入も出来た伊地知はこのまま昼食も外で取ってしまおうと、もう一度あの喫茶店へと向かった。
相変わらず、入り口には〈当店自慢の青空クリームソーダ〉と書かれた看板が立っていた。
店内に入ると前回とは違いサラリーマンらしき男がゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「あっ!いらっしゃいませ」
「どうも」
「こちら、どうぞ」
店主は伊地知の事を覚えていたらしく、また来店してくれた事に喜んでいるようだった。
席に案内され、メニューとお冷やを渡されたが、やはりここは前回食べようと決めていたミートソーススパゲティと再びクリームソーダを注文すると、待っている間に少しだけ読もうと小説を取り出した。
読んでいるのは歴史小説で、いつぞや石田三成の名前を聞いた後に彼を題材とした小説が発売されたので買ってみたのだ。
読んでみると結構、面白くハマったのである。
石田三成の名前を出した張本人は〈お茶をぬるめに淹れてくる〉という訳の解らない理由で気に入っていたが。
今、思い出すと笑えてくるが、あの時は困惑しかしなかった。
「面白いんですか?それ」
「うえっ!?」
「あ、驚かせてしまいましたね」
「いいいいいえ!集中し過ぎてしまってました」
「お待たせしましたね」
コトリと置かれたミートソーススパゲティはトマトの良い香りで、挽き肉はごろごろとしていて食欲をそそられた。
クリームソーダの青さも前回と感じた時のように綺麗な空色だった。
「クリームソーダ、気に入って下さって嬉しいですよ」
「本当にとても綺麗ですよね。味も美味しいですが」
「こだわって作ったので良かった」
「この青色がとても……」
とても、あの瞳に似ているーー。
吸い込まれるような瞳で、心までも透き通らせていくかの様な青さ。
あの瞳の青さは恐怖すら感じるが、向けられた眼差しは優しかった。
「どうしました?」
「あっその、以前!以前、出掛けた時に見た青空を思い出して好きなんです!」
「青空クリームソーダなんでね。では、ごゆっくり」
急に固まった伊地知だったが、店主は気にする事なく厨房へと戻ると皿洗いをし始めた。
上手く誤魔化せただろうかと、冷や汗をかいた額をぬぐうと、伊地知はクリームソーダを見つめた。
そうか、妙に心を惹かれたのは五条さんの瞳に似ていたからだったのか。
初めて見た時、思い浮かびかけたのを思い出した。
誰かを思い浮かべながら食べるなんて気恥ずかしさも感じたのだが、不思議と悪くなかった。
今までなら、休日にまで上司である五条に会いたくないのだが急激に声が聞きたくなる。
勿論、そんな事は出来ないので大人しくスパゲティを頬張るとミートソースがとても深い味わいで一口入れただけだというのに煮詰められたトマトの味が広がり、ほどよく茹でられたパスタと絡んでとても美味しかった。
挽き肉もごろごろとしており、食べ応えがある。
一口、二口と食べる手が止まらなかった。
黙々と食事をしているとスマホが振動した。チラリと見れば五条という文字が見えた。
思わず、ドキリと心臓が跳ねるがこれは仕事だろうなと泣きそうになりながらも電話に出ると「いっじっち~!暇?暇だよな?休みだもんな!」と休日だと知りながらの連絡だった。
「何でしょうか?何か新しい仕事ですか?」
「オイオイ!オイオイオイオイ!休みなんだろ~構えよ!!」
「えええ……」
「どこにいんの?家?」
「違います」
「なら、どこだよ」
「ええっと」
ここを教えるのか?この平穏な場所を?と伊地知は悩んだ。
声が聞きたくなったものの、ここを知られるのは何だか嫌で黙っていると五条が「なに?もしかして、彼女とか?」と不機嫌そうな声で聞いてきた。
「居るわけないでしょう」
「……オマエそれ自分で言ってて悲しくないの?」
「うっ……。今は昼食を取っているんです。せめて、何処か別のところで合流しませんか?」
「なんで?そこ行くよ」
「上司である五条さんにわざわざ足を運ばせるなんてそんな」
「なんか、オマエ来るの嫌がってない?あれか、良い場所見付けたんだろ」
「えっ!?そそそそういう訳では」
「伊地知。嘘つくの下手すぎ」
自分でも今のはバレバレだったなと苦笑いした。
諦めて白状しよう。そう決めて五条に場所を伝えると電話を切られた。
ああ、さよなら。私だけの癒しの場所。
ミートソーススパゲティを食べ終え、クリームソーダを飲んでいるとカランカランとベルが鳴り、ドアが開いた。
そこにはシンプルな格好で、サングラスをかけた五条だった。
店主が駆け寄ると、こちらを指差して「あ、お連れ様だったんですね!」と伊地知の元へと案内した。
「よ!伊地知~めっちゃ良さそうな所だね」
「メニューどうぞ。お冷やも」
「どーも!」
五条は「へー」や「ほうほう」とペラペラとメニューを捲った。
「五条さんの好きそうなパフェが最後にありますよ」
「マジ!?」
バッと最後のページを開くと、五条はキラキラとした瞳でデザートのメニューを見た。
「うまそー!てか、伊地知の飲んでるクリームソーダも美味そうじゃん」
「美味しいですよ。ここの自慢メニューなだけあって」
「僕もそれ飲もうかな。すいませーん!」
「はーい。お決まりですか?」
「クリームソーダとチョコレートパフェで!」
「かしこまりました」
店主は相変わらず爽やかな笑顔で注文を受け取ると厨房へと戻った。
五条は待ちきれないのかソワソワとしている。
こういうところは子供っぽいよなぁと伊地知は笑った。
「おい、何笑ってんだよ」
「い、いや~そのクリームソーダ!クリームソーダ綺麗じゃないですか!?」
「ん?そうだね。青空って書いてあるもんね」
「こ、これすっごく五条さんの瞳に似てるな~ってあはは……は、ははっ」
あ、これ失敗したな。
伊地知は固まった。五条も同じく固まっている。
じわじわと自分の発言の恥ずかしさに身体中の毛穴という毛穴から汗が吹き出たのではというくらい服がビッショリとしているのを感じた。
「伊地知」
「はっはひっ」
「顔、真っ赤」
「シッテマス……アツイデスモン……」
顔を手で覆い隠すと、五条の顔が見えないが絶対にドン引きしているに違いない。
男からこんな事を言われるなんて自分でも気持ちが悪いと思う。
どうしようどうしようと思考がグルグルと回るだけで、まとまる事はなかった。
「パフェと青空クリームソーダお待ちしました!……あれ?どうなさいました?」
「コイツね、たまに失敗した過去思い出して赤面すんの」
「あ~そういう時ってありますよね」
「暫くしたら落ち着くんで、放っておいてやってください!」
「はい、ごゆっくり」
五条なりに気を遣ってくれたのか上手く誤魔化してくれた。
まだまだ落ち着く事の出来ない伊地知をそのままに五条は一口生クリームを掬うと口へと運んだ。
甘さは程好く、チョコレートソースはほんのりビターで生クリームの甘さを際立たせていた。
下の方にはチョコチップアイスにチョコアイスとチョコ尽くしで、五条はご満悦で食べ進めた。
クリームソーダも飲んでみると、爽やかな味がパフェと相性抜群だなぁ。
チラリと伊地知を見れば、まだ固まったままで隠せていない耳や手などは真っ赤だった。
「いつまで、僕は放っておかれるんだ?」
「すみません」
「ねぇ、伊地知。顔上げてよ」
「……何でしょうか」
恐る恐る顔を上げると、パフェを堪能して満喫していると言った表情だった。
「僕の瞳に似てるんだって?」
「うう……はい……」
「そんなに好き?僕の事」
「語弊がある言い方しないで下さいよ」
「もっと近くで見たくない?」
「へっ?」
五条の表情は何とも言い難い顔をしていて、どういう意図なのか汲み取れずにいると五条はもうクリームソーダのバニラアイスを一口食べた。
「この後、まだ空いてるよな」
「まあ、空いてますね」
「今、とっても機嫌が良いから伊地知ん家行くぞ」
「はい!?それ機嫌関係ありますか!?」
「あるよ」
頬が随分と緩んでいる五条に伊地知は部屋、綺麗だったかな?お茶とかあったかな?と、これからどうなるか全く危機を察知していなかった。
そんな伊地知に「可愛いんだけどねぇ」とチェリーの種をガリッと噛んだ。
入り口には手書きで〈当店自慢の青空クリームソーダ〉と書かれた看板が立っていた。可愛らしいイラストも描かれており、正しく手作りといった感じだ。
「青空……」
仕事ばかりの生活で癒されたいという気持ちに〈青空〉という単語が妙に刺さった伊地知は、ここで昼食を取ろうと決めた。
ドアを開けるとカランカランとベルが鳴り、トマトの良い香りが店内に広がっていた。
奥から「ちょっと待っててください!」と男性の声が聞こえ、少しばかり待っているとバタバタと店主らしき男性が出てきた。
男性は30代くらいで、申し訳なさそうにしながらエプロンで手を拭いていた。
「お待たせしました。一名様ですね」
「はい」
「こちら、どうぞ」
「ありがとうございます」
案内された席に座ると、これまた手書きのメニューを渡された。
「一人でやってるんで、直ぐ対応出来ない時があるんですよ。はい、お冷やです」
「気になさらないで下さい」
「すみませんね。あ、本日の日替わりメニューにあるスープはコンソメスープでサラダはフレンチドレッシングになります。また、決まったら声掛けてください!」
「解りました」
店主は厨房に戻ると、仕込み途中だったらしくトントンとリズム良く包丁を動かしていた。
その音ですら耳に心地よく、伊地知は心を弾ませながらメニューを開いた。
パスタ、ハンバーグ、サラダにデザート等々の喫茶店らしいラインナップだったが、やはり目を引くのはドリンクメニューに大きく載っているクリームソーダである。
これは、是非とも頼もう。後はーー。
どれも美味しそうだと悩んだ末にホットサンドに決めると、他に客は居なかったが手を軽く上げながら声を掛けた。
「すみません」
「はーい。ーーご注文どうぞ!」
「じゃあ、このクリームソーダとホットサンドを」
「あ、当店自慢なんです。そのクリームソーダ!」
「入り口の看板にも書かれてましたよね。それで気になりまして」
「嬉しいです!少々、お待ち下さいね」
注文が入って嬉しかったのか、軽やかに再び厨房へと戻っていった。
少しばかりだが厨房の様子が見える。
手際よく食材が切られ、食パンに挟むとホットサンドメーカーを取り出し、コンロに火をかけた。
こうして、厨房を覗くのは新鮮で楽しいかもしれない。
自分でも料理をする機会が遠退いているので休日に簡単なものでも作ってみるのもアリかなと考えながら、連絡がないかとスマホを確認すると特に連絡はなく、これはゆっくり昼食を取れそうだと暫しの休息に微笑んだ。
少しだけ次の予定等を確認していると、良い香りがしてきてお腹がくぅと小さく鳴った。
「お待たせしました!青空クリームソーダとホットサンドです。熱いんで気を付けて下さい」
「ありがとうございます」
テーブルに並べられたクリームソーダは正しく青空という表現がピッタリなくらい綺麗なブルーで夏の様な空色だった。
上に乗っているバニラアイスが雲のようで、少し溶けてクリームソーダの青さをより際立たせていた。
ちょこんと乗っているマラスキーノ・チェリーは太陽といった所だろうか。
ホットサンドはローストチキンにレタスとオニオンスライス、トマトと具沢山で溢れ落ちそうなぐらいギッシリ詰まっていた。
見た目だけで思わず、涎が溢れそうなぐらい美味しそうだった。
伊地知は小さく「いただきます」と手を合わせた。
「おお……」
がぶりとホットサンドにかぶりつくとじゅわっとローストチキンの肉汁が口に広がり、レタスとオニオンスライスもシャキッと良い音を立てた。
トマトの酸味がこれまた味を引き立たせ、食が細い方の伊地知だったが、ペロリと食べてしまいそうだと舌鼓した。
ーークリームソーダも飲んでみよう。
バニラアイスが溶け進むと味も変わってくるので、そのままの味も楽しみたいと飲んでみると、これまた爽やかな味がした。
しかし、どこか懐かしさも感じる味だった。
そして、青空と表現された色合いが眩しさを感じさせるが、吸い込まれるような青さをしており、これはまるでーー。
「どうですかね、味は」
「えっあっはい!美味しいです!」
「それは良かった!」
「そう言えば、このトマトの香りは何でしょうか」
「ミートソースです!パスタもいつか食べてください」
厨房からフライパンでミートソースを煮詰めながら店主はにこやかに笑った。
そう言えば、ミートソーススパゲティも載っていたなと伊地知は先程眺めていたメニューを思い出した。
これはまた来なければ、と伊地知は次の楽しみにと心を踊らせた。
モリモリとホットサンドを平らげた後、クリームソーダのバニラアイスをデザート代わりにとスプーンで掬って、口に入れると優しい甘さにじんわりとした。
クリームソーダを飲んだり、バニラアイスを食べてと交互に楽しんだ後は溶け出しているバニラアイスをスプーンでクルリと混ぜ合わせた。
この色合いが変わってしまうのは勿体ない気もしたが、混ぜ合わせた時の味も好きなのだ。
思う存分に堪能した伊地知は幸せたっぷりだったが、スマホの振動により一瞬に崩れた。
連絡は五条からで「デスクにUSB置いといたから」とだけメールに書かれていた。
ああ、幸せとは儚いものだと落ち込みつつ、会計を済ませると「また来ます」と喫茶店を後にした。
それから何週間も経った後、久しぶりの休日という事で読んでいた小説の続編である中巻を買いに本屋へと立ち寄った。
忙しさ故に読み進められていなかった自覚はあったが、いつの間にか下巻まで出ており時の流れの残酷さを感じた。
無事に購入も出来た伊地知はこのまま昼食も外で取ってしまおうと、もう一度あの喫茶店へと向かった。
相変わらず、入り口には〈当店自慢の青空クリームソーダ〉と書かれた看板が立っていた。
店内に入ると前回とは違いサラリーマンらしき男がゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「あっ!いらっしゃいませ」
「どうも」
「こちら、どうぞ」
店主は伊地知の事を覚えていたらしく、また来店してくれた事に喜んでいるようだった。
席に案内され、メニューとお冷やを渡されたが、やはりここは前回食べようと決めていたミートソーススパゲティと再びクリームソーダを注文すると、待っている間に少しだけ読もうと小説を取り出した。
読んでいるのは歴史小説で、いつぞや石田三成の名前を聞いた後に彼を題材とした小説が発売されたので買ってみたのだ。
読んでみると結構、面白くハマったのである。
石田三成の名前を出した張本人は〈お茶をぬるめに淹れてくる〉という訳の解らない理由で気に入っていたが。
今、思い出すと笑えてくるが、あの時は困惑しかしなかった。
「面白いんですか?それ」
「うえっ!?」
「あ、驚かせてしまいましたね」
「いいいいいえ!集中し過ぎてしまってました」
「お待たせしましたね」
コトリと置かれたミートソーススパゲティはトマトの良い香りで、挽き肉はごろごろとしていて食欲をそそられた。
クリームソーダの青さも前回と感じた時のように綺麗な空色だった。
「クリームソーダ、気に入って下さって嬉しいですよ」
「本当にとても綺麗ですよね。味も美味しいですが」
「こだわって作ったので良かった」
「この青色がとても……」
とても、あの瞳に似ているーー。
吸い込まれるような瞳で、心までも透き通らせていくかの様な青さ。
あの瞳の青さは恐怖すら感じるが、向けられた眼差しは優しかった。
「どうしました?」
「あっその、以前!以前、出掛けた時に見た青空を思い出して好きなんです!」
「青空クリームソーダなんでね。では、ごゆっくり」
急に固まった伊地知だったが、店主は気にする事なく厨房へと戻ると皿洗いをし始めた。
上手く誤魔化せただろうかと、冷や汗をかいた額をぬぐうと、伊地知はクリームソーダを見つめた。
そうか、妙に心を惹かれたのは五条さんの瞳に似ていたからだったのか。
初めて見た時、思い浮かびかけたのを思い出した。
誰かを思い浮かべながら食べるなんて気恥ずかしさも感じたのだが、不思議と悪くなかった。
今までなら、休日にまで上司である五条に会いたくないのだが急激に声が聞きたくなる。
勿論、そんな事は出来ないので大人しくスパゲティを頬張るとミートソースがとても深い味わいで一口入れただけだというのに煮詰められたトマトの味が広がり、ほどよく茹でられたパスタと絡んでとても美味しかった。
挽き肉もごろごろとしており、食べ応えがある。
一口、二口と食べる手が止まらなかった。
黙々と食事をしているとスマホが振動した。チラリと見れば五条という文字が見えた。
思わず、ドキリと心臓が跳ねるがこれは仕事だろうなと泣きそうになりながらも電話に出ると「いっじっち~!暇?暇だよな?休みだもんな!」と休日だと知りながらの連絡だった。
「何でしょうか?何か新しい仕事ですか?」
「オイオイ!オイオイオイオイ!休みなんだろ~構えよ!!」
「えええ……」
「どこにいんの?家?」
「違います」
「なら、どこだよ」
「ええっと」
ここを教えるのか?この平穏な場所を?と伊地知は悩んだ。
声が聞きたくなったものの、ここを知られるのは何だか嫌で黙っていると五条が「なに?もしかして、彼女とか?」と不機嫌そうな声で聞いてきた。
「居るわけないでしょう」
「……オマエそれ自分で言ってて悲しくないの?」
「うっ……。今は昼食を取っているんです。せめて、何処か別のところで合流しませんか?」
「なんで?そこ行くよ」
「上司である五条さんにわざわざ足を運ばせるなんてそんな」
「なんか、オマエ来るの嫌がってない?あれか、良い場所見付けたんだろ」
「えっ!?そそそそういう訳では」
「伊地知。嘘つくの下手すぎ」
自分でも今のはバレバレだったなと苦笑いした。
諦めて白状しよう。そう決めて五条に場所を伝えると電話を切られた。
ああ、さよなら。私だけの癒しの場所。
ミートソーススパゲティを食べ終え、クリームソーダを飲んでいるとカランカランとベルが鳴り、ドアが開いた。
そこにはシンプルな格好で、サングラスをかけた五条だった。
店主が駆け寄ると、こちらを指差して「あ、お連れ様だったんですね!」と伊地知の元へと案内した。
「よ!伊地知~めっちゃ良さそうな所だね」
「メニューどうぞ。お冷やも」
「どーも!」
五条は「へー」や「ほうほう」とペラペラとメニューを捲った。
「五条さんの好きそうなパフェが最後にありますよ」
「マジ!?」
バッと最後のページを開くと、五条はキラキラとした瞳でデザートのメニューを見た。
「うまそー!てか、伊地知の飲んでるクリームソーダも美味そうじゃん」
「美味しいですよ。ここの自慢メニューなだけあって」
「僕もそれ飲もうかな。すいませーん!」
「はーい。お決まりですか?」
「クリームソーダとチョコレートパフェで!」
「かしこまりました」
店主は相変わらず爽やかな笑顔で注文を受け取ると厨房へと戻った。
五条は待ちきれないのかソワソワとしている。
こういうところは子供っぽいよなぁと伊地知は笑った。
「おい、何笑ってんだよ」
「い、いや~そのクリームソーダ!クリームソーダ綺麗じゃないですか!?」
「ん?そうだね。青空って書いてあるもんね」
「こ、これすっごく五条さんの瞳に似てるな~ってあはは……は、ははっ」
あ、これ失敗したな。
伊地知は固まった。五条も同じく固まっている。
じわじわと自分の発言の恥ずかしさに身体中の毛穴という毛穴から汗が吹き出たのではというくらい服がビッショリとしているのを感じた。
「伊地知」
「はっはひっ」
「顔、真っ赤」
「シッテマス……アツイデスモン……」
顔を手で覆い隠すと、五条の顔が見えないが絶対にドン引きしているに違いない。
男からこんな事を言われるなんて自分でも気持ちが悪いと思う。
どうしようどうしようと思考がグルグルと回るだけで、まとまる事はなかった。
「パフェと青空クリームソーダお待ちしました!……あれ?どうなさいました?」
「コイツね、たまに失敗した過去思い出して赤面すんの」
「あ~そういう時ってありますよね」
「暫くしたら落ち着くんで、放っておいてやってください!」
「はい、ごゆっくり」
五条なりに気を遣ってくれたのか上手く誤魔化してくれた。
まだまだ落ち着く事の出来ない伊地知をそのままに五条は一口生クリームを掬うと口へと運んだ。
甘さは程好く、チョコレートソースはほんのりビターで生クリームの甘さを際立たせていた。
下の方にはチョコチップアイスにチョコアイスとチョコ尽くしで、五条はご満悦で食べ進めた。
クリームソーダも飲んでみると、爽やかな味がパフェと相性抜群だなぁ。
チラリと伊地知を見れば、まだ固まったままで隠せていない耳や手などは真っ赤だった。
「いつまで、僕は放っておかれるんだ?」
「すみません」
「ねぇ、伊地知。顔上げてよ」
「……何でしょうか」
恐る恐る顔を上げると、パフェを堪能して満喫していると言った表情だった。
「僕の瞳に似てるんだって?」
「うう……はい……」
「そんなに好き?僕の事」
「語弊がある言い方しないで下さいよ」
「もっと近くで見たくない?」
「へっ?」
五条の表情は何とも言い難い顔をしていて、どういう意図なのか汲み取れずにいると五条はもうクリームソーダのバニラアイスを一口食べた。
「この後、まだ空いてるよな」
「まあ、空いてますね」
「今、とっても機嫌が良いから伊地知ん家行くぞ」
「はい!?それ機嫌関係ありますか!?」
「あるよ」
頬が随分と緩んでいる五条に伊地知は部屋、綺麗だったかな?お茶とかあったかな?と、これからどうなるか全く危機を察知していなかった。
そんな伊地知に「可愛いんだけどねぇ」とチェリーの種をガリッと噛んだ。