妬心(ホークマン×マリポーサ)

朝からすでに厚い雲が一面に低く垂れこめていた。雲間に空が見えても誰かを温める陽射しはない。秋が終わろうとしている。
昨夜の夜ふかしのせいで日がのぼってずいぶん経つというのに、いまだマリポーサはまどろみのなかにいた。すると、その枕もとでとつぜんモバイルが着信を告げた。彼は画面を確かめることもせず呼び出しに応じた。
「おはようございます、マリポーサ様」
予想どおり、それはホークマンの声だった。
「おはよう、ホークマン」
「申し訳ありません、お起こししてしまいましたか?」
「いいや、どちらにせよもう起きる時間だった」
「あの、よろしければ今日お会いできませんか?」

「お待たせしてすみません」
夕刻、待ち合わせ時間きっかりに、ホークマンはそう言いながらマリポーサの前に姿を現した。身長2メートル余、超人ならではの鍛えあげられた肉体、おまけに整った顔立ちとあって、マリポーサほどではないにしても、ホークマンは常に羨望と憧憬の視線を向けられている。おまけに背中には勇壮な翼を有し、大鷹・ヘルバードを冠のように頭に留まらせている。まるで神話のなかの人物が抜けだしたようだ。
「いいや、私もいま着いたところだ」
「それならば、よかったです」
二人はカフェに移動した。今日はヘルバードを連れてきているため、テラスのテーブル席に腰を落ちつけた。彼はよく訓練されていて、決められた場所と時間以外で排泄をすることはない。これはリングで闘うことを想定して訓練づけられたものだ。ホークマンに付き従って色々な場所におもむくこともあるため、むやみに誰かを威嚇しないよう躾けられてもいる。それでも猛禽の嘴や鉤爪を厭う人が少くないことをホークマンもマリポーサもよく承知していた。
「ホークマン、飲み物は何がいい?」
「すみません、ではカフェラテを」
「分かった」

二人はマリポーサが買ってきた飲み物にそれぞれ口をつけた。
「屋外で温かい飲み物を楽しむにはいい季節になったな」
「ええ、本当に。コイツも今の時分を一番好むようです」
ホークマンがヘルバードに手を伸ばしてその喉を指でかいてやると、愛鷹はクゥ、と心地よさそうに低く鳴いた。
ひとしきり近況などを報告しあうとホークマンはバッグから小さな包みを取りだした。
「今日お呼び立てしたのは、これをお渡ししたくて」
そう言って彼は包みをマリポーサにさし出した。
「よろしければ開けてみてください」
それはハガキほどの大きさで、筋入りのハトロン紙に包まれていた。マリポーサがそっと包みを解くと、羽を広げた青い蝶の細密画が現れた。古びたフレームに収められ、凹凸のある水彩用紙に透明水彩で緻密に描かれた蝶の羽は、空と海の青を混ぜ合わせた色をしている。もしもなにかの拍子に絵のなかから蝶が抜けだしたなら、置き去りにされた画用紙の上には、きらめく青い鱗粉がホロホロとこぼれ落ちているだろう。
「これを、私に?」
「ええ。見た瞬間思いました、あなたの似姿そのものじゃありませんか」
「ありがとう、ホークマン」
くしゃりとマリポーサが笑み崩れたのが、マスク越しの瞳からうかがえた。

その絵をどこで見つけたのか、とかそんな話をしているうちにすっかり日が暮れ、マリポーサとホークマンはそのまま夕飯も同じ席でとった。パテやキッシュを食べながらワインを幾杯も飲み、最後はだいぶいい心地になった。食事の代金はプレゼントのお礼だといってマリポーサが支払って二人は店をあとにした。
「すみません、お呼びだてしたのにご馳走になってしまいました」
「言ったろう?お礼だって。もっともあれくらいではあの絵に見あわないかもしれないが」
まだ少し話したりない、どちらもそう思ったのか、マリポーサとホークマンは通りすがりの公園に足を踏みいれ、ベンチに並んで座った。
「もう、今年も残りわずかになったな」
「その前に、アレがあります。クリスマス」
「そうだった」
「また全員に声をかけましょう。100トンのところは子供が産まれましたから難しいかもしれませんが」
「ああ、いつもすまないが頼む」
本当をいえば、もうずっと前からホークマンはマリポーサと二人だけのクリスマスを過ごしたいと思っていた。だけど飛翔チームの全員が集まったときの、幸せそうなマリポーサの笑顔を知っているせいでいつも言いだしそびれ、逆に幹事になってアレコレ世話をやいてしまうのだった。
王位争奪戦後、当初の予定通りキン肉スグルが王位に就き、その余波でマリポーサを含めた王位継承候補者だった五人は、一時期かなり立場を悪くした。大王となったスグルの擁護や邪悪神にそそのかされたという経緯があったにせよ、そう簡単におさまらないのが世情というものだ。それでもマリポーサはその非難の矛先が己のチームメイト――ホークマンやキング・ザ・100トン、ミスターVTR、ミキサー大帝らに向かうことがないよう、八方手を尽くした。
だから四人にとっての王はあの時からずっとマリポーサのままなのだ。

とつぜんヒュウ、と(おそらく)今年一番めの木枯らしが吹いた。そのとたん、マリポーサは小さなクシャミをひとつした。
「おや、大丈夫ですか?」
「冬物を出すのが億劫で、ついクロゼットにあるものを着てきてしまった」
「今日はまたずい分と薄着でいらっしゃると思っていたんです」
事実、マリポーサは素足にローファー、コットンパンツと綿の生成りのセーターを羽織るのみだった。深く切れこんだV字カットの襟元からのぞく褐色の肌が、街路灯に照らされて濡れた土のようにみえる。
「……失礼します」
ホークマンは自らの背に有する鷹翼をバサリとひろげた。翼長にすれば4.5メートルもあるそれは、すっかり灯りをさえぎってマリポーサのうえに闇をおとした。しかしそれもつかの間、翼は音もなくそっと二人を包みこんだ。
「これで少しは違うかと」
「暖かい。ホークマン、お前はいつも私によくしてくれる」
「逆です、あなたにもらったものを返しているだけです」
「そうであれば、嬉しいのだが」
「マリポーサ様……」
ホークマンはマリポーサのおとがいにそっと手を添えて顔を上向かせた。それが何を意味するのかマリポーサもすっかり分かっている。だのに彼は目を見開いたまま、なぜかホークマンを見すえていた。
「ヘルバードが……怒っているようだ。たぶん、私に」
「え!?」
ホークマンが己の頭上をうかがうと、くだんの鷹は冠羽をさかだて、マリポーサにむかってカッと嘴をひらいていた。
「ヘルバード、お前はすこし席を外しなさい」
ヘルバードはすぐさま羽ばたいて定位置を離れた。その際に一声鳴いたのは悋気ゆえか。それでも主の意図はきちんと伝わっているらしく、街灯の傘のあたりに身を落ち着けると背中の羽根に顔をうずめた。
「お前を盗られてしまうと思ったのだろう。いじらしい」
「何を。私はいつだってあなたの物です」
二人は視線をあわせると同じ笑みをうかべ、そのまま顔を寄せあい――だけど、次の瞬間ホークマンは自分たちを翼で繭のようにすっかりくるみこんでしまったので、蝶と鷹の口づけは世界の誰にも知られることはないのだった。

fin
(初出:2024.10.07 pixiv)
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