真夜中の太陽(キン肉マンスーパー・フェニックス)

キン肉星、マッスルガム宮殿。壮麗かつ広大なその建物のなかに存在する、ひっそりと奥まった一角。王族のなかでもごく一部の者のみが知るその区画の行き止まりに、ポツンと一つのドアがあった。黒みがかった木材の重厚な扉には、簡素なネームプレートがはめ込まれ、表面にはただ一文字「P」とだけ彫られていた。訪れる人を拒むような威圧感を放つそのドアの向こうには、奥行きのある室内が広がっている。内部にはカーペット敷きの床と簡素ながら手のこんだ調度品が配置され、壁一面をおおう書棚には、いかにも難解そうな書籍がギッシリと詰まっていた。どこの王宮にもよくある、典型的な執務室だ。
部屋の片すみのデスクでは、部屋の主とおぼしき一人の超人が、なにかの書類の束に目を落としていた。キン肉族特有の丸顔のマスク、ふくらんだ小鼻、ポッテリとした唇。そして頭頂から顎下のあたりまで、黄みがかった若草色の瞳をはさんで、隈取のような桃色の線が顔面にはしっている。とりわけ印象的なのは、鳥をかたどった額の紋章だ。
彼の名はキン肉マンスーパー・フェニックス。キン肉星王位継承サバイバル・マッチにおいて、王位継承候補者――いわゆる「運命の王子」の一人として、キン肉星現大王・キン肉マンことキン肉スグルと死闘を繰り広げた超人だ。

フェニックスのデスクの上には、彼が手にしたものの他にも、うず高く書類が積みあげられていた。ふと、面をあげた彼が卓上時計に目をやると、時刻はとっくに日付をまたいでいた。
(もう、こんな時間か)
フェニックスは小さくため息をついて、眉間を指で軽く揉んだ。ちょうどそこへ、誰かが部屋のドアをノックした。
「――どうぞ」
大きな扉が音もなく開き、一人の超人が姿を現した。迷彩柄のツナギにマントを羽織ったその体躯は、見事なまでに鍛え上げられている。黒い模様がほどこされたアーミーグリーンのマスクからのぞく目元には、歳月を感じさせるシワが刻まれていたが、青い瞳は夜半を過ぎてもなお炯々と輝き、あふれるほどの生気に満ちていた。
彼の名はキン肉マンソルジャーこと、キン肉アタル。現大王・キン肉スグルの実兄にして、超人特別機動警察隊(アンタッチャブル)の創始者かつ指導者だ。
アタルの来訪をフェニックスは予期していたらしい、驚くこともなく声をかけた。
「遅かったな、ソルジャー」
「すまん。人目につかぬよう引き上げるのに、少々手間どった」
アタルは勝手知ったるという風に室内に足を入れ、マントを外してソファの背にかけると、そこにどっかりと腰を下ろした。フェニックスはデスクを離れ、あらためて手ずからそのマントをポールハンガーにかけた。
「コーヒーでいいか?」
「ああ」
フェニックスは作りつけの給湯室に姿を消した。しばしの後、熱いコーヒーを満たした二つのカップを手に戻ってくると「熱いぞ」と、片方をアタルに差しだした。
「すまんな」
「なに、オレもひと息いれようと思っていたところだ」
フェニックスがアタルの向かいに腰をおろし、二人はそれぞれ飲み物を口をした。香ばしい薫りと苦味が疲れた身体に染みわたり、喝を入れる。その快さにアタルはひとつ息を吐き、おもむろに口を開いた。
「式典の用意は終わったのか?」
「まあ、なんとか」フェニックスは肩をすくめた。「ただ、パーティの準備は朝までかかるだろう」
「苦労なことだ。しかし即位十年となればやむを得んか」
「節目だからな、まがりなりにも」

明日――いや、すでに今日は、キン肉スグルのキン肉星第58代大王即位十周年の記念日だった。例年、この日は王家の面々の大衆へのお披露目が行われ、そのあとは華やかなパレード、そして王室主催のパーティと続く。富裕で知られるキン肉王家の式典とあって、どれも豪華な催しで、とくにパーティは、招待状のない人々にも各所で酒や料理がふんだんにふるまわれるため、民衆は毎年この日を心待ちにしている。

どちらもコーヒーを飲みほしたところで、アタルは携えた封筒から書類を取りだし、一通をフェニックスに渡した。つづられた書類の一枚目には極秘と記されていた。
「さて、早速だが喜ばしい日を、木っ端みじんの台無しにしようとした、不埒者の話をしようか。フェニックス、おまえが連絡してきたとおりだった。リストアップされた建造物の一つで大量の爆発物、別の家屋では原材料と思われる物品が発見され、不審人物も一名確保した」
どんな王室にも後ろ暗い部分は必ずある。スグルの治世においても、彼を失脚させ、富と権力を手中に入れようと画策する勢力が存在した。フェニックスはこれまでにもキン肉王家直属の警備隊とはまた別に、大王補佐官として彼自ら主導して策を講じ、スグルの身辺に危害が及ばぬよう、犯罪計画を未然に阻止してきた。
今回も、祝賀パレードに対するテロの可能性が危惧される情報があがってきたため、フェニックスはそれをアンタッチャブルへ通達し、対応を依頼したのだった。

アタルの説明が続く。
「まずは家屋の詳細から説明しよう。室内で見つかった農業用品や化学品はリストのとおりだ。それらを原材料にして、そこで爆発物を製造。家屋の地下には穴が――平たくいえばトンネルが掘られていて、完成した爆発物をそこからをパレードのルートに面した建造物まで運んだ。そんな手順だったとみて間違いない。ちなみにトンネルの全長はおよそ300メートル。ご苦労なことだ。しかし地上は厳戒態勢だから、それしか方法がなかったんだろう」
手にした書類をアタルが読み上げるのに合わせて、フェニックスも書類の文字を追う。本件の経緯、物件の概要や押収された物品のおおまかなリストなどが逐一記されていて、なるほど、こんなものまでこしらえていたら到着が遅くなるわけだ、とフェニックスは得心がいった。武骨なたたずまいに反して緻密で抜かりがなく、じつにこの男らしい。
首謀者の見当がつかなかったため、王家の警備隊にはこの件を報告していない。万が一王族関係者や元老院の誰かが犯人であった場合、報告をあげた時点でもみ消され、情報はなかったことにされるおそれがあるためだ。
何より公にして、大王であるスグルに心労を与えたくなかった。その部分において、フェニックスとアタルの意図は常に一致している。
「それから、建造物のなかの爆発物はすべて無力化したあとで地下のトンネル経由で運び出し、家屋の物品とあわせて押収した。また、確認したところ、これまでに本件による被害はゼロ。最後に、取り押さえた人物についてはニンジャが尋問の真っ最中だ」
アタルはそう言って、長い報告をしめくくった。フェニックスは最後のくだりに小さく眉根を寄せた。ザ・ニンジャはかつては人間のシノビで、超人へ転身したあと、悪魔将軍に仕えていた。元・諜報戦のプロであり、元・悪魔超人である彼がどんな手段を用いて相手から情報を引き出すのかは、想像に難くない。フェニックスは思わずつぶやいた。
「ザ・ニンジャの尋問か、ゾッとせんな」
「……全くだ」
フェニックスがみなまで言わずとも、アタルは発言の意図をじゅうぶん察した。なにしろ、ザ・ニンジャをかつては血盟軍の一人として、今ではアンタッチャブルの片腕として選んだのは、アタル自身なのだから。
ともかくも懸念を未然に防ぐことができたことで、フェニックスは安堵のため息をついてソファに深く背を預けたが、思いだしたように疑問をつけ加えた。
「しかし規模からして、この件は個人の犯行とは考えにくい。そいつはキン肉族か?」
「一応外見は。まあ、その辺もおいおい分かるだろう」
「オレが思うに、このやり方はキン肉族らしくない。『マスクの下は赤の他人』という言葉もある」
フェニックスの言う「マスクの下は赤の他人」とは、キン肉族特有のことわざで、物事を表面だけで安易に判断してはならないという警句である。
超人のなかでも無類の強さを誇るキン肉族において、その価値基準や行動指針は肉体に依拠するものであり、深謀遠慮はなじみの深いものではない。爆発物を仕掛けるよりも、じかに王を襲い力でねじ伏せるほうが、よほど一族のメンタリティに合致している。その点をフェニックスは指摘したのだった。
アタルはかぶりをふって答えた。
「その考えは否定せんが、仮に元老院や王族関係者でなかったとして、それを式典が始まるまでに突き止めるのは、おそらく不可能だと思うぞ」
「分かっている。だからその部分は今はこだわらん。とにかくパレードが滞りなく終わればそれでいい。パーティについては今のところ異常が確認されていないし、まさかここまできて仕切り直しはできんだろう」
「その意見には賛成だ。おまえの用意したデータに基づくなら、同様の準備があるとは考えにくい――それにしてもフェニックスよ、今回の件、どこから気がついた?」
どうということもない、という風にフェニックスは肩をすくめた。
「いつかこういう事が起きるだろうと予想していた。だから、準備していたんだ」
「準備?」
フェニックスは立ちあがり、部屋の隅におかれたモニタへ歩みよると「こちらだ」とアタルを手招きした。
アタルの目の前でフェニックスがモニタのスイッチを入れ、キーボードを操作する。すぐに起動音とともにシステムが立ちあがり、いくつものグラフや刻々と変化する数値が画面に表示された。
「このシステムが、今回の事件が発生する可能性を指摘してくれた。これには、様々な公的機関の記録、生活インフラや情報インフラの消費データ、金融取引記録、交通データ、通信履歴、種々の物品購買履歴、地理データ、過去の犯罪データなど、あらゆる情報を入力したデータベースを構築してある。そしてシステムがそれらを参照し分析することで、想定されるパターン――今回は妨害活動の計画だ――の有無を判断することができるようになっている」
そこでフェニックスがあらためてキーボードに指を走らせると、今までとは別の数値を表わすグラフがズラリと表示された。
「他にも、最近では王宮内の財政管理や内部監査にも成果を上げ始めているんだ」
流れるように述べられた内容が、実際にはどういう仕組みによるものか、アタルにはとっさに理解が及ばなかった。しかし実際にその分析によって、今回の事件を未然に防ぐことができたのだから、とにかく桁違いに優れた代物なのだ、ということだけは分かった。
「それほどの機能のわりに、ずいぶん小さいようだが」
「メインは地下だ。そこにサーバールームがある」
言葉につられてアタルは足元を見おろした。当然ながら王宮の分厚い床に隔てられているため、そこから何かの作動音や振動を感じるわけもなく、毛足の長いカーペットが彼の黒い革のブーツをやわらかく包みこむのみだった。
「まさか、おまえ一人でこれを作ったのか?」
「ああ、基幹はな。公務の隙間時間に、少しずつプログラムを組んだ。こういう自衛手段を作っておかないと、大王もオレもいつ誰に足をすくわれるか分からん。ここに入ってすぐに、王宮の歴史を聞いてそう思った。何しろオレには有用な後ろ盾がなかったから」
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