長坂編【全3話】
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戦場に立ち込める砂塵と血の匂い。
曹操軍の精鋭に包囲され、腕には主君の幼子・阿斗、傍らには深手を負った劉備の妻。
趙雲は託された阿斗を身体に巻き付けたものの、夫人をどうすればいいか思案していた。
遠くから曹操軍の足音が轟く。
すると。
「いたぞ!」「こちらです!」
という声と共に、数人の曹操軍兵士が駆けつけた。
趙雲が槍を構える。
その後ろから呼ばれた将が馬で駆けつける。
(この状況で、夫人まで守れるか…?)
覚悟を決めた時。
「子龍様?」
馬で駆けつけたのは、曹操軍の重厚な鎧に身を包んだ○だった。
趙雲は槍を構えたまま固まる。
見間違いか、あるいは死を前にした幻覚か。
○は一瞬驚いた顔をしたが、馬上で兜を外してあの顔でニッコリ微笑む。
たった二年でかなり大人びていた。
「○!? なぜここに……! それにその格好は一体!」
「それはこちらの台詞です!どこに行くかも、誰に仕えるかも書かずに行ってしまわれるなんて!」
○は眉間にしわを寄せる。
まるでつい昨日会ったかのような、記憶の中の○そのままだ。
「子龍様を追って彷徨っていたら、曹操様に取り立てていただいたんです。入って見たら大きな軍でしたから、ここにいれば子龍様のいらっしゃる戦に当たるのではないかと思って…ん?こちらの女性は…?」
そういうと顔を険しくして馬から降りる。
周囲の曹操軍の兵士は何も言わずに立っており、彼らに目で合図をすると○は趙雲に近づく。
目の前に立った○に、趙雲は膝をついて頭を下げた。
驚いたように立ち止まる○。
「…○!頼む!見逃してくれ!」
足の悪い父と、治安の定まらない村。
それらを○が簡単に切り捨てられないと分かっていたのに、手紙一通で押し付けてしまった。
見なければ起きた事にならない…そんな邪な気持ちもあったのも事実。
「お前の気持ちを知りながら、何も言わずに全てをお前に丸投げして去った私を……許してくれとは言わぬ」
趙雲の声は掠れ、切実だ。
○の献身を裏切り続けた己の傲慢さが、ここにきてツケとして回ってきたと打ちのめされる。
今ここで○が応援を呼べば、自分はともかく奥方は死んでしまうだろう。
「勝手な頼みだとは分かっている。だが、どうか……助けてほしい。劉備殿の妻子であるこの幼子と奥方様を救いたい……私が持っているものなら、この命さえ、何でも差しだそう。今生の願いだ。頼む……っ!」
趙雲は彼女の出方を待つ間、最悪の事態すら覚悟していた。
今の彼女は自分を殺す為に追ってきたのかもしれない。
○と戦いたくない。
しかしここで殺されるわけにもいかない。
どうしたらいい…と色々な考えを巡らせている。
すると、カシャン、と音がして趙雲が顔をあげた。
「子龍様から頂きたいものなんて、ありません」
○が曹操軍の重苦しい鉄鎧を次々と脱ぎ捨て、内側に着ていた薄手の衣と最低限の装備品を残した軽装になると、膝をついている趙雲の手を握って立ち上がらせた。
「何もいりません。だけど何度でもお手伝いします。どこまでもご一緒します。言ったじゃないですか。私は身も心も、貴方のものです!」
○は懐かしい笑顔で微笑んだ。
趙雲は一瞬だけ戦場の凄惨さを忘れそうになる。
「時間がありません。行きましょう」
○は夫人を抱えると馬に乗せて、先ほど脱ぎ捨てた曹操軍の防具をその上に被せた。
そして曹操軍の兵士を見る。
「じゃあ私はここで…暇を頂きますと、曹操様にお伝えください。彷徨っていた私に声をかけてくださった事には、とても感謝しています」
そう言って曹操軍の文様の入った武器を渡す。
兵士たちは○としばらく別れを惜しむと、「お元気で」と言って森に入っていった。
「○…彼らは一体…」
「曹操様には前もって、『探し人がいて、その人が見つかったら抜ける』と言ってあったんです。ですから客将の扱いで…。彼らにもそう伝えていたので、分かってくれたのでしょう」
言いながら夫人の身体を綺麗に隠す。
「さて、私はこのままでは、まともに太刀打ちはできません。敵の攻撃を避けながら子龍様の後に続きます」
○は馬に跨り、手綱を握り締める。
戦場の真っただ中で、ニコニコと相変わらずの笑顔で微笑む○に趙雲は少し呆れてしまった。
「ちなみにですが、子龍様と関羽様は狙われています。曹操様は全軍に向けてお二方の”生け捕り”を命じられておりました。私はそれに混ざって飛び出しましたから。だから逃げないと攫われてしまいます」
その言葉に趙雲は青ざめながらも馬を走らせた。
長坂の凄惨な包囲網を突破し、ようやく劉備軍の陣営へと辿り着いた二人。
趙雲の白い鎧は返り血で赤黒く染まり、○の軽装も砂塵と敵の返り血でボロボロ。
しかし、夫人と阿斗は無傷だった。
劉備は阿斗を抱きかかえ、生還した趙雲に賛辞をおくった。
「趙雲!……よくぞ戻ってくれた!」
涙を流して喜ぶ劉備は、ふと趙雲の傍らで微笑んでいる見慣れぬ娘に目を留める。
「……して、趙雲。そちらは一体……? 曹操軍の防具を纏いながらも、我が妻子を命懸けで守ってくれたようだが」
劉備の問いに、周囲にいた張飛や諸葛亮、将兵たちの視線が一斉に○へと集まった。
すると○は劉備に向かって深々と頭を下げる。
「ご挨拶が遅れました。私は子龍様の妻です。○と申します」
その場の空気が一瞬にして凍り付く。
趙雲は顔をひきつらせた。
おずおずと周倉が前に出る。
「待ってくれよ。妻…っていうと」
「お嫁さんです」
どよめきが広がる。
あの朴念仁で、武芸一筋の趙雲に恋人どころか妻がいるなどと誰も信じられない。
趙雲は吐き気すら催すほどの緊張感で、青筋を立てながら一歩前に出た。
「違うのです!この者、昔から勝手にこの様な事を……故郷にいるはずの知り合いなのですが、先ほど戦場にて偶然再会し、私の独断で加勢を頼みました。断じて妻などでは!!」
「ああ、なるほど。もしや先日話していた友人か。しかし彼女がいなくては、我が妻子は揃って救われなかったろう。お前の推挙とあれば私は異存がない。彼女さえよければ同行してもらって構わない」
趙雲はただ「恐れ入ります」と頭を下げるしかなかった。
周囲の将兵たちからは、「隅に置けないな」「女子に興味がないかと思っていた」「お嫁さん、若いな」と、冷やかし混じりの声が飛び交う。
戦火の長坂に、少しだけ訪れた奇妙なほど温かな空気。
趙雲は、また始まる○との生活に覚悟を決めた。
激戦の後、落ち着いた場所で陣を張った劉備軍。
○は焚火の側で、趙雲の父が亡くなった事を話した。
趙雲が出て行って半年後の事だそうだ。
なんとなくそんな気はしていた。
趙雲が家にいた時も、嫌な咳をしていたからだ。
本来、親が亡くなれば数年喪に服すべきだが、趙雲の父がその必要はないと話したらしい。
むしろ自分の死も趙雲に伝えなくていいと言っていたほどだが、○の判断で話したらしい。
とはいえすぐに家を出るのも忍びなく、○はその後半年、趙雲の実家で喪に服してから趙雲を探して旅に出たそうだ。
そしてそれから曹操軍に入り、一年ほど同道していたと。
全てを聞いた趙雲は何度もお礼を言って、○から渡された父の遺品の小刀を懐に入れる。
何も言わずに○を村に置き去りにした事を謝ったが、○は優しく首を横に振った。
そして趙雲にくっつく位の場所に座り直す。
趙雲は焚き火の爆ぜる音を聞きながら、隣に座る○をそっと盗み見た。
昼間の苛烈な戦いぶりが嘘のように、彼女は穏やかな表情を浮かべている。
二年ぶりに会った○はかなり女性らしくなっていた。
「……○。曹操軍にいたのなら、戦場という場所は初めてではなかったかもしれん。だが、あのように四方を敵に囲まれ、生きて戻れるかも分からぬ中を駆け抜けるのは……怖かったろう」
戦で命の危機を知り、二度と戦えなくなる者も少なくない。
今回の戦などは、鉄の海の様な所を渡ったのだから趙雲は心配だった。
趙雲の気遣うような問いに、○は彼の肩に頭を寄せる。
「怖くありませんでしたよ。だって子龍様がいたもの。私は子龍様がいるならどこだって平気です」
「…………」
趙雲は深く、長く息を吐き出す。
再会した時はゾッとしたが、こうして傍にいるとなんだか身体が軽くなった気がする。
「……こんな事を言うと、都合がいいかもしれないが…○に再び会えてよかった。……本当に」
趙雲は顔を覆いながら、ホッと消え入るような小さく呟く。
それをしっかりと聞いた○は嬉しそうに笑った。
不意に、すぐ傍に気配を感じて趙雲が隣を見ると、そこには至近距離まで顔を寄せた○の姿があった。
彼女はそっと目を閉じ、その唇を趙雲の方へと預けている。
「ぇ……っ!」
心臓が跳ね上がる。
二年前より大人になった○。
焚火の灯にあてられて艶々と輝いて見える。
趙雲の脳裏に、真面目な顔をして「故郷の知り合いです」「断じて妻ではない」と皆に紹介したばかりの自分の姿が浮かぶ。
(い、いかん。ここで流されるわけには……!)
趙雲はそれに気づいていない振りをすることにした。
「さて。夜も更けてきたな。私は夜間警護がある。お前はちゃんと寝なさい」
○が目を開けた時には、趙雲はすでに背を向け、大股で去っていく所だった。
―私が持っているものなら、この命さえ、何でも差しだそう―
あの時の趙雲の言葉が○の脳裏をよぎる。
「あの時、カッコつけて何もいらないなんて、言わなければ良かった」
小さくそう呟いた○は、そうは言うもののやっと趙雲と一緒にいられる幸福感に包まれていた。
曹操軍の精鋭に包囲され、腕には主君の幼子・阿斗、傍らには深手を負った劉備の妻。
趙雲は託された阿斗を身体に巻き付けたものの、夫人をどうすればいいか思案していた。
遠くから曹操軍の足音が轟く。
すると。
「いたぞ!」「こちらです!」
という声と共に、数人の曹操軍兵士が駆けつけた。
趙雲が槍を構える。
その後ろから呼ばれた将が馬で駆けつける。
(この状況で、夫人まで守れるか…?)
覚悟を決めた時。
「子龍様?」
馬で駆けつけたのは、曹操軍の重厚な鎧に身を包んだ○だった。
趙雲は槍を構えたまま固まる。
見間違いか、あるいは死を前にした幻覚か。
○は一瞬驚いた顔をしたが、馬上で兜を外してあの顔でニッコリ微笑む。
たった二年でかなり大人びていた。
「○!? なぜここに……! それにその格好は一体!」
「それはこちらの台詞です!どこに行くかも、誰に仕えるかも書かずに行ってしまわれるなんて!」
○は眉間にしわを寄せる。
まるでつい昨日会ったかのような、記憶の中の○そのままだ。
「子龍様を追って彷徨っていたら、曹操様に取り立てていただいたんです。入って見たら大きな軍でしたから、ここにいれば子龍様のいらっしゃる戦に当たるのではないかと思って…ん?こちらの女性は…?」
そういうと顔を険しくして馬から降りる。
周囲の曹操軍の兵士は何も言わずに立っており、彼らに目で合図をすると○は趙雲に近づく。
目の前に立った○に、趙雲は膝をついて頭を下げた。
驚いたように立ち止まる○。
「…○!頼む!見逃してくれ!」
足の悪い父と、治安の定まらない村。
それらを○が簡単に切り捨てられないと分かっていたのに、手紙一通で押し付けてしまった。
見なければ起きた事にならない…そんな邪な気持ちもあったのも事実。
「お前の気持ちを知りながら、何も言わずに全てをお前に丸投げして去った私を……許してくれとは言わぬ」
趙雲の声は掠れ、切実だ。
○の献身を裏切り続けた己の傲慢さが、ここにきてツケとして回ってきたと打ちのめされる。
今ここで○が応援を呼べば、自分はともかく奥方は死んでしまうだろう。
「勝手な頼みだとは分かっている。だが、どうか……助けてほしい。劉備殿の妻子であるこの幼子と奥方様を救いたい……私が持っているものなら、この命さえ、何でも差しだそう。今生の願いだ。頼む……っ!」
趙雲は彼女の出方を待つ間、最悪の事態すら覚悟していた。
今の彼女は自分を殺す為に追ってきたのかもしれない。
○と戦いたくない。
しかしここで殺されるわけにもいかない。
どうしたらいい…と色々な考えを巡らせている。
すると、カシャン、と音がして趙雲が顔をあげた。
「子龍様から頂きたいものなんて、ありません」
○が曹操軍の重苦しい鉄鎧を次々と脱ぎ捨て、内側に着ていた薄手の衣と最低限の装備品を残した軽装になると、膝をついている趙雲の手を握って立ち上がらせた。
「何もいりません。だけど何度でもお手伝いします。どこまでもご一緒します。言ったじゃないですか。私は身も心も、貴方のものです!」
○は懐かしい笑顔で微笑んだ。
趙雲は一瞬だけ戦場の凄惨さを忘れそうになる。
「時間がありません。行きましょう」
○は夫人を抱えると馬に乗せて、先ほど脱ぎ捨てた曹操軍の防具をその上に被せた。
そして曹操軍の兵士を見る。
「じゃあ私はここで…暇を頂きますと、曹操様にお伝えください。彷徨っていた私に声をかけてくださった事には、とても感謝しています」
そう言って曹操軍の文様の入った武器を渡す。
兵士たちは○としばらく別れを惜しむと、「お元気で」と言って森に入っていった。
「○…彼らは一体…」
「曹操様には前もって、『探し人がいて、その人が見つかったら抜ける』と言ってあったんです。ですから客将の扱いで…。彼らにもそう伝えていたので、分かってくれたのでしょう」
言いながら夫人の身体を綺麗に隠す。
「さて、私はこのままでは、まともに太刀打ちはできません。敵の攻撃を避けながら子龍様の後に続きます」
○は馬に跨り、手綱を握り締める。
戦場の真っただ中で、ニコニコと相変わらずの笑顔で微笑む○に趙雲は少し呆れてしまった。
「ちなみにですが、子龍様と関羽様は狙われています。曹操様は全軍に向けてお二方の”生け捕り”を命じられておりました。私はそれに混ざって飛び出しましたから。だから逃げないと攫われてしまいます」
その言葉に趙雲は青ざめながらも馬を走らせた。
長坂の凄惨な包囲網を突破し、ようやく劉備軍の陣営へと辿り着いた二人。
趙雲の白い鎧は返り血で赤黒く染まり、○の軽装も砂塵と敵の返り血でボロボロ。
しかし、夫人と阿斗は無傷だった。
劉備は阿斗を抱きかかえ、生還した趙雲に賛辞をおくった。
「趙雲!……よくぞ戻ってくれた!」
涙を流して喜ぶ劉備は、ふと趙雲の傍らで微笑んでいる見慣れぬ娘に目を留める。
「……して、趙雲。そちらは一体……? 曹操軍の防具を纏いながらも、我が妻子を命懸けで守ってくれたようだが」
劉備の問いに、周囲にいた張飛や諸葛亮、将兵たちの視線が一斉に○へと集まった。
すると○は劉備に向かって深々と頭を下げる。
「ご挨拶が遅れました。私は子龍様の妻です。○と申します」
その場の空気が一瞬にして凍り付く。
趙雲は顔をひきつらせた。
おずおずと周倉が前に出る。
「待ってくれよ。妻…っていうと」
「お嫁さんです」
どよめきが広がる。
あの朴念仁で、武芸一筋の趙雲に恋人どころか妻がいるなどと誰も信じられない。
趙雲は吐き気すら催すほどの緊張感で、青筋を立てながら一歩前に出た。
「違うのです!この者、昔から勝手にこの様な事を……故郷にいるはずの知り合いなのですが、先ほど戦場にて偶然再会し、私の独断で加勢を頼みました。断じて妻などでは!!」
「ああ、なるほど。もしや先日話していた友人か。しかし彼女がいなくては、我が妻子は揃って救われなかったろう。お前の推挙とあれば私は異存がない。彼女さえよければ同行してもらって構わない」
趙雲はただ「恐れ入ります」と頭を下げるしかなかった。
周囲の将兵たちからは、「隅に置けないな」「女子に興味がないかと思っていた」「お嫁さん、若いな」と、冷やかし混じりの声が飛び交う。
戦火の長坂に、少しだけ訪れた奇妙なほど温かな空気。
趙雲は、また始まる○との生活に覚悟を決めた。
激戦の後、落ち着いた場所で陣を張った劉備軍。
○は焚火の側で、趙雲の父が亡くなった事を話した。
趙雲が出て行って半年後の事だそうだ。
なんとなくそんな気はしていた。
趙雲が家にいた時も、嫌な咳をしていたからだ。
本来、親が亡くなれば数年喪に服すべきだが、趙雲の父がその必要はないと話したらしい。
むしろ自分の死も趙雲に伝えなくていいと言っていたほどだが、○の判断で話したらしい。
とはいえすぐに家を出るのも忍びなく、○はその後半年、趙雲の実家で喪に服してから趙雲を探して旅に出たそうだ。
そしてそれから曹操軍に入り、一年ほど同道していたと。
全てを聞いた趙雲は何度もお礼を言って、○から渡された父の遺品の小刀を懐に入れる。
何も言わずに○を村に置き去りにした事を謝ったが、○は優しく首を横に振った。
そして趙雲にくっつく位の場所に座り直す。
趙雲は焚き火の爆ぜる音を聞きながら、隣に座る○をそっと盗み見た。
昼間の苛烈な戦いぶりが嘘のように、彼女は穏やかな表情を浮かべている。
二年ぶりに会った○はかなり女性らしくなっていた。
「……○。曹操軍にいたのなら、戦場という場所は初めてではなかったかもしれん。だが、あのように四方を敵に囲まれ、生きて戻れるかも分からぬ中を駆け抜けるのは……怖かったろう」
戦で命の危機を知り、二度と戦えなくなる者も少なくない。
今回の戦などは、鉄の海の様な所を渡ったのだから趙雲は心配だった。
趙雲の気遣うような問いに、○は彼の肩に頭を寄せる。
「怖くありませんでしたよ。だって子龍様がいたもの。私は子龍様がいるならどこだって平気です」
「…………」
趙雲は深く、長く息を吐き出す。
再会した時はゾッとしたが、こうして傍にいるとなんだか身体が軽くなった気がする。
「……こんな事を言うと、都合がいいかもしれないが…○に再び会えてよかった。……本当に」
趙雲は顔を覆いながら、ホッと消え入るような小さく呟く。
それをしっかりと聞いた○は嬉しそうに笑った。
不意に、すぐ傍に気配を感じて趙雲が隣を見ると、そこには至近距離まで顔を寄せた○の姿があった。
彼女はそっと目を閉じ、その唇を趙雲の方へと預けている。
「ぇ……っ!」
心臓が跳ね上がる。
二年前より大人になった○。
焚火の灯にあてられて艶々と輝いて見える。
趙雲の脳裏に、真面目な顔をして「故郷の知り合いです」「断じて妻ではない」と皆に紹介したばかりの自分の姿が浮かぶ。
(い、いかん。ここで流されるわけには……!)
趙雲はそれに気づいていない振りをすることにした。
「さて。夜も更けてきたな。私は夜間警護がある。お前はちゃんと寝なさい」
○が目を開けた時には、趙雲はすでに背を向け、大股で去っていく所だった。
―私が持っているものなら、この命さえ、何でも差しだそう―
あの時の趙雲の言葉が○の脳裏をよぎる。
「あの時、カッコつけて何もいらないなんて、言わなければ良かった」
小さくそう呟いた○は、そうは言うもののやっと趙雲と一緒にいられる幸福感に包まれていた。