疑惑編【全5話】
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その夜、趙雲の宿舎には不穏な空気が満ちていた。
○の部屋で寝ると言った兄が案内されたのが、趙雲の宿舎を間借りした部屋だったからだ。
「嫁入り前の女が…しかも恋仲でもないのに同じ屋根の下に男と暮らしているとは……!」
その剣幕に、○は耳を塞ぎながらも平然と言い返す。
「寝室は別なんだし……そんなに問題?」
「問題だ!嫁入り前の娘がこの様な!」
吠えるように怒鳴り散らす兄。
すると趙雲が間に入る。
「荘殿。これに関しては私も常々、反対しているのです。若い男女が一つ屋根の下で暮らすなど、本来あってはならないこと。世間体もあります。彼女にも軍で管理している個室があるにも関わらず、聞く耳をもってくれません。是非、荘殿からも口添えを…」
この機会にとばかりに別室への引っ越しをさせようとする趙雲に、○はめくじらを立てる。
「子龍様…まだ納得してなかったんですか?」
「当然の配慮だ。ずっと言っている」
荘は今日、この二人の事を馬超に聞いたので、(なるほどな)と変に納得した。
結局荘は○の部屋で床に布団を敷いて寝ることになる。
趙雲は自室の寝台に入るが同じ宿舎内なのもあり、○の部屋の会話がヒソヒソと聞こえる。
普段はそれぞれ一人で寝ているので、こんなに声が聞こえるとは思っておらず、盗み聞きをしている様で少しの罪悪感がある。
「しかしこの現状……他の兄弟たちになんと言えばいいのか」
荘が深くうなだれる気配が伝わってくる。
「あーあ。兄さんに手紙なんて出すんじゃなかったわ。こんなに早く飛んでくるなんて」
○の少し後悔の混じった声に、荘が鼻で笑った。
「ふん。趙子龍の名は、いまや戦に出る者なら誰もが知っている。お前がまだ奴を追っているのであればここにいることなど察しはつく。それをお前の手紙が届くまでわざわざ待ってやっていたのに」
「……え、そうなの?」
「ああ。……しかし、昔、村で見かけたあのヒョロこいのがまさかあの『趙子龍』だったとはな。あまりに立派になっていて驚いた。分からんものだ」
荘は○と出会った当時の趙雲の姿を、村の中で見かけていたらしい。
まさか影踏みをしていたとは思わなかったようだが。
「誰もが兄さんみたいに、小さい頃からデカいわけじゃないの」
○が笑った。
「うーん……しかし、あの馬孟起という男はいい。快活で裏表がなく、何より分かりやすい。……まあ、過去に妻を二人失い、いずれも殺されているというのは考えものだがな……」
荘の独り言のような呟きに、○が少しだけ声を尖らせた。
「兄さんって、昔から私の結婚にうるさいわね。私が嫌がってた花嫁修業だって、兄さんが父さんに言ってやらせたんでしょ?」
「……お前は、我々兄弟にとって唯一の女の子だからな。お前には穏やかな生活をしてほしかっただけだ。家で裁縫をしながら良人を待つような、穏やかな暮らしを」
「…」
「それが結局、兄妹の中で最も戦場に近い場所にいるとは。父上が草葉の陰で泣いているぞ」
荘の声は、先ほどまでの怒鳴り声とは打って変わって、妹を慈しむ兄のそれだった。
彼が○を連れて帰りたい気持ちがひしひしと伝わる。
「私はここがいいの。子龍様と一緒にいたい。この乱世で兄弟が揃って生きてるって素敵なことだし、育ててくれたことには感謝してるけど、私はもう、自分のことは自分で決めたい。いい大人なんだから」
隣の部屋が少し静かになった。
趙雲は暗闇の中で、じっと耳を澄ましている。
○が趙雲のみならず、兄や父にまで注いでくれた献身的な愛情の根源と、それを守ろうとしてきた兄の想い。
彼女を形作ってきたものに触れた気がした。
きっと兄とっては、○はいつまでも小さな妹なのだろう。
「生意気な事ばかり言うな。その調子であと何年あの男を追い回す気だ」
○が少しだけ笑った気配がした。
「何年って…一生かかっても“愛してる”って言わせてみせるわ」
隣の部屋でそれを聞いた趙雲は布団を頭まで被った。
聞いていられず寝る事に集中する。
「変な所も親譲りだな。母上も、確かそうして父上と婚姻したと聞いた」
「えー、聞いたことなかった、そんな話。なにそれ」
「母上はお前が幼い頃に亡くなったからな。…父上も若い頃は、今の趙子龍に負けず劣らずの堅物だったらしい。母上が数年かけて外堀を埋め、最後には父上の方が骨抜きで、縋るように求婚したのだそうだ。お前のそのしぶとさは間違いなく血筋だな」
「ふふっ、意外~見たかったなー!その頃の父さん」
クスクスと笑い合う兄妹の声は、夜の闇の中に溶けて行った。
○の部屋で寝ると言った兄が案内されたのが、趙雲の宿舎を間借りした部屋だったからだ。
「嫁入り前の女が…しかも恋仲でもないのに同じ屋根の下に男と暮らしているとは……!」
その剣幕に、○は耳を塞ぎながらも平然と言い返す。
「寝室は別なんだし……そんなに問題?」
「問題だ!嫁入り前の娘がこの様な!」
吠えるように怒鳴り散らす兄。
すると趙雲が間に入る。
「荘殿。これに関しては私も常々、反対しているのです。若い男女が一つ屋根の下で暮らすなど、本来あってはならないこと。世間体もあります。彼女にも軍で管理している個室があるにも関わらず、聞く耳をもってくれません。是非、荘殿からも口添えを…」
この機会にとばかりに別室への引っ越しをさせようとする趙雲に、○はめくじらを立てる。
「子龍様…まだ納得してなかったんですか?」
「当然の配慮だ。ずっと言っている」
荘は今日、この二人の事を馬超に聞いたので、(なるほどな)と変に納得した。
結局荘は○の部屋で床に布団を敷いて寝ることになる。
趙雲は自室の寝台に入るが同じ宿舎内なのもあり、○の部屋の会話がヒソヒソと聞こえる。
普段はそれぞれ一人で寝ているので、こんなに声が聞こえるとは思っておらず、盗み聞きをしている様で少しの罪悪感がある。
「しかしこの現状……他の兄弟たちになんと言えばいいのか」
荘が深くうなだれる気配が伝わってくる。
「あーあ。兄さんに手紙なんて出すんじゃなかったわ。こんなに早く飛んでくるなんて」
○の少し後悔の混じった声に、荘が鼻で笑った。
「ふん。趙子龍の名は、いまや戦に出る者なら誰もが知っている。お前がまだ奴を追っているのであればここにいることなど察しはつく。それをお前の手紙が届くまでわざわざ待ってやっていたのに」
「……え、そうなの?」
「ああ。……しかし、昔、村で見かけたあのヒョロこいのがまさかあの『趙子龍』だったとはな。あまりに立派になっていて驚いた。分からんものだ」
荘は○と出会った当時の趙雲の姿を、村の中で見かけていたらしい。
まさか影踏みをしていたとは思わなかったようだが。
「誰もが兄さんみたいに、小さい頃からデカいわけじゃないの」
○が笑った。
「うーん……しかし、あの馬孟起という男はいい。快活で裏表がなく、何より分かりやすい。……まあ、過去に妻を二人失い、いずれも殺されているというのは考えものだがな……」
荘の独り言のような呟きに、○が少しだけ声を尖らせた。
「兄さんって、昔から私の結婚にうるさいわね。私が嫌がってた花嫁修業だって、兄さんが父さんに言ってやらせたんでしょ?」
「……お前は、我々兄弟にとって唯一の女の子だからな。お前には穏やかな生活をしてほしかっただけだ。家で裁縫をしながら良人を待つような、穏やかな暮らしを」
「…」
「それが結局、兄妹の中で最も戦場に近い場所にいるとは。父上が草葉の陰で泣いているぞ」
荘の声は、先ほどまでの怒鳴り声とは打って変わって、妹を慈しむ兄のそれだった。
彼が○を連れて帰りたい気持ちがひしひしと伝わる。
「私はここがいいの。子龍様と一緒にいたい。この乱世で兄弟が揃って生きてるって素敵なことだし、育ててくれたことには感謝してるけど、私はもう、自分のことは自分で決めたい。いい大人なんだから」
隣の部屋が少し静かになった。
趙雲は暗闇の中で、じっと耳を澄ましている。
○が趙雲のみならず、兄や父にまで注いでくれた献身的な愛情の根源と、それを守ろうとしてきた兄の想い。
彼女を形作ってきたものに触れた気がした。
きっと兄とっては、○はいつまでも小さな妹なのだろう。
「生意気な事ばかり言うな。その調子であと何年あの男を追い回す気だ」
○が少しだけ笑った気配がした。
「何年って…一生かかっても“愛してる”って言わせてみせるわ」
隣の部屋でそれを聞いた趙雲は布団を頭まで被った。
聞いていられず寝る事に集中する。
「変な所も親譲りだな。母上も、確かそうして父上と婚姻したと聞いた」
「えー、聞いたことなかった、そんな話。なにそれ」
「母上はお前が幼い頃に亡くなったからな。…父上も若い頃は、今の趙子龍に負けず劣らずの堅物だったらしい。母上が数年かけて外堀を埋め、最後には父上の方が骨抜きで、縋るように求婚したのだそうだ。お前のそのしぶとさは間違いなく血筋だな」
「ふふっ、意外~見たかったなー!その頃の父さん」
クスクスと笑い合う兄妹の声は、夜の闇の中に溶けて行った。