成都編【全5話】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
成都の城内は表向きの静けさとは裏腹に、劉備軍による統治への移行期という独特の空気が漂っている。
特に前体制から引き続き城に仕える女官たちにとって、新たに主となった劉備軍の将星たちは格好の注目の的だ。
端正な顔立ちと穏やかな人柄で知られる趙雲。
そして異国情緒溢れる美丈夫である馬超と馬岱。
溌溂とし父親譲りの体躯を持つ張苞。
彼らが廊下を通るたび、色めき立つ女官たちの視線が痛いほどに突き刺さる。
城に来た当初、馬超が○に言った様に、城内の些事を任せることになる彼女たちとの関係はとても大切だ。
なにより女性には好かれておいた方が何かと良い。
趙雲も例外ではなく、今日も女官たちと何やら細々とした話をしていた。
そのすぐ後ろ。
曲がり角の向こうから、○はその様子を凝視していた。
「また監視ですか」
不意に後ろから掛けられた低い声に○は飛び上がる。
書簡を持った法正だ。
彼も曲がり角から趙雲を覗き込むと「ああ…」と納得した様に頷く。
「こんな陰から覗かずとも、隣に立っていればいいものを」
「今までそれで諸葛亮殿から叱られてます」
趙雲の隣を陣取って、浮気だなんだと○がいう事で趙雲が否定する…このやり取りを何回したか分からないが、とにかく今は城内が整っていないから控えるようにと釘を刺されていると話した。
「加減を知らぬからです。目をつけられるスレスレを狙えないのですか。頭の足りぬイノシシ女は直情的で困りますな」
「…法正殿は女性に囲まれませんね。何故ですか。いるかどうか分かりませんが法正殿を想う女性がとても羨ましいです」
言い返す○に法正は舌打ちをする。
しばらくして趙雲は女官たちを下がらせると、○に振り返る。
「……○。いつまでそこにいるつもりだ」
「子龍様が鼻の下を縮めるまでです」
「伸ばしてもおらん。……いいか。成都を制圧してまだ間もないのだ。元からこの地に精通している者たちの協力を得なければ、軍の補給も政も、何一つ円滑には進まない。彼女たちとの対話も立派な公務だ」
「ですからこうして遠くから見守っています!」
「女官の皆が、チラチラそちらを見ていた。丸見えだ」
趙雲は呆れ果てて大袈裟にため息をついた。
「…大体、子龍様は一体、私の何が不満なんですか!私は炊事洗濯も出来て、戦場にだって出られます。顔だって……まあ、女官のみなさんには劣るかもしれませんけど、自分で言うのもなんですが村では評判でした!身体も訓練で引き締まっていますし、腹筋なんて縦割れしています!武人としてもお支えできるのに!」
○は必死に自分を売り込み綺麗に筋の入ったお腹も見せる。
隣の法正が「出すな、見苦しい」と服を引っ張った。
趙雲は今が教育の時だとばかりに、居住まいを正して○を真っ直ぐに見据える。
「いい機会だ。言わせてもらえれば…私が女官や女性兵士と話をしているだけでも飛んで来るのをやめてくれ。お前も…まさに今の様に他の男と雑談くらいはするだろう」
「私は”子龍様の妻です”と話してありますし、女官の様にくっついてこられません」
そう言い切られて黙り込む趙雲。
「でもまあ…お仕事の邪魔だという事なら分かりました。子龍様がそこまでおっしゃるなら、賭けませんか?今日から七日間、私は子龍様の公務に一切口出ししません。何をされても、誰と鼻の下を伸ばしていても、何も言いません! 七日間もあれば、成都も落ち着きますよね?」
「……ああ、助かる。そうしてもらえると、非常に円滑に進む」
「その代わり、私が七日間耐えられたら、一日町に付き合ってください」
趙雲が、(どうせこんな事を言いながら四日目くらいで根を上げるはずだ)と考えてその条件を了承する。
「しかし、もし○が耐えられなかったらどうする」
そう聞かれて何も考えていなかった○が思案していると、法正が口を挟んだ。
「城じゅうの廊下掃除でもさせましょう。本音で言えば、この機会に”○殿が趙雲殿の宿舎を出ていく”と条件を出すべきだと思いますが、そうすると…手を抜く可能性がありますからね」
趙雲は自身をチラリと見ながらそう言う法正から視線を逸らす。
結局、法正が証人となってこの賭けが始まった。
いざ「七日間沈黙宣言」が始まると、趙雲は猛烈な違和感に襲われることになる。
女官と話していても、背後にあの視線がない。
宿舎でも「傍にいると我慢できなくなりそう」と言って、○は自室にこもっていた。
いつもは趙雲の後ろにくっついて歩いているのに、それもなくなり、その代わり女官達がついて回る。
女官を引き連れてすれ違っても、駆け寄ったり目くじらを立てず、「お疲れ様です」と、まるで普通の兵士に対するような会釈をしてなるべく見ない様にして走り去っていく。
三日目にして、趙雲の心にはぽっかりと穴が開いたような、奇妙な焦燥感が芽生えていた。
(静かすぎる。邪魔が入らないことが、これほどまでに落ち着かないものだったか?)
離れた場所にいる訳ではないのに近寄らない○は、なんだか不思議だった。
別に会話を禁止している訳ではないが、○が傍にいない趙雲には誰かしら女性が話しかけるので、必然的に会話をしない状態が続いている。
さらに二人の時間は、これまでにないほど静かだった。
食事を共にしていても、○は趙雲が今日、誰と何を話していたか一言も触れない。
どれが公務の妨げになるか分からないので、『子龍様と一日出かける権利』を確実に得るために○はあまり話をしなくなった。
ふとした瞬間に、「ああ、これ以上は我慢できなくなりそう!」と走り去ったりもする。
彼女なりにかなり頑張って我慢している様だ。
趙雲はあれだけ望んでいたはずの平穏が手に入ったというのに、なんとも言えない不快感があった。
執務室で仕事をしていても、廊下を通る足音にさえ敏感に反応してしまっている。
ある日は、鍛錬場に行くと○がいた。
背後から名前を呼ぶと、「あ、子龍様も来られたんですね」といつも通り笑う。
少し落ち着いて話がしたくて声をかけた。
最近は女官が近づくと去っていく○だが、流石に鍛錬場には女官たちは来ないだろうと踏んだのだ。
そう考えていたが、その思惑は外れる。
「あ!趙将軍、 こちらの書簡の確認をお願いしたくて……」
「こちらもお渡ししなくてはと思い、お持ちしました」
女官達は鍛錬場の側にまで通りかかって呼びかけた。
彼女たちは頬を染めて趙雲に近づく。
趙雲が「ここで騒ぐのは良くないので」と話すも聞いてもらえず、仕方がないので彼女達を連れて鍛錬場を出る事にした。
それを見て、○はスッと顔を背けて歩いて行く。
「あ、○。あとで話が…」
声をかけても○は背中を向けて鍛錬場の隅に歩いて行ってしまった。
その様子を見ていた張飛と星彩。
「○は女官除けになってたんだな」
「女官の皆は、どうやらお二方が喧嘩をしていると思っている様です」
「はぁ~しかし、いつになったら収まるんだ?」
これでは鍛錬にならんと張飛は憤慨した。
「兄上や馬超殿などはきちんと女官の皆に『迷惑だ』とお話しされて収まったようです」
「じゃああれは、趙雲の不甲斐なさってやつか」
困る困ると言いながらニコニコ対応する趙雲に、二人は顔を見合わせた。
*****
賭けの開始から、いつの間にか十日が過ぎていた。
そもそも趙雲は、八日目に入った時点でどこかソワソワしていた。
七日目が過ぎた時点で○が話しかけ来るだろうと思っていたのに、彼女の態度が変わらない。
しかしこちらから言うのも何か違う気がする。
そして十日目を迎えていたのだ。
その日の午後。
○が倉庫の前に腰掛け、諸葛亮から頼まれた書庫の整理記録を書き留めていた。
そこへ、両手いっぱいに菓子を抱えた馬超が近づいてくる。
「○!これを受け取ってくれ! 流行りの菓子が買えたんだ!」
「ええっ、なんですか急に…怖いなぁ」
急な贈り物に○は顔を引きつらせる。
馬超は屈託のない笑みを浮かべ、親しげに○の肩を抱き寄せた。
「たまに飯を分けてくれるだろう!その礼だ。あれが美味くてな。また作ってくれ!」
距離の近い馬超に、○がどう応じるべきか悩んでいたその時。
「馬超殿。公務の場での異性への過度な接触は、軍の規律に反します」
いつの間にか近づいていた趙雲が割り込んだ。
「なんだよ、邪魔するなよ」
ブツブツ言う馬超を尻目に、腕組みをして○を見る趙雲。
「……○。十日が経っている」
「え?」
○は目を瞬かせた。
「約束は七日間だったはずだ」
趙雲の言葉に、馬超が合点がいったように吹き出した。
「ははは! なんだ趙雲。寂しくなって自分からやってきたのか?」
趙雲は馬超を軽く睨むが、腕組みをして表情を崩さない。
○は趙雲の様子をじっと見つめ、申し訳なさそうに言った。
「あ……ごめんなさい。私が静かにしていた方が、子龍様のお仕事が円滑に進むと仰っていたので。まだ我慢できそうだったのでそのままにしていたんです」
「……お前がいないといないで、今度は周囲が騒がしくてかなわん」
それを聞いた○の目が輝いたかと思うと、趙雲の腕に絡みついた。
「じゃあ、私の勝ちですね!約束通り七日間邪魔しなかったので、町へのお出かけはしてくださいますか?」
周囲の兵たちの視線も痛いが、ここで突き放せばまたあの不気味な静寂が戻ってくるかもしれない。
趙雲は小さく咳払いをし、視線を逸らしながら答えた。
「……約束だからな。次の非番の日に、町へ行こう」
「やったぁ!あ、その際に私、平服を新調したいんです。お金は自分で出すので、子龍様が見立ててください! 子龍様のお好みで」
抱きついたまま、○はさりげなく追加の要求をする。
(女性の服の見立て……)
女性の衣服…それも平服を選ぶなど未知の領域であり、自分の好みを伝えるなど考えられない。
想像しただけで頭が痛くなるが、嬉しそうに自分を見上げる○の笑顔を前に断り辛い。
「ついでに要求を増やすな」
そう言いながらも、最後に「……分かった」と渋々承諾する。
すると背後から法正が近づいてきた。
彼はこの賭けの証人だ。
しかしなにやら愉しそうに微笑んでいる。
「実は私も別で賭けをしていたのですよ。あなた方、どちらが先に”賭けの終わり”を持ちかけるのか。私と馬超殿は趙雲殿に賭けていました」
「○に賭けてる連中の方が多かったからな。俺達で結託したわけだ」
馬超が急に○を抱き寄せたのは、趙雲を挑発してのものだったようだ。
「…まさか、○が十日経っても話しかけてこなかったのは…」
○を見た趙雲。
「いいえ。○殿は関与していませんよ。ただ、出来るだけ賭けを延ばして趙雲殿から話しかけさせれば、追加の要求も通るかもしれないと入れ知恵はしました」
「それが服の見立てなど、可愛いもんじゃないか」
笑いながら○の肩を叩く馬超に、趙雲は一瞬でも○を疑ったことを反省した。
その日の夜。
すべての公務を終えた趙雲が自室の扉を開ける。
そこには見慣れた、しかしここ十日間は見ていなかった光景が待っていた。
○が趙雲の寝台に座って書簡を読んでいる。
「子龍様、おかえりなさいませ。お疲れ様でした」
「……お前は、賭けが終わればすぐにこの調子か」
十日間の神妙な態度は一体どこへ行ったのかと、趙雲は呆れ果てて歩み寄った。
「出て行け」
「ええっ、だって私、ずっと我慢していたのに…」
「だって、ではない」
趙雲はいつになく厳しく○を部屋からつまみ出すと戸を閉めて、○の香りの残る寝台に寝転んだ。
(何カ月も離れていた事もあるのに、近くにいて話をしない方が遠く感じるとは…不思議なものだ)
相変わらずの図々しさに呆れつつも平穏の帰還を心から噛み締める趙雲であった。
特に前体制から引き続き城に仕える女官たちにとって、新たに主となった劉備軍の将星たちは格好の注目の的だ。
端正な顔立ちと穏やかな人柄で知られる趙雲。
そして異国情緒溢れる美丈夫である馬超と馬岱。
溌溂とし父親譲りの体躯を持つ張苞。
彼らが廊下を通るたび、色めき立つ女官たちの視線が痛いほどに突き刺さる。
城に来た当初、馬超が○に言った様に、城内の些事を任せることになる彼女たちとの関係はとても大切だ。
なにより女性には好かれておいた方が何かと良い。
趙雲も例外ではなく、今日も女官たちと何やら細々とした話をしていた。
そのすぐ後ろ。
曲がり角の向こうから、○はその様子を凝視していた。
「また監視ですか」
不意に後ろから掛けられた低い声に○は飛び上がる。
書簡を持った法正だ。
彼も曲がり角から趙雲を覗き込むと「ああ…」と納得した様に頷く。
「こんな陰から覗かずとも、隣に立っていればいいものを」
「今までそれで諸葛亮殿から叱られてます」
趙雲の隣を陣取って、浮気だなんだと○がいう事で趙雲が否定する…このやり取りを何回したか分からないが、とにかく今は城内が整っていないから控えるようにと釘を刺されていると話した。
「加減を知らぬからです。目をつけられるスレスレを狙えないのですか。頭の足りぬイノシシ女は直情的で困りますな」
「…法正殿は女性に囲まれませんね。何故ですか。いるかどうか分かりませんが法正殿を想う女性がとても羨ましいです」
言い返す○に法正は舌打ちをする。
しばらくして趙雲は女官たちを下がらせると、○に振り返る。
「……○。いつまでそこにいるつもりだ」
「子龍様が鼻の下を縮めるまでです」
「伸ばしてもおらん。……いいか。成都を制圧してまだ間もないのだ。元からこの地に精通している者たちの協力を得なければ、軍の補給も政も、何一つ円滑には進まない。彼女たちとの対話も立派な公務だ」
「ですからこうして遠くから見守っています!」
「女官の皆が、チラチラそちらを見ていた。丸見えだ」
趙雲は呆れ果てて大袈裟にため息をついた。
「…大体、子龍様は一体、私の何が不満なんですか!私は炊事洗濯も出来て、戦場にだって出られます。顔だって……まあ、女官のみなさんには劣るかもしれませんけど、自分で言うのもなんですが村では評判でした!身体も訓練で引き締まっていますし、腹筋なんて縦割れしています!武人としてもお支えできるのに!」
○は必死に自分を売り込み綺麗に筋の入ったお腹も見せる。
隣の法正が「出すな、見苦しい」と服を引っ張った。
趙雲は今が教育の時だとばかりに、居住まいを正して○を真っ直ぐに見据える。
「いい機会だ。言わせてもらえれば…私が女官や女性兵士と話をしているだけでも飛んで来るのをやめてくれ。お前も…まさに今の様に他の男と雑談くらいはするだろう」
「私は”子龍様の妻です”と話してありますし、女官の様にくっついてこられません」
そう言い切られて黙り込む趙雲。
「でもまあ…お仕事の邪魔だという事なら分かりました。子龍様がそこまでおっしゃるなら、賭けませんか?今日から七日間、私は子龍様の公務に一切口出ししません。何をされても、誰と鼻の下を伸ばしていても、何も言いません! 七日間もあれば、成都も落ち着きますよね?」
「……ああ、助かる。そうしてもらえると、非常に円滑に進む」
「その代わり、私が七日間耐えられたら、一日町に付き合ってください」
趙雲が、(どうせこんな事を言いながら四日目くらいで根を上げるはずだ)と考えてその条件を了承する。
「しかし、もし○が耐えられなかったらどうする」
そう聞かれて何も考えていなかった○が思案していると、法正が口を挟んだ。
「城じゅうの廊下掃除でもさせましょう。本音で言えば、この機会に”○殿が趙雲殿の宿舎を出ていく”と条件を出すべきだと思いますが、そうすると…手を抜く可能性がありますからね」
趙雲は自身をチラリと見ながらそう言う法正から視線を逸らす。
結局、法正が証人となってこの賭けが始まった。
いざ「七日間沈黙宣言」が始まると、趙雲は猛烈な違和感に襲われることになる。
女官と話していても、背後にあの視線がない。
宿舎でも「傍にいると我慢できなくなりそう」と言って、○は自室にこもっていた。
いつもは趙雲の後ろにくっついて歩いているのに、それもなくなり、その代わり女官達がついて回る。
女官を引き連れてすれ違っても、駆け寄ったり目くじらを立てず、「お疲れ様です」と、まるで普通の兵士に対するような会釈をしてなるべく見ない様にして走り去っていく。
三日目にして、趙雲の心にはぽっかりと穴が開いたような、奇妙な焦燥感が芽生えていた。
(静かすぎる。邪魔が入らないことが、これほどまでに落ち着かないものだったか?)
離れた場所にいる訳ではないのに近寄らない○は、なんだか不思議だった。
別に会話を禁止している訳ではないが、○が傍にいない趙雲には誰かしら女性が話しかけるので、必然的に会話をしない状態が続いている。
さらに二人の時間は、これまでにないほど静かだった。
食事を共にしていても、○は趙雲が今日、誰と何を話していたか一言も触れない。
どれが公務の妨げになるか分からないので、『子龍様と一日出かける権利』を確実に得るために○はあまり話をしなくなった。
ふとした瞬間に、「ああ、これ以上は我慢できなくなりそう!」と走り去ったりもする。
彼女なりにかなり頑張って我慢している様だ。
趙雲はあれだけ望んでいたはずの平穏が手に入ったというのに、なんとも言えない不快感があった。
執務室で仕事をしていても、廊下を通る足音にさえ敏感に反応してしまっている。
ある日は、鍛錬場に行くと○がいた。
背後から名前を呼ぶと、「あ、子龍様も来られたんですね」といつも通り笑う。
少し落ち着いて話がしたくて声をかけた。
最近は女官が近づくと去っていく○だが、流石に鍛錬場には女官たちは来ないだろうと踏んだのだ。
そう考えていたが、その思惑は外れる。
「あ!趙将軍、 こちらの書簡の確認をお願いしたくて……」
「こちらもお渡ししなくてはと思い、お持ちしました」
女官達は鍛錬場の側にまで通りかかって呼びかけた。
彼女たちは頬を染めて趙雲に近づく。
趙雲が「ここで騒ぐのは良くないので」と話すも聞いてもらえず、仕方がないので彼女達を連れて鍛錬場を出る事にした。
それを見て、○はスッと顔を背けて歩いて行く。
「あ、○。あとで話が…」
声をかけても○は背中を向けて鍛錬場の隅に歩いて行ってしまった。
その様子を見ていた張飛と星彩。
「○は女官除けになってたんだな」
「女官の皆は、どうやらお二方が喧嘩をしていると思っている様です」
「はぁ~しかし、いつになったら収まるんだ?」
これでは鍛錬にならんと張飛は憤慨した。
「兄上や馬超殿などはきちんと女官の皆に『迷惑だ』とお話しされて収まったようです」
「じゃああれは、趙雲の不甲斐なさってやつか」
困る困ると言いながらニコニコ対応する趙雲に、二人は顔を見合わせた。
*****
賭けの開始から、いつの間にか十日が過ぎていた。
そもそも趙雲は、八日目に入った時点でどこかソワソワしていた。
七日目が過ぎた時点で○が話しかけ来るだろうと思っていたのに、彼女の態度が変わらない。
しかしこちらから言うのも何か違う気がする。
そして十日目を迎えていたのだ。
その日の午後。
○が倉庫の前に腰掛け、諸葛亮から頼まれた書庫の整理記録を書き留めていた。
そこへ、両手いっぱいに菓子を抱えた馬超が近づいてくる。
「○!これを受け取ってくれ! 流行りの菓子が買えたんだ!」
「ええっ、なんですか急に…怖いなぁ」
急な贈り物に○は顔を引きつらせる。
馬超は屈託のない笑みを浮かべ、親しげに○の肩を抱き寄せた。
「たまに飯を分けてくれるだろう!その礼だ。あれが美味くてな。また作ってくれ!」
距離の近い馬超に、○がどう応じるべきか悩んでいたその時。
「馬超殿。公務の場での異性への過度な接触は、軍の規律に反します」
いつの間にか近づいていた趙雲が割り込んだ。
「なんだよ、邪魔するなよ」
ブツブツ言う馬超を尻目に、腕組みをして○を見る趙雲。
「……○。十日が経っている」
「え?」
○は目を瞬かせた。
「約束は七日間だったはずだ」
趙雲の言葉に、馬超が合点がいったように吹き出した。
「ははは! なんだ趙雲。寂しくなって自分からやってきたのか?」
趙雲は馬超を軽く睨むが、腕組みをして表情を崩さない。
○は趙雲の様子をじっと見つめ、申し訳なさそうに言った。
「あ……ごめんなさい。私が静かにしていた方が、子龍様のお仕事が円滑に進むと仰っていたので。まだ我慢できそうだったのでそのままにしていたんです」
「……お前がいないといないで、今度は周囲が騒がしくてかなわん」
それを聞いた○の目が輝いたかと思うと、趙雲の腕に絡みついた。
「じゃあ、私の勝ちですね!約束通り七日間邪魔しなかったので、町へのお出かけはしてくださいますか?」
周囲の兵たちの視線も痛いが、ここで突き放せばまたあの不気味な静寂が戻ってくるかもしれない。
趙雲は小さく咳払いをし、視線を逸らしながら答えた。
「……約束だからな。次の非番の日に、町へ行こう」
「やったぁ!あ、その際に私、平服を新調したいんです。お金は自分で出すので、子龍様が見立ててください! 子龍様のお好みで」
抱きついたまま、○はさりげなく追加の要求をする。
(女性の服の見立て……)
女性の衣服…それも平服を選ぶなど未知の領域であり、自分の好みを伝えるなど考えられない。
想像しただけで頭が痛くなるが、嬉しそうに自分を見上げる○の笑顔を前に断り辛い。
「ついでに要求を増やすな」
そう言いながらも、最後に「……分かった」と渋々承諾する。
すると背後から法正が近づいてきた。
彼はこの賭けの証人だ。
しかしなにやら愉しそうに微笑んでいる。
「実は私も別で賭けをしていたのですよ。あなた方、どちらが先に”賭けの終わり”を持ちかけるのか。私と馬超殿は趙雲殿に賭けていました」
「○に賭けてる連中の方が多かったからな。俺達で結託したわけだ」
馬超が急に○を抱き寄せたのは、趙雲を挑発してのものだったようだ。
「…まさか、○が十日経っても話しかけてこなかったのは…」
○を見た趙雲。
「いいえ。○殿は関与していませんよ。ただ、出来るだけ賭けを延ばして趙雲殿から話しかけさせれば、追加の要求も通るかもしれないと入れ知恵はしました」
「それが服の見立てなど、可愛いもんじゃないか」
笑いながら○の肩を叩く馬超に、趙雲は一瞬でも○を疑ったことを反省した。
その日の夜。
すべての公務を終えた趙雲が自室の扉を開ける。
そこには見慣れた、しかしここ十日間は見ていなかった光景が待っていた。
○が趙雲の寝台に座って書簡を読んでいる。
「子龍様、おかえりなさいませ。お疲れ様でした」
「……お前は、賭けが終わればすぐにこの調子か」
十日間の神妙な態度は一体どこへ行ったのかと、趙雲は呆れ果てて歩み寄った。
「出て行け」
「ええっ、だって私、ずっと我慢していたのに…」
「だって、ではない」
趙雲はいつになく厳しく○を部屋からつまみ出すと戸を閉めて、○の香りの残る寝台に寝転んだ。
(何カ月も離れていた事もあるのに、近くにいて話をしない方が遠く感じるとは…不思議なものだ)
相変わらずの図々しさに呆れつつも平穏の帰還を心から噛み締める趙雲であった。