関興編【全4話】
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※関平×星彩メインです。短編にも上げています。
○は今日も、隙あらば趙雲の背を追いかけ、その裾を引く。
「ねえ、見に行きましょうよ、琵琶の演奏」
「駄目だ。鍛錬がある」
趙雲は前を向いたまま、事務的に、かつ短く切り捨てた。
「演者の人、かなりの美人らしいですよ。子龍様、普段はムッツリしてるけど本当はお好きでしょ、美人。すれ違ったら顔の向きを変えずにしっかり見てますものね」
嫌味たらしく言うと、趙雲は○を睨みつけた。
「……○。口が過ぎるぞ。そのような戯言を言う暇があるなら、書庫の埃でも払ってきなさい」
「ええっ!貴重な娯楽ですよ!行きましょう!桂陽以来、二人で出かけてないじゃないですか」
「あれは桂陽で、時間に余裕があったからだ。勝手に行ってこい。あまり遅くならぬようにな」
その冷ややかなやり取りの最中、廊下の向こうに大柄な人影。
関平だ。
彼は二人を見かけると、少しばかり困り果てたような、煮え切らない表情で軽く頭を下げた。
廊下の真ん中に立つ関平に、不思議そうに趙雲が近づいた。
聞けば、星彩を琵琶の演奏を見に誘いたいのだという。
だが、どうにもその一歩が踏み出せない様子であった。
「……誘えばいいだろう。今日は鍛錬もないはずだ」
趙雲が事も無げにそう告げ、○の目が点になる。
(さっき、私には『鍛錬がある』って言ったくせに)
喉元まで出かかった文句をぐっと飲み込む。
「素直に誘えないんですよ。関平は星彩が好きで、彼女の前だと上手く話せないんです」
あっさりと言い放った○の言葉に、関平は「こ、声が大きい…っ!」と顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「なんと……!?」
一方の趙雲は、まるで奇襲を受けたかのようにその場で固まった。
信じられないものを見る目で関平を凝視する。
「……気づいていたのか、○」
関平が観念したように、項垂れながらも小声で尋ねる。
「もちろん。というか、関興も気づいてるわ」
○が当然のように深く頷くと、趙雲は未だに事態が飲み込めない様子で、二人を交互に見つめた。
「関平。それは……本当なのか」
「その、はい…」
趙雲は腕組みをしたまま、深く、重い沈黙に陥る。
戦場の機微や敵の伏兵には人一倍敏感な男だが、身近な人間の、それも「恋心」という感情の機微については、完全に盲目であった。
「黙ってしまったな…」
「子龍様、関平達を一緒くたに兄弟の様にくくってるから、今、折り合いをつけてるんだと思うわ。……ところで、どうしてこんな所に?」
「もうすぐここを星彩が通るんだ。昼にあちらの武器庫に行くと言っていたから」
関平は、いつになく落ち着かない様子で廊下の先を気にしている。
「趙雲殿、○……、お願いです。お二人もここにいてください」
「何故だ。二人きりの方が話も早かろう」
趙雲が怪訝そうに眉を寄せると、関平は情けなそうに肩を落とした。
「それが……。二人きりだと、どうしても俺がタジタジになってしまって。結局、何も言えずに沈黙が続いて、最後には星彩が痺れを切らして立ち去ってしまうんです」
趙雲は重い溜息をついた。
「情けない。そのようなことも出来ぬならこの先苦労するぞ。これはお前自身の問題だ、一人でやるべきだ」
まるで鍛錬でもする時の様な、突き放すような趙雲の正論。
しかし隣で聞いていた○は半笑いで趙雲を見た。
「何だ、その顔は」
「別に?」
○は関平を見る。
「関平、大丈夫。ここで話し込んでるふりをしていましょ。星彩が来たら、その勢いで誘っちゃいなよ」
「ああ、助かるよ○」
関平が救われたような顔で○を見つめる。
「……。やれやれ、仕方のない」
趙雲は不機嫌そうに呟きながらも、その場を立ち去ろうとはしなかった。
幼いころから知っている関平と星彩の行く末は気になる。
「星彩は、趙雲殿がいらっしゃれば挨拶のために近づいてくるはずです」
関平のその言葉に、趙雲は「……私は餌か」と呟く。
「囮、得意じゃないですか」
「またお前はそのような…」
そうして三人で示し合わせたように立ち話をしていると、廊下の向こうから凛とした佇まいの星彩が歩いてきた。
星彩は予想通り、師でもある趙雲の姿を認めると、足を止めて丁寧にお辞儀をしながら近づいてきた。
「趙雲殿、このような場所で。……関平、○も」
そこで自然と四人の立ち話が始まった。
○は関平に目配せする。
しかし、関平はまごまごしながら星彩の顔を見ては視線を泳がせ、「ああ、ええと……その」と、言葉に詰まってしまった。
趙雲は、戦場では勇猛果敢な関平が、一人の娘の前でこれほどまでに狼狽える姿に驚く。
というよりも、思春期の青年らしい瑞々しい動揺ぶりを初めて目の当たりにして、”恋”というのはこんな姿を周囲に晒す事なのだと思うと考えさせられた。
「……何? 関平」
星彩は不思議そうに首を傾げ、まっすぐに関平を見つめる。
その美しい視線に耐えられなくなった関平は、あろうことか、助けを求めるように○の方を向いた。
「……○、琵琶の演奏に興味はないか?」
「はあ?」
○の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
星彩を誘うための口実として○を巻き込んだのか、あるいは緊張のあまり思考が停止して口が滑ったのか。
その矛先が○に向けられ、隣に立つ趙雲もチラリと見やる。
○は慌てて軌道修正する。
「そ、そうなの!今日、琵琶の演者の隊が来てるらしくて。夜にね、川縁で弾くんですって。星彩、興味ない?」
○は自然に星彩に水を向け、背後で固まっている関平の腰を必死につついた。
だが関平は星彩ではなく○を凝視し、金縛りにあったように動かない。
(……まったく星彩を見ようともせぬ。とんでもない緊張感だな)
趙雲は腕組みをしたまま、その光景を横目で見ていた。
戦場では万の敵を前にしても怯まぬ男が、星彩の視線を前にしてここまで無力になるとは。
他人事ながら、そのあまりの不甲斐なさに憐れみすら覚える。
「そうなの? 見たことがないから、見てみたい気もするけれど」
星彩は淡々とした口調ながらも、わずかに興味を示したように関平へと視線を移した。
「……関平。○と行くの?」
「いや、その……き……っ」
「き?」
首を傾げる星彩。
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、関平の顔はもはや限界まで赤く染まっている。
「君と行きたい」という、言葉が喉に張り付いて出てこない。
「き……きっと、みんなで行けば楽しいかと思って!なあ、○!」
関平が絞り出したその言葉に、○は苦笑する。
「私も行きたいなぁと思ってたんだけど、子龍様が『行かない』って仰って。で、その話をしてたら関平は興味があるらしいんだけど、私と関平の二人で行くっていうのも、なんかアレでしょ? だから、星彩も誘って行こうかって話してて…行かない?」
必死に取り繕う○に対し、星彩はどこまでも冷静だった。
星彩の方が○よりも何歳か年下なのに、落ち着きが凄い。
彼女は趙雲を仰ぎ見て、淡々と言う。
「二人で行けばいいと思うけれど。おかしいわ、男性一人に女性二人だなんて。関平なら、○と二人でも趙雲殿も安心でしょう?」
「え、あ、いや……」
関平が助けを求めるように○を見る。
「いいじゃない! 関平を真ん中に挟んで~、こう腕を組んで。両手に花で、お偉いさんみたいに!ねえ、いいわよね、関平」
「そ、そうだな」
趙雲は深く、重い溜息を吐き出すと、ようやく腕組みを解いた。
「……分かった。私も同行しよう。○がこれほど騒がしくては、お前たちも演奏に集中できぬだろうからな」
「ほんとですか!?」
○が飛び上がって喜ぶ横で、関平は「ありがとうございます!」と、地獄から救われたような顔で頭を下げた。
「では夕刻に。……○、それまでに必ず仕事を終わらせておけ。一つでも残っていれば、置いていくぞ」
「はいっ!」
数年前の趙雲なら、他人の恋路に付き合うなど考えられない。
さらには気が進まないはずの演奏会にまで足を運ぶ。
走り去る○の背中を見送って、趙雲は自らの判断に呆れた。
夜の帳が下りる頃、公安の城内は琵琶の演奏を心待ちにする人々で賑わいを見せていた。
城の者もかなりの数が見に行くらしい。
平服に着替えた将兵や女官たちが、待ち合わせに城門へと集まってくる。
趙雲もまた、落ち着いた色合いの平服を纏っていた。
その隣を、勝手に腕を組んで機嫌良さそうに歩く○。
「心配ですねぇ、関平。私越しでないと話せないんだから」
「よく言うな……。結局、お前の口車に乗せられてここまで連れ出された気分だ。本来なら、明日の軍議の書状を整理しておく時間だというのに」
「いいじゃないですか。戦が始まったら何か月も張り詰めるんですから。こういう時間も味わえる時に楽しむべきですよ。桂陽が懐かしいですね」
趙雲は、桂陽で○に腕輪を贈った時のことを思い出す。
あれから○は毎日それをつけており、もう衣服の一部になっていて気にならなかったが、”桂陽”と言われると目につく。
まとわりつく○の手を剥がすと、一瞥する。
「……良いか、○。城の者も多く見に来ている。むやみに私にべたべたするな。目立つ真似は慎め」
「分かっています」
絶対に分かっていないであろう、間延びした返事の○はニコニコ笑った。
「それで……なんでこうなるのよ」
○は並んで歩くことになった隣の関平をジロリと睨みつけた。
城門で合流した直後、星彩が「趙雲殿、先日の鍛錬の件ですが」と自然な所作で趙雲に歩み寄り、そのまま二人が先頭を切る形になってしまったのだ。
結果、前を行くのは落ち着いた雰囲気で言葉を交わす趙雲と星彩。
後ろに取り残されたのは、気まずそうに視線を泳がせる関平と○という、なんとも皮肉な構図。
「赤壁の時なんかは、普通に話してたじゃない。あの時の勢いはどこに行ったのよ」
○が呆れたように溜め息をつくと、関平は頭を掻きながら、消え入りそうな声で答えた。
「あの時はまだ……その、そういう感じではなかったからな。意識しだすと、どうにも足が前に出なくなってしまって」
「三人で行く事になりそうだった時は、私、途中でそっと離れようと思ってたんだけど。もしかして、二人きりにしたら不味い?」
「…不味いかもしれない」
一方、前を歩く趙雲は、幼い頃から武芸を仕込んできた星彩に対し、いつになく穏やかな表情を見せていた。
軍議の緊迫感から離れ、純粋に武の行く末を語り合う時間は、彼にとっても貴重な息抜きになっているようだった。
○はそんな二人の背中を見ても、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
星彩が趙雲に向けるのは純粋な尊敬と信頼。
そして趙雲が星彩に向けるのも、確かな実力を認める先達としての慈しみ。
その清々しいまでの絆に、嫉妬を差し挟む余地などない。
しかしそれよりも関平だ。
この不甲斐なさはいかがなものか。
とはいえ二人きりにはなれないのなら、今はこうして歩くほかない。
「……あ、ねえ関平。あっちの屋台、美味しそう。星彩の好きな物でも買って合流しない?」
「ああ、そうだな。星彩は何が好きだったか…」
○は関平と共に、屋台の並ぶ筋に入っていった。
川縁にたどり着いた時、ふと星彩が足を止めた。
「趙雲殿。……○と関平がおりません」
振り返ると、そこにあるはずの二人の姿が消えていた。
趙雲は星彩と共に、歩いてきた道を引き返す。
すると一際賑わいを見せている屋台の前で、人だかりができているのが見えた。
そこでは関平が、真剣な面持ちで輪投げの輪を構えていた。
「お兄ちゃん、上手だねぇ!これ取れたら、この棚の菓子全部上げるよ」
店主の言葉に隣の○が意気込んでいる。
関平は「分かっている、静かにしろ!集中できない!」と言いながらも、その顔には年相応の少年のような高揚感が浮かんでいた。
「まったく。目を離すとすぐにこれだ。星…」
趙雲は呆れたように独り言をこぼし、隣に立つ星彩をふと見て言葉を止めた。
いつも凛として、感情を波立たせない彼女。
だが今の彼女は無邪気に笑い合う関平と○を、どこか遠いものを見るような、寂しげとも羨望ともつかぬ揺れる瞳で見つめていた。
他人の色恋沙汰には一切足を踏み入れたくなかった趙雲であったが、流石に今の星彩の様子には、胸に迫るものを感じずにはいられなかった。
趙雲は星彩の肩に、手を優しく置く。
「……星彩。行ってくるといい。お前が行けば彼らはもっと喜ぶだろう」
その声は穏やかで温かい。
星彩が驚いたように見上げると、趙雲はわずかに口角を上げ、騒ぎの中心にいる二人へと顎をしゃくった。
「行って、連れて帰ってきてくれ。……あれはムキになって散財しかねん」
趙雲の不器用な気遣いを受け、星彩はふっと笑う。
「……はい。二人の無駄遣いを止めさせてきます」
小さく笑みを浮かべて歩き出した星彩の背中を見送った趙雲。
楽しげに合流した三人の姿を静かに見守っていた。
星彩に呼び戻され、趙雲のもとへ戻ってきた関平と○は、両手いっぱいに景品の菓子や包みを抱えていた。
川縁の適当な場所を見つけて、○が「じゃあこれ、皆で…」と言いかけて趙雲が肩を引く。
趙雲はそのまま、○を促すようにして星彩たちから数歩分、距離を置いた。
「どうしたんですか、子龍様」
「そっとしておこう」
○が不思議そうに趙雲の視線の先を見ると、少し離れた所で関平がぎこちなく懸命に星彩へ何かを語りかけ、星彩もまた、それに応えるように穏やかな横顔を見せていた。
「あらら…なるほど」
○は合点がいったように小さく頷くと、抱えていた菓子の包みを趙雲の方へ差し出した。
「では、これは私たち二人で食べましょう。戦利品、戦利品!」
「お前というやつは…。あれほど演奏がどうのと騒いでおいて、結局最後は食い気か…」
「まあまあ。祭りと食べ物は二つで一つじゃないですか。…はい、子龍様が好きなのありました」
趙雲は呆れた様にそれを受け取る。
川のせせらぎと、遠くから流れてくる琵琶の音。
趙雲は隣で、「この味、初めて食べました」と頬張る○を、いつになく柔らかい眼差しで見つめていた。
その視線に気づいて○が顔を上げると、視線を反らす。
夜風を爽やかに浴びる趙雲の肩に、○はそっと頭を寄せてみた。
少し体が強張るのを感じたが、趙雲の叱責は飛んでこない。
それどころか、わずかに肩の力を抜いて寄り添わせてくれた。
「最初はあまり気が進まなかったが…今は、来てよかったと思う」
趙雲は前を見つめたまま、優しくそう言った。
肩に触れる○の髪の柔らかさや、伝わってくる体温をそっと受け入れる。
平服という隠れ蓑があるからか…あるいは先ほどの星彩たちの青い情景に、自身の心も少しばかり絆されたからなのか。
束の間の平穏くらい、こうして過ごすのも悪くないと思った。
○は今日も、隙あらば趙雲の背を追いかけ、その裾を引く。
「ねえ、見に行きましょうよ、琵琶の演奏」
「駄目だ。鍛錬がある」
趙雲は前を向いたまま、事務的に、かつ短く切り捨てた。
「演者の人、かなりの美人らしいですよ。子龍様、普段はムッツリしてるけど本当はお好きでしょ、美人。すれ違ったら顔の向きを変えずにしっかり見てますものね」
嫌味たらしく言うと、趙雲は○を睨みつけた。
「……○。口が過ぎるぞ。そのような戯言を言う暇があるなら、書庫の埃でも払ってきなさい」
「ええっ!貴重な娯楽ですよ!行きましょう!桂陽以来、二人で出かけてないじゃないですか」
「あれは桂陽で、時間に余裕があったからだ。勝手に行ってこい。あまり遅くならぬようにな」
その冷ややかなやり取りの最中、廊下の向こうに大柄な人影。
関平だ。
彼は二人を見かけると、少しばかり困り果てたような、煮え切らない表情で軽く頭を下げた。
廊下の真ん中に立つ関平に、不思議そうに趙雲が近づいた。
聞けば、星彩を琵琶の演奏を見に誘いたいのだという。
だが、どうにもその一歩が踏み出せない様子であった。
「……誘えばいいだろう。今日は鍛錬もないはずだ」
趙雲が事も無げにそう告げ、○の目が点になる。
(さっき、私には『鍛錬がある』って言ったくせに)
喉元まで出かかった文句をぐっと飲み込む。
「素直に誘えないんですよ。関平は星彩が好きで、彼女の前だと上手く話せないんです」
あっさりと言い放った○の言葉に、関平は「こ、声が大きい…っ!」と顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「なんと……!?」
一方の趙雲は、まるで奇襲を受けたかのようにその場で固まった。
信じられないものを見る目で関平を凝視する。
「……気づいていたのか、○」
関平が観念したように、項垂れながらも小声で尋ねる。
「もちろん。というか、関興も気づいてるわ」
○が当然のように深く頷くと、趙雲は未だに事態が飲み込めない様子で、二人を交互に見つめた。
「関平。それは……本当なのか」
「その、はい…」
趙雲は腕組みをしたまま、深く、重い沈黙に陥る。
戦場の機微や敵の伏兵には人一倍敏感な男だが、身近な人間の、それも「恋心」という感情の機微については、完全に盲目であった。
「黙ってしまったな…」
「子龍様、関平達を一緒くたに兄弟の様にくくってるから、今、折り合いをつけてるんだと思うわ。……ところで、どうしてこんな所に?」
「もうすぐここを星彩が通るんだ。昼にあちらの武器庫に行くと言っていたから」
関平は、いつになく落ち着かない様子で廊下の先を気にしている。
「趙雲殿、○……、お願いです。お二人もここにいてください」
「何故だ。二人きりの方が話も早かろう」
趙雲が怪訝そうに眉を寄せると、関平は情けなそうに肩を落とした。
「それが……。二人きりだと、どうしても俺がタジタジになってしまって。結局、何も言えずに沈黙が続いて、最後には星彩が痺れを切らして立ち去ってしまうんです」
趙雲は重い溜息をついた。
「情けない。そのようなことも出来ぬならこの先苦労するぞ。これはお前自身の問題だ、一人でやるべきだ」
まるで鍛錬でもする時の様な、突き放すような趙雲の正論。
しかし隣で聞いていた○は半笑いで趙雲を見た。
「何だ、その顔は」
「別に?」
○は関平を見る。
「関平、大丈夫。ここで話し込んでるふりをしていましょ。星彩が来たら、その勢いで誘っちゃいなよ」
「ああ、助かるよ○」
関平が救われたような顔で○を見つめる。
「……。やれやれ、仕方のない」
趙雲は不機嫌そうに呟きながらも、その場を立ち去ろうとはしなかった。
幼いころから知っている関平と星彩の行く末は気になる。
「星彩は、趙雲殿がいらっしゃれば挨拶のために近づいてくるはずです」
関平のその言葉に、趙雲は「……私は餌か」と呟く。
「囮、得意じゃないですか」
「またお前はそのような…」
そうして三人で示し合わせたように立ち話をしていると、廊下の向こうから凛とした佇まいの星彩が歩いてきた。
星彩は予想通り、師でもある趙雲の姿を認めると、足を止めて丁寧にお辞儀をしながら近づいてきた。
「趙雲殿、このような場所で。……関平、○も」
そこで自然と四人の立ち話が始まった。
○は関平に目配せする。
しかし、関平はまごまごしながら星彩の顔を見ては視線を泳がせ、「ああ、ええと……その」と、言葉に詰まってしまった。
趙雲は、戦場では勇猛果敢な関平が、一人の娘の前でこれほどまでに狼狽える姿に驚く。
というよりも、思春期の青年らしい瑞々しい動揺ぶりを初めて目の当たりにして、”恋”というのはこんな姿を周囲に晒す事なのだと思うと考えさせられた。
「……何? 関平」
星彩は不思議そうに首を傾げ、まっすぐに関平を見つめる。
その美しい視線に耐えられなくなった関平は、あろうことか、助けを求めるように○の方を向いた。
「……○、琵琶の演奏に興味はないか?」
「はあ?」
○の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
星彩を誘うための口実として○を巻き込んだのか、あるいは緊張のあまり思考が停止して口が滑ったのか。
その矛先が○に向けられ、隣に立つ趙雲もチラリと見やる。
○は慌てて軌道修正する。
「そ、そうなの!今日、琵琶の演者の隊が来てるらしくて。夜にね、川縁で弾くんですって。星彩、興味ない?」
○は自然に星彩に水を向け、背後で固まっている関平の腰を必死につついた。
だが関平は星彩ではなく○を凝視し、金縛りにあったように動かない。
(……まったく星彩を見ようともせぬ。とんでもない緊張感だな)
趙雲は腕組みをしたまま、その光景を横目で見ていた。
戦場では万の敵を前にしても怯まぬ男が、星彩の視線を前にしてここまで無力になるとは。
他人事ながら、そのあまりの不甲斐なさに憐れみすら覚える。
「そうなの? 見たことがないから、見てみたい気もするけれど」
星彩は淡々とした口調ながらも、わずかに興味を示したように関平へと視線を移した。
「……関平。○と行くの?」
「いや、その……き……っ」
「き?」
首を傾げる星彩。
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、関平の顔はもはや限界まで赤く染まっている。
「君と行きたい」という、言葉が喉に張り付いて出てこない。
「き……きっと、みんなで行けば楽しいかと思って!なあ、○!」
関平が絞り出したその言葉に、○は苦笑する。
「私も行きたいなぁと思ってたんだけど、子龍様が『行かない』って仰って。で、その話をしてたら関平は興味があるらしいんだけど、私と関平の二人で行くっていうのも、なんかアレでしょ? だから、星彩も誘って行こうかって話してて…行かない?」
必死に取り繕う○に対し、星彩はどこまでも冷静だった。
星彩の方が○よりも何歳か年下なのに、落ち着きが凄い。
彼女は趙雲を仰ぎ見て、淡々と言う。
「二人で行けばいいと思うけれど。おかしいわ、男性一人に女性二人だなんて。関平なら、○と二人でも趙雲殿も安心でしょう?」
「え、あ、いや……」
関平が助けを求めるように○を見る。
「いいじゃない! 関平を真ん中に挟んで~、こう腕を組んで。両手に花で、お偉いさんみたいに!ねえ、いいわよね、関平」
「そ、そうだな」
趙雲は深く、重い溜息を吐き出すと、ようやく腕組みを解いた。
「……分かった。私も同行しよう。○がこれほど騒がしくては、お前たちも演奏に集中できぬだろうからな」
「ほんとですか!?」
○が飛び上がって喜ぶ横で、関平は「ありがとうございます!」と、地獄から救われたような顔で頭を下げた。
「では夕刻に。……○、それまでに必ず仕事を終わらせておけ。一つでも残っていれば、置いていくぞ」
「はいっ!」
数年前の趙雲なら、他人の恋路に付き合うなど考えられない。
さらには気が進まないはずの演奏会にまで足を運ぶ。
走り去る○の背中を見送って、趙雲は自らの判断に呆れた。
夜の帳が下りる頃、公安の城内は琵琶の演奏を心待ちにする人々で賑わいを見せていた。
城の者もかなりの数が見に行くらしい。
平服に着替えた将兵や女官たちが、待ち合わせに城門へと集まってくる。
趙雲もまた、落ち着いた色合いの平服を纏っていた。
その隣を、勝手に腕を組んで機嫌良さそうに歩く○。
「心配ですねぇ、関平。私越しでないと話せないんだから」
「よく言うな……。結局、お前の口車に乗せられてここまで連れ出された気分だ。本来なら、明日の軍議の書状を整理しておく時間だというのに」
「いいじゃないですか。戦が始まったら何か月も張り詰めるんですから。こういう時間も味わえる時に楽しむべきですよ。桂陽が懐かしいですね」
趙雲は、桂陽で○に腕輪を贈った時のことを思い出す。
あれから○は毎日それをつけており、もう衣服の一部になっていて気にならなかったが、”桂陽”と言われると目につく。
まとわりつく○の手を剥がすと、一瞥する。
「……良いか、○。城の者も多く見に来ている。むやみに私にべたべたするな。目立つ真似は慎め」
「分かっています」
絶対に分かっていないであろう、間延びした返事の○はニコニコ笑った。
「それで……なんでこうなるのよ」
○は並んで歩くことになった隣の関平をジロリと睨みつけた。
城門で合流した直後、星彩が「趙雲殿、先日の鍛錬の件ですが」と自然な所作で趙雲に歩み寄り、そのまま二人が先頭を切る形になってしまったのだ。
結果、前を行くのは落ち着いた雰囲気で言葉を交わす趙雲と星彩。
後ろに取り残されたのは、気まずそうに視線を泳がせる関平と○という、なんとも皮肉な構図。
「赤壁の時なんかは、普通に話してたじゃない。あの時の勢いはどこに行ったのよ」
○が呆れたように溜め息をつくと、関平は頭を掻きながら、消え入りそうな声で答えた。
「あの時はまだ……その、そういう感じではなかったからな。意識しだすと、どうにも足が前に出なくなってしまって」
「三人で行く事になりそうだった時は、私、途中でそっと離れようと思ってたんだけど。もしかして、二人きりにしたら不味い?」
「…不味いかもしれない」
一方、前を歩く趙雲は、幼い頃から武芸を仕込んできた星彩に対し、いつになく穏やかな表情を見せていた。
軍議の緊迫感から離れ、純粋に武の行く末を語り合う時間は、彼にとっても貴重な息抜きになっているようだった。
○はそんな二人の背中を見ても、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
星彩が趙雲に向けるのは純粋な尊敬と信頼。
そして趙雲が星彩に向けるのも、確かな実力を認める先達としての慈しみ。
その清々しいまでの絆に、嫉妬を差し挟む余地などない。
しかしそれよりも関平だ。
この不甲斐なさはいかがなものか。
とはいえ二人きりにはなれないのなら、今はこうして歩くほかない。
「……あ、ねえ関平。あっちの屋台、美味しそう。星彩の好きな物でも買って合流しない?」
「ああ、そうだな。星彩は何が好きだったか…」
○は関平と共に、屋台の並ぶ筋に入っていった。
川縁にたどり着いた時、ふと星彩が足を止めた。
「趙雲殿。……○と関平がおりません」
振り返ると、そこにあるはずの二人の姿が消えていた。
趙雲は星彩と共に、歩いてきた道を引き返す。
すると一際賑わいを見せている屋台の前で、人だかりができているのが見えた。
そこでは関平が、真剣な面持ちで輪投げの輪を構えていた。
「お兄ちゃん、上手だねぇ!これ取れたら、この棚の菓子全部上げるよ」
店主の言葉に隣の○が意気込んでいる。
関平は「分かっている、静かにしろ!集中できない!」と言いながらも、その顔には年相応の少年のような高揚感が浮かんでいた。
「まったく。目を離すとすぐにこれだ。星…」
趙雲は呆れたように独り言をこぼし、隣に立つ星彩をふと見て言葉を止めた。
いつも凛として、感情を波立たせない彼女。
だが今の彼女は無邪気に笑い合う関平と○を、どこか遠いものを見るような、寂しげとも羨望ともつかぬ揺れる瞳で見つめていた。
他人の色恋沙汰には一切足を踏み入れたくなかった趙雲であったが、流石に今の星彩の様子には、胸に迫るものを感じずにはいられなかった。
趙雲は星彩の肩に、手を優しく置く。
「……星彩。行ってくるといい。お前が行けば彼らはもっと喜ぶだろう」
その声は穏やかで温かい。
星彩が驚いたように見上げると、趙雲はわずかに口角を上げ、騒ぎの中心にいる二人へと顎をしゃくった。
「行って、連れて帰ってきてくれ。……あれはムキになって散財しかねん」
趙雲の不器用な気遣いを受け、星彩はふっと笑う。
「……はい。二人の無駄遣いを止めさせてきます」
小さく笑みを浮かべて歩き出した星彩の背中を見送った趙雲。
楽しげに合流した三人の姿を静かに見守っていた。
星彩に呼び戻され、趙雲のもとへ戻ってきた関平と○は、両手いっぱいに景品の菓子や包みを抱えていた。
川縁の適当な場所を見つけて、○が「じゃあこれ、皆で…」と言いかけて趙雲が肩を引く。
趙雲はそのまま、○を促すようにして星彩たちから数歩分、距離を置いた。
「どうしたんですか、子龍様」
「そっとしておこう」
○が不思議そうに趙雲の視線の先を見ると、少し離れた所で関平がぎこちなく懸命に星彩へ何かを語りかけ、星彩もまた、それに応えるように穏やかな横顔を見せていた。
「あらら…なるほど」
○は合点がいったように小さく頷くと、抱えていた菓子の包みを趙雲の方へ差し出した。
「では、これは私たち二人で食べましょう。戦利品、戦利品!」
「お前というやつは…。あれほど演奏がどうのと騒いでおいて、結局最後は食い気か…」
「まあまあ。祭りと食べ物は二つで一つじゃないですか。…はい、子龍様が好きなのありました」
趙雲は呆れた様にそれを受け取る。
川のせせらぎと、遠くから流れてくる琵琶の音。
趙雲は隣で、「この味、初めて食べました」と頬張る○を、いつになく柔らかい眼差しで見つめていた。
その視線に気づいて○が顔を上げると、視線を反らす。
夜風を爽やかに浴びる趙雲の肩に、○はそっと頭を寄せてみた。
少し体が強張るのを感じたが、趙雲の叱責は飛んでこない。
それどころか、わずかに肩の力を抜いて寄り添わせてくれた。
「最初はあまり気が進まなかったが…今は、来てよかったと思う」
趙雲は前を見つめたまま、優しくそう言った。
肩に触れる○の髪の柔らかさや、伝わってくる体温をそっと受け入れる。
平服という隠れ蓑があるからか…あるいは先ほどの星彩たちの青い情景に、自身の心も少しばかり絆されたからなのか。
束の間の平穏くらい、こうして過ごすのも悪くないと思った。