関興編【全4話】
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公安の朝は早い。
趙雲をはじめとする将軍たちが軍議に詰め、その他の兵士は鍛錬や朝の準備を行う時間帯。
○は関興の荷造りを手伝っていた。
彼はしばらく公安で事後処理の手伝いをしていたが、この度落ち着いたという事で江陵に帰る事になったのだ。
「関平は残るのに…関興だけ帰還なんてね」
「仕方ないよ。元々、俺が向こうにいたわけだし」
そう言って関羽への土産も詰める。
「江陵にもどれば、お前の刺繍がもう増えないのが寂しいな」
「ははっ、あの刺繡を喜んでくれるの、結局関興だけだったわね」
○が可笑しそうに笑うと、関興は真顔で頷いた。
「不思議なものだ。あれがないと、自分の着物ではないような気がしてくる」
「そんなに喜んでもらえるなら……今持ってきている服にしてあげようか? 江陵に帰る前のはなむけに」
「……いいのか?」
「もちろん。針と糸、すぐ持ってくるから、待っててね」
それから半刻後。
軍議を終えた趙雲は練兵場の脇を通りかかった。
そこで彼が目にしたのは、あまりにも睦まじい光景。
木陰で○が膝に関興のものであろう服を拡げ、針を動かしている。
その隣に座る関興は○の手元を覗き込んでいた。
関羽からの書簡で、○が関羽たちの服のほつれ等を繕っていたとは聞いていたが…。
趙雲は、練兵場の木陰で睦まじく寄り添う二人に近づいた。
背後から○の手元を覗き込むと、端正な顔が驚愕に歪んだ。
「うっ……なんだ、それは」
○の手元で針によって紡がれていたのは、丸い体から奇妙な触角のようなものが生えた、不気味な造形の生き物。
(この気味の悪い柄を刺繍していたのか?)と関興を見る。
「豚……? にしては、あまりに面妖な造形だな」
趙雲が訝しげに眉をひそめると、○は針を止めて顔を上げ、不満げに口を尖らせた。
「子龍様まで!これは『猫』なんです。これでもかなり上達したんですよ」
「……猫?」
趙雲は、針目の荒い、歪なその塊をもう一度見つめた。
どこをどう見れば、これが猫になるのか。
「俺も、最初は豚かと思いました。しかし本人が『猫』だと言い張るもので。ですから、猫豚と命名したんです。しかも最近は、どんどん丸くなって、ますます豚寄りになって」
関興が隣で、困ったような、けれど愛おしげな笑みを浮かべて補足する。
その親しげな態度が引っかかる趙雲。
「だから太ってきたんじゃなくて、これは柄なの。虎柄」
趙雲の視線が○の指差すその不気味な模様に注がれる。
歪な縞模様が確かに虎を模しているようにも見えなくはない。
服の修繕はおてのものなのに、こういう刺繍や人形などの造形物は恐ろしく下手くそなようだ。
趙雲は内心で深いため息をついた。
しかしそんな彼の困惑を余所に、○は得意げに針を休めて笑った。
「洗濯した後に服が混ざってしまって、衣服の渡し合いをしている方が多かったので、こうして目印をつけてあげたんです」
「……目印」
「ちなみに、関平兄さんは”絶対いらない”そうです」
関興が可笑しそうに口を挟む。
「……目印ならばもっと簡素なもので良かろう。わざわざ時間を割いて、そのような面妖な生き物を縫う必要はない」
趙雲は冷淡に言い捨て、興味を失ったかのように視線を外した。
「えーっ、可愛いのに」
「ああ、俺は気に入っているよ。江陵に持って帰るのが楽しみだ」
「そうだ。子龍様の服にも縫ってあげますよっ!子龍様には、やっぱり龍でしょうか」
○が顔を輝かせて提案する。
「そうですね。そうして貰えばいい」
関興が隣で、まるで自分のことのように満足げに頷く。
どうやら関興は○が描くあの不気味な生き物に心底愛着を抱いているらしく、それが"不気味なもの"であるという自覚が完全に欠落しているようだった。
趙雲はかつて、自分が渡された変な○人形を思い出した。
人に見られたら絶対に馬鹿にされる代物ではあるが、趙雲にとっては愛着のある物だ。
きっとそれと同じ感覚なのだろうが…。
趙雲は自分の服に不気味な刺繍が施される光景を想像した。
「……武人に装飾は不要だ」
趙雲は腕を組んだまま、冷ややかな声で一蹴した。
「でも、これなら洗濯しても間違えられませんよ?」
「私と服を間違えるような者は、この公安にはおらぬ。それにほとんど○が個別で洗濯してくれているだろう。余計なことに時間を費やすな」
趙雲の言葉は事務的だ。
「それよりも関興。江陵へ発つ前に、久しぶりに手合わせをしないか。関羽殿の元で、随分と強くなったのだろう」
「趙雲殿に稽古をつけていただけるとは!ありがとうございます」
関興が真剣な面持ちで立ち上がる。
趙雲は上着を脱ぎ、自然に手を差し出した○に預けた。
手合わせが始まると趙雲の動きは苛烈を極めた。
関興が放つ必死の打突を、趙雲は最小限の動きで捌く。
「……ここまでにしよう」
半刻ほどの打ち合いの後、二人は木刀をおろす。
そうして趙雲は○から上着を受け取り羽織ろうとし、何かに気付く。
彼は袖口に刻まれた異形を捉え固まった。
食い入るようにそれを見つめる趙雲の瞳が、かつてないほどに激しく動揺している。
そこには、異常に頭が大きく胴体がヒョロヒョロと心許ない謎の柄が青い糸で縫いつけられていたのだ。
趙雲は無言のまま、その「何か」と○の顔を交互に見た。
「…こういう妖怪、聞いた事があります。戦場で死体の目玉を食って回るそうですよ。食われた死体の主は同じ妖怪になるとか…」
傍らで息を整えていた関興が、その異様な意匠を覗き込み、困惑したようにつぶやく。
「ちょっと!そんなもの子龍様に刺繍するわけないでしょ!龍だってば!…ほら、ここが頭で、これが同体と足で…」
本来であれば、勝手な真似をと一喝すべき場面だが。
「…………龍、か」
「そうですっ」
趙雲は自らの袖に刻まれた不気味な刺繍を少し撫でた。
「○。……やるなら、今後は肌着だけにしてくれ」
「え?」
不服そうに声を上げる○に対し、趙雲はわずかに視線を泳がせた。
「戦場や軍議の場で、他国の使者や将兵の目にこれが触れてみろ。軍の威信に関わる。……しかしお前の気持ちはありがたいからな」
それだけ言って服を整えた。
「関興、明日には発つのだろう。今日はゆっくりするといい」
趙雲は去っていった。
趙雲をはじめとする将軍たちが軍議に詰め、その他の兵士は鍛錬や朝の準備を行う時間帯。
○は関興の荷造りを手伝っていた。
彼はしばらく公安で事後処理の手伝いをしていたが、この度落ち着いたという事で江陵に帰る事になったのだ。
「関平は残るのに…関興だけ帰還なんてね」
「仕方ないよ。元々、俺が向こうにいたわけだし」
そう言って関羽への土産も詰める。
「江陵にもどれば、お前の刺繍がもう増えないのが寂しいな」
「ははっ、あの刺繡を喜んでくれるの、結局関興だけだったわね」
○が可笑しそうに笑うと、関興は真顔で頷いた。
「不思議なものだ。あれがないと、自分の着物ではないような気がしてくる」
「そんなに喜んでもらえるなら……今持ってきている服にしてあげようか? 江陵に帰る前のはなむけに」
「……いいのか?」
「もちろん。針と糸、すぐ持ってくるから、待っててね」
それから半刻後。
軍議を終えた趙雲は練兵場の脇を通りかかった。
そこで彼が目にしたのは、あまりにも睦まじい光景。
木陰で○が膝に関興のものであろう服を拡げ、針を動かしている。
その隣に座る関興は○の手元を覗き込んでいた。
関羽からの書簡で、○が関羽たちの服のほつれ等を繕っていたとは聞いていたが…。
趙雲は、練兵場の木陰で睦まじく寄り添う二人に近づいた。
背後から○の手元を覗き込むと、端正な顔が驚愕に歪んだ。
「うっ……なんだ、それは」
○の手元で針によって紡がれていたのは、丸い体から奇妙な触角のようなものが生えた、不気味な造形の生き物。
(この気味の悪い柄を刺繍していたのか?)と関興を見る。
「豚……? にしては、あまりに面妖な造形だな」
趙雲が訝しげに眉をひそめると、○は針を止めて顔を上げ、不満げに口を尖らせた。
「子龍様まで!これは『猫』なんです。これでもかなり上達したんですよ」
「……猫?」
趙雲は、針目の荒い、歪なその塊をもう一度見つめた。
どこをどう見れば、これが猫になるのか。
「俺も、最初は豚かと思いました。しかし本人が『猫』だと言い張るもので。ですから、猫豚と命名したんです。しかも最近は、どんどん丸くなって、ますます豚寄りになって」
関興が隣で、困ったような、けれど愛おしげな笑みを浮かべて補足する。
その親しげな態度が引っかかる趙雲。
「だから太ってきたんじゃなくて、これは柄なの。虎柄」
趙雲の視線が○の指差すその不気味な模様に注がれる。
歪な縞模様が確かに虎を模しているようにも見えなくはない。
服の修繕はおてのものなのに、こういう刺繍や人形などの造形物は恐ろしく下手くそなようだ。
趙雲は内心で深いため息をついた。
しかしそんな彼の困惑を余所に、○は得意げに針を休めて笑った。
「洗濯した後に服が混ざってしまって、衣服の渡し合いをしている方が多かったので、こうして目印をつけてあげたんです」
「……目印」
「ちなみに、関平兄さんは”絶対いらない”そうです」
関興が可笑しそうに口を挟む。
「……目印ならばもっと簡素なもので良かろう。わざわざ時間を割いて、そのような面妖な生き物を縫う必要はない」
趙雲は冷淡に言い捨て、興味を失ったかのように視線を外した。
「えーっ、可愛いのに」
「ああ、俺は気に入っているよ。江陵に持って帰るのが楽しみだ」
「そうだ。子龍様の服にも縫ってあげますよっ!子龍様には、やっぱり龍でしょうか」
○が顔を輝かせて提案する。
「そうですね。そうして貰えばいい」
関興が隣で、まるで自分のことのように満足げに頷く。
どうやら関興は○が描くあの不気味な生き物に心底愛着を抱いているらしく、それが"不気味なもの"であるという自覚が完全に欠落しているようだった。
趙雲はかつて、自分が渡された変な○人形を思い出した。
人に見られたら絶対に馬鹿にされる代物ではあるが、趙雲にとっては愛着のある物だ。
きっとそれと同じ感覚なのだろうが…。
趙雲は自分の服に不気味な刺繍が施される光景を想像した。
「……武人に装飾は不要だ」
趙雲は腕を組んだまま、冷ややかな声で一蹴した。
「でも、これなら洗濯しても間違えられませんよ?」
「私と服を間違えるような者は、この公安にはおらぬ。それにほとんど○が個別で洗濯してくれているだろう。余計なことに時間を費やすな」
趙雲の言葉は事務的だ。
「それよりも関興。江陵へ発つ前に、久しぶりに手合わせをしないか。関羽殿の元で、随分と強くなったのだろう」
「趙雲殿に稽古をつけていただけるとは!ありがとうございます」
関興が真剣な面持ちで立ち上がる。
趙雲は上着を脱ぎ、自然に手を差し出した○に預けた。
手合わせが始まると趙雲の動きは苛烈を極めた。
関興が放つ必死の打突を、趙雲は最小限の動きで捌く。
「……ここまでにしよう」
半刻ほどの打ち合いの後、二人は木刀をおろす。
そうして趙雲は○から上着を受け取り羽織ろうとし、何かに気付く。
彼は袖口に刻まれた異形を捉え固まった。
食い入るようにそれを見つめる趙雲の瞳が、かつてないほどに激しく動揺している。
そこには、異常に頭が大きく胴体がヒョロヒョロと心許ない謎の柄が青い糸で縫いつけられていたのだ。
趙雲は無言のまま、その「何か」と○の顔を交互に見た。
「…こういう妖怪、聞いた事があります。戦場で死体の目玉を食って回るそうですよ。食われた死体の主は同じ妖怪になるとか…」
傍らで息を整えていた関興が、その異様な意匠を覗き込み、困惑したようにつぶやく。
「ちょっと!そんなもの子龍様に刺繍するわけないでしょ!龍だってば!…ほら、ここが頭で、これが同体と足で…」
本来であれば、勝手な真似をと一喝すべき場面だが。
「…………龍、か」
「そうですっ」
趙雲は自らの袖に刻まれた不気味な刺繍を少し撫でた。
「○。……やるなら、今後は肌着だけにしてくれ」
「え?」
不服そうに声を上げる○に対し、趙雲はわずかに視線を泳がせた。
「戦場や軍議の場で、他国の使者や将兵の目にこれが触れてみろ。軍の威信に関わる。……しかしお前の気持ちはありがたいからな」
それだけ言って服を整えた。
「関興、明日には発つのだろう。今日はゆっくりするといい」
趙雲は去っていった。