江陵編【全5話】
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○の朝はいつも通りだ。
「失礼します、関羽様。お着替えをお持ちしました。」
○は重厚な関羽の装束を丁寧に整え、手際よく着替えを介助していく。
関羽ほどの立場になれば、着る物も多くて大変だ。
関家の男たちは皆、武骨で細かい身の回りのことには無頓着だ。
かつては趙雲の部屋に乱入して手伝っては「自分で出来る」 「迷惑だ」と追い返されていた技術が、ここでは重宝されていた。
関羽は○が整えた襟元と流れるような髭を満足げに撫でた。
「ふむ……。やはり女子が一人いるだけで、身繕いがまるで違うな。家中が華やぐようだ。礼を言う」
「いいええ!こちらこそお世話になっていますから。この位はさせてください」
○は屈託のない笑顔で応じる。
そのスッキリとした顔は公安では見られなかったものだ。
朝餉の席で関平が言った。
「今日は非番だから、川に釣りにいかないか?」
関平の提案に、○と関興は頷く。
「夕飯に使えそうなのが釣れたらいいね」
「じゃあ、昼に出ようか」
関羽は年の近い者同士が、公私共に睦まじく過ごす様子に、若かりし頃の自分を重ねて微笑んだ。
夕闇が迫る江陵の城下。
やっと江陵に到着した趙雲。
城門をくぐって門番に馬を渡す。
入城の手続きをして廊下を歩いていると、廊下に反響して声が聞こえた。
「デカいの釣れたなぁ」
「釣ったというか…○が捕まえたというか」
「浅瀬に追い込んだらこっちのものよ」
なにやら賑やかなそちらを見ると、膝まで裾をまくり上げ、手に草履を持って裸足という軽装の○と関平と関興。
三人はまるで幼馴染のように肩を並べて歩いていた。
大きな魚をそれぞれぶら下げている。
「――○」
ふと小さく響いた趙雲の声に、○はピタリと動きを止めて周囲を見渡している。
趙雲はそちらに近づく。
足音にやっと趙雲を見つけた○は、カァッと顔を赤くした。
釣り竿を籠も放り出して、泥がついた足のまま趙雲に駆け寄って抱き着く。
「子龍様!!本物ですか!?」
「…本物かどうかも分からないなら抱き着くな」
会ったら言ってやろうと思っていた事が沢山あった趙雲だが、顔を真っ赤にしている○の様子を見たらそれも忘れてしまう。
頬を趙雲の身体に押し付ける力は、この四か月でかなり強くなっていた。
趙雲の視界の端には、泥だらけの自分たちを呆然と見つめる関平と関興。
「離れろ、○」
すると○はそっと顔を上げて趙雲を見ると、ススッと素直に離れる。
そうこうしていると関平達も近づいてきた。
「今月の伝達は趙雲殿が直々に…?なにかあったのですか」
関平はあの趙雲がわざわざやってきた事に身構える。
そういえば、この出向に関しての言い訳を何も考えていなかった趙雲。
公安で孫尚香に付きっきりでいるはずなのにここにいる理由。
休暇にしては明日には出なくてはならない慌ただしさ。
そこで、「諸葛亮殿に頼まれての検分だ」とだけ言った。
趙雲は関羽に挨拶に行くと言う。
「では私は、夕飯の準備に行ってきます」
普段の○ならついてきそうなものだったが、「釣った魚で美味しい夕飯を作ります!子龍様もいらっしゃるので」と微笑むと、魚を持って去っていった。
関平と関興は趙雲についていく。
「○は、こちらで父上に随分と鍛えられたんですよ」
歩きながら関平はニコッと親し気に笑う。
「料理も裁縫も上手だから、無駄に女官に頼まなくて済むのがとても助かっています」
「女官に頼むと、同じ人に偏らない様に気を遣わないといけませんからね」
「同じ方に頼んでしまうと、すぐに恋の噂にされてしまいますから」
そう言う二人の会話を背中に、趙雲は関羽の執務室に入った。
しばらく関羽と近況報告を交わす。
軍事的な話が終わった後で、趙雲は切り出した。
「……関羽殿。○が多大なご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます」
「迷惑?」
「夫人との大喧嘩の尻ぬぐいでこちらに寄こされたものですから…予定外の人事であったと思います。お邪魔な様なら○をこちらで引き取らねばとも考えたのですが…」
関羽は(そうか、知らぬのだな)と思いつつ髭を撫でる。
すると不意に、息子たちに目配せをして席を外させた。
広間に趙雲と二人きりになると、関羽は趙雲を見据えた。
「今のあちらでの暮らしを鑑みるに、○を連れ帰るのは、さらなる諍いの種になってしまうであろうな」
関羽の話に、趙雲は背筋を正したまま沈黙した。
孫尚香の傍に詰め、常に呉の女官たちに囲まれている今の環境に○を戻せば、火に油を注ぐ結果になるのは目に見えている。
「して、孫尚香殿は落ち着かれたのかな?」
「…それなりに、という所でしょうか。ムラはあります」
「…。そもそも、彼女がここに寄越されたのは孫尚香殿との喧嘩が原因だったと聞く。今、その者にかかりきりであるお主の元に置くのは、○の立場をかえって悪くしてしまうだろう。我らとしては、○にいてもらえると大変助かる故、なにも気に病むことはない。○も最初こそ落ち込んでいたが、今では息子たちと睦まじく過ごし充実して見える」
孫尚香の護衛は主君・劉備から託された大切な職務だ。
それを全うするためには、○を遠ざけておくのは確かに正しい判断だ。
「…関羽殿のおっしゃる通りです。……ご迷惑をおかけしていないのであれば、○を使ってやってください」
すると関羽は笑う。
「おかしなことを。○は貴殿の配下でもなかろうに」
「…それは、そうですが…」
「まあよい。○はもうしばらく預かっておこう。案ずるな、平も興も彼女を家族の様に大切に扱っている。お主の元で肩身の狭い思いをさせるより、江陵で汗をかいている方が、あの娘のためでもあろう」
関羽は趙雲の心中を見透かしたように、わずかに口角を上げた。
「今日はゆっくりしていかれよ。明日には発つのであろう。○が、お主のために腕によりをかけて夕餉の支度をしているはずだ」
「……。かたじけなく存じます」
趙雲は深く一礼した。
客室に案内されながら深くため息をつく。
○にはずっと腹を立てていた部分もある。
自分に託された重要な任務を、嫉妬などという子供じみた行為で邪魔をした。
それが実際に会ってしまったら揺らいで、関羽に「引き取る」などと言ってしまった自分が信じられないでいた。
関羽の私邸で、関平と関興を交えての夕餉。
久しぶりに見た○の料理が並んだ。
「せっかく子龍様がいらっしゃるから」と、いつもよりも豪華にしたらしい。
食卓には、○が関平たちと釣ってきた魚が香ばしく焼き上がり、大皿に並んでいる。
○は全員に食事を配ると自分の席に座る。
今までなら趙雲の真横にピッタリとくっついて座ったはずだが、距離を取って間に関平を挟んでいた。
そしてあまり目が合わない。
関興や関平が「今日も美味しい」と誉めると、「トーゼンよ」と冗談ぽく笑う。
「久しぶりの味だ」と趙雲も話しかけてみたが、それにはヘラリと笑うだけで、なんだか今までの彼女の反応と違った。
なんというか、距離がある。
食事と湯あみを終えた趙雲は、客室の寝台に座っていた。
肩透かしを食らった気分だ。
久しぶりの再会に○はもっと喜ぶかと思ったが、到着したらすぐに台所に引っ込んでしまったし、一日あまり目もあわなかったように思う。
そんな事を考えながら、ふと外の空気を吸いに行こうと廊下に出ると、○が扉のすぐ横に立ってた。
趙雲が出てくると驚いたように固まる。
「…○?なにをしている、このような所で」
「あ……えっと」
手をモジモジさせて俯く。
「話でもしに来たのか」
「そ、そうです…」
「おかしな奴だ。いつもは出て行けと言われても居座ると言うのに」
趙雲は部屋に通そうと中に入る。
しかし○は扉の所に立って、廊下から寝台に座る趙雲を見ているだけだ。
「なんだ。今日はずっとおかしいな」
「…だって。子龍様、怒っていらっしゃるのでは…」
「は?」
公安で最後に交わした会話の事を言っている事に気づいた趙雲は、「ああ」と小さくつぶやく。
孫尚香との喧嘩の事を言っているのだろう。
あれから丸四か月、音沙汰なしだったことで、趙雲が怒っていると思っているらしい。
「そんな事か。意外なところを気にするな」
「だって見たことも無いくらいに怒っていました。確かに私は、子龍様の顔に泥を塗ってしまいましたし…」
「…もっと気にしてほしかった場面は過去に沢山あったのだが……まあ、あの時は、私の顔に泥がどうこうではなく…お前が重い処分を受けるかもしれぬ事をやらかしたので一杯一杯だった。時間が出来たらしっかり話を聞こうと思っていたのに、翌日には何も知らされずに江陵に出されてしまい…困った」
寝台に座り腕組みをする趙雲に、○は顔をあげる。
「では怒っていないのですか?」
「怒ってない」
「文をくださらなかったのは?」
「…そう言ったものはそもそも苦手だ」
そう言われた○は趙雲に抱き着く。
「よかった!文も下さらないし、もう嫌われて会えないのかもしれないと思ってたんです!……これを作って寂しさを紛らわせる事しかできなくて」
そう言って差し出された「それ」を見た趙雲。
○の手のひらに乗っていたのは、相変わらず独特な、どこか力の抜ける造形の布人形。
前回の○人形よりは人の形をしている。
趙雲の凛々しさはどこへやら、とぼけたような目元が間抜けな、なんともヘチャムクレな趙雲人形。
趙雲はその人形を受け取ると、まじまじと見つめ、やがて深い溜息とともに肩の力を抜いた。
「私はこんなにしまりのない顔をしていない。もっとキリッとした佇まいのはずだ」
「ええ!そっくりですよ!それ、5つ目にして会心の出来です」
「うーん…?」
しげしげと人形を見る。
(○の目には、私はこんな風に映っているのか…)
「お気に召したのでしたら差し上げます。また明日にでももう一つ出来ますから。今は平服姿の子龍様を縫っているんです」
なにやらこの間抜けな人形を量産している○に苦笑する趙雲を、○は少し真剣な表情で覗き込んだ。
「あの…私が公安に帰れる目途ってついていますか?」
「…いや、分からん」
「まだ、孫尚香様は変わらないご様子で…?」
「そうだな」
○はため息をついた。
「……。私がいなくても、お前はここで上手くやっている様だから、なにも気にしなくても良いのではないか?関羽殿も、公安に戻れぬのならここにずっといればいいと仰っていた」
少し突き放すように、試すようにそう言った趙雲。
「子龍様、あのお話聞いたんですか?」
趙雲の顔を覗き込む○の目は、なにやらキラキラしていた。
「私は子龍さまのお嫁さんになるって決めているんです。関羽様が何を仰っても関係ありません!ですから何を聞いても心配しないでください!」
「心配など…」
「しています!その言い方は、私の心が揺らいだのではないかと心配して拗ねているんですよね!心外です!」
○は顔を上げ、趙雲を真っ直ぐに見つめた。
趙雲は目をそらし正面の壁を見る。
「だけど子龍様の方は心配です。公安で私が見ていないのをいいことに、キレイな女官や侍女と過ごしているのですから。私の事、忘れないでくださいね」
グッと顔を近づけて、言い聞かせるように話す○に、趙雲は困ったようにただ目を合わせなかった。
翌朝。
馬に跨り、城門へと向かう趙雲の背を、関羽の一家が見送る。
検分に来たと言ったのに、○から干した果物やら菓子やらを持たされて荷物が増えた趙雲。
さながら里帰りした息子の様相だ。
○は趙雲の隣に駆け寄り、見上げるような仕草で何度も念を押す。
「子龍様、 約束ですよ! 次に公安から送る書簡には、必ず、私宛ての文も入れてくださいね!」
「時間があればな」
「その位の時間もないなら、厠にだって行けませんよ。長編物語を書いてなんて言ってません。大袈裟なんですから」
ジッと睨む○に「分かった分かった」と答える。
「浮気も駄目ですからね。帰ったら調べますよ」
「なんだか痩せた様なので食事もとってくださいね」
「肌荒れには果物です」
と小言が始まったので、趙雲は公安に向けて馬を走らせた。
「失礼します、関羽様。お着替えをお持ちしました。」
○は重厚な関羽の装束を丁寧に整え、手際よく着替えを介助していく。
関羽ほどの立場になれば、着る物も多くて大変だ。
関家の男たちは皆、武骨で細かい身の回りのことには無頓着だ。
かつては趙雲の部屋に乱入して手伝っては「自分で出来る」 「迷惑だ」と追い返されていた技術が、ここでは重宝されていた。
関羽は○が整えた襟元と流れるような髭を満足げに撫でた。
「ふむ……。やはり女子が一人いるだけで、身繕いがまるで違うな。家中が華やぐようだ。礼を言う」
「いいええ!こちらこそお世話になっていますから。この位はさせてください」
○は屈託のない笑顔で応じる。
そのスッキリとした顔は公安では見られなかったものだ。
朝餉の席で関平が言った。
「今日は非番だから、川に釣りにいかないか?」
関平の提案に、○と関興は頷く。
「夕飯に使えそうなのが釣れたらいいね」
「じゃあ、昼に出ようか」
関羽は年の近い者同士が、公私共に睦まじく過ごす様子に、若かりし頃の自分を重ねて微笑んだ。
夕闇が迫る江陵の城下。
やっと江陵に到着した趙雲。
城門をくぐって門番に馬を渡す。
入城の手続きをして廊下を歩いていると、廊下に反響して声が聞こえた。
「デカいの釣れたなぁ」
「釣ったというか…○が捕まえたというか」
「浅瀬に追い込んだらこっちのものよ」
なにやら賑やかなそちらを見ると、膝まで裾をまくり上げ、手に草履を持って裸足という軽装の○と関平と関興。
三人はまるで幼馴染のように肩を並べて歩いていた。
大きな魚をそれぞれぶら下げている。
「――○」
ふと小さく響いた趙雲の声に、○はピタリと動きを止めて周囲を見渡している。
趙雲はそちらに近づく。
足音にやっと趙雲を見つけた○は、カァッと顔を赤くした。
釣り竿を籠も放り出して、泥がついた足のまま趙雲に駆け寄って抱き着く。
「子龍様!!本物ですか!?」
「…本物かどうかも分からないなら抱き着くな」
会ったら言ってやろうと思っていた事が沢山あった趙雲だが、顔を真っ赤にしている○の様子を見たらそれも忘れてしまう。
頬を趙雲の身体に押し付ける力は、この四か月でかなり強くなっていた。
趙雲の視界の端には、泥だらけの自分たちを呆然と見つめる関平と関興。
「離れろ、○」
すると○はそっと顔を上げて趙雲を見ると、ススッと素直に離れる。
そうこうしていると関平達も近づいてきた。
「今月の伝達は趙雲殿が直々に…?なにかあったのですか」
関平はあの趙雲がわざわざやってきた事に身構える。
そういえば、この出向に関しての言い訳を何も考えていなかった趙雲。
公安で孫尚香に付きっきりでいるはずなのにここにいる理由。
休暇にしては明日には出なくてはならない慌ただしさ。
そこで、「諸葛亮殿に頼まれての検分だ」とだけ言った。
趙雲は関羽に挨拶に行くと言う。
「では私は、夕飯の準備に行ってきます」
普段の○ならついてきそうなものだったが、「釣った魚で美味しい夕飯を作ります!子龍様もいらっしゃるので」と微笑むと、魚を持って去っていった。
関平と関興は趙雲についていく。
「○は、こちらで父上に随分と鍛えられたんですよ」
歩きながら関平はニコッと親し気に笑う。
「料理も裁縫も上手だから、無駄に女官に頼まなくて済むのがとても助かっています」
「女官に頼むと、同じ人に偏らない様に気を遣わないといけませんからね」
「同じ方に頼んでしまうと、すぐに恋の噂にされてしまいますから」
そう言う二人の会話を背中に、趙雲は関羽の執務室に入った。
しばらく関羽と近況報告を交わす。
軍事的な話が終わった後で、趙雲は切り出した。
「……関羽殿。○が多大なご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます」
「迷惑?」
「夫人との大喧嘩の尻ぬぐいでこちらに寄こされたものですから…予定外の人事であったと思います。お邪魔な様なら○をこちらで引き取らねばとも考えたのですが…」
関羽は(そうか、知らぬのだな)と思いつつ髭を撫でる。
すると不意に、息子たちに目配せをして席を外させた。
広間に趙雲と二人きりになると、関羽は趙雲を見据えた。
「今のあちらでの暮らしを鑑みるに、○を連れ帰るのは、さらなる諍いの種になってしまうであろうな」
関羽の話に、趙雲は背筋を正したまま沈黙した。
孫尚香の傍に詰め、常に呉の女官たちに囲まれている今の環境に○を戻せば、火に油を注ぐ結果になるのは目に見えている。
「して、孫尚香殿は落ち着かれたのかな?」
「…それなりに、という所でしょうか。ムラはあります」
「…。そもそも、彼女がここに寄越されたのは孫尚香殿との喧嘩が原因だったと聞く。今、その者にかかりきりであるお主の元に置くのは、○の立場をかえって悪くしてしまうだろう。我らとしては、○にいてもらえると大変助かる故、なにも気に病むことはない。○も最初こそ落ち込んでいたが、今では息子たちと睦まじく過ごし充実して見える」
孫尚香の護衛は主君・劉備から託された大切な職務だ。
それを全うするためには、○を遠ざけておくのは確かに正しい判断だ。
「…関羽殿のおっしゃる通りです。……ご迷惑をおかけしていないのであれば、○を使ってやってください」
すると関羽は笑う。
「おかしなことを。○は貴殿の配下でもなかろうに」
「…それは、そうですが…」
「まあよい。○はもうしばらく預かっておこう。案ずるな、平も興も彼女を家族の様に大切に扱っている。お主の元で肩身の狭い思いをさせるより、江陵で汗をかいている方が、あの娘のためでもあろう」
関羽は趙雲の心中を見透かしたように、わずかに口角を上げた。
「今日はゆっくりしていかれよ。明日には発つのであろう。○が、お主のために腕によりをかけて夕餉の支度をしているはずだ」
「……。かたじけなく存じます」
趙雲は深く一礼した。
客室に案内されながら深くため息をつく。
○にはずっと腹を立てていた部分もある。
自分に託された重要な任務を、嫉妬などという子供じみた行為で邪魔をした。
それが実際に会ってしまったら揺らいで、関羽に「引き取る」などと言ってしまった自分が信じられないでいた。
関羽の私邸で、関平と関興を交えての夕餉。
久しぶりに見た○の料理が並んだ。
「せっかく子龍様がいらっしゃるから」と、いつもよりも豪華にしたらしい。
食卓には、○が関平たちと釣ってきた魚が香ばしく焼き上がり、大皿に並んでいる。
○は全員に食事を配ると自分の席に座る。
今までなら趙雲の真横にピッタリとくっついて座ったはずだが、距離を取って間に関平を挟んでいた。
そしてあまり目が合わない。
関興や関平が「今日も美味しい」と誉めると、「トーゼンよ」と冗談ぽく笑う。
「久しぶりの味だ」と趙雲も話しかけてみたが、それにはヘラリと笑うだけで、なんだか今までの彼女の反応と違った。
なんというか、距離がある。
食事と湯あみを終えた趙雲は、客室の寝台に座っていた。
肩透かしを食らった気分だ。
久しぶりの再会に○はもっと喜ぶかと思ったが、到着したらすぐに台所に引っ込んでしまったし、一日あまり目もあわなかったように思う。
そんな事を考えながら、ふと外の空気を吸いに行こうと廊下に出ると、○が扉のすぐ横に立ってた。
趙雲が出てくると驚いたように固まる。
「…○?なにをしている、このような所で」
「あ……えっと」
手をモジモジさせて俯く。
「話でもしに来たのか」
「そ、そうです…」
「おかしな奴だ。いつもは出て行けと言われても居座ると言うのに」
趙雲は部屋に通そうと中に入る。
しかし○は扉の所に立って、廊下から寝台に座る趙雲を見ているだけだ。
「なんだ。今日はずっとおかしいな」
「…だって。子龍様、怒っていらっしゃるのでは…」
「は?」
公安で最後に交わした会話の事を言っている事に気づいた趙雲は、「ああ」と小さくつぶやく。
孫尚香との喧嘩の事を言っているのだろう。
あれから丸四か月、音沙汰なしだったことで、趙雲が怒っていると思っているらしい。
「そんな事か。意外なところを気にするな」
「だって見たことも無いくらいに怒っていました。確かに私は、子龍様の顔に泥を塗ってしまいましたし…」
「…もっと気にしてほしかった場面は過去に沢山あったのだが……まあ、あの時は、私の顔に泥がどうこうではなく…お前が重い処分を受けるかもしれぬ事をやらかしたので一杯一杯だった。時間が出来たらしっかり話を聞こうと思っていたのに、翌日には何も知らされずに江陵に出されてしまい…困った」
寝台に座り腕組みをする趙雲に、○は顔をあげる。
「では怒っていないのですか?」
「怒ってない」
「文をくださらなかったのは?」
「…そう言ったものはそもそも苦手だ」
そう言われた○は趙雲に抱き着く。
「よかった!文も下さらないし、もう嫌われて会えないのかもしれないと思ってたんです!……これを作って寂しさを紛らわせる事しかできなくて」
そう言って差し出された「それ」を見た趙雲。
○の手のひらに乗っていたのは、相変わらず独特な、どこか力の抜ける造形の布人形。
前回の○人形よりは人の形をしている。
趙雲の凛々しさはどこへやら、とぼけたような目元が間抜けな、なんともヘチャムクレな趙雲人形。
趙雲はその人形を受け取ると、まじまじと見つめ、やがて深い溜息とともに肩の力を抜いた。
「私はこんなにしまりのない顔をしていない。もっとキリッとした佇まいのはずだ」
「ええ!そっくりですよ!それ、5つ目にして会心の出来です」
「うーん…?」
しげしげと人形を見る。
(○の目には、私はこんな風に映っているのか…)
「お気に召したのでしたら差し上げます。また明日にでももう一つ出来ますから。今は平服姿の子龍様を縫っているんです」
なにやらこの間抜けな人形を量産している○に苦笑する趙雲を、○は少し真剣な表情で覗き込んだ。
「あの…私が公安に帰れる目途ってついていますか?」
「…いや、分からん」
「まだ、孫尚香様は変わらないご様子で…?」
「そうだな」
○はため息をついた。
「……。私がいなくても、お前はここで上手くやっている様だから、なにも気にしなくても良いのではないか?関羽殿も、公安に戻れぬのならここにずっといればいいと仰っていた」
少し突き放すように、試すようにそう言った趙雲。
「子龍様、あのお話聞いたんですか?」
趙雲の顔を覗き込む○の目は、なにやらキラキラしていた。
「私は子龍さまのお嫁さんになるって決めているんです。関羽様が何を仰っても関係ありません!ですから何を聞いても心配しないでください!」
「心配など…」
「しています!その言い方は、私の心が揺らいだのではないかと心配して拗ねているんですよね!心外です!」
○は顔を上げ、趙雲を真っ直ぐに見つめた。
趙雲は目をそらし正面の壁を見る。
「だけど子龍様の方は心配です。公安で私が見ていないのをいいことに、キレイな女官や侍女と過ごしているのですから。私の事、忘れないでくださいね」
グッと顔を近づけて、言い聞かせるように話す○に、趙雲は困ったようにただ目を合わせなかった。
翌朝。
馬に跨り、城門へと向かう趙雲の背を、関羽の一家が見送る。
検分に来たと言ったのに、○から干した果物やら菓子やらを持たされて荷物が増えた趙雲。
さながら里帰りした息子の様相だ。
○は趙雲の隣に駆け寄り、見上げるような仕草で何度も念を押す。
「子龍様、 約束ですよ! 次に公安から送る書簡には、必ず、私宛ての文も入れてくださいね!」
「時間があればな」
「その位の時間もないなら、厠にだって行けませんよ。長編物語を書いてなんて言ってません。大袈裟なんですから」
ジッと睨む○に「分かった分かった」と答える。
「浮気も駄目ですからね。帰ったら調べますよ」
「なんだか痩せた様なので食事もとってくださいね」
「肌荒れには果物です」
と小言が始まったので、趙雲は公安に向けて馬を走らせた。