江陵編【全5話】
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江陵の城門をくぐると、そこには関羽が待ち構えていた。
その堂々たる体躯と、流れるような美しい髭。
○は緊張のあまり、背筋を伸ばして一礼した。
「よく来た、○殿。久しいな」
「はい。関羽様もお元気そうでなによりですわ」
関羽の声は地響きのように低く、それでいて慈悲深かった。
諸葛亮からの書簡には、○がここに来た経緯が正確に書かれており、関羽はそれも踏まえて○を見た。
「諸葛亮殿から諸々の事情は書簡にて。色々持ち込んだままこちらに来たようだが、そのように沈んだ顔をしていては、兵たちの士気に関わる。…関平、そして江陵にいる関興。この二人は明日から、拙者自らが練兵場で鍛錬を付けることになっている」
関羽はふと、○の華奢な肩を見下ろした。
「○殿。お主も参加せよ」
「えっ……? 私も、ですか?」
思わぬ言葉に、○は目を丸くした。
あの関一家の鍛錬に、自分のような一介の兵が参加してもいいという。
「聞けばお主の実家は道場をしており、趙雲を追って十数年修業をしていたと聞く。我らの鍛錬にもついてこれよう」
○は少し戸惑ったが、身体を動かしていれば雑念は振り払えると思った。
その上、あの関羽の指導の下、鍛錬ができるだなんて武人としては夢の様な申し出だ。
「……はい。よろしくお願いいたします、関羽様」
昨日までの弱々しい顔は消え、○の瞳に僅かな光が戻った。
*****
翌朝、夜明けと共に始まった鍛錬は、想像を絶するものだった。
○は山育ちの上に十数年の間、父や兄に毎日山の中を走り込みさせられていた事もあり、足腰や体力には自信があった。
それでも足が縺れ、地面に手をつく。
関羽達について行くのに必死の○は、それでもどこか爽快な表情をしていた。
*****
江陵での過酷な鍛錬が始まって数日。
毎日ヘトヘトになるまで動き回り、食事も忘れて泥のように眠っては朝日と共に起きる生活は、○の精神に変化をもたらしていく。
○はかつて、故郷で拳法の免許皆伝を授かった身であった。
趙雲の尻を追いかけ回す日々で鈍っていた勘が、段々と呼び覚まされていく。
日が経つにつれて膝もつかなくなり、女性の身ながらも関平たちと同じ量の鍛錬をこなし始める○を関羽は褒めた。
「やはり幼少の頃より山の中を走っていた者は土台が違うな。特にお主は腰が強い」
「ありがとうございます」
汗だくでそう言って頭を下げる○に、関羽は満足げに微笑んだ。
関興は鍛錬の合間、水瓶を差し出しながら木陰で休む○に声をかけた。
「……驚いたよ。○がこれほど動ける人だとは」
「自分でも驚いてるわ。家族以外の人に鍛錬を受けた事が無かったし新鮮」
「趙雲殿は?」
「子龍様は手合わせはしてくれるけど、鍛錬は全然…女性相手では力加減がどうとか言って」
「そうなのか…俺達はたまに稽古をつけてもらっていたのにな。最も身近に優秀な将がいるというのに勿体ない」
○は無駄な肉のない腕を伸ばしたり曲げたりして楽しそうに話す。
「なんだかこう…毎日少しずつ昨日よりも体力がついた実感がわいて、とても充実してるわ。関羽様って素敵なお父様ね」
「ああ。部下には随分…きつくあたるみたいだけどね」
二人は顔を見合わせ、年相応の笑みをこぼした。
雑念を取り払ったつもりでいる○だが、鍛錬に身体がついてきた頃にふと考えた。
趙雲は自分を誤解したまま別れていて、それを諸葛亮も伝えるつもりはない。
(もしかしたら子龍様に、嫌われたかもしれないな…)
月に一度の報告書のやりとりの際、関平に「本当に趙雲殿に何か書かなくていいのか?」と聞かれてもグッと抑えた。
あの時の詰め所での趙雲の怒った顔と声が忘れられなかったからだ。
それに趙雲からも個別の文などがない辺り、もはや自分にかける言葉が無いのかもしれない。
劉備の事となると目の色が変わる彼からすれば、その奥方である孫尚香もとても大切な存在なのだ。
そんな○を思ってか無意識か、関羽は軍事報告の隅に一筆添えた。
『○殿は我が息子らと共に鍛錬を行っている。心配は無用』
その報告書を諸葛亮に見せられた趙雲は、ただ 「そうですか」 とだけ言った。
*****
一日の厳しい鍛錬を終え、井戸端で汗を流した○は、心地よい疲労感に包まれていた。
髪を乾かしがてら江陵の城内を歩いていると、広間の一角で手元を凝視し、眉間に深い皺を寄せている関興を見つけた。
何をさせても器用にこなす天才肌だと称されるの彼が、今は小さな針と糸を手に、破れた袖のほつれと悪戦苦闘している。
「関興、何してるの?」
○が声をかけると、関興はバツが悪そうに顔を上げた。
「……○か。いや、立ち稽古で少し袖を引っ掛けてしまって。自分で直せると思ったのだが……」
そう言って持ち上げた服はなかなか不格好だ。
「ふふ、貸して。私、これでも花嫁修業も一通り履修済みなんだから。得意なの」
○は関興から着物を受け取ると、手際よく針を動かし始めた。
あっという間にほつれを塞ぐ。
「上手だな」
「私、兄弟で唯一女の子なの。拳法に興味を示しながらもいずれはお嫁にいくだろうって、年頃には他の子と同じように針仕事や炊事洗濯を教え込まれてたから」
仕上げをした後に○はふと思いつき、その袖口に余った色糸で小さな刺繍を施した。
「はい、できた!……ここに目印をつけておきマシタ」
「目印?」
関興が不思議そうに覗き込むと、そこには丸々とした、何とも不思議な生き物の姿が刺繍されていた。
「皆、似たような色の服を着ているでしょう? 洗い場で混ざらないようにね。これで一目瞭然!」
関興は得意げに手渡された袖をじっと見つめ、数秒の沈黙の後、真顔で問いかけた。
「……。これは……豚?」
「猫」
○が即座に否定すると、関興は珍しく声を立てて笑った。
「いや、耳が丸いし、全体的に……ふくよかというか、丸いだろう。……そうか、猫か。では……『猫豚(ねこぶた)』だな」
「ちょっとー。猫だってば。変な名前つけないで」
二人の間に穏やかな空気が流れる。
関興は「猫豚」が刺繍された袖を撫でた。
翌朝、関羽の厳しい号令が飛ぶ練兵場。
関興はふとした拍子に、○が縫い付けてくれたその奇妙な「猫豚」の刺繍に目を落とす。
ほつれ直しは見事な手並みなのに、これだけは不格好。
自分のために、わざわざ目印を付けてくれたその無邪気な気遣い。
たまに思い出したようにそれを見つめるとそっと撫でる。
その様子を少し離れた場所で見ていた関平が、複雑な表情でため息をついた。
赤壁にいた頃から、関興は○と距離が近かった。
自分達との”近さ”とは少し違う。
歳も近いし、冗談の通じる者同士で気が合うのだろうが…
(ややこしい事にならなければいいが)
江陵の練兵場に、正午を告げる銅鑼の音が響き渡った。
砂埃が舞う中、関羽、関平、関興の三人は一時の休息に入ろうとしていた。
城内まで戻るには距離があり、いつもなら木陰で簡単な干し肉を齧る程度の時間である。
「皆様、少しお待ちください!」
そこへ○が、大振りの竹籠を抱えて駆け寄ってきた。
「実はお昼、作ってみたんです。城まで戻るのは遠いし大変かと思いまして。これだけ運動するのに干し肉だけなんて私も辛いので」
○が竹籠を広げると、そこには色とりどりの握り飯や、塩漬けの野菜、香ばしく焼かれた干物などがぎっしりと詰められていた。
関平は驚いたように目を丸くし、感心した声を上げた。
「……驚いたな。○も拙者達と同じだけの鍛錬をこなしているというのに、一体どこにそんな体力が残っているんだ? 料理の準備となれば、ずっと早く起きなくてはならなかったろ?」
「そんなに手の込んだものじゃないのよ、握り飯は混ぜて握っただけだし、おかずは前日から仕込んでおけばいいし。それに、私が食べたかっただけだからついで…と言ったら申し訳ないけど」
○は照れくさそうに笑った。
「関羽様、いつも不慣れな私をご指導くださってありがとうございます。お口に会えばいいのですが…どうぞ」
○が差し出した握り飯を、関羽は大きな手で受け取った。
その頃、公安の詰め所。
趙雲は、女官が運んできた食事を前にしていた。
日々自分の周りで騒がしい孫尚香と侍女達に疲れ果てて、近頃は食事も儀式じみていた。
諸葛亮が通りがかりに、ふと声をかける。
「そろそろ今月の書簡を江陵にだすのですが…同封するものはありますか?」
「いえ…私からは特に」
こちらを一瞥して食事を続ける趙雲に、諸葛亮は「ふむ」と小さく零す。
何か言いたい事があるようだ。
「先月の書簡に、関羽殿から小さく追記がありました。”○殿を送っていただき感謝する”、と。あちらは女官が少なく、○殿がその辺りも手伝っているようで…」
「私が礼をいわれる謂れはありません」
「そうですか。…今回も、○殿へ個人的な書簡はよろしいのですか?」
諸葛亮は自分が○を江陵に追いやったとはいえ、趙雲が頑なに○に対してなにも行動を起こさない事に思う所があった。
きっと彼は、○が嫉妬心から孫尚香に突っかかったと本気で信じている。
○が喧嘩をした相手が相手なだけに仕方のない事とはいえ、孫尚香のあまりの態度を見ていると、○をぞんざいに扱う事に多少なりとも罪悪感があった。
一方の趙雲は(それが言いたかったのか)と察する。
「今の彼女は反省の意を込めての遠征の身です……それに、私の知ったことではありません」
趙雲はそう言い切り、さっさと食事を切り上げて孫尚香の離れへ戻っていった。
その堂々たる体躯と、流れるような美しい髭。
○は緊張のあまり、背筋を伸ばして一礼した。
「よく来た、○殿。久しいな」
「はい。関羽様もお元気そうでなによりですわ」
関羽の声は地響きのように低く、それでいて慈悲深かった。
諸葛亮からの書簡には、○がここに来た経緯が正確に書かれており、関羽はそれも踏まえて○を見た。
「諸葛亮殿から諸々の事情は書簡にて。色々持ち込んだままこちらに来たようだが、そのように沈んだ顔をしていては、兵たちの士気に関わる。…関平、そして江陵にいる関興。この二人は明日から、拙者自らが練兵場で鍛錬を付けることになっている」
関羽はふと、○の華奢な肩を見下ろした。
「○殿。お主も参加せよ」
「えっ……? 私も、ですか?」
思わぬ言葉に、○は目を丸くした。
あの関一家の鍛錬に、自分のような一介の兵が参加してもいいという。
「聞けばお主の実家は道場をしており、趙雲を追って十数年修業をしていたと聞く。我らの鍛錬にもついてこれよう」
○は少し戸惑ったが、身体を動かしていれば雑念は振り払えると思った。
その上、あの関羽の指導の下、鍛錬ができるだなんて武人としては夢の様な申し出だ。
「……はい。よろしくお願いいたします、関羽様」
昨日までの弱々しい顔は消え、○の瞳に僅かな光が戻った。
*****
翌朝、夜明けと共に始まった鍛錬は、想像を絶するものだった。
○は山育ちの上に十数年の間、父や兄に毎日山の中を走り込みさせられていた事もあり、足腰や体力には自信があった。
それでも足が縺れ、地面に手をつく。
関羽達について行くのに必死の○は、それでもどこか爽快な表情をしていた。
*****
江陵での過酷な鍛錬が始まって数日。
毎日ヘトヘトになるまで動き回り、食事も忘れて泥のように眠っては朝日と共に起きる生活は、○の精神に変化をもたらしていく。
○はかつて、故郷で拳法の免許皆伝を授かった身であった。
趙雲の尻を追いかけ回す日々で鈍っていた勘が、段々と呼び覚まされていく。
日が経つにつれて膝もつかなくなり、女性の身ながらも関平たちと同じ量の鍛錬をこなし始める○を関羽は褒めた。
「やはり幼少の頃より山の中を走っていた者は土台が違うな。特にお主は腰が強い」
「ありがとうございます」
汗だくでそう言って頭を下げる○に、関羽は満足げに微笑んだ。
関興は鍛錬の合間、水瓶を差し出しながら木陰で休む○に声をかけた。
「……驚いたよ。○がこれほど動ける人だとは」
「自分でも驚いてるわ。家族以外の人に鍛錬を受けた事が無かったし新鮮」
「趙雲殿は?」
「子龍様は手合わせはしてくれるけど、鍛錬は全然…女性相手では力加減がどうとか言って」
「そうなのか…俺達はたまに稽古をつけてもらっていたのにな。最も身近に優秀な将がいるというのに勿体ない」
○は無駄な肉のない腕を伸ばしたり曲げたりして楽しそうに話す。
「なんだかこう…毎日少しずつ昨日よりも体力がついた実感がわいて、とても充実してるわ。関羽様って素敵なお父様ね」
「ああ。部下には随分…きつくあたるみたいだけどね」
二人は顔を見合わせ、年相応の笑みをこぼした。
雑念を取り払ったつもりでいる○だが、鍛錬に身体がついてきた頃にふと考えた。
趙雲は自分を誤解したまま別れていて、それを諸葛亮も伝えるつもりはない。
(もしかしたら子龍様に、嫌われたかもしれないな…)
月に一度の報告書のやりとりの際、関平に「本当に趙雲殿に何か書かなくていいのか?」と聞かれてもグッと抑えた。
あの時の詰め所での趙雲の怒った顔と声が忘れられなかったからだ。
それに趙雲からも個別の文などがない辺り、もはや自分にかける言葉が無いのかもしれない。
劉備の事となると目の色が変わる彼からすれば、その奥方である孫尚香もとても大切な存在なのだ。
そんな○を思ってか無意識か、関羽は軍事報告の隅に一筆添えた。
『○殿は我が息子らと共に鍛錬を行っている。心配は無用』
その報告書を諸葛亮に見せられた趙雲は、ただ 「そうですか」 とだけ言った。
*****
一日の厳しい鍛錬を終え、井戸端で汗を流した○は、心地よい疲労感に包まれていた。
髪を乾かしがてら江陵の城内を歩いていると、広間の一角で手元を凝視し、眉間に深い皺を寄せている関興を見つけた。
何をさせても器用にこなす天才肌だと称されるの彼が、今は小さな針と糸を手に、破れた袖のほつれと悪戦苦闘している。
「関興、何してるの?」
○が声をかけると、関興はバツが悪そうに顔を上げた。
「……○か。いや、立ち稽古で少し袖を引っ掛けてしまって。自分で直せると思ったのだが……」
そう言って持ち上げた服はなかなか不格好だ。
「ふふ、貸して。私、これでも花嫁修業も一通り履修済みなんだから。得意なの」
○は関興から着物を受け取ると、手際よく針を動かし始めた。
あっという間にほつれを塞ぐ。
「上手だな」
「私、兄弟で唯一女の子なの。拳法に興味を示しながらもいずれはお嫁にいくだろうって、年頃には他の子と同じように針仕事や炊事洗濯を教え込まれてたから」
仕上げをした後に○はふと思いつき、その袖口に余った色糸で小さな刺繍を施した。
「はい、できた!……ここに目印をつけておきマシタ」
「目印?」
関興が不思議そうに覗き込むと、そこには丸々とした、何とも不思議な生き物の姿が刺繍されていた。
「皆、似たような色の服を着ているでしょう? 洗い場で混ざらないようにね。これで一目瞭然!」
関興は得意げに手渡された袖をじっと見つめ、数秒の沈黙の後、真顔で問いかけた。
「……。これは……豚?」
「猫」
○が即座に否定すると、関興は珍しく声を立てて笑った。
「いや、耳が丸いし、全体的に……ふくよかというか、丸いだろう。……そうか、猫か。では……『猫豚(ねこぶた)』だな」
「ちょっとー。猫だってば。変な名前つけないで」
二人の間に穏やかな空気が流れる。
関興は「猫豚」が刺繍された袖を撫でた。
翌朝、関羽の厳しい号令が飛ぶ練兵場。
関興はふとした拍子に、○が縫い付けてくれたその奇妙な「猫豚」の刺繍に目を落とす。
ほつれ直しは見事な手並みなのに、これだけは不格好。
自分のために、わざわざ目印を付けてくれたその無邪気な気遣い。
たまに思い出したようにそれを見つめるとそっと撫でる。
その様子を少し離れた場所で見ていた関平が、複雑な表情でため息をついた。
赤壁にいた頃から、関興は○と距離が近かった。
自分達との”近さ”とは少し違う。
歳も近いし、冗談の通じる者同士で気が合うのだろうが…
(ややこしい事にならなければいいが)
江陵の練兵場に、正午を告げる銅鑼の音が響き渡った。
砂埃が舞う中、関羽、関平、関興の三人は一時の休息に入ろうとしていた。
城内まで戻るには距離があり、いつもなら木陰で簡単な干し肉を齧る程度の時間である。
「皆様、少しお待ちください!」
そこへ○が、大振りの竹籠を抱えて駆け寄ってきた。
「実はお昼、作ってみたんです。城まで戻るのは遠いし大変かと思いまして。これだけ運動するのに干し肉だけなんて私も辛いので」
○が竹籠を広げると、そこには色とりどりの握り飯や、塩漬けの野菜、香ばしく焼かれた干物などがぎっしりと詰められていた。
関平は驚いたように目を丸くし、感心した声を上げた。
「……驚いたな。○も拙者達と同じだけの鍛錬をこなしているというのに、一体どこにそんな体力が残っているんだ? 料理の準備となれば、ずっと早く起きなくてはならなかったろ?」
「そんなに手の込んだものじゃないのよ、握り飯は混ぜて握っただけだし、おかずは前日から仕込んでおけばいいし。それに、私が食べたかっただけだからついで…と言ったら申し訳ないけど」
○は照れくさそうに笑った。
「関羽様、いつも不慣れな私をご指導くださってありがとうございます。お口に会えばいいのですが…どうぞ」
○が差し出した握り飯を、関羽は大きな手で受け取った。
その頃、公安の詰め所。
趙雲は、女官が運んできた食事を前にしていた。
日々自分の周りで騒がしい孫尚香と侍女達に疲れ果てて、近頃は食事も儀式じみていた。
諸葛亮が通りがかりに、ふと声をかける。
「そろそろ今月の書簡を江陵にだすのですが…同封するものはありますか?」
「いえ…私からは特に」
こちらを一瞥して食事を続ける趙雲に、諸葛亮は「ふむ」と小さく零す。
何か言いたい事があるようだ。
「先月の書簡に、関羽殿から小さく追記がありました。”○殿を送っていただき感謝する”、と。あちらは女官が少なく、○殿がその辺りも手伝っているようで…」
「私が礼をいわれる謂れはありません」
「そうですか。…今回も、○殿へ個人的な書簡はよろしいのですか?」
諸葛亮は自分が○を江陵に追いやったとはいえ、趙雲が頑なに○に対してなにも行動を起こさない事に思う所があった。
きっと彼は、○が嫉妬心から孫尚香に突っかかったと本気で信じている。
○が喧嘩をした相手が相手なだけに仕方のない事とはいえ、孫尚香のあまりの態度を見ていると、○をぞんざいに扱う事に多少なりとも罪悪感があった。
一方の趙雲は(それが言いたかったのか)と察する。
「今の彼女は反省の意を込めての遠征の身です……それに、私の知ったことではありません」
趙雲はそう言い切り、さっさと食事を切り上げて孫尚香の離れへ戻っていった。