公安編【全4話】
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主のいない公安は、何ら変わることなく平和そのものだった。
○は連日、寂しさを紛らわすために討伐任務ばかりをこなしていた。
とにかく疲れ果てて眠るだけ…という状況にするべく、自身を追い込む日々。
鍛錬をしていた星彩と関平は、○の帰還に気づいて、井戸に腰かけて砂埃だらけで報酬を数える○に、手拭いを渡す。
「精が出るわね。さぞかしお金が貯まっているんじゃない?」
「大分ね」
○が”いつか来るかもしれない趙雲との隠居生活”のためにもお金を貯めている事を知っている星彩は、小さく笑った。
「治安も守れて、お金も貯まって、嫌なことも忘れられる。最高だわ」
「……趙雲殿なら大丈夫よ。あの人は、戦場でもそれ以外でも、己を律することに長けているもの」
星彩の言葉に、○は井戸の水を汲みながらつぶやく。
「そうなんだけどねぇ……子龍様、女性には優柔不断っていうか、優しくされちゃうと断りきれないところがあるから……あんなにカッコいいのに女性のあしらい方が下手で」
「優柔不断かぁ。拙者には堅物なだけにみえるが…」
「だけどそういう人だから、○みたいな押しかけが通用したともいえるわ。普通なら断られて終わりよ」
鋭い指摘の星彩に、○は乾いた笑顔を向ける。
「ああ…長いなぁ、ひと月って」
「身体でも鍛えていたらすぐだ!」
そう笑う関平に、星彩は呆れた様な目を向けた。
*****
呉の柴桑に到着してから、早いものでひと月が過ぎようとしていた。
当初の予定では、十日もあれば婚礼の儀を終わらせて公安へ引き揚げられるはず…
しかし、呉の軍師・周瑜たちの策は執拗だった。
「せっかくの同盟、もっと親交を深めましょう」
「孫尚香殿との婚礼の宴、これしきの規模では足りませぬ」
色々と理由をつけては日程を延ばし、劉備を豪華な邸宅と美酒美女の渦に閉じ込め、荊州へ帰すまいとしていた。
趙雲は、連日のように催される宴席の隅で、微動だにせず劉備を護衛している。
すり寄る女官たちには蜀の将として礼節を保ちつつ、差し出される杯は「主君の警護中につき」と穏やかに辞退し続けた。
しかし当の劉備は毎晩酒と美女に酔うばかり。
言っても聞かない劉備と、その身辺警護。
鎧の下の不格好な人形の感触だけが、奇しくも唯一の心の安らぎだった。
たまに取り出しては縫い目に触れて気を紛らわせていた。
その時、趙雲は出発前に諸葛亮から授かった言葉を思い出す。
すっかり忘れていたが、『年末になっても帰れる気配がなければ開けなさい』と言われていた袋の存在。
趙雲は深夜、劉備が眠りについたのを確認すると、その袋を取り出し中身を改めた。
中には策が記された書状が入っている。
(……なるほど。ここまで見越しておられたか)
それは、主君を叱咤し、この「甘い檻」から連れ出すための計略だった。
”曹操が五十万の兵を率いて荊州へ攻め寄せている”と言う偽の知らせを劉備に伝えると、劉備は大急ぎで荊州に戻ると言い出した。
するとなんと、孫尚香も「妻として共に荊州に行くわ!」と啖呵を切る。
一行は翌日には荊州に帰る船に乗り込んだ。
*****
劉備達が公安をでて、ふた月。
○が山賊退治に行っている間に劉備達は帰還した。
孫尚香は侍女を百人近く連れてきて、公安の城は女性であふれる。
城に着いた趙雲は、真っ先に飛んできそうな○がおらず、辺りを見渡す。
すると関平が駆け寄る。
「おかえりなさい!…○をお探しですか?」
「…いや」
首を振る趙雲に構わず関平は続ける。
「今、○は山賊退治に出ていますよ!夕方には戻ると思いますから、皆様の帰還を伝えておきます」
「なんだ。人がやっと戻ったと思ったら」
「○、ひと月を過ぎたあたりからずっとソワソワしていたので…帰ったら飛んでいくと思います!趙雲殿も報告などで忙しいでしょうし、ちょうどいいかと」
確かに…と、趙雲は鼻をならすと、諸々の手続きをするべく城に入っていった。
それから数刻後。
やっと落ち着いた趙雲は、懐かしい自室に戻り、荷ほどきをしていた。
すると廊下を走ってくる足音がした。
こちらに近づいて来る。
音の主は趙雲の部屋を無断で開けると飛び込んできた。
「子龍様っ!おかえりなさい!」
言うなり○は、背後から思い切り抱きつく。
「あっ!またお前は…!離れろ。動きにくい」
「久しぶりに再会した愛する妻にいう事がそれですか?」
「誰が妻だ。くっつくな。暑い」
「真冬ですよ、いま」
○の腕を解きながら趙雲は呆れたように言う。
「……お前がいなかったから、静かで、実に過ごしやすいふた月だったというのに」
わざとそっけない口調で突き放そうとする趙軍に、○は「はいはい」と返事をして、机に置かれた鎧の手入れをしようと持ち上げた。
するとその隙間から何かがポロリと床にこぼれ落ちる。
それは○が持たせた、あの不気味な造形の布人形。
拾い上げると、出発の時よりもずっと生地が擦れて毛羽立ち、綿が偏っていた。
たったふた月しか経っていないのにこの毛羽立ち様。
随分と擦れていたようだ。
「ふふっ。子龍様、これ、随分と毛羽立ってますね。…かわいいでしょ。手が上手く付けられなかったんですよね。精進しないと」
○が悪戯っぽく笑いながら人形を目の前に突き出すと、趙雲は顔を背ける。
「……うるさい。返せ」
そして奪い返すように人形を取り上げ、引き出しに入れた。
その夜。
夜着を纏った○は、当然のような顔をして趙雲の部屋の扉を開けた。
寝台の上で片肘をつき、竹簡を読み耽っていた趙雲は、○の気配を察したものの書物から視線を外さない。
扉側に背中を向けたまま。
「……自室に戻って寝なさい」
しかし、○がその言葉を素直に聞くはずもなく。
「いいじゃないですか。何もしませんから。お話しだけです。子龍様が寝たら帰ります」
○は遠慮なく寝台へ這い上がると、趙雲の隣にごろりと横たわる。
それでも無視する趙雲の肩越しにのしかかり、手元の書物を覗き込む。
「お疲れじゃないんですか?今日はすぐに寝ると思ったのに」
「…」
ここで下手に反応すればつけあがると思った趙雲は無視を決め込むが、○は構わず話をしていた。
背中を向ける趙雲にへばりつき、とりとめのない話を続けていたが次第に声が小さくなる。
そのうち寝てしまったらしく、背後の気配が薄くなった。
「…………やっとか」
趙雲はようやく振り向いた。
自分の背中にピッタリくっついて寝る○。
もはや見慣れた寝顔だ。
(何が、”子龍様が寝たら帰る”だ。最初からこのつもりだったくせに)
ため息をつきながら名前を呼んで軽く揺するが、やはり起きる気配はない。
趙雲は布団を○にもかけてやりながら(どうせ朝には床で寝ているのだろう)と、○に背中を向けて眠った。
まだ薄暗い時間帯。
趙雲の部屋は二人分の寝息だけが聞こえていた。
○は心地よい微睡の中で、ふと違和感を覚えて目を覚ます。
身体に少し重みがあった。
目を開けると趙雲と向い合せで寝ており、右腕が○の身体に乗っていた。
その手が○のお尻をしっかり掴んでいることに気付いたのは、少し遅れてからだった。
驚いて趙雲を見るが完全に寝ている。
お尻を掴んだまま引き寄せられていて、○の太腿辺りには趙雲の固いものが押し付けられていた。
「お、起きてるんですか?」
小さく尋ねたが熟睡している様子。
さらに趙雲の手は指先を動かして感触を確かめるような仕草まで始めた。
○は心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃に、音もなく寝台を抜け出し、大急ぎで自室へと帰った。
自室の寝台に転がりこんだ○は、思わず逃げてしまった意気地のない自分に後悔する。
(ああ……勿体なかったかなぁ…でも心の準備が出来てなかったから…ああいう時、あそこからどうすれば良かったの…?)
誘い方も、始め方も分からなくて飛び出したが、上手くやれていれば…と悶々としながら朝を待った。
窓から差し込む冬の柔らかな朝日で、趙雲は目を覚ました。
ふた月ぶりに深く、泥のように眠った朝。
やはり呉ではちゃんと眠れていなかった事を実感するくらいにスッキリしていた。
趙雲は目を閉じたままほとんど無意識に隣を探るが、そこには誰もいない。
身を起こして床を見るが、床にもいない。
寝台の下に転がり込んだのかとも思い覗き込んだが、いない。
「……いないのか」
趙雲は乱れた髪をかき上げながら、誰もいない室内を見渡した。
(勝手に上がり込んで勝手に寝て、勝手に帰るとは……)
ゆっくり起き上がると、身支度を済ませて部屋を出る。
朝餉の席で、趙雲は隣に座る○に話しかけた。
「○、今朝はなぜ黙って出て行った。先に起きたのであれば起こしてくれればよかったものを。私は久しぶりに深く眠れたようで、お前に起こされると思っていたから少し寝過ごしてしまった」
「い、いやぁ…」
○は耳まで真っ赤に染め、手元の漬物をじっと見つめたまま、蚊の鳴くような声で答えた。
「だ、だって……子龍様が……寝ぼけて、私のお尻を、その…………すごく、撫でられてて気まずくて……」
趙雲の動きが止まる。
「は、恥ずかしくて……逃げるしかなかったんです! やっぱり私、口では『旦那様』なんて言ってますけど、妻としての自覚が、全然足りないんだなって…ああいう時はどうすれば先に進むのか、また月英さんにお伺いしておかないと…」
○の隣で趙雲は今、自分の手の感覚を必死に思い出そうとしていた。
なんとなくそんな感触はあったような、なかったような。
「……○」
趙雲の声は、もはや消え入りそうなほど掠れていました。
「……すまない。私は、その…何も覚えていない。つまり、断じて、そのような邪なあれでは」
「いいんです! 私がお布団に潜り込んだのがいけないんですから!ただ惜しむらくは、あの時の私の行動次第で既成事実ができたのにという事で…」
「お前は…またそういう…」
ゴニョゴニョと言い合う二人は恥ずかしさのあまり周りが見えていないが、ここは朝の食堂。
周囲にはそれなりに人が座っている。
(その会話をここでするかね。周囲に丸聞こえなんすけど…)
と、近くで朝餉を取る周倉は呆れていた。
○は連日、寂しさを紛らわすために討伐任務ばかりをこなしていた。
とにかく疲れ果てて眠るだけ…という状況にするべく、自身を追い込む日々。
鍛錬をしていた星彩と関平は、○の帰還に気づいて、井戸に腰かけて砂埃だらけで報酬を数える○に、手拭いを渡す。
「精が出るわね。さぞかしお金が貯まっているんじゃない?」
「大分ね」
○が”いつか来るかもしれない趙雲との隠居生活”のためにもお金を貯めている事を知っている星彩は、小さく笑った。
「治安も守れて、お金も貯まって、嫌なことも忘れられる。最高だわ」
「……趙雲殿なら大丈夫よ。あの人は、戦場でもそれ以外でも、己を律することに長けているもの」
星彩の言葉に、○は井戸の水を汲みながらつぶやく。
「そうなんだけどねぇ……子龍様、女性には優柔不断っていうか、優しくされちゃうと断りきれないところがあるから……あんなにカッコいいのに女性のあしらい方が下手で」
「優柔不断かぁ。拙者には堅物なだけにみえるが…」
「だけどそういう人だから、○みたいな押しかけが通用したともいえるわ。普通なら断られて終わりよ」
鋭い指摘の星彩に、○は乾いた笑顔を向ける。
「ああ…長いなぁ、ひと月って」
「身体でも鍛えていたらすぐだ!」
そう笑う関平に、星彩は呆れた様な目を向けた。
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呉の柴桑に到着してから、早いものでひと月が過ぎようとしていた。
当初の予定では、十日もあれば婚礼の儀を終わらせて公安へ引き揚げられるはず…
しかし、呉の軍師・周瑜たちの策は執拗だった。
「せっかくの同盟、もっと親交を深めましょう」
「孫尚香殿との婚礼の宴、これしきの規模では足りませぬ」
色々と理由をつけては日程を延ばし、劉備を豪華な邸宅と美酒美女の渦に閉じ込め、荊州へ帰すまいとしていた。
趙雲は、連日のように催される宴席の隅で、微動だにせず劉備を護衛している。
すり寄る女官たちには蜀の将として礼節を保ちつつ、差し出される杯は「主君の警護中につき」と穏やかに辞退し続けた。
しかし当の劉備は毎晩酒と美女に酔うばかり。
言っても聞かない劉備と、その身辺警護。
鎧の下の不格好な人形の感触だけが、奇しくも唯一の心の安らぎだった。
たまに取り出しては縫い目に触れて気を紛らわせていた。
その時、趙雲は出発前に諸葛亮から授かった言葉を思い出す。
すっかり忘れていたが、『年末になっても帰れる気配がなければ開けなさい』と言われていた袋の存在。
趙雲は深夜、劉備が眠りについたのを確認すると、その袋を取り出し中身を改めた。
中には策が記された書状が入っている。
(……なるほど。ここまで見越しておられたか)
それは、主君を叱咤し、この「甘い檻」から連れ出すための計略だった。
”曹操が五十万の兵を率いて荊州へ攻め寄せている”と言う偽の知らせを劉備に伝えると、劉備は大急ぎで荊州に戻ると言い出した。
するとなんと、孫尚香も「妻として共に荊州に行くわ!」と啖呵を切る。
一行は翌日には荊州に帰る船に乗り込んだ。
*****
劉備達が公安をでて、ふた月。
○が山賊退治に行っている間に劉備達は帰還した。
孫尚香は侍女を百人近く連れてきて、公安の城は女性であふれる。
城に着いた趙雲は、真っ先に飛んできそうな○がおらず、辺りを見渡す。
すると関平が駆け寄る。
「おかえりなさい!…○をお探しですか?」
「…いや」
首を振る趙雲に構わず関平は続ける。
「今、○は山賊退治に出ていますよ!夕方には戻ると思いますから、皆様の帰還を伝えておきます」
「なんだ。人がやっと戻ったと思ったら」
「○、ひと月を過ぎたあたりからずっとソワソワしていたので…帰ったら飛んでいくと思います!趙雲殿も報告などで忙しいでしょうし、ちょうどいいかと」
確かに…と、趙雲は鼻をならすと、諸々の手続きをするべく城に入っていった。
それから数刻後。
やっと落ち着いた趙雲は、懐かしい自室に戻り、荷ほどきをしていた。
すると廊下を走ってくる足音がした。
こちらに近づいて来る。
音の主は趙雲の部屋を無断で開けると飛び込んできた。
「子龍様っ!おかえりなさい!」
言うなり○は、背後から思い切り抱きつく。
「あっ!またお前は…!離れろ。動きにくい」
「久しぶりに再会した愛する妻にいう事がそれですか?」
「誰が妻だ。くっつくな。暑い」
「真冬ですよ、いま」
○の腕を解きながら趙雲は呆れたように言う。
「……お前がいなかったから、静かで、実に過ごしやすいふた月だったというのに」
わざとそっけない口調で突き放そうとする趙軍に、○は「はいはい」と返事をして、机に置かれた鎧の手入れをしようと持ち上げた。
するとその隙間から何かがポロリと床にこぼれ落ちる。
それは○が持たせた、あの不気味な造形の布人形。
拾い上げると、出発の時よりもずっと生地が擦れて毛羽立ち、綿が偏っていた。
たったふた月しか経っていないのにこの毛羽立ち様。
随分と擦れていたようだ。
「ふふっ。子龍様、これ、随分と毛羽立ってますね。…かわいいでしょ。手が上手く付けられなかったんですよね。精進しないと」
○が悪戯っぽく笑いながら人形を目の前に突き出すと、趙雲は顔を背ける。
「……うるさい。返せ」
そして奪い返すように人形を取り上げ、引き出しに入れた。
その夜。
夜着を纏った○は、当然のような顔をして趙雲の部屋の扉を開けた。
寝台の上で片肘をつき、竹簡を読み耽っていた趙雲は、○の気配を察したものの書物から視線を外さない。
扉側に背中を向けたまま。
「……自室に戻って寝なさい」
しかし、○がその言葉を素直に聞くはずもなく。
「いいじゃないですか。何もしませんから。お話しだけです。子龍様が寝たら帰ります」
○は遠慮なく寝台へ這い上がると、趙雲の隣にごろりと横たわる。
それでも無視する趙雲の肩越しにのしかかり、手元の書物を覗き込む。
「お疲れじゃないんですか?今日はすぐに寝ると思ったのに」
「…」
ここで下手に反応すればつけあがると思った趙雲は無視を決め込むが、○は構わず話をしていた。
背中を向ける趙雲にへばりつき、とりとめのない話を続けていたが次第に声が小さくなる。
そのうち寝てしまったらしく、背後の気配が薄くなった。
「…………やっとか」
趙雲はようやく振り向いた。
自分の背中にピッタリくっついて寝る○。
もはや見慣れた寝顔だ。
(何が、”子龍様が寝たら帰る”だ。最初からこのつもりだったくせに)
ため息をつきながら名前を呼んで軽く揺するが、やはり起きる気配はない。
趙雲は布団を○にもかけてやりながら(どうせ朝には床で寝ているのだろう)と、○に背中を向けて眠った。
まだ薄暗い時間帯。
趙雲の部屋は二人分の寝息だけが聞こえていた。
○は心地よい微睡の中で、ふと違和感を覚えて目を覚ます。
身体に少し重みがあった。
目を開けると趙雲と向い合せで寝ており、右腕が○の身体に乗っていた。
その手が○のお尻をしっかり掴んでいることに気付いたのは、少し遅れてからだった。
驚いて趙雲を見るが完全に寝ている。
お尻を掴んだまま引き寄せられていて、○の太腿辺りには趙雲の固いものが押し付けられていた。
「お、起きてるんですか?」
小さく尋ねたが熟睡している様子。
さらに趙雲の手は指先を動かして感触を確かめるような仕草まで始めた。
○は心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃に、音もなく寝台を抜け出し、大急ぎで自室へと帰った。
自室の寝台に転がりこんだ○は、思わず逃げてしまった意気地のない自分に後悔する。
(ああ……勿体なかったかなぁ…でも心の準備が出来てなかったから…ああいう時、あそこからどうすれば良かったの…?)
誘い方も、始め方も分からなくて飛び出したが、上手くやれていれば…と悶々としながら朝を待った。
窓から差し込む冬の柔らかな朝日で、趙雲は目を覚ました。
ふた月ぶりに深く、泥のように眠った朝。
やはり呉ではちゃんと眠れていなかった事を実感するくらいにスッキリしていた。
趙雲は目を閉じたままほとんど無意識に隣を探るが、そこには誰もいない。
身を起こして床を見るが、床にもいない。
寝台の下に転がり込んだのかとも思い覗き込んだが、いない。
「……いないのか」
趙雲は乱れた髪をかき上げながら、誰もいない室内を見渡した。
(勝手に上がり込んで勝手に寝て、勝手に帰るとは……)
ゆっくり起き上がると、身支度を済ませて部屋を出る。
朝餉の席で、趙雲は隣に座る○に話しかけた。
「○、今朝はなぜ黙って出て行った。先に起きたのであれば起こしてくれればよかったものを。私は久しぶりに深く眠れたようで、お前に起こされると思っていたから少し寝過ごしてしまった」
「い、いやぁ…」
○は耳まで真っ赤に染め、手元の漬物をじっと見つめたまま、蚊の鳴くような声で答えた。
「だ、だって……子龍様が……寝ぼけて、私のお尻を、その…………すごく、撫でられてて気まずくて……」
趙雲の動きが止まる。
「は、恥ずかしくて……逃げるしかなかったんです! やっぱり私、口では『旦那様』なんて言ってますけど、妻としての自覚が、全然足りないんだなって…ああいう時はどうすれば先に進むのか、また月英さんにお伺いしておかないと…」
○の隣で趙雲は今、自分の手の感覚を必死に思い出そうとしていた。
なんとなくそんな感触はあったような、なかったような。
「……○」
趙雲の声は、もはや消え入りそうなほど掠れていました。
「……すまない。私は、その…何も覚えていない。つまり、断じて、そのような邪なあれでは」
「いいんです! 私がお布団に潜り込んだのがいけないんですから!ただ惜しむらくは、あの時の私の行動次第で既成事実ができたのにという事で…」
「お前は…またそういう…」
ゴニョゴニョと言い合う二人は恥ずかしさのあまり周りが見えていないが、ここは朝の食堂。
周囲にはそれなりに人が座っている。
(その会話をここでするかね。周囲に丸聞こえなんすけど…)
と、近くで朝餉を取る周倉は呆れていた。