桂陽編【全4話】
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趙雲は胸騒ぎに耐えきれず、自室で出立の準備をしていた。
あの樊氏の態度から見るに、村の調査自体が嘘かもしれない。
今からでも探しに行かなくては…と考えていた。
甲冑を締め直し、部屋を出ようとしたその時。
廊下が騒がしくなった。
夜間巡回の兵士が「お待ちください!」と慌てた様な声を出す。
「子龍様!!」
途端に勢いよく扉が開かれ、そこには髪を振り乱し、返り血と泥にまみれた○が立っていた。
その姿はあまりに凄惨で、一瞬、大怪我を負わされたのではないかと趙雲は心臓が跳ね上がった。
「○……!?」
趙雲は驚愕し茫然としていると、○はそんな趙雲を一瞥した後に部屋の中に踏み込む。
「それは怪我か?大丈夫なのか!?」
「大した怪我はありません。相手の血と、ただの泥です。変な小屋に閉じ込められたんです。依頼は嘘でした」
慌てる趙雲をそのままに、部屋の中を見回す。
「やはりか…! すまない、私の不徳の致すところだ。今すぐ趙範殿を…」
「………子龍様一人ですか?」
鋭い目付きで部屋の中をキョロキョロと見渡し始める○。
趙雲の言葉が耳に入っていない様子だ。
クンクンと空気を嗅ぎ、あろうことか趙雲の寝台の下まで這いつくばって覗き込む。
あらかた室内を物色すると、ホッと息をついた。
「ふう。……何ともなかったんですね。女性の香の匂いもしないし、寝具も乱れてないし、どこにも誰も隠れていないし」
○は立ち上がると、先ほどまでの悲壮感はどこへやら、満面の笑みでニコニコと笑う。
「お前……。私がこの隙に樊氏殿を連れ込んでいるとでも思っていたのか?」
趙雲は呆れ果て、脱力したように肩を落とす。
自分は今、彼女を救うためにこんな時間に飛び出そうとしていたのに、当の本人は自分の貞操確認に余念がない。
「あの人、凄く美人でしたからね。子龍様だって男の人ですし、薄着で迫られたら分かりませんもの。あと、月英様に聞いた事を思い出したら恐ろしくて」
「…?恐ろしい?」
「男性と既成事実を作る為に、酩酊状態にして裸にし、隣で寝てしまうという策があるそうなのです。これなら子龍様の意識とは関係なく間違いが起こってしまうと心配で…」
(また余計な事を吹き込まれている…)
趙雲は改めて○を見つめた。
「……全く。いないといないで寂しいが……いたらいたで、これほどまでに大変な相手もいないな」
趙雲はため息をつきながらも、その口角はわずかに上がっていた。
「いいから、湯あみをしてきなさい。泥だらけだぞ」
言われて○は自身の姿を見下ろす。
裾も破れているし、返り血に泥も撥ねている。
「本当ですね。夢中で……そうだ、子龍様。一緒に入りませんか?」
突然そんな事をねだる○。
「何を……何を言い出すんだ、お前は!!」
趙雲の怒鳴り声が、深夜の城内に響く。
「子龍様、私が怪我していないか心配じゃないですか?確認してください!……ここなら誰も見てないし、桂陽にいる今しかこんな機会はありませんよ」
「引っ張るのはやめなさい」
○は服の裾を掴んでグイグイと彼を引っ張るも、趙雲は一歩も動かない。
視線は泳ぎまくっている。
「えぇっ!子龍様だって、本当は私とゆっくりしたいって思ってるクセに!」
「思っていない。女官に手伝ってもらいなさい。怪我をしていたら報告するように」
○は最近気づいた事がある。
(子龍様って、照れてると言葉に感情がなくなるのよね…)
そして今まさに彼はその状態。
趙雲は部屋から顔を出すと見張りの兵士に女官を呼んでもらい、○を連れて行かせた。
最後まで不服そうな○を見送った趙雲は大きくため息をつく。
(……だが、無事でよかった。本当に……)
ああは言ったが、○の無事に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
そして趙雲も最近分かった事がある。
(○は相当たくましい)
怪我は擦り傷程度で、大したことがなかったと女官に聞いた趙雲。
それならば一安心…と寝台に入ったが、ほどなくして○が部屋に入ってきた。
趙雲の掛け布団を捲ろうとするので内側から引っ張る。
「何をしている。出ていけ」
「一人で寝るの、怖いです。怖い目に遭ったので」
「相手の頭をカチ割ってきたと得意げだったろう」
「それでも怖かったんです」
しおらしく嘘を並べ立てる○。
流石の趙雲も見抜いていたが、今日は○の事を散々心配していた事もあって観念した。
「……分かった。だが、あちらの寝台で寝ると約束できるか?」
趙雲は三つある寝台の、一番遠いものを指さした。
何度も釘を刺して、三つ並んだ寝台の両端を使うことにしたのだが…
趙雲が目を閉じて数分もしないうちに、ゴト……ゴト……と不穏な振動が伝わってくる。
目を凝らすと、○が二台の寝台を引きずり、趙雲の寝台にピタリと隙間なく三つ連結させていた。
「……○。トンチをするな」
「大丈夫です。くっつけただけでちゃんと一番端で寝ますから!おやすみなさい、子龍様」
趙雲が文句を言う間もなく、○は泥のように眠りに落ちてしまった。
趙雲もまた、慣れない太守の激務と、○を奪還するための極限の緊張から解放され、抗いようのない眠気に襲われる。
(……明日、しっかりと言い聞かせねば……)
そんな決意も長持ちせず、深い眠りへと落ちていった。
人の気配に、趙雲の眠気が少しずつ薄れていく。
右手に伝わる謎の感触。
(……? 何だ、これは…)
寝ぼけ眼で目を開けた趙雲は、次の瞬間、心臓が口から飛び出るほどの衝撃を受けた。
○は床の方向ではなく趙雲の方向に寝相で転がってきたらしい。
連結されていた寝台を伝って○は趙雲のすぐ隣にいた。
そして趙雲の大きな右拳は、あろうことか、はだけた薄い寝間着越しに、○の胸をがっしりと鷲掴みにしている。
趙雲は全身の血が逆流するような感覚に陥った。
指先に伝わる柔らかな感触。
そして掴まれている当の本人は、一度寝たら床を転がっても起きない猛者。
この程度ではビクともせずに、温かいのかその手に擦り寄ってくる始末。
思えば長坂で○と再会し、今日まで片時も離れず歩んできた数年間。
○の監視の元で戦場に身を置き、常に死と隣り合わせだった趙雲にとって、生身の女性の柔肌に触れる機会など皆無だった。
どうしようもない日は誰に知られることもなく一人、静かに慰める夜もあった。
だからこそ、今、手のひらに収まっているそれは猛毒だった。
(……これ以上意識してはいけない……そうだ。張飛殿の顔を思い浮かべよう)
そう思えば思うほど、思考とは裏腹に右手の感覚は鋭敏さを増していく。
薄い衣越しに伝わる体温。
なんなら胸の先の感触まである。
赤壁の幕舎で見てしまった○の初々しい桃色の胸と、すべすべとした太腿の感触まで記憶の中から顔を出す。
今になって、○と事故でしてしまった痛いだけの口づけの感触まで蘇る。
○なら――。
彼女なら、今このまま強引に口づけ抱きよせても、驚きこそすれ、きっと自分を受け入れてくれるだろう。
男性経験のない○をどう解きほぐしてあげればいいのかまで考えてしまう。
太腿の隙間に膝を割り入れ、一つになれたならこの苦しみも……。
「…駄目だ」
そこまで想像してしまい、趙雲は精神的な限界を迎える。
右手の幸福感に比べて、もはや拷問に近い苦しみだ。
あれだけ否定し拒絶してきた○を淫らな視線で見てしまっている自分への嫌悪と、抑えきれない下半身の疼き。
早く厠にでも行って鎮めなければ。
でも下手に動いて○に起きられても困る。
こんな現場を見られたら、また調子に乗って次は何をしてくるか分からない。
○に女性的魅力を何も感じていない姿を見せ続けなくては。
するとその時、○が「うーん……」と小さく声を漏らし、趙雲から逃れるように反対側へと寝返りを打った。
ふっ、と右手が解放される。
趙雲は途端に弾かれたように寝台から飛び起きると、足音を立てない様に素早く部屋を飛び出し、そのままの勢いで厠へと駆け込んだ。
静まり返った室内。
趙雲が去った後、寝返りを打ったはずの○がゆっくりと目を開けた。
「…………ふぅ」
布団に顔を半分うずめた○は、顔が真っ赤だった。
趙雲が思わず上げた声に目を覚ましていたのだ。
気付いた時には趙雲が手を動かさない様に○の胸を鷲掴みにしていたから、これは起きてはいけないと察してこうした。
○の体には、まだ趙雲の掌の熱い残像がこびりついている。
少し残念なような、けれど彼のあの「真面目すぎる苦悩」が愛おしくてたまらないような。
趙雲は必死で気づいていないかもしれないが、○からすれば趙雲の呼吸はかなり荒かった。
あれだけ堪えている彼に気付いているのを知られるのは申し訳ない気がしたのだ。
(朝餉の時、どんな感じなのか楽しみだわ)
○は小さく笑った。
あの樊氏の態度から見るに、村の調査自体が嘘かもしれない。
今からでも探しに行かなくては…と考えていた。
甲冑を締め直し、部屋を出ようとしたその時。
廊下が騒がしくなった。
夜間巡回の兵士が「お待ちください!」と慌てた様な声を出す。
「子龍様!!」
途端に勢いよく扉が開かれ、そこには髪を振り乱し、返り血と泥にまみれた○が立っていた。
その姿はあまりに凄惨で、一瞬、大怪我を負わされたのではないかと趙雲は心臓が跳ね上がった。
「○……!?」
趙雲は驚愕し茫然としていると、○はそんな趙雲を一瞥した後に部屋の中に踏み込む。
「それは怪我か?大丈夫なのか!?」
「大した怪我はありません。相手の血と、ただの泥です。変な小屋に閉じ込められたんです。依頼は嘘でした」
慌てる趙雲をそのままに、部屋の中を見回す。
「やはりか…! すまない、私の不徳の致すところだ。今すぐ趙範殿を…」
「………子龍様一人ですか?」
鋭い目付きで部屋の中をキョロキョロと見渡し始める○。
趙雲の言葉が耳に入っていない様子だ。
クンクンと空気を嗅ぎ、あろうことか趙雲の寝台の下まで這いつくばって覗き込む。
あらかた室内を物色すると、ホッと息をついた。
「ふう。……何ともなかったんですね。女性の香の匂いもしないし、寝具も乱れてないし、どこにも誰も隠れていないし」
○は立ち上がると、先ほどまでの悲壮感はどこへやら、満面の笑みでニコニコと笑う。
「お前……。私がこの隙に樊氏殿を連れ込んでいるとでも思っていたのか?」
趙雲は呆れ果て、脱力したように肩を落とす。
自分は今、彼女を救うためにこんな時間に飛び出そうとしていたのに、当の本人は自分の貞操確認に余念がない。
「あの人、凄く美人でしたからね。子龍様だって男の人ですし、薄着で迫られたら分かりませんもの。あと、月英様に聞いた事を思い出したら恐ろしくて」
「…?恐ろしい?」
「男性と既成事実を作る為に、酩酊状態にして裸にし、隣で寝てしまうという策があるそうなのです。これなら子龍様の意識とは関係なく間違いが起こってしまうと心配で…」
(また余計な事を吹き込まれている…)
趙雲は改めて○を見つめた。
「……全く。いないといないで寂しいが……いたらいたで、これほどまでに大変な相手もいないな」
趙雲はため息をつきながらも、その口角はわずかに上がっていた。
「いいから、湯あみをしてきなさい。泥だらけだぞ」
言われて○は自身の姿を見下ろす。
裾も破れているし、返り血に泥も撥ねている。
「本当ですね。夢中で……そうだ、子龍様。一緒に入りませんか?」
突然そんな事をねだる○。
「何を……何を言い出すんだ、お前は!!」
趙雲の怒鳴り声が、深夜の城内に響く。
「子龍様、私が怪我していないか心配じゃないですか?確認してください!……ここなら誰も見てないし、桂陽にいる今しかこんな機会はありませんよ」
「引っ張るのはやめなさい」
○は服の裾を掴んでグイグイと彼を引っ張るも、趙雲は一歩も動かない。
視線は泳ぎまくっている。
「えぇっ!子龍様だって、本当は私とゆっくりしたいって思ってるクセに!」
「思っていない。女官に手伝ってもらいなさい。怪我をしていたら報告するように」
○は最近気づいた事がある。
(子龍様って、照れてると言葉に感情がなくなるのよね…)
そして今まさに彼はその状態。
趙雲は部屋から顔を出すと見張りの兵士に女官を呼んでもらい、○を連れて行かせた。
最後まで不服そうな○を見送った趙雲は大きくため息をつく。
(……だが、無事でよかった。本当に……)
ああは言ったが、○の無事に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
そして趙雲も最近分かった事がある。
(○は相当たくましい)
怪我は擦り傷程度で、大したことがなかったと女官に聞いた趙雲。
それならば一安心…と寝台に入ったが、ほどなくして○が部屋に入ってきた。
趙雲の掛け布団を捲ろうとするので内側から引っ張る。
「何をしている。出ていけ」
「一人で寝るの、怖いです。怖い目に遭ったので」
「相手の頭をカチ割ってきたと得意げだったろう」
「それでも怖かったんです」
しおらしく嘘を並べ立てる○。
流石の趙雲も見抜いていたが、今日は○の事を散々心配していた事もあって観念した。
「……分かった。だが、あちらの寝台で寝ると約束できるか?」
趙雲は三つある寝台の、一番遠いものを指さした。
何度も釘を刺して、三つ並んだ寝台の両端を使うことにしたのだが…
趙雲が目を閉じて数分もしないうちに、ゴト……ゴト……と不穏な振動が伝わってくる。
目を凝らすと、○が二台の寝台を引きずり、趙雲の寝台にピタリと隙間なく三つ連結させていた。
「……○。トンチをするな」
「大丈夫です。くっつけただけでちゃんと一番端で寝ますから!おやすみなさい、子龍様」
趙雲が文句を言う間もなく、○は泥のように眠りに落ちてしまった。
趙雲もまた、慣れない太守の激務と、○を奪還するための極限の緊張から解放され、抗いようのない眠気に襲われる。
(……明日、しっかりと言い聞かせねば……)
そんな決意も長持ちせず、深い眠りへと落ちていった。
人の気配に、趙雲の眠気が少しずつ薄れていく。
右手に伝わる謎の感触。
(……? 何だ、これは…)
寝ぼけ眼で目を開けた趙雲は、次の瞬間、心臓が口から飛び出るほどの衝撃を受けた。
○は床の方向ではなく趙雲の方向に寝相で転がってきたらしい。
連結されていた寝台を伝って○は趙雲のすぐ隣にいた。
そして趙雲の大きな右拳は、あろうことか、はだけた薄い寝間着越しに、○の胸をがっしりと鷲掴みにしている。
趙雲は全身の血が逆流するような感覚に陥った。
指先に伝わる柔らかな感触。
そして掴まれている当の本人は、一度寝たら床を転がっても起きない猛者。
この程度ではビクともせずに、温かいのかその手に擦り寄ってくる始末。
思えば長坂で○と再会し、今日まで片時も離れず歩んできた数年間。
○の監視の元で戦場に身を置き、常に死と隣り合わせだった趙雲にとって、生身の女性の柔肌に触れる機会など皆無だった。
どうしようもない日は誰に知られることもなく一人、静かに慰める夜もあった。
だからこそ、今、手のひらに収まっているそれは猛毒だった。
(……これ以上意識してはいけない……そうだ。張飛殿の顔を思い浮かべよう)
そう思えば思うほど、思考とは裏腹に右手の感覚は鋭敏さを増していく。
薄い衣越しに伝わる体温。
なんなら胸の先の感触まである。
赤壁の幕舎で見てしまった○の初々しい桃色の胸と、すべすべとした太腿の感触まで記憶の中から顔を出す。
今になって、○と事故でしてしまった痛いだけの口づけの感触まで蘇る。
○なら――。
彼女なら、今このまま強引に口づけ抱きよせても、驚きこそすれ、きっと自分を受け入れてくれるだろう。
男性経験のない○をどう解きほぐしてあげればいいのかまで考えてしまう。
太腿の隙間に膝を割り入れ、一つになれたならこの苦しみも……。
「…駄目だ」
そこまで想像してしまい、趙雲は精神的な限界を迎える。
右手の幸福感に比べて、もはや拷問に近い苦しみだ。
あれだけ否定し拒絶してきた○を淫らな視線で見てしまっている自分への嫌悪と、抑えきれない下半身の疼き。
早く厠にでも行って鎮めなければ。
でも下手に動いて○に起きられても困る。
こんな現場を見られたら、また調子に乗って次は何をしてくるか分からない。
○に女性的魅力を何も感じていない姿を見せ続けなくては。
するとその時、○が「うーん……」と小さく声を漏らし、趙雲から逃れるように反対側へと寝返りを打った。
ふっ、と右手が解放される。
趙雲は途端に弾かれたように寝台から飛び起きると、足音を立てない様に素早く部屋を飛び出し、そのままの勢いで厠へと駆け込んだ。
静まり返った室内。
趙雲が去った後、寝返りを打ったはずの○がゆっくりと目を開けた。
「…………ふぅ」
布団に顔を半分うずめた○は、顔が真っ赤だった。
趙雲が思わず上げた声に目を覚ましていたのだ。
気付いた時には趙雲が手を動かさない様に○の胸を鷲掴みにしていたから、これは起きてはいけないと察してこうした。
○の体には、まだ趙雲の掌の熱い残像がこびりついている。
少し残念なような、けれど彼のあの「真面目すぎる苦悩」が愛おしくてたまらないような。
趙雲は必死で気づいていないかもしれないが、○からすれば趙雲の呼吸はかなり荒かった。
あれだけ堪えている彼に気付いているのを知られるのは申し訳ない気がしたのだ。
(朝餉の時、どんな感じなのか楽しみだわ)
○は小さく笑った。