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翌日の朝。
兵たちの活気に満ちた食堂の椅子に座り食事をとる○。
そこへ、背後から音もなく近づいた影が、手にした盆で○の頭を軽く叩く。
ムッとした顔で振り向いた○に、馬超がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、盆を片手で回しながら隣に腰を下ろした。
「峰打ちだ。無防備だぞ」
「……何の真似?そこに座るな」
「なんだよ、つれないな。昨夜はあんなに必死な顔で、俺の風呂にまで飛び込んできたくせに」
馬超は周囲の兵に聞こえんばかりの声で、昨夜の痴態を蒸し返す。
「よかったな。あの趙雲の裸まで拝めるとは。城の女どもに羨ましがられるぞ」
昨夜の光景が脳裏に蘇り、○は一気に顔を赤くして馬超を鋭く睨みつけると、急いで食堂を出て行った。
「……これ、綺麗に消すのは難しいかもしれないわね。結構深くやられちゃってるし」
医務室で×は、○の額に手慣れた手つきで薬を塗っている。
眉を寄せて○の顔を覗き込む。
「いいんですよ。顔なんて、どうでも」
「えー!鏡で傷を見るたびに相手の事を思い出すんですよ?嫌じゃないですか?」
「そう…かな」
○は前髪を触りながら鏡の中の自分を見つめる。
憎しみであれ何であれ、奴が刻んだ証が自分の体の一部として残り続ける。
確かにその事実に、言いようのない寒気がする。
手当を終えて医務室を出て行く○。
外で趙雲が控えていたのと反対方向に歩いて行く。
医務室を覗くと、×が 「行ってあげてください」 と小声で言った。
「○殿。少し、時間をいただけないだろうか」
○は立ち止まり振り向いた。
「いつまでこんな事を繰り返すのですか」
”こんな事”というのは馬超への復讐だろう。
趙雲の瞳には憂いが宿っている。
「私はこれまで、復讐に身を投じた者を幾人も見てきた。だが、その果てに辿り着いた者に安らぎが訪れたためしはない」
しかし、○はその言葉を乾いた笑みと共に受け流す。
「趙雲殿。今の私は、死にきれずに無様に生き延びてしまっただけの……余白のような時間なのです。馬超への復讐の為だけの
余命……ですから、その先に何もなくていいのです。安らぎなどいりません」
趙雲は言葉を失った。
「あなたは、その懐中にある家宝の刀と、あの日、あなたの身代わりとなって散っていった方々に生かされているのです。私は、馬超殿への復讐心で○殿が生きているなどとは思わない」
「趙雲殿……。あなたは、私のような人間に関わらない方がいいですよ。きっと理解してもらえないし」
だが趙雲は引き下がらない。
「……放っておけぬのだ。○殿には安らかな未来に生きてほしい……それが、傲慢な願いだとしてもだ」
趙雲の言葉が○の心を抉る。
返すべき言葉が見つからず、○は何も応えないまま背を向けた。
自室に戻った○は、寝台に寝転んだまま夜を迎えた。
何度も何度も趙雲の言葉が○の心に突き刺さる。
頭の中を趙雲の声が反響し、胸が騒いで落ち着かない。
何かをしていなければ苦しい。
(大丈夫。きっと馬超を殺せばこの気持ちもおさまる)
○が向かったのは馬超の宿舎だ。
なるべく殺気を削ぎ、気配を殺して建物へと潜り込む。
これまでの襲撃で覚えた守備の薄い裏手から入り、静まり返った廊下を抜けて寝室へと足を踏み入れる。
暗がりのなか、膨らんだ寝台が見える。
そちらへ一歩踏み出した、その時。
「――いつも同じ道筋で入ってくるな。芸のない」
背後から低くよく通る声がした。
驚いて振り向くと、窓際で空を眺めている馬超の姿があった。
彼はまたしても褌一枚という、あられもない姿で立っている。
「…この!!!」
○は懐刀を抜き放ち猛然と突き出したが、馬超はそれを半身でかわすと○の手首を掴んでねじり上げる。
ドタバタと激しい物音が狭い部屋に響き、二人は床を転がり、屏風をなぎ倒しながら、やがて部屋の端と端に分かれて対峙した。
「はぁっ…はぁっ…!なんで裸なのよ!」
肩で息をしながら、○は怒鳴りつけた。
「自分の部屋でどんな姿でいようと勝手だ。 むしろお前がそういう時ばかりを狙って、俺のところに飛び込んできているだけだろう」
馬超は呆れたように鼻を鳴らし、間合いを詰めてくる。
「服を纏っていなければ、それだけ刃も深く入るからな。狙いたくなる気持ちもわからんでもない」
馬超はそう言うと、不敵にニヤリと唇を歪めた。
「……だが、そんなに俺の裸に執着するなら、今度はお前が裸で迫ってきたらどうだ? さすがの俺も、少しは隙を見せるかもしれんぞ」
「どこまで人を馬鹿にする!」
屈辱に顔を真っ赤にした○は我を忘れて斬りかかった。
しかしやはりそれをすんなりと避けた馬超は、そのまま○の腹へと強烈な蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ……!!」
身体が宙を舞い、部屋の隅にある堅い柱へと背中から叩きつけられる。
凄まじい衝撃に呼吸が止まり、○はその場に崩れ落ちた。
目がチカチカして、指先一つ動かすこともできない。
痛みに悶える○を見下ろしながら、馬超は静かに歩み寄ってきた。
「……お前は俺のこととなると、途端に冷静さを欠く。刺客としては三流以下だ」
馬超の声から、先ほどまでの嘲笑が消えていた。
彼は褌一枚のまま、動けない○の前に屈み込み、その顎を強引に掴んで上を向かせる。
「……っ、触るな……!」
顎を掴んでいた馬超の手を振り払う。
視界がぐにゃりと歪み、耳の奥で不快な耳鳴りが響く。
脳震盪を起こしかけていることに気づき、○は奥歯を噛み締めた。
このままこの男の前で無防備になるわけにはいかない。
一刻も早く、ここから立ち去らなければ。
○は壁に手をつき、どうにか立ち上がった。
「おい、無理をするな。そこに座っていろ。頭を打ったんだろうが」
慌てたように馬超が言うが、○が聞くわけがない。
「……うる、さ……っ」
虚勢を張って一歩、出口の方へ踏み出す。
だが、二歩目を出そうとした瞬間、平衡感覚を失う。
「…ぅわ!?」
○はそのまま倒れこむ。
その際、そこらにあった文机や書物やらを盛大にひっくり返しながら横転する。
陶器は割れて書物は散らばった。
そのあまりの転がりっぷり。
「はははっ! 景気よく転んだな!」
馬超は堪えきれず豪快な笑い声を上げたが、○はぐったりとして動かなくなった。
その様子を見て、舌打ちしながらもその細い体を抱き上げ、己の寝台へと横たえさせた。
ちょうどその時、割れた陶器の凄まじい音を聞きつけた趙雲が、廊下を駆けてくる足音が響く。
「失礼する、馬超殿! 今の音は何事だ!……まさか、また○殿がおられるのではないか!?」
勢いよく扉が開け放たれ、踏み込んできた趙雲は、馬超の寝台に横たわる○の姿を見て目を見開いた。
「○殿!?…まさか馬超殿…!」
「人聞きが悪いことを言うな。ちょっとやりかえしたら、すっ転んでそこら辺の物を巻き込んで勝手に伸びただけだ。……おい、趙雲。今は動かさん方がいい。頭を強く打っているようだからな」
そう馬超が制止するが、趙雲は○に手を伸ばす。
「しかしここは危険です。○殿が目を覚ました時、また暴れだすかもしれない。私が自室まで…」
「なんだ? 趙雲。お前、そいつの恋人にでもなったつもりか? 随分と熱心なことだな」
「滅相もない! 私はただ、○殿を安全な場所へ送り届けるだけだ!」
趙雲は珍しく声を荒らげ、馬超を鋭く睨みつけた。
「連れて行くのは勝手だが、この女が暴れて散らかした部屋を、俺に一人で片付けろと言うのか? そもそも片付けてから帰すつもりだったんだ。連れて行くなら、代わりに趙雲がここを片付けてから行ってくれ」
「……屁理屈を」
趙雲は呆れ果てて溜息をつきながらも、あまりの散らかり様に床に手を伸ばす。
「……趙雲。ちょうどいい機会だ、一つ聞いておきたいことがある」
趙雲の手が止まる。
馬超の空気がふざけたものでなくなったからだ。
「劉備殿は、行き場を失い、突然ここに転がり込んできた俺を、破格の厚遇で迎えてくださった。それはいい。だが……一方で、一向に俺を戦に出そうとはなさらぬ。『西涼の錦』と持て囃し、立派な爵位と家を与えておきながら、肝心の戦場からは遠ざける。何故だと思う?」
西涼で恐れられてきたその武勇を振るえる、唯一の場である戦場に立てないことは、己の存在意義を否定されるに等しい。
「貴殿の武は、あまりにも鋭すぎるのでしょう。今はまだこの国に馴染むための時間が必要なのだと、劉備殿は考えておられるのではないですか?まだここは、馬超殿の”鞘”になれていないのだと見える」
趙雲は○に視線を移す。
「……○殿は○殿で、仇である馬超殿を見つけ、貴殿を殺すという目的を納まりどころにしてしまっている。復讐以外の生き甲斐を見つけて欲しいと願っているが、私の言葉は届いていない様だ」
その言葉を鼻で笑う馬超。
「……俺からすれば、己の意思ではなく、ただ主君の命で刃を振るうのみのお前の方が、よほど狂人に見える。○の様に確固たる意志を持って斬りかかってくる奴の方が理解できるな」
馬超は寝台の縁に腰を下ろし、脚を投げ出した。
主君への絶対的な忠誠を生きる指標とする趙雲と、己の渇望のみを信じて突き進んできた馬超。
それ以上に会話が続かず、部屋は沈黙に包まれた。
すると、寝台に横たわった○が微かに眉を寄せ身じろぎした。
馬超はその様子をじっと見つめていたが身を乗り出すと、大きな手で○の胸を無造作に掴んだ。
そしてその手はグッと揉む様な動きをする。
後ろに控えていた趙雲の顔が驚愕に染まった。
彼は悲鳴を上げんばかりに電光石火の速さで二人の間に割り込むと、馬超の肩を突き飛ばすようにして、強引にその体を引き剥がした。
「……何を考えておられるのだ! 意識のない女人に、あろうことかこのような不埒な真似を!」
「なんだよ。女かどうか確かめただけだ。こいつ、かなり身体が堅くてな。細身の男ではなく、ちゃんと乳房があって安心した。ここはどんなに鍛えてもある程度柔らかいんだな。この手の女のモノは触ったことがなかったから、感動すらしている」
趙雲は声も出ない様子で睨みつけた。
「そう熱くなるな。別にコイツに惚れただの好きだのといった、湿気た話をしてるんじゃない。目の前で無防備に転がっていれば、男なら誰だって手が出るだろうが。そんなに怒るならお前も触ればいい」
「しない…!なんという卑劣な…!」
趙雲の信じられないものを見る様な目と怒声が、夜の寝室に鋭く響き渡った。
そのあまりの騒ぎに○は目を覚ました。
まだ頭がグラグラする。
「お目覚めか。ここは俺の寝所だ」
「…?」
「忘れたのか? 自分で入り込んできて、勝手に暴れて、案の定返り討ちに遭って……挙げ句、盛大にすっ転んで脳震盪で寝ていたんだよ。おかげで俺の部屋は、ご覧の通りめちゃくちゃだ」
馬超が指し示した先には、割れた陶器や散らばった書物が無残に転がっており、その内のいくつかを趙雲が片付けた様子がある。
○は一気に血の気が引くと同時に、あまりのバツの悪さに俯いた。
「それは…」
「馬超殿、もう良いでしょう…○殿、さあ、こちらへ」
半ば無理矢理○を立たせた趙雲は、そのまま背中に隠すようにして立ちふさがり、馬超を鋭く一瞥すると急ぎ足で部屋を出て行った。
兵たちの活気に満ちた食堂の椅子に座り食事をとる○。
そこへ、背後から音もなく近づいた影が、手にした盆で○の頭を軽く叩く。
ムッとした顔で振り向いた○に、馬超がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、盆を片手で回しながら隣に腰を下ろした。
「峰打ちだ。無防備だぞ」
「……何の真似?そこに座るな」
「なんだよ、つれないな。昨夜はあんなに必死な顔で、俺の風呂にまで飛び込んできたくせに」
馬超は周囲の兵に聞こえんばかりの声で、昨夜の痴態を蒸し返す。
「よかったな。あの趙雲の裸まで拝めるとは。城の女どもに羨ましがられるぞ」
昨夜の光景が脳裏に蘇り、○は一気に顔を赤くして馬超を鋭く睨みつけると、急いで食堂を出て行った。
「……これ、綺麗に消すのは難しいかもしれないわね。結構深くやられちゃってるし」
医務室で×は、○の額に手慣れた手つきで薬を塗っている。
眉を寄せて○の顔を覗き込む。
「いいんですよ。顔なんて、どうでも」
「えー!鏡で傷を見るたびに相手の事を思い出すんですよ?嫌じゃないですか?」
「そう…かな」
○は前髪を触りながら鏡の中の自分を見つめる。
憎しみであれ何であれ、奴が刻んだ証が自分の体の一部として残り続ける。
確かにその事実に、言いようのない寒気がする。
手当を終えて医務室を出て行く○。
外で趙雲が控えていたのと反対方向に歩いて行く。
医務室を覗くと、×が 「行ってあげてください」 と小声で言った。
「○殿。少し、時間をいただけないだろうか」
○は立ち止まり振り向いた。
「いつまでこんな事を繰り返すのですか」
”こんな事”というのは馬超への復讐だろう。
趙雲の瞳には憂いが宿っている。
「私はこれまで、復讐に身を投じた者を幾人も見てきた。だが、その果てに辿り着いた者に安らぎが訪れたためしはない」
しかし、○はその言葉を乾いた笑みと共に受け流す。
「趙雲殿。今の私は、死にきれずに無様に生き延びてしまっただけの……余白のような時間なのです。馬超への復讐の為だけの
余命……ですから、その先に何もなくていいのです。安らぎなどいりません」
趙雲は言葉を失った。
「あなたは、その懐中にある家宝の刀と、あの日、あなたの身代わりとなって散っていった方々に生かされているのです。私は、馬超殿への復讐心で○殿が生きているなどとは思わない」
「趙雲殿……。あなたは、私のような人間に関わらない方がいいですよ。きっと理解してもらえないし」
だが趙雲は引き下がらない。
「……放っておけぬのだ。○殿には安らかな未来に生きてほしい……それが、傲慢な願いだとしてもだ」
趙雲の言葉が○の心を抉る。
返すべき言葉が見つからず、○は何も応えないまま背を向けた。
自室に戻った○は、寝台に寝転んだまま夜を迎えた。
何度も何度も趙雲の言葉が○の心に突き刺さる。
頭の中を趙雲の声が反響し、胸が騒いで落ち着かない。
何かをしていなければ苦しい。
(大丈夫。きっと馬超を殺せばこの気持ちもおさまる)
○が向かったのは馬超の宿舎だ。
なるべく殺気を削ぎ、気配を殺して建物へと潜り込む。
これまでの襲撃で覚えた守備の薄い裏手から入り、静まり返った廊下を抜けて寝室へと足を踏み入れる。
暗がりのなか、膨らんだ寝台が見える。
そちらへ一歩踏み出した、その時。
「――いつも同じ道筋で入ってくるな。芸のない」
背後から低くよく通る声がした。
驚いて振り向くと、窓際で空を眺めている馬超の姿があった。
彼はまたしても褌一枚という、あられもない姿で立っている。
「…この!!!」
○は懐刀を抜き放ち猛然と突き出したが、馬超はそれを半身でかわすと○の手首を掴んでねじり上げる。
ドタバタと激しい物音が狭い部屋に響き、二人は床を転がり、屏風をなぎ倒しながら、やがて部屋の端と端に分かれて対峙した。
「はぁっ…はぁっ…!なんで裸なのよ!」
肩で息をしながら、○は怒鳴りつけた。
「自分の部屋でどんな姿でいようと勝手だ。 むしろお前がそういう時ばかりを狙って、俺のところに飛び込んできているだけだろう」
馬超は呆れたように鼻を鳴らし、間合いを詰めてくる。
「服を纏っていなければ、それだけ刃も深く入るからな。狙いたくなる気持ちもわからんでもない」
馬超はそう言うと、不敵にニヤリと唇を歪めた。
「……だが、そんなに俺の裸に執着するなら、今度はお前が裸で迫ってきたらどうだ? さすがの俺も、少しは隙を見せるかもしれんぞ」
「どこまで人を馬鹿にする!」
屈辱に顔を真っ赤にした○は我を忘れて斬りかかった。
しかしやはりそれをすんなりと避けた馬超は、そのまま○の腹へと強烈な蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ……!!」
身体が宙を舞い、部屋の隅にある堅い柱へと背中から叩きつけられる。
凄まじい衝撃に呼吸が止まり、○はその場に崩れ落ちた。
目がチカチカして、指先一つ動かすこともできない。
痛みに悶える○を見下ろしながら、馬超は静かに歩み寄ってきた。
「……お前は俺のこととなると、途端に冷静さを欠く。刺客としては三流以下だ」
馬超の声から、先ほどまでの嘲笑が消えていた。
彼は褌一枚のまま、動けない○の前に屈み込み、その顎を強引に掴んで上を向かせる。
「……っ、触るな……!」
顎を掴んでいた馬超の手を振り払う。
視界がぐにゃりと歪み、耳の奥で不快な耳鳴りが響く。
脳震盪を起こしかけていることに気づき、○は奥歯を噛み締めた。
このままこの男の前で無防備になるわけにはいかない。
一刻も早く、ここから立ち去らなければ。
○は壁に手をつき、どうにか立ち上がった。
「おい、無理をするな。そこに座っていろ。頭を打ったんだろうが」
慌てたように馬超が言うが、○が聞くわけがない。
「……うる、さ……っ」
虚勢を張って一歩、出口の方へ踏み出す。
だが、二歩目を出そうとした瞬間、平衡感覚を失う。
「…ぅわ!?」
○はそのまま倒れこむ。
その際、そこらにあった文机や書物やらを盛大にひっくり返しながら横転する。
陶器は割れて書物は散らばった。
そのあまりの転がりっぷり。
「はははっ! 景気よく転んだな!」
馬超は堪えきれず豪快な笑い声を上げたが、○はぐったりとして動かなくなった。
その様子を見て、舌打ちしながらもその細い体を抱き上げ、己の寝台へと横たえさせた。
ちょうどその時、割れた陶器の凄まじい音を聞きつけた趙雲が、廊下を駆けてくる足音が響く。
「失礼する、馬超殿! 今の音は何事だ!……まさか、また○殿がおられるのではないか!?」
勢いよく扉が開け放たれ、踏み込んできた趙雲は、馬超の寝台に横たわる○の姿を見て目を見開いた。
「○殿!?…まさか馬超殿…!」
「人聞きが悪いことを言うな。ちょっとやりかえしたら、すっ転んでそこら辺の物を巻き込んで勝手に伸びただけだ。……おい、趙雲。今は動かさん方がいい。頭を強く打っているようだからな」
そう馬超が制止するが、趙雲は○に手を伸ばす。
「しかしここは危険です。○殿が目を覚ました時、また暴れだすかもしれない。私が自室まで…」
「なんだ? 趙雲。お前、そいつの恋人にでもなったつもりか? 随分と熱心なことだな」
「滅相もない! 私はただ、○殿を安全な場所へ送り届けるだけだ!」
趙雲は珍しく声を荒らげ、馬超を鋭く睨みつけた。
「連れて行くのは勝手だが、この女が暴れて散らかした部屋を、俺に一人で片付けろと言うのか? そもそも片付けてから帰すつもりだったんだ。連れて行くなら、代わりに趙雲がここを片付けてから行ってくれ」
「……屁理屈を」
趙雲は呆れ果てて溜息をつきながらも、あまりの散らかり様に床に手を伸ばす。
「……趙雲。ちょうどいい機会だ、一つ聞いておきたいことがある」
趙雲の手が止まる。
馬超の空気がふざけたものでなくなったからだ。
「劉備殿は、行き場を失い、突然ここに転がり込んできた俺を、破格の厚遇で迎えてくださった。それはいい。だが……一方で、一向に俺を戦に出そうとはなさらぬ。『西涼の錦』と持て囃し、立派な爵位と家を与えておきながら、肝心の戦場からは遠ざける。何故だと思う?」
西涼で恐れられてきたその武勇を振るえる、唯一の場である戦場に立てないことは、己の存在意義を否定されるに等しい。
「貴殿の武は、あまりにも鋭すぎるのでしょう。今はまだこの国に馴染むための時間が必要なのだと、劉備殿は考えておられるのではないですか?まだここは、馬超殿の”鞘”になれていないのだと見える」
趙雲は○に視線を移す。
「……○殿は○殿で、仇である馬超殿を見つけ、貴殿を殺すという目的を納まりどころにしてしまっている。復讐以外の生き甲斐を見つけて欲しいと願っているが、私の言葉は届いていない様だ」
その言葉を鼻で笑う馬超。
「……俺からすれば、己の意思ではなく、ただ主君の命で刃を振るうのみのお前の方が、よほど狂人に見える。○の様に確固たる意志を持って斬りかかってくる奴の方が理解できるな」
馬超は寝台の縁に腰を下ろし、脚を投げ出した。
主君への絶対的な忠誠を生きる指標とする趙雲と、己の渇望のみを信じて突き進んできた馬超。
それ以上に会話が続かず、部屋は沈黙に包まれた。
すると、寝台に横たわった○が微かに眉を寄せ身じろぎした。
馬超はその様子をじっと見つめていたが身を乗り出すと、大きな手で○の胸を無造作に掴んだ。
そしてその手はグッと揉む様な動きをする。
後ろに控えていた趙雲の顔が驚愕に染まった。
彼は悲鳴を上げんばかりに電光石火の速さで二人の間に割り込むと、馬超の肩を突き飛ばすようにして、強引にその体を引き剥がした。
「……何を考えておられるのだ! 意識のない女人に、あろうことかこのような不埒な真似を!」
「なんだよ。女かどうか確かめただけだ。こいつ、かなり身体が堅くてな。細身の男ではなく、ちゃんと乳房があって安心した。ここはどんなに鍛えてもある程度柔らかいんだな。この手の女のモノは触ったことがなかったから、感動すらしている」
趙雲は声も出ない様子で睨みつけた。
「そう熱くなるな。別にコイツに惚れただの好きだのといった、湿気た話をしてるんじゃない。目の前で無防備に転がっていれば、男なら誰だって手が出るだろうが。そんなに怒るならお前も触ればいい」
「しない…!なんという卑劣な…!」
趙雲の信じられないものを見る様な目と怒声が、夜の寝室に鋭く響き渡った。
そのあまりの騒ぎに○は目を覚ました。
まだ頭がグラグラする。
「お目覚めか。ここは俺の寝所だ」
「…?」
「忘れたのか? 自分で入り込んできて、勝手に暴れて、案の定返り討ちに遭って……挙げ句、盛大にすっ転んで脳震盪で寝ていたんだよ。おかげで俺の部屋は、ご覧の通りめちゃくちゃだ」
馬超が指し示した先には、割れた陶器や散らばった書物が無残に転がっており、その内のいくつかを趙雲が片付けた様子がある。
○は一気に血の気が引くと同時に、あまりのバツの悪さに俯いた。
「それは…」
「馬超殿、もう良いでしょう…○殿、さあ、こちらへ」
半ば無理矢理○を立たせた趙雲は、そのまま背中に隠すようにして立ちふさがり、馬超を鋭く一瞥すると急ぎ足で部屋を出て行った。