共通ルート
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
×が去っていった廊下を、趙雲は○に合わせて歩いた。
成都の夕暮れは静かだ。
そこに○の乾いた呟きが落ちた。
「……早く、馬超を殺してしまいたい」
隣を歩く趙雲が強張る。
何か言おうと口を開こうとした時。
「なんだ。やはりお前は、俺を殺したかったのか」
背後から突き刺さったのは、馬超の声だった。
馬超はゆっくりと、獣のような足取りで近づいてくる。
その双眸には先刻までの無邪気さはなく、鋭く研ぎ澄まされていた。
「お前は誰だ。……どの城にいた」
その問いは、かつて彼が踏み躙ってきた数多の地への無関心さを際立たせる。
「馬超殿、今は…」
「退いてください、趙雲殿」
思わず趙雲が間に入ろうとするが、○の方が先に立つ。
普段の彼女からは想像もつかない気迫は、趙雲も何度か戦場で浴びたことがある。
刺し違えてでも相手を殺そうとする兵士のものと同じだ。
馬超は○の眼前にまで歩み寄る。
「……どの城にいた、と訊いている」
その時、○の手が背中に回る。
○の背後にいた趙雲は、彼女が背中にあの兄の形見の懐刀を忍ばせていることに気付いた。
慌ててその手を掴む。
「離してください!」
懐刀を抜かせない趙雲に○が暴れる。
もみ合う拍子にそれが床に落ちた。
カラン、と、乾いた音が、静寂の回廊に響く。
馬超の視線が、床に落ちた刀に注がれる。
趙雲が止める間もなく、馬超は素早い動きでその刀を拾い上げた。
「……これは」
馬超の表情が、初めて微かに変わった。
彼は拾い上げた刀を凝視し、その柄に刻まれた紋を信じられないものを見るかのように見つめる。
そして自らの懐に手を入れ、もう一本の刀を取り出した。
床から拾い上げた、○の兄の形見。
そして、馬超が自らの懐から出したもの。
その二本は柄の形状、鞘の細工、そして刻まれた家紋に至るまでが同じだった。
「そうか。あの女か」
かつて馬超が○の故郷を蹂躙した夜。
殺されかけた○が投げつけた一族の懐刀。
その片割れで、馬超は○の身代わりとなった、兄の婚約者を殺した。
そしてそれを「戦利品」として持ち去り、今も持っていたのだ。
馬超の口から漏れたのは重く熱い吐息だった。
「…………そうか」
彼は手に持った二本の懐刀を見比べ、それからゆっくりと○を見据えた。
その瞳には、獲物を見つけた猛禽のような、ぎらぎらとした悦びが宿っている。
「あの夜、殺したと思っていた鼠が……まさか生きて味方側にいるとはな……」
馬超は○の兄の形見である刀を、無造作に彼女の足元へ放り投げた。
だが彼の手にはもう一本、あの日彼が奪い去った刀が握られたままだ。
「返せ……! それは、私の……!」
○が叫び、趙雲の制止を振り切って飛びかかる。
しかし馬超はその細い手首を易々と掴み上げた。
「返してほしくば、俺を殺して奪ってみせろ。……だが、今の貴様に何ができる? 復讐を口にしながら趙雲の情けに縋り……その様な腑抜けた身体で俺の首が取れると思うな」
馬超の顔が、○の鼻先まで近づく。
○は嫌悪に身を震わせるが、馬超の手首を掴む力は岩のように動かない。
「離せ……ッ!」
自由な方の手を振り上げ、渾身の力でその頬を狙い殴りかかる。
しかし馬超は視線すら動かさず、空いた手でその拳を無造作に受け止めた。
喉を潰さんばかりに怒鳴る○だったが、馬超はその拳を握り込んだまま、容赦なく○の利き腕をひねり上げのしかかる。
「……ぃ…っ、!」
鋭い痛みが走り、○の身体が不自然に折れ曲がる。
「生き生きしてきたな。お前は先ほど、俺の殺気のなさに驚いていたが……なるほどな。俺を殺すことが生き甲斐か。お前は俺のせいで腑抜けてしまったわけだ。気付かずに悪い事をした」
心なしかその声は嬉しそうだ。
馬超はそのまま、○を床に転がすように投げつけた。
背中を打ったのと傷口が開きかけて動けない。
「○殿!」
趙雲が床に転がる彼女のもとへ駆けつけようとするが、馬超はその鋭い眼光で趙雲を睨む。
「やめてやれ。それこそ侮辱だ。コイツは西涼の戦士だ。”気の毒な女”に貶めるな。お前の抱える女官や女兵士とは違う」
「そんなつもりでは…」
ふん、と鼻で息をして馬超は○を見下ろした。
「励めよ、○。いつ何時でも殺しに来ていい。お前が俺を殺すその日まで、この刀は俺が持っておいてやる」
馬超もまた、諸葛亮との一幕をどこからか見ていたのだろう。
彼は奪ったままの懐刀を弄びながら、倒れ伏す○を見下ろした。
「分かるよな。早くせんと、軍師に壊されるぞ」
悠然と背を向け、すっかり日が落ち暗くなった廊下の闇に消えていく馬超。
○は冷たい床に額をこすりつけ、床に爪を立てて震わせた。
諸葛亮の渇いた執着。
趙雲の痛々しいまでの献身。
馬超が突きつけた挑発。
○は耐えきれずにその場にうずくまって声を殺して泣いた。
中庭の喧騒を背に、馬超は月明かりの下で足を止めた。
○から奪い取った一振りの懐刀を月明かりに照らす。
脳裏に蘇るのは、かつての荒れ狂う西涼の風景。
血の匂いと煙、崩れ落ちる城門。
逃げ惑う民や絶望に伏す兵が数多いる中で、身の程もわきまえずに自分へと向かってきた小娘がいた。
その凄まじい眼を忘れるはずがなかった。
馬超は無意識に自らの左頬をなぞった。
薄い一筋の傷跡。
あの日、死に物狂いの彼女が投げつけた懐刀が、錦馬超の肌を裂いた。
数多の戦場を潜り抜けてきた彼にとって、それは名誉ある傷などではない。
あの時は激昂し、○を追い回し、斬った。
結局それは替え玉だったようだが、身代わりになる位の女だ。
○の近親者だろう。
あの日、すべてを蹂躙した馬超は、その後に凄惨な報いを受けた。
愛する妻と子を殺され、再婚した二人目の妻さえも、今は他人の所有物となり果てている。
流浪の果てに劉備へと身を寄せた今の自分は、かつての獅子ではない。
牙は磨り減り、誇りは摩耗し、ただ主君の命に従う一介の将に甘んじている。
それでも、今なお持つ威圧感は、○の様な人間を大勢作ってきた業がべったりと張り付いているからだ。
そしてその業が、あのような怨霊を創り出してしまった。
しかし○の存在が自分の過去を証明する唯一の存在でもあり、馬超の胸には言い様のない興奮が生まれていた。
日が沈み、廊下が真っ暗になっても○はその場に蹲ったまま動かなかった。
叩きつけられた床の冷たさ、兄の形見を奪われた屈辱、そして自分を「戦士」と呼んだ仇の残酷な敬意。
趙雲はその間ずっと、一歩引いた場所で静かに立ち尽くしていた。
今、安易な慰めを口にすれば、彼女の矜持をさらに傷つけると思ったからだ。
やがて、月が天高く昇った頃。
趙雲は、消え入りそうなほど静かな声でそっと語りかけた。
「……○殿。夜が、深まりました」
その声に弾かれたように、○はゆっくりと身体を起こす。
泥と涙に汚れた顔を上げ、焦点の定まらない瞳で夜空を仰ぐ。
趙雲は歩み寄り○の肩に手を添える。
○は拒む力もなく、趙雲に促されるまま立ち上がった。
二人は音のない廊下を通り、○の長屋の宿舎へと向かった。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
こんな時間は、城内とはいえ見回りの兵士くらいしか歩かない。
宿舎の部屋の前に着くと、趙雲は扉を開け、○が中に入るのを見届けてからとに手をかけた。
「今宵は何も考えずお休みください。また、明日」
戸が閉まり、趙雲の足音が遠ざかる。
○は暗闇の中で兄の懐刀を強く握りしめた。
(……今すぐやってやる)
激情が恐怖を塗りつぶしていた。
軍師の毒に当てられ、趙雲の慈悲に甘んじ、馬超に”腑抜け”と嘲笑われる。
全てを捨てて消えるには、この手で仇の心臓を貫くしかない。
○は音もなく窓を抜け出し、夜の闇に紛れて隣の離れ…馬超の宿舎へと向かった。
自室で甲冑を解いていた趙雲は、ふと手を止めた。
隣の馬超の宿舎から、わずかな騒音がする。
起きていなければ気づかない程度ではあるが気になった。
「…まさか」
嫌な予感に趙雲は上衣を羽織る間もなく、槍を手にして隣室に駆けだす。
馬超の寝室に踏み込んだ趙雲は、目を丸くした。
彼の寝室で○が斬りかかっていたからだ。
「ははっ、早速寝込みを襲うとは……恐れ入ったな!」
馬超の低い笑い声が響く。
○は開いていた窓から侵入し、寝静まっているはずの馬超の喉笛を狙って飛びかかった。
しかし馬超がそれだけの殺気を浴びせられて起きない訳もなく。
振り下ろされた○の腕を空中で掴み、その勢いのまま彼女を寝台へとねじ伏せた。
「っ……! 殺してやる、今ここで……っ!」
○は寝台に押し付けられながらも身体をよじり、馬超の胸元へ爪を立てようと足掻く。
乱れた髪が寝具に散らばり、剥き出しになった首筋の包帯は傷が開いて赤くなり、月光に照らされた。
「それだけ殺気を込めて近づかれ、起きぬ将はいないぞ。だが、その無謀さは嫌いではない」
馬超は少し楽しそうに目を細め、○の両手首を一つの手で纏めて頭上に押さえつけた。
もう一方の手で○の頬を撫でる。
「お前なら、色仕掛けで来た方がいいんじゃないのか?」
そう言った馬超の指を食いちぎらんばかりに口を開く。
さっと手を引いた馬超。
「とんでもないじゃじゃ馬だ。指を食いちぎられるところだ」
解放された○は、すぐさま枕元に落ちた懐刀をひったくり、馬超の胸元へと突き出した。
馬超はその切っ先をひらりと躱す。
「そこまで重心がぶれていて俺を刺せるわけがない」
○が斬りかければ背後へ回り、彼女が振り返ればその肩を軽く突いて均衡を崩させる。
大人が幼子をあやすような…猛獣が獲物の息の根を止める前に弄ぶような、残酷なまでの実力差だった。
「っ、お前……ふざけるな……!」
何度も何度も空を切る刃。
○の呼吸は次第に荒くなり、全身に負った打撲の痛みがのしかかる。
やがて、限界を迎えた○の膝が折れた。
そこへ、馬超が背後から彼女の細い腰を抱え込むようにして床にねじ伏せた。
もう抵抗する力もない○はぐったりしており、それを確認すると馬超はあっさりと解放した。
「ほら。今日はもういいだろう」
そう言って寝台の縁に腰を下ろす。
そこでやっと趙雲が一歩踏み込んだ。
「おい、負けたんだから、散らかした部屋を片付けてから帰れよ」
「……誰が」
○は乱れた髪を振り払い、憎しみに満ちた瞳で馬超を睨みつけながら、そのまま部屋を出て行こうとした。
背後で呆気に取られていた趙雲が、声をかけようとした時。
「待て。片付けないなら、今ここでお前の身体を好きにするぞ」
馬超は○の腰を抱き上げると寝台に転がし、○の股の間に身体をねじ込む。
抵抗して起き上がろうとした○の肩を片手だけで固定した。
情事においての挿入時の様な格好になる。
「見ろ。今の貴様に俺を拒む体力など残っていない。力ずくで組み敷かれ、明け方まで俺に弄ばれたいか?片づけをしていけば許してやると言っているのだぞ」
「馬超殿!! 」
流石に趙雲が怒鳴り近づいた。
馬超は趙雲の怒りを受け流し、○の反応を愉しむように目を細めている。
○は屈辱に唇を噛み切り、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
今の自分の無力さを、これほどまでに思い知らされる言葉はない。
「どけ!…片付ける」
そう言って寝台から降りると、散らばった書物や自分が窓から入り込んだ際に倒した燭台を拾い整えた。
趙雲が「手伝いましょう」と手を貸そうとしたが、○はそれを無言で振り払う。
馬超はそんな彼女の背中を静かに見つめ続けていた。
片付けを終え、○が兄の懐刀を握り直して部屋を去ろうとした、その時。
寝台に深く腰掛けた馬超が声をかけた。
「お前は、俺に生かされているって分かってるよな。お前が俺を殺すか、お前が壊れるか。道はその二つに一つしかない。そしていつ俺が返り討ちにするか分からんのだ。真剣にやれよ」
○は何も言わずに部屋を出て行った。
先程だって○は本気だった。
しかし馬超からすれば”本気を出していない”も同然だったという事だ。
趙雲が馬超を鋭く睨みつける。
「なんだよ。言いたい事がありそうだな」
「……馬超殿。人を弄び、その心をこれ以上踏みにじるというのなら、私も黙っていられません」
「あいつは、ああでもしておかないと……あの軍師に壊されるぞ」
その言葉に趙雲は眉間にしわを寄せた。
「……なんと、言いましたか?」
「俺があいつの復讐を受けて立った今、あいつはそうそう壊れぬだろう。俺を殺す許可を得ているのだから。だが、あの諸葛亮は…俺が”近くにいるのに手を出せない”状況を作る事で、あいつを骨抜きにしようとしていたんじゃないか」
馬超は寝台に深く背を預け、天井の闇を見つめた。
「……見ておられたのか。諸葛亮殿が、○殿にされていたことを」
趙雲の問いに、馬超は冷ややかな笑みを浮かべる。
「俺はこの軍に入った来た時から気づいていたぞ。諸葛亮は、気づけば常に○を見ていた。それも執念深い蛇のような目で」
「…」
「まあ、どうなるかは分からん。ただ、俺があいつの仇として立つことで、俺もあいつを監視し始めたことが諸葛亮に伝わるだろう。様子見だな。本来ならあんな女、無視して蹴とばして終いだが…まあ、同族の情けってやつだ」
馬超は「他意はない」と付け加えて趙雲を見た。
成都の夕暮れは静かだ。
そこに○の乾いた呟きが落ちた。
「……早く、馬超を殺してしまいたい」
隣を歩く趙雲が強張る。
何か言おうと口を開こうとした時。
「なんだ。やはりお前は、俺を殺したかったのか」
背後から突き刺さったのは、馬超の声だった。
馬超はゆっくりと、獣のような足取りで近づいてくる。
その双眸には先刻までの無邪気さはなく、鋭く研ぎ澄まされていた。
「お前は誰だ。……どの城にいた」
その問いは、かつて彼が踏み躙ってきた数多の地への無関心さを際立たせる。
「馬超殿、今は…」
「退いてください、趙雲殿」
思わず趙雲が間に入ろうとするが、○の方が先に立つ。
普段の彼女からは想像もつかない気迫は、趙雲も何度か戦場で浴びたことがある。
刺し違えてでも相手を殺そうとする兵士のものと同じだ。
馬超は○の眼前にまで歩み寄る。
「……どの城にいた、と訊いている」
その時、○の手が背中に回る。
○の背後にいた趙雲は、彼女が背中にあの兄の形見の懐刀を忍ばせていることに気付いた。
慌ててその手を掴む。
「離してください!」
懐刀を抜かせない趙雲に○が暴れる。
もみ合う拍子にそれが床に落ちた。
カラン、と、乾いた音が、静寂の回廊に響く。
馬超の視線が、床に落ちた刀に注がれる。
趙雲が止める間もなく、馬超は素早い動きでその刀を拾い上げた。
「……これは」
馬超の表情が、初めて微かに変わった。
彼は拾い上げた刀を凝視し、その柄に刻まれた紋を信じられないものを見るかのように見つめる。
そして自らの懐に手を入れ、もう一本の刀を取り出した。
床から拾い上げた、○の兄の形見。
そして、馬超が自らの懐から出したもの。
その二本は柄の形状、鞘の細工、そして刻まれた家紋に至るまでが同じだった。
「そうか。あの女か」
かつて馬超が○の故郷を蹂躙した夜。
殺されかけた○が投げつけた一族の懐刀。
その片割れで、馬超は○の身代わりとなった、兄の婚約者を殺した。
そしてそれを「戦利品」として持ち去り、今も持っていたのだ。
馬超の口から漏れたのは重く熱い吐息だった。
「…………そうか」
彼は手に持った二本の懐刀を見比べ、それからゆっくりと○を見据えた。
その瞳には、獲物を見つけた猛禽のような、ぎらぎらとした悦びが宿っている。
「あの夜、殺したと思っていた鼠が……まさか生きて味方側にいるとはな……」
馬超は○の兄の形見である刀を、無造作に彼女の足元へ放り投げた。
だが彼の手にはもう一本、あの日彼が奪い去った刀が握られたままだ。
「返せ……! それは、私の……!」
○が叫び、趙雲の制止を振り切って飛びかかる。
しかし馬超はその細い手首を易々と掴み上げた。
「返してほしくば、俺を殺して奪ってみせろ。……だが、今の貴様に何ができる? 復讐を口にしながら趙雲の情けに縋り……その様な腑抜けた身体で俺の首が取れると思うな」
馬超の顔が、○の鼻先まで近づく。
○は嫌悪に身を震わせるが、馬超の手首を掴む力は岩のように動かない。
「離せ……ッ!」
自由な方の手を振り上げ、渾身の力でその頬を狙い殴りかかる。
しかし馬超は視線すら動かさず、空いた手でその拳を無造作に受け止めた。
喉を潰さんばかりに怒鳴る○だったが、馬超はその拳を握り込んだまま、容赦なく○の利き腕をひねり上げのしかかる。
「……ぃ…っ、!」
鋭い痛みが走り、○の身体が不自然に折れ曲がる。
「生き生きしてきたな。お前は先ほど、俺の殺気のなさに驚いていたが……なるほどな。俺を殺すことが生き甲斐か。お前は俺のせいで腑抜けてしまったわけだ。気付かずに悪い事をした」
心なしかその声は嬉しそうだ。
馬超はそのまま、○を床に転がすように投げつけた。
背中を打ったのと傷口が開きかけて動けない。
「○殿!」
趙雲が床に転がる彼女のもとへ駆けつけようとするが、馬超はその鋭い眼光で趙雲を睨む。
「やめてやれ。それこそ侮辱だ。コイツは西涼の戦士だ。”気の毒な女”に貶めるな。お前の抱える女官や女兵士とは違う」
「そんなつもりでは…」
ふん、と鼻で息をして馬超は○を見下ろした。
「励めよ、○。いつ何時でも殺しに来ていい。お前が俺を殺すその日まで、この刀は俺が持っておいてやる」
馬超もまた、諸葛亮との一幕をどこからか見ていたのだろう。
彼は奪ったままの懐刀を弄びながら、倒れ伏す○を見下ろした。
「分かるよな。早くせんと、軍師に壊されるぞ」
悠然と背を向け、すっかり日が落ち暗くなった廊下の闇に消えていく馬超。
○は冷たい床に額をこすりつけ、床に爪を立てて震わせた。
諸葛亮の渇いた執着。
趙雲の痛々しいまでの献身。
馬超が突きつけた挑発。
○は耐えきれずにその場にうずくまって声を殺して泣いた。
中庭の喧騒を背に、馬超は月明かりの下で足を止めた。
○から奪い取った一振りの懐刀を月明かりに照らす。
脳裏に蘇るのは、かつての荒れ狂う西涼の風景。
血の匂いと煙、崩れ落ちる城門。
逃げ惑う民や絶望に伏す兵が数多いる中で、身の程もわきまえずに自分へと向かってきた小娘がいた。
その凄まじい眼を忘れるはずがなかった。
馬超は無意識に自らの左頬をなぞった。
薄い一筋の傷跡。
あの日、死に物狂いの彼女が投げつけた懐刀が、錦馬超の肌を裂いた。
数多の戦場を潜り抜けてきた彼にとって、それは名誉ある傷などではない。
あの時は激昂し、○を追い回し、斬った。
結局それは替え玉だったようだが、身代わりになる位の女だ。
○の近親者だろう。
あの日、すべてを蹂躙した馬超は、その後に凄惨な報いを受けた。
愛する妻と子を殺され、再婚した二人目の妻さえも、今は他人の所有物となり果てている。
流浪の果てに劉備へと身を寄せた今の自分は、かつての獅子ではない。
牙は磨り減り、誇りは摩耗し、ただ主君の命に従う一介の将に甘んじている。
それでも、今なお持つ威圧感は、○の様な人間を大勢作ってきた業がべったりと張り付いているからだ。
そしてその業が、あのような怨霊を創り出してしまった。
しかし○の存在が自分の過去を証明する唯一の存在でもあり、馬超の胸には言い様のない興奮が生まれていた。
日が沈み、廊下が真っ暗になっても○はその場に蹲ったまま動かなかった。
叩きつけられた床の冷たさ、兄の形見を奪われた屈辱、そして自分を「戦士」と呼んだ仇の残酷な敬意。
趙雲はその間ずっと、一歩引いた場所で静かに立ち尽くしていた。
今、安易な慰めを口にすれば、彼女の矜持をさらに傷つけると思ったからだ。
やがて、月が天高く昇った頃。
趙雲は、消え入りそうなほど静かな声でそっと語りかけた。
「……○殿。夜が、深まりました」
その声に弾かれたように、○はゆっくりと身体を起こす。
泥と涙に汚れた顔を上げ、焦点の定まらない瞳で夜空を仰ぐ。
趙雲は歩み寄り○の肩に手を添える。
○は拒む力もなく、趙雲に促されるまま立ち上がった。
二人は音のない廊下を通り、○の長屋の宿舎へと向かった。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
こんな時間は、城内とはいえ見回りの兵士くらいしか歩かない。
宿舎の部屋の前に着くと、趙雲は扉を開け、○が中に入るのを見届けてからとに手をかけた。
「今宵は何も考えずお休みください。また、明日」
戸が閉まり、趙雲の足音が遠ざかる。
○は暗闇の中で兄の懐刀を強く握りしめた。
(……今すぐやってやる)
激情が恐怖を塗りつぶしていた。
軍師の毒に当てられ、趙雲の慈悲に甘んじ、馬超に”腑抜け”と嘲笑われる。
全てを捨てて消えるには、この手で仇の心臓を貫くしかない。
○は音もなく窓を抜け出し、夜の闇に紛れて隣の離れ…馬超の宿舎へと向かった。
自室で甲冑を解いていた趙雲は、ふと手を止めた。
隣の馬超の宿舎から、わずかな騒音がする。
起きていなければ気づかない程度ではあるが気になった。
「…まさか」
嫌な予感に趙雲は上衣を羽織る間もなく、槍を手にして隣室に駆けだす。
馬超の寝室に踏み込んだ趙雲は、目を丸くした。
彼の寝室で○が斬りかかっていたからだ。
「ははっ、早速寝込みを襲うとは……恐れ入ったな!」
馬超の低い笑い声が響く。
○は開いていた窓から侵入し、寝静まっているはずの馬超の喉笛を狙って飛びかかった。
しかし馬超がそれだけの殺気を浴びせられて起きない訳もなく。
振り下ろされた○の腕を空中で掴み、その勢いのまま彼女を寝台へとねじ伏せた。
「っ……! 殺してやる、今ここで……っ!」
○は寝台に押し付けられながらも身体をよじり、馬超の胸元へ爪を立てようと足掻く。
乱れた髪が寝具に散らばり、剥き出しになった首筋の包帯は傷が開いて赤くなり、月光に照らされた。
「それだけ殺気を込めて近づかれ、起きぬ将はいないぞ。だが、その無謀さは嫌いではない」
馬超は少し楽しそうに目を細め、○の両手首を一つの手で纏めて頭上に押さえつけた。
もう一方の手で○の頬を撫でる。
「お前なら、色仕掛けで来た方がいいんじゃないのか?」
そう言った馬超の指を食いちぎらんばかりに口を開く。
さっと手を引いた馬超。
「とんでもないじゃじゃ馬だ。指を食いちぎられるところだ」
解放された○は、すぐさま枕元に落ちた懐刀をひったくり、馬超の胸元へと突き出した。
馬超はその切っ先をひらりと躱す。
「そこまで重心がぶれていて俺を刺せるわけがない」
○が斬りかければ背後へ回り、彼女が振り返ればその肩を軽く突いて均衡を崩させる。
大人が幼子をあやすような…猛獣が獲物の息の根を止める前に弄ぶような、残酷なまでの実力差だった。
「っ、お前……ふざけるな……!」
何度も何度も空を切る刃。
○の呼吸は次第に荒くなり、全身に負った打撲の痛みがのしかかる。
やがて、限界を迎えた○の膝が折れた。
そこへ、馬超が背後から彼女の細い腰を抱え込むようにして床にねじ伏せた。
もう抵抗する力もない○はぐったりしており、それを確認すると馬超はあっさりと解放した。
「ほら。今日はもういいだろう」
そう言って寝台の縁に腰を下ろす。
そこでやっと趙雲が一歩踏み込んだ。
「おい、負けたんだから、散らかした部屋を片付けてから帰れよ」
「……誰が」
○は乱れた髪を振り払い、憎しみに満ちた瞳で馬超を睨みつけながら、そのまま部屋を出て行こうとした。
背後で呆気に取られていた趙雲が、声をかけようとした時。
「待て。片付けないなら、今ここでお前の身体を好きにするぞ」
馬超は○の腰を抱き上げると寝台に転がし、○の股の間に身体をねじ込む。
抵抗して起き上がろうとした○の肩を片手だけで固定した。
情事においての挿入時の様な格好になる。
「見ろ。今の貴様に俺を拒む体力など残っていない。力ずくで組み敷かれ、明け方まで俺に弄ばれたいか?片づけをしていけば許してやると言っているのだぞ」
「馬超殿!! 」
流石に趙雲が怒鳴り近づいた。
馬超は趙雲の怒りを受け流し、○の反応を愉しむように目を細めている。
○は屈辱に唇を噛み切り、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
今の自分の無力さを、これほどまでに思い知らされる言葉はない。
「どけ!…片付ける」
そう言って寝台から降りると、散らばった書物や自分が窓から入り込んだ際に倒した燭台を拾い整えた。
趙雲が「手伝いましょう」と手を貸そうとしたが、○はそれを無言で振り払う。
馬超はそんな彼女の背中を静かに見つめ続けていた。
片付けを終え、○が兄の懐刀を握り直して部屋を去ろうとした、その時。
寝台に深く腰掛けた馬超が声をかけた。
「お前は、俺に生かされているって分かってるよな。お前が俺を殺すか、お前が壊れるか。道はその二つに一つしかない。そしていつ俺が返り討ちにするか分からんのだ。真剣にやれよ」
○は何も言わずに部屋を出て行った。
先程だって○は本気だった。
しかし馬超からすれば”本気を出していない”も同然だったという事だ。
趙雲が馬超を鋭く睨みつける。
「なんだよ。言いたい事がありそうだな」
「……馬超殿。人を弄び、その心をこれ以上踏みにじるというのなら、私も黙っていられません」
「あいつは、ああでもしておかないと……あの軍師に壊されるぞ」
その言葉に趙雲は眉間にしわを寄せた。
「……なんと、言いましたか?」
「俺があいつの復讐を受けて立った今、あいつはそうそう壊れぬだろう。俺を殺す許可を得ているのだから。だが、あの諸葛亮は…俺が”近くにいるのに手を出せない”状況を作る事で、あいつを骨抜きにしようとしていたんじゃないか」
馬超は寝台に深く背を預け、天井の闇を見つめた。
「……見ておられたのか。諸葛亮殿が、○殿にされていたことを」
趙雲の問いに、馬超は冷ややかな笑みを浮かべる。
「俺はこの軍に入った来た時から気づいていたぞ。諸葛亮は、気づけば常に○を見ていた。それも執念深い蛇のような目で」
「…」
「まあ、どうなるかは分からん。ただ、俺があいつの仇として立つことで、俺もあいつを監視し始めたことが諸葛亮に伝わるだろう。様子見だな。本来ならあんな女、無視して蹴とばして終いだが…まあ、同族の情けってやつだ」
馬超は「他意はない」と付け加えて趙雲を見た。