本編【序章~15話】
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翌朝。
静かな書院。
諸葛亮は巻物を広げていた。
その脇には──昨晩精査した青銅片。
趙雲が入室すると、諸葛亮は顔を上げて穏やかに微笑んだ。
「趙雲殿。急な呼び出し、申し訳ありません」
「いえ。私ならいつでも構いません」
「今日は○殿は…?」
「外で待たせています」
そう答えた趙雲の表情には、いつもの誠実さと緊張が混ざっている。
諸葛亮はその誠実さを壊さぬように、慎重に、控えめに切り出した。
「一点だけ。確認したいことがあるのです」
諸葛亮は青銅片を軽く持ち上げ、光にかざす。
「この品は、実に貴重。文化的にも軍略的にも、見過ごせぬ価値があります。……盗賊のアジトにあったのですよね?」
「はい」
「では、なぜこれだけを提出されたのでしょう?アジトで見つかった物のすべてを運ぶのは難しいとしても、貨幣や宝飾品など、換金価値の高い物も多いはず。それらは提出されず、これほど価値の分かりにくい一点だけが出されるとは…」
攻めるでも詰めるでもなく、あくまで確認の姿勢だ。
柔らかい声で続ける。
「……少々、不思議に思いまして」
趙雲は背筋を伸ばし、深く息を吸った。
(……すべてを話すわけにはいかぬ)
○の素性は、自分が決めた秘密だ。
軍規上も正しくはない。
しかし、諸葛亮に嘘はつけない。
「確かに、アジトには他にも品がありました。しかし、運び出しやすく、軍務に関わる可能性があると判断したのはこの一点のみです」
「その判断は…どちらのものですか?」
趙雲は言葉に詰まる。
しかしその沈黙で諸葛亮は察したようだ。
「……分かりました」
穏やかに言う。
「趙雲殿がそう判断されたのであれば、私はそれを信じましょう。ただ…」
諸葛亮は青銅片をそっと机に戻し、静かに手を組む。
「あなたが“在野の者を独断で登用した”と報告を受け、私は驚きました。今までのあなたはそのような事をされなかった上に、登用したのが女性でしたから」
「…」
「そして蓋を開けてみれば、異質な資質を持つ者…あなたとは結び付かなかったもので」
その言葉は非難ではなく、純粋な驚きと興味だった。
そして最後に、諸葛亮はゆっくり微笑む。
「その一点だけ提出された理由も、あなたの“判断”としておきましょう」
あなたが彼女を庇うなら、理解しましょう…そう言われた気がした。
書院を退出した後、趙雲は胸の奥に重たい息を落とす。
○は廊下から少し離れた中庭で、岩に座って池を覗き込んで待っている。
何もいない池の何を見ているのは分からないが、趙雲の気も知らずにのんびり口笛まで吹いている。
(……やはり、隠し通せることではないのかもしれん)
諸葛亮は追及しなかった。
だが、おそらく気づいている。
何かを隠している事だけは、確実に。
そして同時に、諸葛亮は○の価値も、危険性も、正当に評価している。
だからこそ理由までは知らないだろうが、今は大人しく出来る趙雲の下につけているのだろう。
趙雲に気づいた○が立ち上がろうとして…やめた。
指で何か示している。
そちらを見ると、×が立っていた。
諸葛亮の執務を手伝う彼女がここにいるのは自然なことだ。
趙雲は○に、『そこで待つように』と手で制して×に近づいた。
「……趙雲様。お話ししたいことがありましたので、ちょうどよかったです」
×は普段落ち着いた文官だが、今日は明らかに違う。
趙雲は少し声が硬くなった。
「最近の動向について、兵や女官たちの間で不満が出ております」
「……不満とは」
「“○殿を常に連れ歩いている”、“女性を副官にし、特別扱いしている”、“任務にも二人きりで行くのは不自然だ”…と」
薄く息を吐いて続ける。
「女官たちの間では、あなたが○殿に入れ込んでいる、という噂も出ているのですよ」
「私は、女官たちの評判のために仕えているのではない。言わせておけばよい」
その瞬間、×の表情がわずかに揺れた。
「そういう問題ではありませんっ」
声が大きくなり、自分でも驚いたのか、胸の前で拳を握る。
「あなたは、これまで女性との距離を正しく保ってこられたはずです。誰からも誤解されるような振る舞いをされたことなど一度もありません」
趙雲は黙って聞いている。
「なのに、○殿だけは例外なのですか?」
「……例外、ではない」
「では、なぜ庇うのですか?」
「庇っているわけではない。必要があるから側に置いているだけだ」
「その“必要”が理解できません!」
声が震えた。
「あなたはあの様に規律を乱す者を許さなかったはずです。それを…」
「その話は前にもしたろう。彼女の能力は他になく、私が使いこなすべきなのだ」
趙雲の表情に、珍しく迷いが浮かぶ。
×の視線の強さと、そこに混ざる痛み。
趙雲は何かを言おうとしたが言葉が出ない。
沈黙が重く落ちた時。
「おっ、○!」
明るく通る声が、庭から響いた。
×と趙雲が同時に振り返る。
庭で退屈そうに待っていた○の前に、馬超が姿を現していた。
「お前、何やってるんだこんな所で!…ああ、話が終わるまで待ってるのか?」
「こんにちは、馬超殿」
「馬超でいい!俺も呼び捨ててるしな。暇なら俺と鍛錬場に来ないか?」
「いいわね、行きましょ」
にこっと笑って立ち上がる。
「おっ、やるか!手合わせでもしよう」
×の顔色が、これ以上ないほど複雑になった。
趙雲は一歩だけ前へ出る。
「待て、○!」
○は不満そうに振り向く。
「なに?」
「勝手は許さん」
そう言って庭に降りた趙雲の背中にお辞儀をすると、×は走って行ってしまった。
「ん…?なんだ。追いかけた方がいいんじゃないか、趙雲?」
「…いや、いい」
走って角を曲がる×を見送った趙雲に、○と馬超は顔を見合わせた。
馬超と○の話し声を聞きながら、趙雲はひとり廊下の陰に立っていた。
背を向けた×は、普段の穏やかな彼女とは明らかに違っていた。
怒りでもなく、苛立ちとも少し違う。
胸の奥を押さえるような。
趙雲は彼女の感情に気づかないほど鈍くはない。
むしろ、人の痛みに敏感な方だ。
だからこそ胸が重くなった。
ーあなたは○殿を庇うのですか?ー
(そんなつもりは、毛頭ないのだが)
しかし、そう見えているのだ。
彼自身も自覚はある。
○を側に置いているのは、彼女が危険だからだ。
監督が必要だからだ。
彼女をいつでも斬れる腕を持つ自分の下に置かねばならない。
それ以上の理由はないはずなのに。
(……だが、彼女はやはり文官。その辺りは理解できないのだろう)
彼女は誠実で、嘘を嫌い、秩序を尊ぶ。
そうした人物から見れば、○はあまりに型破りだ。
軽率、華美、奔放で、時に規律の限界を踏み越えようとする。
今も庭石に片足で立って、ふざけた様子で馬超となにかを話している。
(……確かに、○は私が最も苦手とする類の人間だ)
だからだろう。
どうにも扱いを誤る。
距離の取り方が難しい。
気を抜けば周囲を巻き込む。
だから余計に誰より近くで監督している。
その姿を、×はどう受け取るのか。
彼女が静かに胸を押さえた理由。
怒気ではなく、痛みに似た感情。
それに気づいてしまった以上、無視はできない。
(×殿は、私をどう見ているのだ?)
そこを考えると途端に思考が進まなくなる。
尊敬か。
信頼か。
それ以上の何かか。
あるいは、そのどれでもないのか。
その答えを求めること自体が、趙雲には難しかった。
人として好きか嫌いかなら彼にも判断できる。
だがそれ以上の感情となれば。
蓋をしている部分でもあった。
そんな感情は不要だからだ。
自分の胸の奥にあるのが何かを問われても答えられない。
まして、誰かの感情の形を決めつけるなど不遜だ。
(……謝るべきか。いや、謝罪は逆効果だ。“庇っている”という印象を強めるだけだ)
誤解を解きたい。
だが説明できない。
説明すれば○の素性に踏み込むことになる。
それはできない。
悩む趙雲に、馬超は近づいた。
「なあ、とりあえずさ、やっぱり行って来た方がいいんじゃないか?×殿」
「私は馬超と鍛錬場にいくから、行ってきなさいな」
二人は手をヒラヒラさせて並んでそう言う。
しばらく黙り込んだ趙雲だが。
「なにか彼女は、私の仕事に関して誤解をしてるらしい。それだけ訂正してくる。○は鍛錬場に行っていなさい。馬超殿、○を見張っておいてくれ」
そう言って立ち去った。
×のいる執務室に行くと、早速文官の一人に呼び止められて指示を出していた。
いつもの落ち着いた声。
しかし、いつもより少し硬い。
先程、自分が彼女を傷つけたからだろうか。
趙雲は歩み寄り必要以上に丁寧な口調で言った。
「×殿、報告書の件だが…不備があれば私にも共有してほしい。負担をかけてしまっているようだな」
×は目を瞬き、趙雲が追ってきたことに驚いたようだ。
そしてその事実に喜びを見せて微笑む。
「……いえ、私は平気です。お気になさらず」
「いや。先程は言い過ぎた。誤解をさせてしまったのなら、申し訳ない」
×は驚いたように目を伏せた。
彼女は怒りではなく、理解できない不安に苦しんでいた。
それを知っているからこそ、趙雲は言葉を選んだ。
「○は今、私の監督下にある。それはどうにもならない。ただ、誤解を招かぬように接するつもりだ。お前にも不安を与えぬよう、配慮する」
×の肩から、目に見えて力が抜けた。
「……ありがとうございます。あなたは、やはり少しも変わらないのですね。」
その声には微かな安堵があった。
鍛錬場に戻る途中、趙雲は深く息を吐いた。
規律を乱したくない自分にとって、×が様子を変えたままでいる事を放置できなかった。
しかし○の事に関しては「責任を持って」扱う立場だ。
立場も性質も全く違う二人を同じように扱うことは出来ない。
だからこそ、自分が舵を取らねばならない。
○には監督が必要。
距離の調整と規律指導が不可欠だ。
×には安心が必要。
対話と誠実さの維持が不可欠だ。
どちらも欠ければ自分の周囲が乱れる。
そして何より、“誤解される自分”があってはならない。
静かな書院。
諸葛亮は巻物を広げていた。
その脇には──昨晩精査した青銅片。
趙雲が入室すると、諸葛亮は顔を上げて穏やかに微笑んだ。
「趙雲殿。急な呼び出し、申し訳ありません」
「いえ。私ならいつでも構いません」
「今日は○殿は…?」
「外で待たせています」
そう答えた趙雲の表情には、いつもの誠実さと緊張が混ざっている。
諸葛亮はその誠実さを壊さぬように、慎重に、控えめに切り出した。
「一点だけ。確認したいことがあるのです」
諸葛亮は青銅片を軽く持ち上げ、光にかざす。
「この品は、実に貴重。文化的にも軍略的にも、見過ごせぬ価値があります。……盗賊のアジトにあったのですよね?」
「はい」
「では、なぜこれだけを提出されたのでしょう?アジトで見つかった物のすべてを運ぶのは難しいとしても、貨幣や宝飾品など、換金価値の高い物も多いはず。それらは提出されず、これほど価値の分かりにくい一点だけが出されるとは…」
攻めるでも詰めるでもなく、あくまで確認の姿勢だ。
柔らかい声で続ける。
「……少々、不思議に思いまして」
趙雲は背筋を伸ばし、深く息を吸った。
(……すべてを話すわけにはいかぬ)
○の素性は、自分が決めた秘密だ。
軍規上も正しくはない。
しかし、諸葛亮に嘘はつけない。
「確かに、アジトには他にも品がありました。しかし、運び出しやすく、軍務に関わる可能性があると判断したのはこの一点のみです」
「その判断は…どちらのものですか?」
趙雲は言葉に詰まる。
しかしその沈黙で諸葛亮は察したようだ。
「……分かりました」
穏やかに言う。
「趙雲殿がそう判断されたのであれば、私はそれを信じましょう。ただ…」
諸葛亮は青銅片をそっと机に戻し、静かに手を組む。
「あなたが“在野の者を独断で登用した”と報告を受け、私は驚きました。今までのあなたはそのような事をされなかった上に、登用したのが女性でしたから」
「…」
「そして蓋を開けてみれば、異質な資質を持つ者…あなたとは結び付かなかったもので」
その言葉は非難ではなく、純粋な驚きと興味だった。
そして最後に、諸葛亮はゆっくり微笑む。
「その一点だけ提出された理由も、あなたの“判断”としておきましょう」
あなたが彼女を庇うなら、理解しましょう…そう言われた気がした。
書院を退出した後、趙雲は胸の奥に重たい息を落とす。
○は廊下から少し離れた中庭で、岩に座って池を覗き込んで待っている。
何もいない池の何を見ているのは分からないが、趙雲の気も知らずにのんびり口笛まで吹いている。
(……やはり、隠し通せることではないのかもしれん)
諸葛亮は追及しなかった。
だが、おそらく気づいている。
何かを隠している事だけは、確実に。
そして同時に、諸葛亮は○の価値も、危険性も、正当に評価している。
だからこそ理由までは知らないだろうが、今は大人しく出来る趙雲の下につけているのだろう。
趙雲に気づいた○が立ち上がろうとして…やめた。
指で何か示している。
そちらを見ると、×が立っていた。
諸葛亮の執務を手伝う彼女がここにいるのは自然なことだ。
趙雲は○に、『そこで待つように』と手で制して×に近づいた。
「……趙雲様。お話ししたいことがありましたので、ちょうどよかったです」
×は普段落ち着いた文官だが、今日は明らかに違う。
趙雲は少し声が硬くなった。
「最近の動向について、兵や女官たちの間で不満が出ております」
「……不満とは」
「“○殿を常に連れ歩いている”、“女性を副官にし、特別扱いしている”、“任務にも二人きりで行くのは不自然だ”…と」
薄く息を吐いて続ける。
「女官たちの間では、あなたが○殿に入れ込んでいる、という噂も出ているのですよ」
「私は、女官たちの評判のために仕えているのではない。言わせておけばよい」
その瞬間、×の表情がわずかに揺れた。
「そういう問題ではありませんっ」
声が大きくなり、自分でも驚いたのか、胸の前で拳を握る。
「あなたは、これまで女性との距離を正しく保ってこられたはずです。誰からも誤解されるような振る舞いをされたことなど一度もありません」
趙雲は黙って聞いている。
「なのに、○殿だけは例外なのですか?」
「……例外、ではない」
「では、なぜ庇うのですか?」
「庇っているわけではない。必要があるから側に置いているだけだ」
「その“必要”が理解できません!」
声が震えた。
「あなたはあの様に規律を乱す者を許さなかったはずです。それを…」
「その話は前にもしたろう。彼女の能力は他になく、私が使いこなすべきなのだ」
趙雲の表情に、珍しく迷いが浮かぶ。
×の視線の強さと、そこに混ざる痛み。
趙雲は何かを言おうとしたが言葉が出ない。
沈黙が重く落ちた時。
「おっ、○!」
明るく通る声が、庭から響いた。
×と趙雲が同時に振り返る。
庭で退屈そうに待っていた○の前に、馬超が姿を現していた。
「お前、何やってるんだこんな所で!…ああ、話が終わるまで待ってるのか?」
「こんにちは、馬超殿」
「馬超でいい!俺も呼び捨ててるしな。暇なら俺と鍛錬場に来ないか?」
「いいわね、行きましょ」
にこっと笑って立ち上がる。
「おっ、やるか!手合わせでもしよう」
×の顔色が、これ以上ないほど複雑になった。
趙雲は一歩だけ前へ出る。
「待て、○!」
○は不満そうに振り向く。
「なに?」
「勝手は許さん」
そう言って庭に降りた趙雲の背中にお辞儀をすると、×は走って行ってしまった。
「ん…?なんだ。追いかけた方がいいんじゃないか、趙雲?」
「…いや、いい」
走って角を曲がる×を見送った趙雲に、○と馬超は顔を見合わせた。
馬超と○の話し声を聞きながら、趙雲はひとり廊下の陰に立っていた。
背を向けた×は、普段の穏やかな彼女とは明らかに違っていた。
怒りでもなく、苛立ちとも少し違う。
胸の奥を押さえるような。
趙雲は彼女の感情に気づかないほど鈍くはない。
むしろ、人の痛みに敏感な方だ。
だからこそ胸が重くなった。
ーあなたは○殿を庇うのですか?ー
(そんなつもりは、毛頭ないのだが)
しかし、そう見えているのだ。
彼自身も自覚はある。
○を側に置いているのは、彼女が危険だからだ。
監督が必要だからだ。
彼女をいつでも斬れる腕を持つ自分の下に置かねばならない。
それ以上の理由はないはずなのに。
(……だが、彼女はやはり文官。その辺りは理解できないのだろう)
彼女は誠実で、嘘を嫌い、秩序を尊ぶ。
そうした人物から見れば、○はあまりに型破りだ。
軽率、華美、奔放で、時に規律の限界を踏み越えようとする。
今も庭石に片足で立って、ふざけた様子で馬超となにかを話している。
(……確かに、○は私が最も苦手とする類の人間だ)
だからだろう。
どうにも扱いを誤る。
距離の取り方が難しい。
気を抜けば周囲を巻き込む。
だから余計に誰より近くで監督している。
その姿を、×はどう受け取るのか。
彼女が静かに胸を押さえた理由。
怒気ではなく、痛みに似た感情。
それに気づいてしまった以上、無視はできない。
(×殿は、私をどう見ているのだ?)
そこを考えると途端に思考が進まなくなる。
尊敬か。
信頼か。
それ以上の何かか。
あるいは、そのどれでもないのか。
その答えを求めること自体が、趙雲には難しかった。
人として好きか嫌いかなら彼にも判断できる。
だがそれ以上の感情となれば。
蓋をしている部分でもあった。
そんな感情は不要だからだ。
自分の胸の奥にあるのが何かを問われても答えられない。
まして、誰かの感情の形を決めつけるなど不遜だ。
(……謝るべきか。いや、謝罪は逆効果だ。“庇っている”という印象を強めるだけだ)
誤解を解きたい。
だが説明できない。
説明すれば○の素性に踏み込むことになる。
それはできない。
悩む趙雲に、馬超は近づいた。
「なあ、とりあえずさ、やっぱり行って来た方がいいんじゃないか?×殿」
「私は馬超と鍛錬場にいくから、行ってきなさいな」
二人は手をヒラヒラさせて並んでそう言う。
しばらく黙り込んだ趙雲だが。
「なにか彼女は、私の仕事に関して誤解をしてるらしい。それだけ訂正してくる。○は鍛錬場に行っていなさい。馬超殿、○を見張っておいてくれ」
そう言って立ち去った。
×のいる執務室に行くと、早速文官の一人に呼び止められて指示を出していた。
いつもの落ち着いた声。
しかし、いつもより少し硬い。
先程、自分が彼女を傷つけたからだろうか。
趙雲は歩み寄り必要以上に丁寧な口調で言った。
「×殿、報告書の件だが…不備があれば私にも共有してほしい。負担をかけてしまっているようだな」
×は目を瞬き、趙雲が追ってきたことに驚いたようだ。
そしてその事実に喜びを見せて微笑む。
「……いえ、私は平気です。お気になさらず」
「いや。先程は言い過ぎた。誤解をさせてしまったのなら、申し訳ない」
×は驚いたように目を伏せた。
彼女は怒りではなく、理解できない不安に苦しんでいた。
それを知っているからこそ、趙雲は言葉を選んだ。
「○は今、私の監督下にある。それはどうにもならない。ただ、誤解を招かぬように接するつもりだ。お前にも不安を与えぬよう、配慮する」
×の肩から、目に見えて力が抜けた。
「……ありがとうございます。あなたは、やはり少しも変わらないのですね。」
その声には微かな安堵があった。
鍛錬場に戻る途中、趙雲は深く息を吐いた。
規律を乱したくない自分にとって、×が様子を変えたままでいる事を放置できなかった。
しかし○の事に関しては「責任を持って」扱う立場だ。
立場も性質も全く違う二人を同じように扱うことは出来ない。
だからこそ、自分が舵を取らねばならない。
○には監督が必要。
距離の調整と規律指導が不可欠だ。
×には安心が必要。
対話と誠実さの維持が不可欠だ。
どちらも欠ければ自分の周囲が乱れる。
そして何より、“誤解される自分”があってはならない。