本編【序章~15話】
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成都の外れの廃屋に賊が武器を隠し持ち、横流しを続けているという情報が入った。
偵察が必要だが、兵を複数動かせば警戒される。
影働き向きの任務…つまり、○の最初の任務だった。
劉備に○の登用の許可をもらった際、そのまま彼女の腕試しもかねて振られた。
夜、城壁を抜けて目的地に向かうのは、趙雲と○。
二人だけだ。
「任務は単純だ。賊の隠し場所を探り、数と装備、流通経路を確認する」
○は馬上で爪を見ながら話を聞いている。
途中で馬をつないで、賊の根城となっている廃屋に近づいた。
灯りは少ないが、人の気配は濃い。
「あそこね」
その問いに趙雲が頷くと、○は姿を消した。
砂利の音すらない。
(……速いな)
彼女を警戒して見ていたはずの趙雲でも、完全な軌道を目で追うのは難しかった。
宝物庫での彼女は殺気があったから見えたのだろう。
殺気がなければ空気の様だ。
○は素早く廃屋の屋根に取りつき、梁の影に逆さまに張り付く。
趙雲は暗闇に視線を凝らす。
ほんのわずかな時間で、○は趙雲の背後へ戻ってきた。
「終わったわ。川沿いの倉庫で明日の子の刻、武器の受け渡しが行われる。賊は少なくとも十五人。取引は曲刀と弓矢。見張りは三人。裏口は壊れてて抜けられる。援軍もなく組織でもないから、そんなに規模の大きい隊でなくても行けそうね」
趙雲は眉をひそめた。
「この速さで…間違いない情報なのか」
「勿論。違ってたら斬ってもらって構わないわ」
○はそのまま淡々と続けた。
「あと、ここを直接襲撃するなら北側の壁よ。足場が崩れかけてるから突けば一気に崩れると思うわ」
裏口だけでなく、入口構造や地形の弱点まで把握して帰ってきた。
(潜入と観察に特化した動きか…)
武将の目線ではない。
兵の目線でもない。
敵の弱点を探して最小限の力で制圧する為に研ぎ澄まされている。
そして○は、趙雲を値踏みするように見た。
この目が趙雲はどうにも好きになれない。
「で?まだなにか不足が?」
「十分すぎる。……戻るぞ」
○はあくびを噛み殺しながら趙雲について行く。
私は歩きながら、先ほどの○の動きを思い返していた。
賊の屋根に取りつく速度。
音も気配も殺す技量。
視覚・聴覚で得られる情報の量。
この様子なら、城を抜け出すことも容易いだろう。
人質として取った小刀は、思いのほかその役割を果たしているようだ。
今の所、誰に何かをするでもないが、しかし警戒だけは絶対に緩めない。
評価はするし、実力は認める。
だが信用はしない。
任務のための“使える刃物”。
私はそう結論づけた。
宝物庫で戦闘になった時も思ったが、彼女は戦闘を最小限にして、とにかく逃げる種の人間だ。
戦闘では男に力で及ばない事が分かっているから、逃げ道を常に考えているのだろう。
少し前を歩く○は、まるで散歩帰りのように軽い足取りだった。
城に戻り報告を済ませる。
短時間での情報量に皆、驚いていた。
この情報を元に別動隊が組まれて、制圧なりに向かうと言う。
その様子を部屋の外から○は満足げに聞いた。
自室に戻ると、○はさっさと衝立の向こうに消える。
衝立の向こうで○が身支度を整える音が聞こえ、趙雲は机で任務整理の書簡をまとめる。
今日の潜入任務で、○の実力は明らかに本物だと分かった。
彼女の登用に意味を持たせるためにも、その件は書いておかなくてはならない。
そうして書を進めていると。
「ねぇ、隊長さん」
衝立の隙間から、○がするりと顔をのぞかせる。
目元に薄い影が落ち、どこか企みを含んだ笑み。
「ちょっと聞きたいことがあるの…」
甘えるような声を出す。
「何だ」
趙雲は視線を上げるが、声の温度は変えない。
○は衝立を回り込み、趙雲の机のそばへゆっくりと近づく。
いつもの装束を脱いで薄手の寝着だけを着ている。
「そうやって監視してばかりじゃ疲れない?あなた、私の小刀を人質に持ってるじゃない。それがある限り、同じ部屋にしなくたって働いてあげるわよ」
「この程度では疲れない。それに小刀があっても逃げる時は逃げるのだろう。あと、私の知らぬ所で動き回られておかしなことになっては困る」
「もっと簡単で、あなたにもイイ方法があるって言ってるの」
○は静かに笑みを浮かべた。
「私を繋ぎ止めたいなら、恋愛感情に訴えた方がいいんじゃない?」
唐突な一言だった。
だが趙雲は動じない。
○はさらに続ける。
「あなたの綺麗な顔も、逞しい身体も……興味がないわけじゃないのよ、私」
「その身体で私を引き留めてくれれば、私としても欲求不満が解消されてとっても助かるわ。あなたも、私の身体を好きに出来るのよ?とってもイイコトでしょ?」
しかし趙雲は腕組みをして息をつく。
「○。そのような話を持ち込むな」
「ヤダ、怒った?」
「怒ってはいない。お前の手段が軽薄だと言っている。お前の腕はそんなものを使わずとも十分通用するはずだ。勿体ない事だ」
○は目を細める。
「私は任務の結果だけを見る。お前の外見に興味はない」
数秒だけ沈黙し、やがて肩を小さく揺らした○は、声を押し殺したように笑う。
「ほんっと揺れないのね。面白いわ、あなた」
「面白がるな。仕事の妨げだ」
「はいはい」
○は踵を返し、衝立の向こうに戻った。
衝立の向こうに戻り、簡易寝台へ腰を下ろした○は小さく笑った。
(……なるほどね)
さっきの誘い。
あれは“試し”だった。
色香を匂わせれば、普通の男なら一瞬は反応する。
なんならそのまま事が始まっていただろう。
そうなればこちらのもので、そのまま殺してしまってもよかったし、散々疲れさせて眠ってもらえば逃げられる。
(情事の最中と直後の男は、私の敵ではないわ)
しかし。
(壁と話してるみたい、あの人)
顔を赤らめもしない。
動揺もしない。
視線を逸らしもしない。
答え方は冷静そのもの。
かといって、完全な拒絶ではない。
何事もないかのような話し方だった。
(あの感じ。色事に慣れていないわけじゃない。それに、興味がないのとも違う…)
○は天井を見上げる。
趙雲が衝立越しに書き物をしている音が聞こえる。
(あれは、自制の塊ね。それにしてもここまでの男、初めて見たわ)
逃げられないよう監視下に置き、距離を詰めすぎず、しかし常にこちらを把握している。
実は昨夜、何度か寝ている間に出て行こうとしたが、○が戸口に近づくと彼は動いて、あれ以上近づけば目を覚ましていたと思う。
今朝の着替えを覗き見ても、あの小刀はしっかり身体にあてて晒で巻いていた。
寝る時も同じだろう。
(あの小刀…ああは言ったけど置いていけない。とはいえ、平常時のヤツから盗るのは至難の業。なんとかしないと…)
灯火が揺れ、私は衝立越しに彼の背を想像する。
その背はゆるがず、まっすぐで、だからこそ──折り甲斐がある。
偵察が必要だが、兵を複数動かせば警戒される。
影働き向きの任務…つまり、○の最初の任務だった。
劉備に○の登用の許可をもらった際、そのまま彼女の腕試しもかねて振られた。
夜、城壁を抜けて目的地に向かうのは、趙雲と○。
二人だけだ。
「任務は単純だ。賊の隠し場所を探り、数と装備、流通経路を確認する」
○は馬上で爪を見ながら話を聞いている。
途中で馬をつないで、賊の根城となっている廃屋に近づいた。
灯りは少ないが、人の気配は濃い。
「あそこね」
その問いに趙雲が頷くと、○は姿を消した。
砂利の音すらない。
(……速いな)
彼女を警戒して見ていたはずの趙雲でも、完全な軌道を目で追うのは難しかった。
宝物庫での彼女は殺気があったから見えたのだろう。
殺気がなければ空気の様だ。
○は素早く廃屋の屋根に取りつき、梁の影に逆さまに張り付く。
趙雲は暗闇に視線を凝らす。
ほんのわずかな時間で、○は趙雲の背後へ戻ってきた。
「終わったわ。川沿いの倉庫で明日の子の刻、武器の受け渡しが行われる。賊は少なくとも十五人。取引は曲刀と弓矢。見張りは三人。裏口は壊れてて抜けられる。援軍もなく組織でもないから、そんなに規模の大きい隊でなくても行けそうね」
趙雲は眉をひそめた。
「この速さで…間違いない情報なのか」
「勿論。違ってたら斬ってもらって構わないわ」
○はそのまま淡々と続けた。
「あと、ここを直接襲撃するなら北側の壁よ。足場が崩れかけてるから突けば一気に崩れると思うわ」
裏口だけでなく、入口構造や地形の弱点まで把握して帰ってきた。
(潜入と観察に特化した動きか…)
武将の目線ではない。
兵の目線でもない。
敵の弱点を探して最小限の力で制圧する為に研ぎ澄まされている。
そして○は、趙雲を値踏みするように見た。
この目が趙雲はどうにも好きになれない。
「で?まだなにか不足が?」
「十分すぎる。……戻るぞ」
○はあくびを噛み殺しながら趙雲について行く。
私は歩きながら、先ほどの○の動きを思い返していた。
賊の屋根に取りつく速度。
音も気配も殺す技量。
視覚・聴覚で得られる情報の量。
この様子なら、城を抜け出すことも容易いだろう。
人質として取った小刀は、思いのほかその役割を果たしているようだ。
今の所、誰に何かをするでもないが、しかし警戒だけは絶対に緩めない。
評価はするし、実力は認める。
だが信用はしない。
任務のための“使える刃物”。
私はそう結論づけた。
宝物庫で戦闘になった時も思ったが、彼女は戦闘を最小限にして、とにかく逃げる種の人間だ。
戦闘では男に力で及ばない事が分かっているから、逃げ道を常に考えているのだろう。
少し前を歩く○は、まるで散歩帰りのように軽い足取りだった。
城に戻り報告を済ませる。
短時間での情報量に皆、驚いていた。
この情報を元に別動隊が組まれて、制圧なりに向かうと言う。
その様子を部屋の外から○は満足げに聞いた。
自室に戻ると、○はさっさと衝立の向こうに消える。
衝立の向こうで○が身支度を整える音が聞こえ、趙雲は机で任務整理の書簡をまとめる。
今日の潜入任務で、○の実力は明らかに本物だと分かった。
彼女の登用に意味を持たせるためにも、その件は書いておかなくてはならない。
そうして書を進めていると。
「ねぇ、隊長さん」
衝立の隙間から、○がするりと顔をのぞかせる。
目元に薄い影が落ち、どこか企みを含んだ笑み。
「ちょっと聞きたいことがあるの…」
甘えるような声を出す。
「何だ」
趙雲は視線を上げるが、声の温度は変えない。
○は衝立を回り込み、趙雲の机のそばへゆっくりと近づく。
いつもの装束を脱いで薄手の寝着だけを着ている。
「そうやって監視してばかりじゃ疲れない?あなた、私の小刀を人質に持ってるじゃない。それがある限り、同じ部屋にしなくたって働いてあげるわよ」
「この程度では疲れない。それに小刀があっても逃げる時は逃げるのだろう。あと、私の知らぬ所で動き回られておかしなことになっては困る」
「もっと簡単で、あなたにもイイ方法があるって言ってるの」
○は静かに笑みを浮かべた。
「私を繋ぎ止めたいなら、恋愛感情に訴えた方がいいんじゃない?」
唐突な一言だった。
だが趙雲は動じない。
○はさらに続ける。
「あなたの綺麗な顔も、逞しい身体も……興味がないわけじゃないのよ、私」
「その身体で私を引き留めてくれれば、私としても欲求不満が解消されてとっても助かるわ。あなたも、私の身体を好きに出来るのよ?とってもイイコトでしょ?」
しかし趙雲は腕組みをして息をつく。
「○。そのような話を持ち込むな」
「ヤダ、怒った?」
「怒ってはいない。お前の手段が軽薄だと言っている。お前の腕はそんなものを使わずとも十分通用するはずだ。勿体ない事だ」
○は目を細める。
「私は任務の結果だけを見る。お前の外見に興味はない」
数秒だけ沈黙し、やがて肩を小さく揺らした○は、声を押し殺したように笑う。
「ほんっと揺れないのね。面白いわ、あなた」
「面白がるな。仕事の妨げだ」
「はいはい」
○は踵を返し、衝立の向こうに戻った。
衝立の向こうに戻り、簡易寝台へ腰を下ろした○は小さく笑った。
(……なるほどね)
さっきの誘い。
あれは“試し”だった。
色香を匂わせれば、普通の男なら一瞬は反応する。
なんならそのまま事が始まっていただろう。
そうなればこちらのもので、そのまま殺してしまってもよかったし、散々疲れさせて眠ってもらえば逃げられる。
(情事の最中と直後の男は、私の敵ではないわ)
しかし。
(壁と話してるみたい、あの人)
顔を赤らめもしない。
動揺もしない。
視線を逸らしもしない。
答え方は冷静そのもの。
かといって、完全な拒絶ではない。
何事もないかのような話し方だった。
(あの感じ。色事に慣れていないわけじゃない。それに、興味がないのとも違う…)
○は天井を見上げる。
趙雲が衝立越しに書き物をしている音が聞こえる。
(あれは、自制の塊ね。それにしてもここまでの男、初めて見たわ)
逃げられないよう監視下に置き、距離を詰めすぎず、しかし常にこちらを把握している。
実は昨夜、何度か寝ている間に出て行こうとしたが、○が戸口に近づくと彼は動いて、あれ以上近づけば目を覚ましていたと思う。
今朝の着替えを覗き見ても、あの小刀はしっかり身体にあてて晒で巻いていた。
寝る時も同じだろう。
(あの小刀…ああは言ったけど置いていけない。とはいえ、平常時のヤツから盗るのは至難の業。なんとかしないと…)
灯火が揺れ、私は衝立越しに彼の背を想像する。
その背はゆるがず、まっすぐで、だからこそ──折り甲斐がある。