本編【31話~最終話】
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一刻後。
城からの狼煙で趙雲たち山側の部隊が動き出す。
山の中にいくつか同じ様な味方の気配を感じるが、どう見積もっても数が足りない。
趙雲たちに気づいた麓の敵兵が構える。
親衛隊が死地へと雪崩れ込む。
長く続いた乱戦で味方は散り散りになり、趙雲の周囲に残った兵はわずかだ。
刃が弾かれ、土が跳ね、隊列が歪む。
(これは持たないな)
そう覚悟した時、山側から異様な気配がした。
地鳴りの様な、足音とも怒号とも判断がつかない低い音。
麓の敵にも動揺が見えるので相手の何かではない。
木々の影を裂いて現れたのは、戦場とは別の軍団だった。
蜀の軍装でも、他国の鎧でもない、正体不明の軍勢。
装備もバラバラだが、その一つ一つの動きは統率が取れている。
その先頭で風を切って馬を走らせているのは、闇に消えたはずの○だった。
合図を出し合いながら散開していく。
謎の男たちが雪崩のように敵の横腹を突き破っていく。
それを機に劉備軍が押し返し始めた。
趙雲は周囲の敵兵をなぎ倒して○に駆け寄る。
○も趙雲に気づいて軽く手を上げた。
「○……!馬鹿者!!何故戻った!? 」
「だってあの酒器、やっぱり諦められないんですもの!」
「は…!?」
「もー!こいつら一発突っ込ませるのに、貯めこんでたお宝、全部手放しちゃったわよ!闇市への紹介状も山ほど書かされて… !私の生涯収支はこれで真っ赤っかだし、闇市での立場もなくなるし、最悪だわっ!宝物庫のお宝を百点は頂かないと!」
大袈裟な手ぶりで悔しそうにそう言った○はいつも通りだ。
「…分かった。私が交渉する」
趙雲は槍を高く掲げ、再び戦場へと躍り出た。
戦塵が収まる頃、○が連れてきた異形の兵たちは、潮が引くように音もなく山中へと消えていった。
「あー……疲れた。もう一生分働いたわ……」
○は泥にまみれた馬の上で、力なく肩を落とした。
駆け寄った趙雲と親衛隊を前に、彼女は気だるげに語り始めた。
あれは山越の精鋭たちで、かつて彼女が「裏の商い」をしていた頃の古い繋がりだという。
裏社会で名の通った彼女が闇市への強力な紹介状を書き、さらに貯め込んだ財宝をすべて差し出すことで、ようやく動かせた”その場限りの援軍”であり、○の最後の手段だった。
「馬鹿な事をしたもんだわ」と、自嘲気味に笑う○の横顔は、戦に勝利したというのに夕闇の中でどこか遠く、寂しそうに見えた。
まるで、もうこの場に留まっていないように。
趙雲はその表情の真意を測りかねていた。
命を救われた礼を言うべきか、それとも独断で外部勢力を引き入れたことを咎めるべきか。
言葉を選びあぐねているうちに、軍列は成都の城門へと近づいていく。
しかし城壁の影が見え始めると空気は一変した。
待ち構えていたのは、城の守備隊だった。
彼らは一斉に武器を構え、趙雲の隣にいる○を包囲した。
親衛隊の兵士たちが困惑して声を上げる中、○だけは驚く様子もなく、ただ静かに馬を降りる。
守備兵が○の腕を後ろ手に縛る。
趙雲は一歩踏み出し、守備兵に尋ねた。
「何のつもりだ」
答えない守備兵。
反して○はいつも通りの顔で振り向く。
彼女は囲まれながらも、趙雲に向けて、かつてないほど清々しく、それでいて綺麗な微笑みを浮かべた。
「さよなら、隊長サン」
○はそのまま、抵抗することなく兵たちに身を委ねた。
そこでやっと趙雲は理解した。
彼女は知っていたのだ。
隠していた裏の繋がりを戦場で見せてしまった自分が、もはや趙雲の副官ではいられないことを。
許可なく、劉備軍の兵として金銭で異民族の兵を投入したのは重大な軍規違反だ。
この結末を知っていたが、自分が逃げると趙雲に矛先がいくことを危惧して捕まる事を選んだ。
趙雲がそれを知ればどんな行動に出るかも分かって、何も言わずに。
(……お前は、どこまで勝手な)
兵の列が閉じて、彼女の姿は完全に消えた。
諸葛亮の前に引き出された○は、縄を打たれた姿でありながら、その瞳には一点の曇りもなかった。
「これではまるで、捕虜ではないか!」と騒いだ馬超は退室させられた。
○に掛けられた嫌疑は多数ある。
裏社会との繋がり。
独断での兵力動員。
劉備の名を使っての金銭による他勢力の懐柔。
○は全ての質問に首を縦に振り、一切抵抗しなかったらしい。
趙雲だけがその真意を、言葉にせずとも理解していた。
「あの連中を動かした件について、説明を」
冷静な問いかけに○は肩をすくめる。
「見た通りよ。私が独断で呼んで、私が連れてきた。趙雲に恨みがあったから、戦場を滅茶苦茶にしてやろうと思って」
そうして静かな空間に、○の声だけが聞こえる。
「私を殺せばいい。裏の人間と繋がりがあったのは本当よ。……趙雲に不当に取り入るまでは元々、窃盗や武器の闇取引を生業にしていたの。私は趙雲を騙して仕官した。ここの宝物庫の中身をかっさらう為にね。簡単だったわ。あの人、ああいう感じだからちょっと反省したフリして、大事にしていた小刀を預けたら心を許すんですもの」
「○、何を……!」
○の勝手な筋書きに、後ろに控えていた趙雲が声を荒らげるが、○は振り返りもしない。
「あなたたちには…趙雲が必要でしょ。あの人に裏社会との癒着や軍規違反の疑いなんて、あってはならないはずよね。こんな所で捕まった私は裏の世界で生きていけない。だから命乞いなんてしないわ。処刑ついでに私を見せしめに殺せばいい。誠実な趙雲を利用した、狡猾な悪女として」
諸葛亮は彼女の告白を黙って聞いていた。
一方、背後の趙雲は拳が白くなるほどに震えていた。
彼女が今、自分自身の命を投げ打って、趙雲の「正しさ」を守ろうとしていることに誰よりも早く気づいたからだ。
「お待ちください!○を下につけたのは、私が「うるさい!」
趙雲が声を上げた途端に○が立ち上がり、隣に立つ兵士を蹴り飛ばす。
周囲がどよめく中、○は一歩踏み出し、声を張り上げた。
「お前に私の小刀を預けたから逃げられなかっただけだわ!お前を信じさせるためにアレを渡したのが間違いだった…!巻き込まれて死ねばいいと思ってアイツらを仕向けたのよ!ここまで言われないと分からないの!?お人よしもここまで来ると笑えるわね!」
彼女の声は、広間の喧騒を塗りつぶすほどに鋭く、悲痛だった。
普段の○では考えられない剣幕で、誰にも何も言わせない気迫を発する。
そこらじゅうの物を蹴倒して暴れた。
「早く殺しておかないと、こんな所すぐに逃げ出してやるわよ!そうなったらここで仕入れた情報を持って魏にでも行ってやる!早く殺しなさい!」
大きく暴れるので兵士が○の頭を床に押し付け、猿轡を噛ませられる。
それでもあまりの暴れぶりに広間は騒然とし、議論は中断された。
冷たい石床の感触だけが伝わる牢の中で、○は暗闇を見つめていた。
鉄格子に隔てられた牢の中で、○は石の台に背を預け、まるで高級な寝台にでもいるかのように足を組んでいた。
差し込む月光を浴びるその姿には悲壮感など微塵もなく、ただ退屈を凌ぐような気だるさだけが漂っている。
床に押し付けられた時に出来た傷にそっと触れた。
あれほど暴れ、醜態を晒したのだ。
もはや自分を救おうとする者などいないはず。
そう確信し、どこか晴れやかな気持ちで死を待っていた。
そもそも○にとって人生は暇つぶしだ。
老いて美貌が失われ死んでいく位なら、美しいままで美しく死ぬのが良いとずっと思っていた。
それに、趙雲と出会って成都で過ごした数か月。
そのたった数か月で、人生の全てに満足したような気がしていた。
趙雲や馬超、×や兵士達。
自分がこの国の人間といて変わったのは、そこかもしれない。
男と寝ても、宝を手に入れても、ずっと埋まらなかった何かが埋まった感覚。
(これが、”思い残すことがない”って事なのかしら…)
そう理解すると気持ちが楽になった。
「○」
廊下に現れた趙雲が声をかけると、いつもの表情で「あら」と手を振った。
「こんばんわ。牢は慣れてるから平気よ。今までの牢で一番快適。裸でいなくていいし」
趙雲は柵の前に立つと低く言う。
「……会った時、お前は言ったな。牢など簡単に逃げられると」
「ええ。逃げられるわよ」
「なら、今すぐ、ここから逃げろ」
「逃げないわ」
「……何故だ」
「死んでもいいから」
「………。何故いつでも何でもない顔をする。いつでもそうだ。危ない場所に立つ時も、今、この牢の中でも。お前だけで勝手に納得するな。私は何一つ納得していない」
「あなたが納得する必要ないでしょ。元々は最初に宝物庫で出会った時、こうなる運命だったんだもの。それがちょっと延期されただけよ」
そう言って髪を触る○は目を伏せる。
趙雲が柵を掴む音に目を上げた。
「もう、お前の命は、お前の意志だけで諦めていいものではなくなっている」
「趙雲…?」
「お前が死んで、私が正しいままでいて、それで私が救われると思うのか?」
○は言葉を失ったように趙雲を見つめている。
「私は…お前がいなくなる前提で、何一つ考えられない。お前を失いたくない。…お前が処刑されると言うなら、私はお前と共に罪人になっても構わない」
趙雲の絞り出すような告白が、静まり返った牢獄に落ちた。
○の唇が、微かに震える。
彼女が守ろうとした「清廉潔白な英雄」は、今、彼女自身の手によって完全に壊されていた。
けれどその人間臭い男の姿は、彼女がこれまで見てきたどんな宝物よりも、眩しく美しかった。
城からの狼煙で趙雲たち山側の部隊が動き出す。
山の中にいくつか同じ様な味方の気配を感じるが、どう見積もっても数が足りない。
趙雲たちに気づいた麓の敵兵が構える。
親衛隊が死地へと雪崩れ込む。
長く続いた乱戦で味方は散り散りになり、趙雲の周囲に残った兵はわずかだ。
刃が弾かれ、土が跳ね、隊列が歪む。
(これは持たないな)
そう覚悟した時、山側から異様な気配がした。
地鳴りの様な、足音とも怒号とも判断がつかない低い音。
麓の敵にも動揺が見えるので相手の何かではない。
木々の影を裂いて現れたのは、戦場とは別の軍団だった。
蜀の軍装でも、他国の鎧でもない、正体不明の軍勢。
装備もバラバラだが、その一つ一つの動きは統率が取れている。
その先頭で風を切って馬を走らせているのは、闇に消えたはずの○だった。
合図を出し合いながら散開していく。
謎の男たちが雪崩のように敵の横腹を突き破っていく。
それを機に劉備軍が押し返し始めた。
趙雲は周囲の敵兵をなぎ倒して○に駆け寄る。
○も趙雲に気づいて軽く手を上げた。
「○……!馬鹿者!!何故戻った!? 」
「だってあの酒器、やっぱり諦められないんですもの!」
「は…!?」
「もー!こいつら一発突っ込ませるのに、貯めこんでたお宝、全部手放しちゃったわよ!闇市への紹介状も山ほど書かされて… !私の生涯収支はこれで真っ赤っかだし、闇市での立場もなくなるし、最悪だわっ!宝物庫のお宝を百点は頂かないと!」
大袈裟な手ぶりで悔しそうにそう言った○はいつも通りだ。
「…分かった。私が交渉する」
趙雲は槍を高く掲げ、再び戦場へと躍り出た。
戦塵が収まる頃、○が連れてきた異形の兵たちは、潮が引くように音もなく山中へと消えていった。
「あー……疲れた。もう一生分働いたわ……」
○は泥にまみれた馬の上で、力なく肩を落とした。
駆け寄った趙雲と親衛隊を前に、彼女は気だるげに語り始めた。
あれは山越の精鋭たちで、かつて彼女が「裏の商い」をしていた頃の古い繋がりだという。
裏社会で名の通った彼女が闇市への強力な紹介状を書き、さらに貯め込んだ財宝をすべて差し出すことで、ようやく動かせた”その場限りの援軍”であり、○の最後の手段だった。
「馬鹿な事をしたもんだわ」と、自嘲気味に笑う○の横顔は、戦に勝利したというのに夕闇の中でどこか遠く、寂しそうに見えた。
まるで、もうこの場に留まっていないように。
趙雲はその表情の真意を測りかねていた。
命を救われた礼を言うべきか、それとも独断で外部勢力を引き入れたことを咎めるべきか。
言葉を選びあぐねているうちに、軍列は成都の城門へと近づいていく。
しかし城壁の影が見え始めると空気は一変した。
待ち構えていたのは、城の守備隊だった。
彼らは一斉に武器を構え、趙雲の隣にいる○を包囲した。
親衛隊の兵士たちが困惑して声を上げる中、○だけは驚く様子もなく、ただ静かに馬を降りる。
守備兵が○の腕を後ろ手に縛る。
趙雲は一歩踏み出し、守備兵に尋ねた。
「何のつもりだ」
答えない守備兵。
反して○はいつも通りの顔で振り向く。
彼女は囲まれながらも、趙雲に向けて、かつてないほど清々しく、それでいて綺麗な微笑みを浮かべた。
「さよなら、隊長サン」
○はそのまま、抵抗することなく兵たちに身を委ねた。
そこでやっと趙雲は理解した。
彼女は知っていたのだ。
隠していた裏の繋がりを戦場で見せてしまった自分が、もはや趙雲の副官ではいられないことを。
許可なく、劉備軍の兵として金銭で異民族の兵を投入したのは重大な軍規違反だ。
この結末を知っていたが、自分が逃げると趙雲に矛先がいくことを危惧して捕まる事を選んだ。
趙雲がそれを知ればどんな行動に出るかも分かって、何も言わずに。
(……お前は、どこまで勝手な)
兵の列が閉じて、彼女の姿は完全に消えた。
諸葛亮の前に引き出された○は、縄を打たれた姿でありながら、その瞳には一点の曇りもなかった。
「これではまるで、捕虜ではないか!」と騒いだ馬超は退室させられた。
○に掛けられた嫌疑は多数ある。
裏社会との繋がり。
独断での兵力動員。
劉備の名を使っての金銭による他勢力の懐柔。
○は全ての質問に首を縦に振り、一切抵抗しなかったらしい。
趙雲だけがその真意を、言葉にせずとも理解していた。
「あの連中を動かした件について、説明を」
冷静な問いかけに○は肩をすくめる。
「見た通りよ。私が独断で呼んで、私が連れてきた。趙雲に恨みがあったから、戦場を滅茶苦茶にしてやろうと思って」
そうして静かな空間に、○の声だけが聞こえる。
「私を殺せばいい。裏の人間と繋がりがあったのは本当よ。……趙雲に不当に取り入るまでは元々、窃盗や武器の闇取引を生業にしていたの。私は趙雲を騙して仕官した。ここの宝物庫の中身をかっさらう為にね。簡単だったわ。あの人、ああいう感じだからちょっと反省したフリして、大事にしていた小刀を預けたら心を許すんですもの」
「○、何を……!」
○の勝手な筋書きに、後ろに控えていた趙雲が声を荒らげるが、○は振り返りもしない。
「あなたたちには…趙雲が必要でしょ。あの人に裏社会との癒着や軍規違反の疑いなんて、あってはならないはずよね。こんな所で捕まった私は裏の世界で生きていけない。だから命乞いなんてしないわ。処刑ついでに私を見せしめに殺せばいい。誠実な趙雲を利用した、狡猾な悪女として」
諸葛亮は彼女の告白を黙って聞いていた。
一方、背後の趙雲は拳が白くなるほどに震えていた。
彼女が今、自分自身の命を投げ打って、趙雲の「正しさ」を守ろうとしていることに誰よりも早く気づいたからだ。
「お待ちください!○を下につけたのは、私が「うるさい!」
趙雲が声を上げた途端に○が立ち上がり、隣に立つ兵士を蹴り飛ばす。
周囲がどよめく中、○は一歩踏み出し、声を張り上げた。
「お前に私の小刀を預けたから逃げられなかっただけだわ!お前を信じさせるためにアレを渡したのが間違いだった…!巻き込まれて死ねばいいと思ってアイツらを仕向けたのよ!ここまで言われないと分からないの!?お人よしもここまで来ると笑えるわね!」
彼女の声は、広間の喧騒を塗りつぶすほどに鋭く、悲痛だった。
普段の○では考えられない剣幕で、誰にも何も言わせない気迫を発する。
そこらじゅうの物を蹴倒して暴れた。
「早く殺しておかないと、こんな所すぐに逃げ出してやるわよ!そうなったらここで仕入れた情報を持って魏にでも行ってやる!早く殺しなさい!」
大きく暴れるので兵士が○の頭を床に押し付け、猿轡を噛ませられる。
それでもあまりの暴れぶりに広間は騒然とし、議論は中断された。
冷たい石床の感触だけが伝わる牢の中で、○は暗闇を見つめていた。
鉄格子に隔てられた牢の中で、○は石の台に背を預け、まるで高級な寝台にでもいるかのように足を組んでいた。
差し込む月光を浴びるその姿には悲壮感など微塵もなく、ただ退屈を凌ぐような気だるさだけが漂っている。
床に押し付けられた時に出来た傷にそっと触れた。
あれほど暴れ、醜態を晒したのだ。
もはや自分を救おうとする者などいないはず。
そう確信し、どこか晴れやかな気持ちで死を待っていた。
そもそも○にとって人生は暇つぶしだ。
老いて美貌が失われ死んでいく位なら、美しいままで美しく死ぬのが良いとずっと思っていた。
それに、趙雲と出会って成都で過ごした数か月。
そのたった数か月で、人生の全てに満足したような気がしていた。
趙雲や馬超、×や兵士達。
自分がこの国の人間といて変わったのは、そこかもしれない。
男と寝ても、宝を手に入れても、ずっと埋まらなかった何かが埋まった感覚。
(これが、”思い残すことがない”って事なのかしら…)
そう理解すると気持ちが楽になった。
「○」
廊下に現れた趙雲が声をかけると、いつもの表情で「あら」と手を振った。
「こんばんわ。牢は慣れてるから平気よ。今までの牢で一番快適。裸でいなくていいし」
趙雲は柵の前に立つと低く言う。
「……会った時、お前は言ったな。牢など簡単に逃げられると」
「ええ。逃げられるわよ」
「なら、今すぐ、ここから逃げろ」
「逃げないわ」
「……何故だ」
「死んでもいいから」
「………。何故いつでも何でもない顔をする。いつでもそうだ。危ない場所に立つ時も、今、この牢の中でも。お前だけで勝手に納得するな。私は何一つ納得していない」
「あなたが納得する必要ないでしょ。元々は最初に宝物庫で出会った時、こうなる運命だったんだもの。それがちょっと延期されただけよ」
そう言って髪を触る○は目を伏せる。
趙雲が柵を掴む音に目を上げた。
「もう、お前の命は、お前の意志だけで諦めていいものではなくなっている」
「趙雲…?」
「お前が死んで、私が正しいままでいて、それで私が救われると思うのか?」
○は言葉を失ったように趙雲を見つめている。
「私は…お前がいなくなる前提で、何一つ考えられない。お前を失いたくない。…お前が処刑されると言うなら、私はお前と共に罪人になっても構わない」
趙雲の絞り出すような告白が、静まり返った牢獄に落ちた。
○の唇が、微かに震える。
彼女が守ろうとした「清廉潔白な英雄」は、今、彼女自身の手によって完全に壊されていた。
けれどその人間臭い男の姿は、彼女がこれまで見てきたどんな宝物よりも、眩しく美しかった。