本編【序章~15話】
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翌朝。
趙雲は早くから劉備と諸葛亮のいる軍議室へ向かった。
成都の朝は清涼で、昨日の宝物庫の騒動が嘘のように静かだ。
だが胸の奥には、まだ消えぬ緊張があった。
(あの女を使うと決めたのは私だ。ならば、この判断すべての責は私が負わねばならぬ)
「失礼いたします」
趙雲が静かに部屋へ入ると、劉備は諸葛亮との会話を中断し、穏やかな笑みを向けた。
「趙雲、どうした。朝から難しい顔をしているな」
「なにかありましたか?趙雲殿」
趙雲は深く一礼した。
「…実は昨夜、在野にて腕の立つ者を見つけました。正式に登用したく、許可を得に参りました」
劉備の眉が上がる。
「おお、それは良いことだ!趙雲にしては珍しい。どのような者だ?」
「身軽で……暗器に長け、潜入の技にも秀でております。いわば“影働き”として使える、女性です」
諸葛亮殿の扇がぴたりと止まった。
趙雲が登用した人物像にしてはいささか妙だと感じたのだろう。
「どこでそのような者に?」
胸が僅かに痛む趙雲。
姿勢を正し、静かに答えた。
「昨日の巡察で、偶然目に留まり…技を試すと、実に優れていた為に登用しました。しかし将としてはまだ未熟な為、私が責任をもって指導したいと考えております」
諸葛亮殿の眼光が細くなる。
(…気づかれたか?)
だが諸葛亮は扇を軽く揺らした。
「ふむ。あなたが選んだ者なら信頼できるのでしょう。力量も見た、と」
「はい。私が保証いたします」
劉備殿は快活に笑う。
「趙雲、お前がそこまで言うなら分かった。その者、本日から正式に隊へ入れよ」
(これで建前は整ったか)
しかし、諸葛亮殿は扇越しに趙雲を見たまま、小さく意味深に言った。
「ただし──”その手の者”は扱い方には気を付けなさい」
その言葉が何を指すか、趙雲は敢えて考えないようにした。
「心得ております」
と、深く一礼して部屋を出た。
趙雲が自室に戻ると、○は平然と部屋の隅の椅子に座り、帯を巻き直していた。
「おかえり、隊長さん」
軽い声。
その軽さが逆に、趙雲の警戒を強める。
「…勝手に歩き回ってはいないだろうな」
「歩いてないわ」
○が逃げる可能性は限りなく高い。
そのため趙雲は昨夜、自室の一角に衝立と寝台を置いて○をそこに寝泊まりさせた。
別室にしたら勝手に城内を歩き回りかねないからだ。
この部屋なら、槍の位置、出入口、窓、床の軋みまで全て把握できている。
出入り口近くの自身の寝台でなら、寝ていても誰かが通ればすぐに気が付ける自信もある。
さらに彼女が得意としているのであろう色仕掛けにも心が動かない。
ただし上には、同室の許可を取っていない。
趙雲は自分がここまで規則を破ることが出来る人間だとは思わなかった。
「これらの武器は返すが、城内では不用意に持ち歩くな。将軍以外は小刀以上の武器の携帯は規則違反だ」
昨夜取り上げた武器を入れた布袋を渡すと、○は適当に1、2本の小刀を腰に差しながら言う。
「で?上の人たちは信じてくれた?」
「…昨夜言った通り、在野からの登用として通した」
「さすがね。あなたが一言添えれば、多少無理な陳情も通ってしまう、と。巷で聞いていた噂の人物像とは全然違うのね。なかなかワルねぇ」
「噂など知らん」
いちいち人を試すような…神経を逆なでするような言い方に、趙雲は顔を背ける。
○は軽くその場で身体を伸ばすと、趙雲を覗き込んだ。
「じゃあ、今日から私は“正式な部下”ね?」
「そうだ」
「で?私の部屋は?」
「用意はされるそうだが、実際に寝泊まりするのはしばらくここだ。お前は見張っておかねばならん」
「そうなの?私は良いけど」
「私も問題はない。ここに置くのが最も安全だ。お前ならば周りに見られぬように、部屋に入れるだろう」
「いいわね~二人だけの秘密っ」
○は満足げに笑みを深めた。
「じゃあ、よろしくね。隊長さん?」
趙雲は深く息をついた。
(……この女を拾ったのは、正しかったのか?)
その問いの答えは、まだ分からない。
*****
成都営舎はざわめきに包まれていた。
兵士たちは朝の鍛錬に備え、武具の点検をしている。
その中を趙雲は静かに歩いた。
後ろには顔を隠していない姿の○がついてくる。
視線が集まるのは当然だった。
その顔。
露出の高い服でありながら漂う気品。
妖艶な身のこなし。
漂う雰囲気。
ここに来るまでも通り過ぎる者は皆、振り返って見ていた。
鍛錬場の中央に出たところで、趙雲は振り返り、兵を集めた。
「全員、静まれ」
兵たちの声が止む。
趙雲の親衛隊達が一番近くに来る。
「本日より、新たに一名を私兵として迎える。在野で腕を見込み、登用した者だ。○という」
ざわり、と兵たちの間に微かな驚きが走る。
特に趙雲直属の親衛隊。
不服でも驚きでもなく、純粋な好奇心の混ざった目。
趙雲は続ける。
「彼女は影働きに長け、潜入・索敵において高い技能を持つ。私が直接指揮し、任務範囲は私が定める事となった。偵察に出ることが主だから、皆と戦場に出ることは少ないだろうが顔を知ってやってほしい」
○は軽く片眉を上げ、余裕の笑みを浮かべていた。
「知ってほしいって…すぐに覚えてくれるわよ。ねえ?」
ニコッと微笑むと数人の兵士が顔を緩ませた。
趙雲は冷静に付け加える。
「余計なことは言うな」
「だって…挨拶でしょ」
「…」
黙って睨む趙雲に、○は肩をすくめる。
「以上だ。持ち場に戻れ。私は彼女を連れてまだあいさつ回りへ向かう……ついてこい」
歩き出す趙雲の後ろについて行きながら、○は親衛隊に手を振った。
数人の兵士が嬉しそうに手を振り返した。
趙雲は城内の案内も含めて、○を連れて食堂前の回廊を歩いていた。
朝食の匂いが漂い、兵や女官たちが慌ただしく行き交う時間帯だ。
すると。
「まあ、趙雲様……!」
「おはようございます、趙雲様」
数名どころか十名近い女官が、一斉にこちらへ駆け寄ってきた。
彼女たちは○の姿など見えていないかのように趙雲を取り囲む。
趙雲は○には見せていない柔らかい笑みで応じる。
丁寧な会釈。
穏やかな声色。
揺るぎない礼節。
女官たちは頬を染め、口々に声をかける。
「今日の鍛錬はもうお済みなのですか?」
「よろしければ、午後にお茶を──」
(人のこと言えるのかしら、この人。私よりタチ悪そうだけど…)
少し離れた場所で、その光景を退屈そうに眺めていた○。
近くの壁にもたれて髪をいじる。
すると数人の女官が○を見て、不機嫌そうにささやく。
「あの方が…新しい登用のヒト?」
「あれで副官?」
「なんてふしだらな恰好なの。場違いじゃない?」
「趙雲様と並ぶなんて…」
趙雲から少し離れているので、○の耳にだけ届く程度の声量。
(なるほどね。面白そう)
○はゆっくり歩き出し、女官の輪へそのまま割って入った。
気配だけでピリッとする。
○は趙雲の横に立ち、わざと彼の肩に指先を滑らせて身体を寄せて絡ませる。
「ねぇ隊長さん。私、待ってるのも退屈になっちゃったわ。もう行きましょうよ」
女官たちの顔が一瞬で険しくなる。
しかし趙雲は、何事もないかの様に穏やかなまま。
「○、やめろ。公務の場だ」
「公務の場じゃなければいいの?」
「あげ足を取るな」
感情を込めることなく咎めた。
○は目を細め、女官たちを見渡す。
「ごめんなさいね。私、こう見えても“副官”なの。ずっと一緒にいる様にって隊長さんが直々に任命したのよ?ねぇ」
女官たちの表情に、怒りと戸惑いが混じる。
微笑んで○は傍にいる女官を正面から見る。
美しい顔は威圧的だ。
「そんなに睨まなくてもいいじゃない。言っておくけど、私、嫉妬には慣れてるから何を言っても無駄よ?美人の義務だわ」
周囲は誰も返せない。
気圧されたのか怒ったのか、言葉にならない感情が渦巻くだけだ。
趙雲は小さく息を吐き、静かに言う。
「○、もう行くぞ。早速夕方から任務が入っているから説明をする」
そう言って歩き出す趙雲に、○は楽しげな足取りでついて行く。
背後で女官たちがしばらく呆然と見送った。
趙雲は全く振り返らないし、○にも何も言わない。
余計な火種を気にする様子もない。
彼にとって○の悪戯も、女官たちの嫉妬も、すべて任務に関係のない雑音でしかなかった。
好きにすればいいと思っている。
趙雲は早くから劉備と諸葛亮のいる軍議室へ向かった。
成都の朝は清涼で、昨日の宝物庫の騒動が嘘のように静かだ。
だが胸の奥には、まだ消えぬ緊張があった。
(あの女を使うと決めたのは私だ。ならば、この判断すべての責は私が負わねばならぬ)
「失礼いたします」
趙雲が静かに部屋へ入ると、劉備は諸葛亮との会話を中断し、穏やかな笑みを向けた。
「趙雲、どうした。朝から難しい顔をしているな」
「なにかありましたか?趙雲殿」
趙雲は深く一礼した。
「…実は昨夜、在野にて腕の立つ者を見つけました。正式に登用したく、許可を得に参りました」
劉備の眉が上がる。
「おお、それは良いことだ!趙雲にしては珍しい。どのような者だ?」
「身軽で……暗器に長け、潜入の技にも秀でております。いわば“影働き”として使える、女性です」
諸葛亮殿の扇がぴたりと止まった。
趙雲が登用した人物像にしてはいささか妙だと感じたのだろう。
「どこでそのような者に?」
胸が僅かに痛む趙雲。
姿勢を正し、静かに答えた。
「昨日の巡察で、偶然目に留まり…技を試すと、実に優れていた為に登用しました。しかし将としてはまだ未熟な為、私が責任をもって指導したいと考えております」
諸葛亮殿の眼光が細くなる。
(…気づかれたか?)
だが諸葛亮は扇を軽く揺らした。
「ふむ。あなたが選んだ者なら信頼できるのでしょう。力量も見た、と」
「はい。私が保証いたします」
劉備殿は快活に笑う。
「趙雲、お前がそこまで言うなら分かった。その者、本日から正式に隊へ入れよ」
(これで建前は整ったか)
しかし、諸葛亮殿は扇越しに趙雲を見たまま、小さく意味深に言った。
「ただし──”その手の者”は扱い方には気を付けなさい」
その言葉が何を指すか、趙雲は敢えて考えないようにした。
「心得ております」
と、深く一礼して部屋を出た。
趙雲が自室に戻ると、○は平然と部屋の隅の椅子に座り、帯を巻き直していた。
「おかえり、隊長さん」
軽い声。
その軽さが逆に、趙雲の警戒を強める。
「…勝手に歩き回ってはいないだろうな」
「歩いてないわ」
○が逃げる可能性は限りなく高い。
そのため趙雲は昨夜、自室の一角に衝立と寝台を置いて○をそこに寝泊まりさせた。
別室にしたら勝手に城内を歩き回りかねないからだ。
この部屋なら、槍の位置、出入口、窓、床の軋みまで全て把握できている。
出入り口近くの自身の寝台でなら、寝ていても誰かが通ればすぐに気が付ける自信もある。
さらに彼女が得意としているのであろう色仕掛けにも心が動かない。
ただし上には、同室の許可を取っていない。
趙雲は自分がここまで規則を破ることが出来る人間だとは思わなかった。
「これらの武器は返すが、城内では不用意に持ち歩くな。将軍以外は小刀以上の武器の携帯は規則違反だ」
昨夜取り上げた武器を入れた布袋を渡すと、○は適当に1、2本の小刀を腰に差しながら言う。
「で?上の人たちは信じてくれた?」
「…昨夜言った通り、在野からの登用として通した」
「さすがね。あなたが一言添えれば、多少無理な陳情も通ってしまう、と。巷で聞いていた噂の人物像とは全然違うのね。なかなかワルねぇ」
「噂など知らん」
いちいち人を試すような…神経を逆なでするような言い方に、趙雲は顔を背ける。
○は軽くその場で身体を伸ばすと、趙雲を覗き込んだ。
「じゃあ、今日から私は“正式な部下”ね?」
「そうだ」
「で?私の部屋は?」
「用意はされるそうだが、実際に寝泊まりするのはしばらくここだ。お前は見張っておかねばならん」
「そうなの?私は良いけど」
「私も問題はない。ここに置くのが最も安全だ。お前ならば周りに見られぬように、部屋に入れるだろう」
「いいわね~二人だけの秘密っ」
○は満足げに笑みを深めた。
「じゃあ、よろしくね。隊長さん?」
趙雲は深く息をついた。
(……この女を拾ったのは、正しかったのか?)
その問いの答えは、まだ分からない。
*****
成都営舎はざわめきに包まれていた。
兵士たちは朝の鍛錬に備え、武具の点検をしている。
その中を趙雲は静かに歩いた。
後ろには顔を隠していない姿の○がついてくる。
視線が集まるのは当然だった。
その顔。
露出の高い服でありながら漂う気品。
妖艶な身のこなし。
漂う雰囲気。
ここに来るまでも通り過ぎる者は皆、振り返って見ていた。
鍛錬場の中央に出たところで、趙雲は振り返り、兵を集めた。
「全員、静まれ」
兵たちの声が止む。
趙雲の親衛隊達が一番近くに来る。
「本日より、新たに一名を私兵として迎える。在野で腕を見込み、登用した者だ。○という」
ざわり、と兵たちの間に微かな驚きが走る。
特に趙雲直属の親衛隊。
不服でも驚きでもなく、純粋な好奇心の混ざった目。
趙雲は続ける。
「彼女は影働きに長け、潜入・索敵において高い技能を持つ。私が直接指揮し、任務範囲は私が定める事となった。偵察に出ることが主だから、皆と戦場に出ることは少ないだろうが顔を知ってやってほしい」
○は軽く片眉を上げ、余裕の笑みを浮かべていた。
「知ってほしいって…すぐに覚えてくれるわよ。ねえ?」
ニコッと微笑むと数人の兵士が顔を緩ませた。
趙雲は冷静に付け加える。
「余計なことは言うな」
「だって…挨拶でしょ」
「…」
黙って睨む趙雲に、○は肩をすくめる。
「以上だ。持ち場に戻れ。私は彼女を連れてまだあいさつ回りへ向かう……ついてこい」
歩き出す趙雲の後ろについて行きながら、○は親衛隊に手を振った。
数人の兵士が嬉しそうに手を振り返した。
趙雲は城内の案内も含めて、○を連れて食堂前の回廊を歩いていた。
朝食の匂いが漂い、兵や女官たちが慌ただしく行き交う時間帯だ。
すると。
「まあ、趙雲様……!」
「おはようございます、趙雲様」
数名どころか十名近い女官が、一斉にこちらへ駆け寄ってきた。
彼女たちは○の姿など見えていないかのように趙雲を取り囲む。
趙雲は○には見せていない柔らかい笑みで応じる。
丁寧な会釈。
穏やかな声色。
揺るぎない礼節。
女官たちは頬を染め、口々に声をかける。
「今日の鍛錬はもうお済みなのですか?」
「よろしければ、午後にお茶を──」
(人のこと言えるのかしら、この人。私よりタチ悪そうだけど…)
少し離れた場所で、その光景を退屈そうに眺めていた○。
近くの壁にもたれて髪をいじる。
すると数人の女官が○を見て、不機嫌そうにささやく。
「あの方が…新しい登用のヒト?」
「あれで副官?」
「なんてふしだらな恰好なの。場違いじゃない?」
「趙雲様と並ぶなんて…」
趙雲から少し離れているので、○の耳にだけ届く程度の声量。
(なるほどね。面白そう)
○はゆっくり歩き出し、女官の輪へそのまま割って入った。
気配だけでピリッとする。
○は趙雲の横に立ち、わざと彼の肩に指先を滑らせて身体を寄せて絡ませる。
「ねぇ隊長さん。私、待ってるのも退屈になっちゃったわ。もう行きましょうよ」
女官たちの顔が一瞬で険しくなる。
しかし趙雲は、何事もないかの様に穏やかなまま。
「○、やめろ。公務の場だ」
「公務の場じゃなければいいの?」
「あげ足を取るな」
感情を込めることなく咎めた。
○は目を細め、女官たちを見渡す。
「ごめんなさいね。私、こう見えても“副官”なの。ずっと一緒にいる様にって隊長さんが直々に任命したのよ?ねぇ」
女官たちの表情に、怒りと戸惑いが混じる。
微笑んで○は傍にいる女官を正面から見る。
美しい顔は威圧的だ。
「そんなに睨まなくてもいいじゃない。言っておくけど、私、嫉妬には慣れてるから何を言っても無駄よ?美人の義務だわ」
周囲は誰も返せない。
気圧されたのか怒ったのか、言葉にならない感情が渦巻くだけだ。
趙雲は小さく息を吐き、静かに言う。
「○、もう行くぞ。早速夕方から任務が入っているから説明をする」
そう言って歩き出す趙雲に、○は楽しげな足取りでついて行く。
背後で女官たちがしばらく呆然と見送った。
趙雲は全く振り返らないし、○にも何も言わない。
余計な火種を気にする様子もない。
彼にとって○の悪戯も、女官たちの嫉妬も、すべて任務に関係のない雑音でしかなかった。
好きにすればいいと思っている。