本編【31話~最終話】
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翌朝。
趙雲は×と向かい合い、湯気の立つ椀に箸を伸ばしている。
言葉は多くないが落ち着いた空気のいつもの朝餉。
その静けさを破ったのは、廊下からの足音だった。
ツカツカと足音がして、「ちょっと聞いてよ!」という声と同時に、○が飛び込んでくる。
どん、と趙雲の背中に飛びつく。
「――っ」
趙雲は思わず前のめりになり、箸の上から白米が零れ落ちた。
×が目を見開く。
だが、○はまったく気にした様子もない。
「聞いてよ~、もう!すっごくいい話!」
「……まさか、○」
趙雲は箸を置き、呆れた目で彼女を見る。
「朝まで蔵にいたのか?」
「当然。ちなみに一刻しか寝てないわ。寝てなんかいられますかって」
○は慣れた仕草で、座っている趙雲の肩に腕を回すと語り掛けた。
「諸葛亮殿がね、私の“的確な真贋”に免じて、骨董品を一つ、好きな物をくれるんですって〜!」
嬉しそうに半ば抱き着くように身を寄せる。
「どれでもよ? ど れ で も!」
「……」
趙雲は零れた米を袖で払いながらため息をついた。
「それで?」
「ねぇ、あの酒器を頂こうかと思うの。なんてったって思い出の品でしょ?そうと分かれば早く片づけを終わらせないとっ」
例の棚の上段にあった、金の装飾を施された古代蜀の酒器。
それを聞いた趙雲の口元が、わずかに緩んだ。
「……ふふっ」
抑えきれずに漏れた笑み。
それを、×は見逃さなかった。
箸を持つ手が、ぴたりと止まる。
(…今、笑った?)
自分と向き合っている時に見せる、穏やかな微笑とは違う、無防備な表情だった。
「……」
×は視線を伏せる。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
「そうそう」
○は趙雲の肩を開放すると、隣に座って古い紙を取り出して開く。
「例の酒器の中から、こんな封が出てきたのよ。この紙に書かれた模様。これと同じものが貼られた箱を、城下の骨董屋で見かけた気がするの」
趙雲の箸が、わずかに止まる。
「今日、不要な品をいくつか親衛隊の子たちが城下に売りに行くでしょ?それでついでにその店に行こうと思ってて。一緒に行かない? これ、多分「きょ、今日の午後は……」
×の声が割り込んだ。
思いのほか大きく、張りつめた声音だった。
「……城下への買い出しに、お付き合いいただくお約束をしております……っ」
「あら、そうなの?なぁに、仕事にかこつけた逢引き?いいわねぇ」
「……○」
趙雲は低く、制するように名を呼ぶが、○は気にした様子もなく肩をすくめた。
「別にいいじゃない。仕事しながら好きな人とお出かけ。楽しいわよね。一石二鳥」
悪びれもせず明るい調子で続ける。
×は”好きな人”という言葉に口ごもる。
「あと…趙雲様は、食事中です、から。…お静かに」
○は笑った。
「ホホホ…ごめんなさいね。趣味の話となるとつい。…ま、とりあえず、売られちゃうと嫌だから、私は骨董屋に行くわね」
そう言って、何事もなかったように配膳の列へ向かう。
去っていく○の背を見送った趙雲は、×を見る。
責めるでもなく、問い詰めるでもない。
ただ、事実を確かめるように聞いた。
「約束など、したか?」
×は言葉に詰まったが、それからはっきりと答えた。
「いえ。これから、お願いするつもりでした…」
声は小さい。
その返答に、趙雲は内心でわずかに息を止める。
仕事ではある。
城下への買い出しも、文官として正当な用務だ。
荷物も多いだろう。
○の遊びのような用事と並べて比べるものではない。
それでも×が、このような…囲い込む様な言い方をしたのは、趙雲の知る限り初めてだった。
いつもは順序を守り、言葉を選び、必要以上の感情を持ち込まない。
その×が、今はわずかに肩を強張らせ視線を伏せたまま、それでも引かずにいる。
(……驚いたな)
趙雲はそう思いながらも、顔には出さず頷く。
「……分かった」
「ありがとうございます」
趙雲はそっと微笑んだ×から、○に視線を移す。
○はもうこちらなど気にした様子もなく、あの紙を眺めながら食事をしている。
その内、馬超や親衛隊が周囲に座る。
そのいつも通りの姿がかえって胸に引っかかる。
趙雲は椀に残った米を見下ろしながら、自分が今、誰の何を気にしているのかをまだ言葉にできずにいた。
*****
趙雲は×と並び、城下の通りを歩いていた。
文官の買い出しは量が多い。
筆は消耗が激しく、紙は質と枚数が要る。
包みを受け取るたび、荷は確実に増えていった。
途中、軒を連ねる店の中に骨董屋らしき構えがいくつも見える。
年季の入った看板、埃を払われたばかりの木箱、奥に控える棚。
だが、どれが○の言っていた店なのか、判別はつかなかった。
なんとなく視線を流していると、×が顔を覗き込む。
「……気になりますか?」
「いや」
×が、歩調を合わせたまま静かに尋ねた。
趙雲は即座に首を横に振る。
二人の歩みは、再び買い出しへと戻った。
筆の束を受け取り、紙の質を確かめ、代金を支払いながらも、趙雲の意識の端には朝の○の背中がわずかに残っていた。
文官の隣で城務に徹する。
それが今の自分の立場であり仕事だ。
それでも骨董屋の軒先を通り過ぎるたび、無意識に歩幅が緩んでしまうことを、趙雲自身が一番よく分かっていた。
×は、終始にこやかだった。
紙の束を抱え直しながら、「この紙は湿気に強いそうですよ」「こちらの筆は、字幅が安定すると評判で」と話題を切らさず、軽やかに話す。
その声色は、いつもより少し明るい。
歩幅も、ほんのわずかに弾んでいる。
(朝の、あの笑顔をもう一度見たい)
×の心はそれで一杯だった。
趙雲は変わらず淡々と応じる。
その度に×の顔を見て頷き話し、歩幅を合わせてくれる。
○のように、笑いながら腕を取ることもできない。
けれどこうして並び、同じ目的で歩き、彼と時間を共有できている。
それだけで十分だと思いたかった。
趙雲が荷を持ち替えるため立ち止まる。
その横顔を×は盗み見た。
(笑ってくださらない)
けれどこうして自分が話し続けていれば、いつかまた、自分の手であの柔らかな表情が見られるかもしれない。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
「趙雲様、次は紙屋です」
明るく告げると、趙雲は短く「分かった」と答え歩き出す。
×は静かに並びながら趙雲の“仕事の顔”の奥にある、ほんの一瞬の笑みを探していた。
買い出しが終わる頃には、身体に疲れが出てきた。
「少し店で休んでから戻ろう」
趙雲がそう言うと、×はハッと顔を綻ばせる。
「よろしいのですか?」
「この量だ。無理をして戻るより、軽く腹に入れてからの方がいい」
城下の小さな茶店。
仕事帰りの商人や文官が静かに腰を下ろす、落ち着いた場所だった。
湯気の立つ茶と、簡素な点心が運ばれる。
×は両手で茶碗を包み込み、ほっと息をついた。
「ありがとうございます。正直、少し足が張っていて」
「無理をさせたな。気づいてやれず悪かった」
趙雲の声は穏やかだった。
とりとめのない話をする。
趙雲の返答はいつも通り簡潔で、要点だけを押さえていた。
しかし×は、ふと話題を変えた。
「あの…○殿とは、こうして外でお食事をなさることはあるのですか?」
「○?」
趙雲は一拍置いてから答える。
「ないな。任務中も彼女は干し肉や携行食しか食べない。食べることに興味がないわけではなさそうだが、腹を満たすと動きにくくなると言って、外ではあまり量は食べない」
続いた言葉はわずかに調子が変わる。
「……屋台を見ても、食べ物云々よりも来歴を見ている。その食べ物がどうやって伝わったのかだとか、そういうウンチクがうるさくてかなわない。あれは変人だ」
×は静かに茶を口に運びながら聞いていた。
仕事の話をしているときの趙雲は、短く迷いがない。
だが今は…彼の心で感じた事を話しているような気配。
×は柔らかく相槌を打つ。
「……○殿らしい、と言えばそうですね」
趙雲は「そうだな」と小さく頷いた。
その声は低く、どこか含みを帯びている。
×は気づいてしまった。
自分が持ち出す話では決して出てこない空気。
○の話になると趙雲は饒舌だ。
愚痴を零しながらも、表情は言葉とは裏腹。
「趙雲様。誰かとこうして、ゆっくり食事をするのは…久しぶりですか?」
「……ああ」
短い返事だったが肯定する。
その言葉だけで、胸の奥に静かな満足が広がった。
趙雲は茶を一口飲み、視線を落とす。
自分でも気づいていない…あるいは、気づかないふりをしている趙雲の変化が確かに滲み出ていた。
趙雲は×と向かい合い、湯気の立つ椀に箸を伸ばしている。
言葉は多くないが落ち着いた空気のいつもの朝餉。
その静けさを破ったのは、廊下からの足音だった。
ツカツカと足音がして、「ちょっと聞いてよ!」という声と同時に、○が飛び込んでくる。
どん、と趙雲の背中に飛びつく。
「――っ」
趙雲は思わず前のめりになり、箸の上から白米が零れ落ちた。
×が目を見開く。
だが、○はまったく気にした様子もない。
「聞いてよ~、もう!すっごくいい話!」
「……まさか、○」
趙雲は箸を置き、呆れた目で彼女を見る。
「朝まで蔵にいたのか?」
「当然。ちなみに一刻しか寝てないわ。寝てなんかいられますかって」
○は慣れた仕草で、座っている趙雲の肩に腕を回すと語り掛けた。
「諸葛亮殿がね、私の“的確な真贋”に免じて、骨董品を一つ、好きな物をくれるんですって〜!」
嬉しそうに半ば抱き着くように身を寄せる。
「どれでもよ? ど れ で も!」
「……」
趙雲は零れた米を袖で払いながらため息をついた。
「それで?」
「ねぇ、あの酒器を頂こうかと思うの。なんてったって思い出の品でしょ?そうと分かれば早く片づけを終わらせないとっ」
例の棚の上段にあった、金の装飾を施された古代蜀の酒器。
それを聞いた趙雲の口元が、わずかに緩んだ。
「……ふふっ」
抑えきれずに漏れた笑み。
それを、×は見逃さなかった。
箸を持つ手が、ぴたりと止まる。
(…今、笑った?)
自分と向き合っている時に見せる、穏やかな微笑とは違う、無防備な表情だった。
「……」
×は視線を伏せる。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
「そうそう」
○は趙雲の肩を開放すると、隣に座って古い紙を取り出して開く。
「例の酒器の中から、こんな封が出てきたのよ。この紙に書かれた模様。これと同じものが貼られた箱を、城下の骨董屋で見かけた気がするの」
趙雲の箸が、わずかに止まる。
「今日、不要な品をいくつか親衛隊の子たちが城下に売りに行くでしょ?それでついでにその店に行こうと思ってて。一緒に行かない? これ、多分「きょ、今日の午後は……」
×の声が割り込んだ。
思いのほか大きく、張りつめた声音だった。
「……城下への買い出しに、お付き合いいただくお約束をしております……っ」
「あら、そうなの?なぁに、仕事にかこつけた逢引き?いいわねぇ」
「……○」
趙雲は低く、制するように名を呼ぶが、○は気にした様子もなく肩をすくめた。
「別にいいじゃない。仕事しながら好きな人とお出かけ。楽しいわよね。一石二鳥」
悪びれもせず明るい調子で続ける。
×は”好きな人”という言葉に口ごもる。
「あと…趙雲様は、食事中です、から。…お静かに」
○は笑った。
「ホホホ…ごめんなさいね。趣味の話となるとつい。…ま、とりあえず、売られちゃうと嫌だから、私は骨董屋に行くわね」
そう言って、何事もなかったように配膳の列へ向かう。
去っていく○の背を見送った趙雲は、×を見る。
責めるでもなく、問い詰めるでもない。
ただ、事実を確かめるように聞いた。
「約束など、したか?」
×は言葉に詰まったが、それからはっきりと答えた。
「いえ。これから、お願いするつもりでした…」
声は小さい。
その返答に、趙雲は内心でわずかに息を止める。
仕事ではある。
城下への買い出しも、文官として正当な用務だ。
荷物も多いだろう。
○の遊びのような用事と並べて比べるものではない。
それでも×が、このような…囲い込む様な言い方をしたのは、趙雲の知る限り初めてだった。
いつもは順序を守り、言葉を選び、必要以上の感情を持ち込まない。
その×が、今はわずかに肩を強張らせ視線を伏せたまま、それでも引かずにいる。
(……驚いたな)
趙雲はそう思いながらも、顔には出さず頷く。
「……分かった」
「ありがとうございます」
趙雲はそっと微笑んだ×から、○に視線を移す。
○はもうこちらなど気にした様子もなく、あの紙を眺めながら食事をしている。
その内、馬超や親衛隊が周囲に座る。
そのいつも通りの姿がかえって胸に引っかかる。
趙雲は椀に残った米を見下ろしながら、自分が今、誰の何を気にしているのかをまだ言葉にできずにいた。
*****
趙雲は×と並び、城下の通りを歩いていた。
文官の買い出しは量が多い。
筆は消耗が激しく、紙は質と枚数が要る。
包みを受け取るたび、荷は確実に増えていった。
途中、軒を連ねる店の中に骨董屋らしき構えがいくつも見える。
年季の入った看板、埃を払われたばかりの木箱、奥に控える棚。
だが、どれが○の言っていた店なのか、判別はつかなかった。
なんとなく視線を流していると、×が顔を覗き込む。
「……気になりますか?」
「いや」
×が、歩調を合わせたまま静かに尋ねた。
趙雲は即座に首を横に振る。
二人の歩みは、再び買い出しへと戻った。
筆の束を受け取り、紙の質を確かめ、代金を支払いながらも、趙雲の意識の端には朝の○の背中がわずかに残っていた。
文官の隣で城務に徹する。
それが今の自分の立場であり仕事だ。
それでも骨董屋の軒先を通り過ぎるたび、無意識に歩幅が緩んでしまうことを、趙雲自身が一番よく分かっていた。
×は、終始にこやかだった。
紙の束を抱え直しながら、「この紙は湿気に強いそうですよ」「こちらの筆は、字幅が安定すると評判で」と話題を切らさず、軽やかに話す。
その声色は、いつもより少し明るい。
歩幅も、ほんのわずかに弾んでいる。
(朝の、あの笑顔をもう一度見たい)
×の心はそれで一杯だった。
趙雲は変わらず淡々と応じる。
その度に×の顔を見て頷き話し、歩幅を合わせてくれる。
○のように、笑いながら腕を取ることもできない。
けれどこうして並び、同じ目的で歩き、彼と時間を共有できている。
それだけで十分だと思いたかった。
趙雲が荷を持ち替えるため立ち止まる。
その横顔を×は盗み見た。
(笑ってくださらない)
けれどこうして自分が話し続けていれば、いつかまた、自分の手であの柔らかな表情が見られるかもしれない。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
「趙雲様、次は紙屋です」
明るく告げると、趙雲は短く「分かった」と答え歩き出す。
×は静かに並びながら趙雲の“仕事の顔”の奥にある、ほんの一瞬の笑みを探していた。
買い出しが終わる頃には、身体に疲れが出てきた。
「少し店で休んでから戻ろう」
趙雲がそう言うと、×はハッと顔を綻ばせる。
「よろしいのですか?」
「この量だ。無理をして戻るより、軽く腹に入れてからの方がいい」
城下の小さな茶店。
仕事帰りの商人や文官が静かに腰を下ろす、落ち着いた場所だった。
湯気の立つ茶と、簡素な点心が運ばれる。
×は両手で茶碗を包み込み、ほっと息をついた。
「ありがとうございます。正直、少し足が張っていて」
「無理をさせたな。気づいてやれず悪かった」
趙雲の声は穏やかだった。
とりとめのない話をする。
趙雲の返答はいつも通り簡潔で、要点だけを押さえていた。
しかし×は、ふと話題を変えた。
「あの…○殿とは、こうして外でお食事をなさることはあるのですか?」
「○?」
趙雲は一拍置いてから答える。
「ないな。任務中も彼女は干し肉や携行食しか食べない。食べることに興味がないわけではなさそうだが、腹を満たすと動きにくくなると言って、外ではあまり量は食べない」
続いた言葉はわずかに調子が変わる。
「……屋台を見ても、食べ物云々よりも来歴を見ている。その食べ物がどうやって伝わったのかだとか、そういうウンチクがうるさくてかなわない。あれは変人だ」
×は静かに茶を口に運びながら聞いていた。
仕事の話をしているときの趙雲は、短く迷いがない。
だが今は…彼の心で感じた事を話しているような気配。
×は柔らかく相槌を打つ。
「……○殿らしい、と言えばそうですね」
趙雲は「そうだな」と小さく頷いた。
その声は低く、どこか含みを帯びている。
×は気づいてしまった。
自分が持ち出す話では決して出てこない空気。
○の話になると趙雲は饒舌だ。
愚痴を零しながらも、表情は言葉とは裏腹。
「趙雲様。誰かとこうして、ゆっくり食事をするのは…久しぶりですか?」
「……ああ」
短い返事だったが肯定する。
その言葉だけで、胸の奥に静かな満足が広がった。
趙雲は茶を一口飲み、視線を落とす。
自分でも気づいていない…あるいは、気づかないふりをしている趙雲の変化が確かに滲み出ていた。