本編【31話~最終話】
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○は寝台に仰向けになり、天井の梁をぼんやりと見つめていた。
頭の中で、書簡の記号を思い出す。
ここ数日の調べで分かってきた。
あれは経路図だ。
それも、成都の城から外へ抜けるための経路。
書きぶりが妙に丁寧だったことから、土地勘のある者に向けたものではない。
そして書かれていた記号は、おそらく古くに呉で使われているもの。
呉の者で古い地図の記号を学んでいれば分かりそうな程度の。
(あて先は…孫夫人かしらね)
同盟が順調であれば不要なもの。
それがここで見つかった。
○はこれを闇市で見つけた。
金に困った裏の人間が宝の地図かの様に売ってしまったのだろう。
どうせ呉の上層部にしか読み解ける人間はいないと思って。
(でも…あの諸葛亮の事だから、同盟が揺らいでいることくらいお見通しよね)
そこでふと思う。
数日前から劉備が遠征に出て留守にしている。
そして自分がこれを手に入れたのはつい最近。
呉は劉備がこれ以上勢力を拡げることをどう思うのだろう。
同盟関係であっても敵国だ。
そして孫尚香の姿を見かけることが、最近めっきりと減った。
(もしかして軟禁状態とか?)
この書簡に書かれている事と、今起きていることの確認がしたい。
趙雲はまだ部屋に帰っていないので、ここぞとばかりに○は大急ぎで部屋をでた。
孫尚香の住まう離れは、○にとっては都合がいい位に庭木があって、隠れるにはちょうど良かった。
忍びより、孫尚香の世話をする女官の声に耳をすませる。
『今日も部屋から出さぬようにと』
『窓から出て行こうとされたことも』
『あそこは格子をつけたから大丈夫よ』
そんな声がした。
女官ごときの警備など○からすればザルだ。
そっと窓際に向かう。
唯一の窓、格子窓の中を覗くと孫尚香がいた。
○はあらかじめ作っておいた書簡の写しを、窓の隙間から差し込んだ。
カサ、という小さな音を聞き逃さなかった孫尚香がそれを拾った気配がして、○は傍の茂みに隠れる。
案の定、孫尚香は窓を少し開けて外を見た。
『…○なんでしょ』
小声で告げられた意外な言葉に○は目を見開く。
○は茂みの中から姿を現す。
『どうして分かったの?』
『こんな事する人なんて、あなたしか思い浮かばなかったわ』
孫尚香は楽しそうに笑う。
『これ、写しが間違えてるの。どこかは教えられないけど、他国の人間が写したら癖が分かる様にね。だから今、これを差し込んだのは呉の人間じゃないってすぐに分かったわ』
『賢いわね…書き順が違ったのかしら』
鋭い視点に孫尚香は笑う。
『あなた、監視されてるの?』
『…ええ、息が詰まりそう。窓にも格子をつけられて…自由に歩ける場所も日に日に減ってるわ。実はね…母様が倒れたって手紙が届いたの。だから一度、呉に帰りたいって相談したらこの有様よ』
そう言って落ち込んだ様子の孫尚香に、○はふと笑う。
『ねえ。明日の夜までに、格子を私が緩めておいてあげる』
『えっ…』
『大丈夫よ。勝手に壊れたように偽装できるから』
『そうじゃなくてっ』
『あなた…趙雲殿の副官なんでしょ?こんな事、彼が知ったら…』
『私はその、”ここ”では誰も読み解くことのできない書簡を落としてしまった。それを、たまたま読み解けるあなたが拾った。格子は腕の悪い職人のせいで壊れた。…どう?実際にその書簡、骨董屋に売ってあったし』
『…どうしてそんな事をするの?』
『私ね、籠の鳥は逃がしたくなるの。それにここでは客将の様な扱いだし、孫劉同盟なんてどうでもいいわ』
『……』
『どうするのかは、あなたが決めたらいいわ』
○はそう言うと気配を消した。
*****
夜半。
城が最も静まる刻。
孫尚香は灯りを落とした室内で衣を整えていた。
普段の奥方としての装いではない。
動きやすく、なるべく音を立てない服だ。
鏡に映る自分の顔は、思ったよりも落ち着いている。
○に見せられた逃走経路の地図は、頭の中で何度もなぞった。
孫尚香は○が壊した格子窓から出ていく。
そしてその足で向かったのは阿斗の寝室。
実はあの書簡の写しの中に、○が解読できていなかった部分があったのだ。
”世継ぎの誘拐”があの中には書かれていた。
阿斗の寝室には乳母がいたが、うたた寝している。
(誘拐できそうになければ、するつもりはなかったけど…)
孫尚香はそっと阿斗を抱く。
うっすらと目を覚ました阿斗だが、母親代わりに世話をしてきた孫尚香が微笑み『内緒で夜の散歩に行きましょう』と話すと、安心して微笑んだ。
そしてあの地図の通りに走り出す。
深夜の騒ぎに、趙雲と○はすでに孫尚香の居室の傍にいた。
空っぽの孫尚香の部屋。
侍女たちの青ざめた顔。
「阿斗様もいらっしゃいませんっ」
その報せに空気が凍る。
趙雲が息を呑むより早く、隣にいた○の顔色が変わった。
「……あの子、何てこと」
呟いた声に趙雲が振り向くと、○は折り畳まれた紙を取り出した。
あの時、「宝の地図かもしれない」と言っていたもの。
○はそれを無言で広げ、それを気にしている趙雲の前に差し出す。
「これ、宝の地図なんかじゃなくて逃走経路だったのよ。成都の城からのね」
趙雲も書簡を覗き込む。
「なぜ、今まで言わなかった」
「ごめんなさい。完全に私の過ちだわ…でも…」
(まさか、阿斗まで連れて行くとは思わなかった)
それが○の本音だった。
孫尚香の普段の様子から、彼女が人質を連れていくなんて思いもしなかったのだ。
「…。今はいい。とにかく、この経路はどこへ続く」
○は顎に手を当てながらブツブツ呟いた。
「水路を抜けて…そこから先は………時間が惜しい。道は分かるから走りながら誘導する。ちなみに呉からの迎えの舟はこの周辺のはず。船に直行する隊と、奥方を追う隊に分けた方が良いかもね。阿斗を連れているなら歩みは遅くなるでしょうから、道の分かる私なら奥方に間に合うかもしれない。私は諸葛亮殿に話してくるわ。あなたは準備しておいて」
○は地図に印をつけながら歩き出した。
趙雲は二つ返事で準備に向かった。
自分からの進言通りに兵に指示をする趙雲に、○は目を瞬かせるがすぐに準備に向かった。
趙雲は装備品の紐を結ぶ手もそこそこに兵に指示を飛ばし、最短で動ける者を選別する。
城内は深夜だというのに大騒ぎだ。
「趙雲様!」
駆け寄ってきたのは×だった。
「阿斗様が誘拐とは……本当なのですか」
「事実だ」
説明を話す時間はない。
その横から○が馬を二頭引いてやってくる。
「諸葛亮殿から許可、もらってきたわ。私たちは奥方の追跡と、御子の確保。迎えの船の掌握は張飛殿が向かわれるって。他は諸葛亮殿が適宜指令を出す予定。行きましょう」
しかし○は少し眉間に皴を寄せて趙雲の前に回り込み、彼が羽織りかけていた鎧に手を伸ばす。
「まだ着れてないの?貸して」
留め具の緩んでいる箇所を一つずつ締め直していく。
手慣れた様子だが、乱暴にギュッと力強く結ぶ。
相当急いでいる様だ。
時々趙雲の身体が引っ張られるように動く。
「鎧って面倒よね。脱ぐのも着るのも時間かかるし」
×はその隣で趙雲を見上げた。
「趙雲様…お気をつけて」
趙雲は、鎧を整えられながら×を振り返る。
「×殿。城の中を頼む」
「…承知しました」
×は一歩退き、深く頭を下げる。
鎧を整え終えた○は、趙雲の手に手綱を押し付けると自身もすぐに馬に跨った。
二人はすぐに駆け出した。
頭の中で、書簡の記号を思い出す。
ここ数日の調べで分かってきた。
あれは経路図だ。
それも、成都の城から外へ抜けるための経路。
書きぶりが妙に丁寧だったことから、土地勘のある者に向けたものではない。
そして書かれていた記号は、おそらく古くに呉で使われているもの。
呉の者で古い地図の記号を学んでいれば分かりそうな程度の。
(あて先は…孫夫人かしらね)
同盟が順調であれば不要なもの。
それがここで見つかった。
○はこれを闇市で見つけた。
金に困った裏の人間が宝の地図かの様に売ってしまったのだろう。
どうせ呉の上層部にしか読み解ける人間はいないと思って。
(でも…あの諸葛亮の事だから、同盟が揺らいでいることくらいお見通しよね)
そこでふと思う。
数日前から劉備が遠征に出て留守にしている。
そして自分がこれを手に入れたのはつい最近。
呉は劉備がこれ以上勢力を拡げることをどう思うのだろう。
同盟関係であっても敵国だ。
そして孫尚香の姿を見かけることが、最近めっきりと減った。
(もしかして軟禁状態とか?)
この書簡に書かれている事と、今起きていることの確認がしたい。
趙雲はまだ部屋に帰っていないので、ここぞとばかりに○は大急ぎで部屋をでた。
孫尚香の住まう離れは、○にとっては都合がいい位に庭木があって、隠れるにはちょうど良かった。
忍びより、孫尚香の世話をする女官の声に耳をすませる。
『今日も部屋から出さぬようにと』
『窓から出て行こうとされたことも』
『あそこは格子をつけたから大丈夫よ』
そんな声がした。
女官ごときの警備など○からすればザルだ。
そっと窓際に向かう。
唯一の窓、格子窓の中を覗くと孫尚香がいた。
○はあらかじめ作っておいた書簡の写しを、窓の隙間から差し込んだ。
カサ、という小さな音を聞き逃さなかった孫尚香がそれを拾った気配がして、○は傍の茂みに隠れる。
案の定、孫尚香は窓を少し開けて外を見た。
『…○なんでしょ』
小声で告げられた意外な言葉に○は目を見開く。
○は茂みの中から姿を現す。
『どうして分かったの?』
『こんな事する人なんて、あなたしか思い浮かばなかったわ』
孫尚香は楽しそうに笑う。
『これ、写しが間違えてるの。どこかは教えられないけど、他国の人間が写したら癖が分かる様にね。だから今、これを差し込んだのは呉の人間じゃないってすぐに分かったわ』
『賢いわね…書き順が違ったのかしら』
鋭い視点に孫尚香は笑う。
『あなた、監視されてるの?』
『…ええ、息が詰まりそう。窓にも格子をつけられて…自由に歩ける場所も日に日に減ってるわ。実はね…母様が倒れたって手紙が届いたの。だから一度、呉に帰りたいって相談したらこの有様よ』
そう言って落ち込んだ様子の孫尚香に、○はふと笑う。
『ねえ。明日の夜までに、格子を私が緩めておいてあげる』
『えっ…』
『大丈夫よ。勝手に壊れたように偽装できるから』
『そうじゃなくてっ』
『あなた…趙雲殿の副官なんでしょ?こんな事、彼が知ったら…』
『私はその、”ここ”では誰も読み解くことのできない書簡を落としてしまった。それを、たまたま読み解けるあなたが拾った。格子は腕の悪い職人のせいで壊れた。…どう?実際にその書簡、骨董屋に売ってあったし』
『…どうしてそんな事をするの?』
『私ね、籠の鳥は逃がしたくなるの。それにここでは客将の様な扱いだし、孫劉同盟なんてどうでもいいわ』
『……』
『どうするのかは、あなたが決めたらいいわ』
○はそう言うと気配を消した。
*****
夜半。
城が最も静まる刻。
孫尚香は灯りを落とした室内で衣を整えていた。
普段の奥方としての装いではない。
動きやすく、なるべく音を立てない服だ。
鏡に映る自分の顔は、思ったよりも落ち着いている。
○に見せられた逃走経路の地図は、頭の中で何度もなぞった。
孫尚香は○が壊した格子窓から出ていく。
そしてその足で向かったのは阿斗の寝室。
実はあの書簡の写しの中に、○が解読できていなかった部分があったのだ。
”世継ぎの誘拐”があの中には書かれていた。
阿斗の寝室には乳母がいたが、うたた寝している。
(誘拐できそうになければ、するつもりはなかったけど…)
孫尚香はそっと阿斗を抱く。
うっすらと目を覚ました阿斗だが、母親代わりに世話をしてきた孫尚香が微笑み『内緒で夜の散歩に行きましょう』と話すと、安心して微笑んだ。
そしてあの地図の通りに走り出す。
深夜の騒ぎに、趙雲と○はすでに孫尚香の居室の傍にいた。
空っぽの孫尚香の部屋。
侍女たちの青ざめた顔。
「阿斗様もいらっしゃいませんっ」
その報せに空気が凍る。
趙雲が息を呑むより早く、隣にいた○の顔色が変わった。
「……あの子、何てこと」
呟いた声に趙雲が振り向くと、○は折り畳まれた紙を取り出した。
あの時、「宝の地図かもしれない」と言っていたもの。
○はそれを無言で広げ、それを気にしている趙雲の前に差し出す。
「これ、宝の地図なんかじゃなくて逃走経路だったのよ。成都の城からのね」
趙雲も書簡を覗き込む。
「なぜ、今まで言わなかった」
「ごめんなさい。完全に私の過ちだわ…でも…」
(まさか、阿斗まで連れて行くとは思わなかった)
それが○の本音だった。
孫尚香の普段の様子から、彼女が人質を連れていくなんて思いもしなかったのだ。
「…。今はいい。とにかく、この経路はどこへ続く」
○は顎に手を当てながらブツブツ呟いた。
「水路を抜けて…そこから先は………時間が惜しい。道は分かるから走りながら誘導する。ちなみに呉からの迎えの舟はこの周辺のはず。船に直行する隊と、奥方を追う隊に分けた方が良いかもね。阿斗を連れているなら歩みは遅くなるでしょうから、道の分かる私なら奥方に間に合うかもしれない。私は諸葛亮殿に話してくるわ。あなたは準備しておいて」
○は地図に印をつけながら歩き出した。
趙雲は二つ返事で準備に向かった。
自分からの進言通りに兵に指示をする趙雲に、○は目を瞬かせるがすぐに準備に向かった。
趙雲は装備品の紐を結ぶ手もそこそこに兵に指示を飛ばし、最短で動ける者を選別する。
城内は深夜だというのに大騒ぎだ。
「趙雲様!」
駆け寄ってきたのは×だった。
「阿斗様が誘拐とは……本当なのですか」
「事実だ」
説明を話す時間はない。
その横から○が馬を二頭引いてやってくる。
「諸葛亮殿から許可、もらってきたわ。私たちは奥方の追跡と、御子の確保。迎えの船の掌握は張飛殿が向かわれるって。他は諸葛亮殿が適宜指令を出す予定。行きましょう」
しかし○は少し眉間に皴を寄せて趙雲の前に回り込み、彼が羽織りかけていた鎧に手を伸ばす。
「まだ着れてないの?貸して」
留め具の緩んでいる箇所を一つずつ締め直していく。
手慣れた様子だが、乱暴にギュッと力強く結ぶ。
相当急いでいる様だ。
時々趙雲の身体が引っ張られるように動く。
「鎧って面倒よね。脱ぐのも着るのも時間かかるし」
×はその隣で趙雲を見上げた。
「趙雲様…お気をつけて」
趙雲は、鎧を整えられながら×を振り返る。
「×殿。城の中を頼む」
「…承知しました」
×は一歩退き、深く頭を下げる。
鎧を整え終えた○は、趙雲の手に手綱を押し付けると自身もすぐに馬に跨った。
二人はすぐに駆け出した。