本編【31話~最終話】
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「朝餉の時間ね。行きましょ。お腹減っちゃった」
そう言って何事もなかったように歩き出す○の後を、趙雲は黙って追った。
医務室を出て廊下を進む間も、彼女は軽い足取りだった。
つい昨夜まで衝立の向こうで眠っていたとは思えないほど、普段通りだ。
食堂に入ると、親衛隊の面々と馬超がすでに○の席を取っていた。
「お、来た来た」
「大丈夫そうだな」
口々に声がかかる。
○は「この通り!」とでも言うように快活に笑って、空いている席に腰を下ろした。
趙雲も自然とその並びに座る。
今日は○と朝餉に来て、隣に座った。
それだけのことのはずなのに、趙雲にはどこか妙な感覚があった。
これまで彼らを遠目に見ていた時は、正直に言えば「○の見た目に引き寄せられているだけの者たち」と見えていた。
でも、輪の中に入ってみると印象は違った。
誰も彼女を持ち上げていない。
媚びることも、必要以上に距離を詰めることもない。
特別扱いもない。
“女だから”という気遣いもほとんどなく、仕事の話や昨日の夕餉の話をしている。
趙雲は、椀を手にしながら静かに観察した。
入りは外見だったのだろう。
それは否定できないし、今もそれはあるのかもしれない。
でもここに座っている者たちは、彼女を飾りとして囲んでいるわけではなかった。
同じ卓につき、同じ飯を食い、同じように笑い、同じように意見を交わす。
そこらの武官と同じだ。
この数日で趙雲は思っていた。
彼女の周りに人が集まる理由は、見た目だけではないのだと。
それを認めるのが、少しだけ、悔しかった。
気づけば趙雲の隣に×が座っていた。
これはいつも通りのことだ。
この配置に、もはや違和感はない。
○や馬超たちも特に気にした様子はなく、食卓の空気はそのまま流れている。
すると、馬超が話を切り出す。
「そうだ。お前、昨日俺に渡すものがあるって言ってなかったか?」
その言葉に○は「ああ、そうそう」と言って何かを取り出す。
「これ。この前”探してる”って言ってた護符、見つけたから渡そうと思って。バタバタしてて忘れてたわ」
小さな布包み。
丁寧に結ばれた紐をほどくと、中から現れたのは古びていながらも、意匠の整った護符だった。
馬超が息を呑む。
椀を置き、身を乗り出す。
目を見開いて、護符を両手で包み込むように受け取った。
「ま、待て…これ、本物か……?」
「私を誰だと思ってるのよ。トーゼンでしょ」
馬超の声が震えている。
周囲の親衛隊たちも、ざわりと身を寄せた。
「そんな大事なものなのですか?」
趙雲は、黙ってその様子を見ていた。
(……おそらく、またどこかの偵察先で手に入れたものだろう)
いや、“手に入れた”というより“盗んだ”、という方が正しいか。
それにしても馬超の様子は明らかにいつもと違った。
「馬超殿…?」
思わず声をかけると、馬超は護符から目を離さぬまま、喉を鳴らした。
「これは、故郷じゃ、家の長が代々受け継いできたものなんだ。流浪している間に失くしてしまってな…もう戻ってこないと思っていた!」
○は趙雲に耳打ちした。
『闇市経由で仕入れたのよ。心配しないで。昼間に骨董品屋で受け取ったから夜間外出してないから』
盗品でないことを伝えると、馬超の肩に手をまわす。
「で、それをあげるのに条件があるの」
「条件…?」
「当然よ。私、これ探すのに苦労したんだから。お代は――あの壺よ」
「え?」
「ほら、涼州の古窯のやつ。持ってたでしょ。私、前から気になってたの」
馬超は一瞬ぽかんとし、次の瞬間、勢いよく頷いた。
「いい!それでいい!いや、むしろ足りないだろ!あんなガラクタ」
「足りる足りる。むしろ私にとってはその護符の方が価値が低いもの。そういうものでしょ?骨董品って」
そのやり取りを、趙雲は言葉もなく見ていた。
×も、驚いたように護符と二人を見つめている。
趙雲は、食堂を出る人の流れの中で一度足を止めた。
朝餉の喧騒が背後に遠ざかり、回廊に入ると空気が少し冷える。
城の朝はいつもと同じはずなのに、今日はどこか勝手が違った。
「○殿は…」
×が自然な距離で隣に並び、言葉を選びながら続ける。
「○殿は、規律の外にいる方です。ですが…人の大切なものを、軽く扱う方ではないようですね」
趙雲は答えなかった。
ただ、前を向いたまま頷く。
「……それは、認めている」
短い返答だった。
×はそれ以上踏み込まず、しかし視線を逸らすこともしなかった。
「趙雲様は、お変わりになりました」
「そう見えるか」
「ええ。以前なら、あの場で即座に制止なさっていたでしょう」
趙雲は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。
「必要な柔軟さだ。我が軍は今、内も外も揺れている。人心を繋ぐことも軍の務めだ」
「そうですね。趙雲様がそうお考えなら」
×は静かに微笑む。
「趙雲~!」
聞き慣れた軽い声に振り返ると、○が回廊の柱にもたれかかり、腕を組んでいた。
「もう行くのー?午前中、少し席を外すわ。昨日言ってた“気になる筋”、もう少しだけ追いたいの」
「……報告は忘れるな。病み上がりだ。体調も気にかけろ」
「はいはい」
軽い返事をして去っていく。
「不思議な方ですね」
「……ああ。一緒にいると酷く疲れる」
趙雲は短く息を吐く。
「厄介で…それでも、放っておけん」
口にしてからハッとする。
×は何も言わなかった。
午後の執務は、いつもより静かだった。
報告書に目を通し、署名を入れ、次の案件へ。
手は慣れているはずなのに、文字が頭に入ってこない。
(……気になる筋、か)
書庫であそこまでして調べている内容だ。
気が散って仕方がない。
「趙雲様」
書簡の束を抱えた×が、静かに声をかける。
「この後の評議ですが、時間が少し押しそうです」
「分かった」
返事をしながら無意識に窓の外へ目をやる。
城壁の向こう、街の方角。
(……勝手に動くな、と言うべきだったか。内容が危険である可能性がある。あの体調で何かに巻き込まれでもしたら)
そう思ってから、すぐに打ち消す。
言ったところで彼女は動くだろう。
×は、そんな趙雲の視線に気づいたのか、少しだけ声を落とす。
「○殿がご心配ですか」
「は?」
「いえ…何度も城壁の方を気にかけていらっしゃるので」
「そんなことはない。それに○に関しても心配などしていない。彼女は、己の身を守る術を知っている」
「それでも、無事を願うのは自然なことです」
趙雲は、返す言葉を失った。
すると回廊の向こうから足音が近づいてきた。
「ただいまー、ちょっと聞い…」
戸が開いて聞き慣れた声に顔を上げると、そこには○がいた。
○は×と趙雲を見比べて言葉を止める。
「お邪魔?」
「……いいえ」
×は一礼し、空気を読んだように書簡をまとめる。
「では、後ほど」
○と趙雲の二人きりになると、室内の空気が微妙に変わった。
「それで、“気になる筋”はどうだった」
「今の所はなんとも。まだ時間が必要そうだったから引き上げて来たの。今はそんなことよりも~」
二ッと笑った○は、鼻歌交じりに懐から骨董品を取り出す。
「これを見つけちゃってね」
「…まさか早く帰ってきたのは…」
「まぁまぁ!これもそのうちの一つって事で」
そういうと説教が始まる前に、逃げるように部屋を出て行ってしまった。
*****
夕刻。
城内に、ゆるやかな灯が入り始める頃。
趙雲は執務机の前に座ったまま、あれから結局ほとんど進まなかった書簡を閉じた。
頭を切り替えようと立ち上がり、回廊へ出る。
出てすぐの中庭。
井戸の所に○がいた。
袖をまくり井戸から持ち上げた桶で何かを洗っている。
よく見れば、さっき持っていた骨董品だ。
石に刻まれた文様を丁寧に洗っている。
声をかけると、○は顔を上げた。
「もう仕事終わったの?」
まるで人ごとだ。
「また骨董品の手入れか」
「私の趣味であり、人生の目的ですからね。それにこういうのはね、扱われ方で“意味”が変わるのよ」
「意味?」
「ええ。馬超に護符を渡した時、凄く喜んでたでしょう。貴方にとっては古くて汚くてゴミに見えても、扱い方でその人の心の支えにもなるの」
手元の骨董品を夕日にすかす。
骨董品から垂れた水が○の腕を伝った。
「今はそんな風に思ってる趙雲だって、大好きな私が死んだら、私の骨董品を捨てられなくなるわ。これだけ私が可愛がってたって知ってるから」
「どうだろうな。部屋がすっきりするから捨てるかもしれん」
「うふふ…それもまた良しなのが、こういう物の良い所なの。価値の分かる人が、顔も名前も知らない私が大事にしたものを磨く…素敵だわ」
沈黙の中、水音だけが静かに響く。
「…先日」
趙雲が口を開いた。
「×殿と、祭りに行った」
○は特に反応をしない。
丁寧に骨董品を磨く。
「とっくに知ってるわ。あなた達、次の日には噂になってたもの。×殿が趙雲の腕に身を寄せて歩いていたって」
興味なさそうな相槌のあと、○はくすりと笑う。
「もしかして私の誘いを断った事を気にしてるの?真面目なんだから」
「……お前は、どう思う」
自分でも意外な問いだった。
○は不思議そうに顔を上げる。
「どうって?」
「私が、×殿と行動することを、どう思う」
「あなたが選んだ相手でしょ。いいんじゃない?」
少しだけ、間があった。
「……それだけか」
「それ以上、何を言って欲しいの?」
不意に、真っ直ぐな視線を向ける。
趙雲は言葉に詰まった。
「…いや、」
否定のつもりだったが、声に力がなかった。
○はその様子を見て、柔らかく目を細めた。
「いいのよ」
軽い口調で言いながら背中を伸ばす。
「私は”そういうの”で何とも思わない。あなたは…身近な女性である×殿や私と平等に接したいんでしょ。女って面倒だものね」
「…」
「でもそれは無理よ。同じ空間で時間を共有しているんだから。そして私は、選ばれなくていいと思ってるわ。むしろあなたはその二択なら×殿を選ぶべき。自分でもそう思ったんでしょ?」
「…○」
「だから私を後回しにする事に関しては何も、気にしないで?」
趙雲の胸の奥がきしんだ。
「それに――私は、ここに長くいられるかも分からないし」
「何だ、それは」
思わず強く問い返していた。
○は振り返らないし答えない。
夕闇に溶ける背中を見送りながら、趙雲の中でハッキリしたものがある。
(…同じではない)
×といる時の“落ち着く感覚”と、○が近くにいる時の“翻弄される感覚”。
どちらも自分の一部を刺激するのに、向いている先は明らかに違う。
そして、その違いを意識してしまったら、元には戻れないのだと分かっていた。
そう言って何事もなかったように歩き出す○の後を、趙雲は黙って追った。
医務室を出て廊下を進む間も、彼女は軽い足取りだった。
つい昨夜まで衝立の向こうで眠っていたとは思えないほど、普段通りだ。
食堂に入ると、親衛隊の面々と馬超がすでに○の席を取っていた。
「お、来た来た」
「大丈夫そうだな」
口々に声がかかる。
○は「この通り!」とでも言うように快活に笑って、空いている席に腰を下ろした。
趙雲も自然とその並びに座る。
今日は○と朝餉に来て、隣に座った。
それだけのことのはずなのに、趙雲にはどこか妙な感覚があった。
これまで彼らを遠目に見ていた時は、正直に言えば「○の見た目に引き寄せられているだけの者たち」と見えていた。
でも、輪の中に入ってみると印象は違った。
誰も彼女を持ち上げていない。
媚びることも、必要以上に距離を詰めることもない。
特別扱いもない。
“女だから”という気遣いもほとんどなく、仕事の話や昨日の夕餉の話をしている。
趙雲は、椀を手にしながら静かに観察した。
入りは外見だったのだろう。
それは否定できないし、今もそれはあるのかもしれない。
でもここに座っている者たちは、彼女を飾りとして囲んでいるわけではなかった。
同じ卓につき、同じ飯を食い、同じように笑い、同じように意見を交わす。
そこらの武官と同じだ。
この数日で趙雲は思っていた。
彼女の周りに人が集まる理由は、見た目だけではないのだと。
それを認めるのが、少しだけ、悔しかった。
気づけば趙雲の隣に×が座っていた。
これはいつも通りのことだ。
この配置に、もはや違和感はない。
○や馬超たちも特に気にした様子はなく、食卓の空気はそのまま流れている。
すると、馬超が話を切り出す。
「そうだ。お前、昨日俺に渡すものがあるって言ってなかったか?」
その言葉に○は「ああ、そうそう」と言って何かを取り出す。
「これ。この前”探してる”って言ってた護符、見つけたから渡そうと思って。バタバタしてて忘れてたわ」
小さな布包み。
丁寧に結ばれた紐をほどくと、中から現れたのは古びていながらも、意匠の整った護符だった。
馬超が息を呑む。
椀を置き、身を乗り出す。
目を見開いて、護符を両手で包み込むように受け取った。
「ま、待て…これ、本物か……?」
「私を誰だと思ってるのよ。トーゼンでしょ」
馬超の声が震えている。
周囲の親衛隊たちも、ざわりと身を寄せた。
「そんな大事なものなのですか?」
趙雲は、黙ってその様子を見ていた。
(……おそらく、またどこかの偵察先で手に入れたものだろう)
いや、“手に入れた”というより“盗んだ”、という方が正しいか。
それにしても馬超の様子は明らかにいつもと違った。
「馬超殿…?」
思わず声をかけると、馬超は護符から目を離さぬまま、喉を鳴らした。
「これは、故郷じゃ、家の長が代々受け継いできたものなんだ。流浪している間に失くしてしまってな…もう戻ってこないと思っていた!」
○は趙雲に耳打ちした。
『闇市経由で仕入れたのよ。心配しないで。昼間に骨董品屋で受け取ったから夜間外出してないから』
盗品でないことを伝えると、馬超の肩に手をまわす。
「で、それをあげるのに条件があるの」
「条件…?」
「当然よ。私、これ探すのに苦労したんだから。お代は――あの壺よ」
「え?」
「ほら、涼州の古窯のやつ。持ってたでしょ。私、前から気になってたの」
馬超は一瞬ぽかんとし、次の瞬間、勢いよく頷いた。
「いい!それでいい!いや、むしろ足りないだろ!あんなガラクタ」
「足りる足りる。むしろ私にとってはその護符の方が価値が低いもの。そういうものでしょ?骨董品って」
そのやり取りを、趙雲は言葉もなく見ていた。
×も、驚いたように護符と二人を見つめている。
趙雲は、食堂を出る人の流れの中で一度足を止めた。
朝餉の喧騒が背後に遠ざかり、回廊に入ると空気が少し冷える。
城の朝はいつもと同じはずなのに、今日はどこか勝手が違った。
「○殿は…」
×が自然な距離で隣に並び、言葉を選びながら続ける。
「○殿は、規律の外にいる方です。ですが…人の大切なものを、軽く扱う方ではないようですね」
趙雲は答えなかった。
ただ、前を向いたまま頷く。
「……それは、認めている」
短い返答だった。
×はそれ以上踏み込まず、しかし視線を逸らすこともしなかった。
「趙雲様は、お変わりになりました」
「そう見えるか」
「ええ。以前なら、あの場で即座に制止なさっていたでしょう」
趙雲は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。
「必要な柔軟さだ。我が軍は今、内も外も揺れている。人心を繋ぐことも軍の務めだ」
「そうですね。趙雲様がそうお考えなら」
×は静かに微笑む。
「趙雲~!」
聞き慣れた軽い声に振り返ると、○が回廊の柱にもたれかかり、腕を組んでいた。
「もう行くのー?午前中、少し席を外すわ。昨日言ってた“気になる筋”、もう少しだけ追いたいの」
「……報告は忘れるな。病み上がりだ。体調も気にかけろ」
「はいはい」
軽い返事をして去っていく。
「不思議な方ですね」
「……ああ。一緒にいると酷く疲れる」
趙雲は短く息を吐く。
「厄介で…それでも、放っておけん」
口にしてからハッとする。
×は何も言わなかった。
午後の執務は、いつもより静かだった。
報告書に目を通し、署名を入れ、次の案件へ。
手は慣れているはずなのに、文字が頭に入ってこない。
(……気になる筋、か)
書庫であそこまでして調べている内容だ。
気が散って仕方がない。
「趙雲様」
書簡の束を抱えた×が、静かに声をかける。
「この後の評議ですが、時間が少し押しそうです」
「分かった」
返事をしながら無意識に窓の外へ目をやる。
城壁の向こう、街の方角。
(……勝手に動くな、と言うべきだったか。内容が危険である可能性がある。あの体調で何かに巻き込まれでもしたら)
そう思ってから、すぐに打ち消す。
言ったところで彼女は動くだろう。
×は、そんな趙雲の視線に気づいたのか、少しだけ声を落とす。
「○殿がご心配ですか」
「は?」
「いえ…何度も城壁の方を気にかけていらっしゃるので」
「そんなことはない。それに○に関しても心配などしていない。彼女は、己の身を守る術を知っている」
「それでも、無事を願うのは自然なことです」
趙雲は、返す言葉を失った。
すると回廊の向こうから足音が近づいてきた。
「ただいまー、ちょっと聞い…」
戸が開いて聞き慣れた声に顔を上げると、そこには○がいた。
○は×と趙雲を見比べて言葉を止める。
「お邪魔?」
「……いいえ」
×は一礼し、空気を読んだように書簡をまとめる。
「では、後ほど」
○と趙雲の二人きりになると、室内の空気が微妙に変わった。
「それで、“気になる筋”はどうだった」
「今の所はなんとも。まだ時間が必要そうだったから引き上げて来たの。今はそんなことよりも~」
二ッと笑った○は、鼻歌交じりに懐から骨董品を取り出す。
「これを見つけちゃってね」
「…まさか早く帰ってきたのは…」
「まぁまぁ!これもそのうちの一つって事で」
そういうと説教が始まる前に、逃げるように部屋を出て行ってしまった。
*****
夕刻。
城内に、ゆるやかな灯が入り始める頃。
趙雲は執務机の前に座ったまま、あれから結局ほとんど進まなかった書簡を閉じた。
頭を切り替えようと立ち上がり、回廊へ出る。
出てすぐの中庭。
井戸の所に○がいた。
袖をまくり井戸から持ち上げた桶で何かを洗っている。
よく見れば、さっき持っていた骨董品だ。
石に刻まれた文様を丁寧に洗っている。
声をかけると、○は顔を上げた。
「もう仕事終わったの?」
まるで人ごとだ。
「また骨董品の手入れか」
「私の趣味であり、人生の目的ですからね。それにこういうのはね、扱われ方で“意味”が変わるのよ」
「意味?」
「ええ。馬超に護符を渡した時、凄く喜んでたでしょう。貴方にとっては古くて汚くてゴミに見えても、扱い方でその人の心の支えにもなるの」
手元の骨董品を夕日にすかす。
骨董品から垂れた水が○の腕を伝った。
「今はそんな風に思ってる趙雲だって、大好きな私が死んだら、私の骨董品を捨てられなくなるわ。これだけ私が可愛がってたって知ってるから」
「どうだろうな。部屋がすっきりするから捨てるかもしれん」
「うふふ…それもまた良しなのが、こういう物の良い所なの。価値の分かる人が、顔も名前も知らない私が大事にしたものを磨く…素敵だわ」
沈黙の中、水音だけが静かに響く。
「…先日」
趙雲が口を開いた。
「×殿と、祭りに行った」
○は特に反応をしない。
丁寧に骨董品を磨く。
「とっくに知ってるわ。あなた達、次の日には噂になってたもの。×殿が趙雲の腕に身を寄せて歩いていたって」
興味なさそうな相槌のあと、○はくすりと笑う。
「もしかして私の誘いを断った事を気にしてるの?真面目なんだから」
「……お前は、どう思う」
自分でも意外な問いだった。
○は不思議そうに顔を上げる。
「どうって?」
「私が、×殿と行動することを、どう思う」
「あなたが選んだ相手でしょ。いいんじゃない?」
少しだけ、間があった。
「……それだけか」
「それ以上、何を言って欲しいの?」
不意に、真っ直ぐな視線を向ける。
趙雲は言葉に詰まった。
「…いや、」
否定のつもりだったが、声に力がなかった。
○はその様子を見て、柔らかく目を細めた。
「いいのよ」
軽い口調で言いながら背中を伸ばす。
「私は”そういうの”で何とも思わない。あなたは…身近な女性である×殿や私と平等に接したいんでしょ。女って面倒だものね」
「…」
「でもそれは無理よ。同じ空間で時間を共有しているんだから。そして私は、選ばれなくていいと思ってるわ。むしろあなたはその二択なら×殿を選ぶべき。自分でもそう思ったんでしょ?」
「…○」
「だから私を後回しにする事に関しては何も、気にしないで?」
趙雲の胸の奥がきしんだ。
「それに――私は、ここに長くいられるかも分からないし」
「何だ、それは」
思わず強く問い返していた。
○は振り返らないし答えない。
夕闇に溶ける背中を見送りながら、趙雲の中でハッキリしたものがある。
(…同じではない)
×といる時の“落ち着く感覚”と、○が近くにいる時の“翻弄される感覚”。
どちらも自分の一部を刺激するのに、向いている先は明らかに違う。
そして、その違いを意識してしまったら、元には戻れないのだと分かっていた。