本編【16話~30話】
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城内でおかしな噂が立っているその頃。
○は城下の路地裏を歩いていた。
(……やっぱり、気のせいじゃなかった)
昨夜の酒場。
酔客のふりをして壁際に座っていたあの男。
酒も飲まず見ていた男は、○の指の合図に反応してきた。
昨夜の酒場に出向いて今夜の仕込みを始めていた店主に聞いてみたが、初めて見た顔らしい。
(あれは呉の手信号よね)
ほんの数年前、山越の連中と取引をしていた頃に何度も見てきた合図だ。
この辺りの間者なら呉の者かと踏んで出してみた合図だったが、あたっていたらしい。
“危険” “監視中” “接触不可”
昨夜の合図は、それらを組み合わせたものだった。
(……なぜ蜀の城下に)
相手は○が呉の合図を知っていたから、呉の人間だと思ったのだろう。
丁寧に合図を返されたので間違いないと思う。
(表の同盟は続いてる。でも、裏はではそうでもないのかも…?もし呉との関係が崩れたら…)
面白くなってきた、と○は微笑む。
孫尚香はどうなるだろう。
二人の年齢差や結婚した時期の都合の良さを考えたら、恋愛結婚ではなさそうだ。
かなり露骨な政略結婚の匂い。
互いの不信を縫い止めるためのものだ。
もし、水面下で同盟が揺れているなら。
もし、呉が別の選択肢を探っているなら。
(奥方様をそのままにするかしら…相手は孫家のお姫様。取り返したいはずだわ)
もう少し調べてみたい。
○は色々気になる事が出てきて、それをつなぎ合わせたくなってきた。
政治の裏側や歴史を繋ぎ合わせるのは、○の趣味でもあった。
踵を返し、城へ戻る道に進む。
その途中。
町の一角がいつもより少し騒がしいことに気づいた。
布が張られ、竹が組まれ、子どもたちが走り回っている。
商人たちが屋台の準備をし、女たちが紙飾りを結んでいた。
○は足を止め、しばしそれらを眺めた。
人々は明日の不安を抱えながらも、今日を楽しもうとしている。
ふと、趙雲の横顔が脳裏に浮かぶ。
戦場と城しか知らない男。
でも、こういう光景を壊さぬために槍を取る男。
○は苦笑し、祭の準備で忙しそうにしている人に声をかけた。
「ねえ、これ……何の準備?」
話しかけたのは年配の女だった。
「ああ、明日ね。小さい祭りを開くんだよ。戦が続いてるから、大袈裟なことはできないけど……それでも、何もしないよりはね」
隣では、若い男たちが屋台の骨組みを組んでいる。
子どもたちは、その周りを邪魔にならないよう走り回っていた。
「ねえねえ!」
声をかけてきたのは、箱を抱えた少女だった。
くりっとした目で○を見上げている。
「お姉ちゃん、美人だね。これあげる!」
箱の中から、ひょい、と木札を二本抜き出す。
「なに、これ?」
「くじ!当たるとね、景品がもらえるの!二本あるから、恋人と来なよ!」
悪気のない満面の笑み。
○は一瞬きょとんとしてから、吹き出した。
「恋人、ねえ」
「いないの?」
「どうかしら」
そう言いながらも、差し出されたくじを受け取る。
「ありがとう」
少女は嬉しそうに頷いた。
「明日ね!待ってるから!」
○は手を振り、踵を返す。
その時ふと、ある立て札が目に入った。
趙雲は○を探して城内を一巡していた。
執務室にも、資料室にも、食堂にもいない。
中庭にも、鍛錬場にも気配がない。
自由行動を許してはいるが、ここまで姿をくらますことは稀だ。
(こういう時は…裏庭か。あるいは、勝手に外に出たな)
人の気配が薄い方へと足を向ける。
城壁沿いの、見張りも疎かな一角。
出入りするならここだ。
すると。
城壁からカシャン、と金属が擦れる小さな音。
鉤縄の金具が覗いている。
見上げると城壁の縁から影がひとつ、するりと降りてくる。
「ん?……やだ~!お尻見ないでよ」
軽い声。
振り返った○が、いつもの調子で笑っていた。
地面に降り立つと土埃のついた指先を払う。
「勝手に外に出たのか」
「ちょっとだけよ。探し物」
叱るべきだ。
無断外出、危険行為…言うべき言葉はいくつもあったはずなのに、趙雲は声を失った。
胸のざわつきが、奇妙な形を取り始める。
焦りでも、怒りでもない。
(……ちゃんと戻ってきた)
ただそれだけで、胸が緩む。
「外で何をしていた」
「それは内緒」
○は鉤縄をまとめながら笑う。
「そんな顔しないでよ。確証が持てないから教えられないだけ」
「何の話だ」
「うーん……もしかしたら、出し方によっては私自身の首が飛ぶような話になるかも?」
冗談めいて言うが、目は笑っていない。
冗談として受け流すには、あまりに生々しい表現だった。
「だからもうちょっと裏を取ってから。他人を巻き込むなら確実じゃないと。私一人なら簡単なんだけど」
「……勝手な判断はするな」
言葉は厳しくした。
だがその裏にある感情は、もはや単なる警戒心ではない。
○は首を傾げ、それから楽しそうに笑った。
「心配してるの?」
「違う」
○はそれ以上突っ込まず、くるりと背を向ける。
「じゃあ別にいいじゃない。今日はここまで。続きは……もう少し待ってて」
その背中を見送りながら、趙雲は立ち尽くす。
趙雲は夜、自室にいた。
まだ○が帰っていない事が気になって眠れずにいた。
すると、戸がほとんど音もなく開く。
スルッと影が室内へと入り込む。
寝台に座っている趙雲を見て、それは声をかけてきた。
「あら、まだ起きてたの?夜更かしさんね」
灯りに照らされて現れたのは、やはり○だった。
その手には折り畳まれたあの書簡。
「またそれか……」
趙雲が言いかけると、○は小さく肩をすくめた。
「そ。調べれば調べるほどなの」
そう言いながら、彼女は趙雲の寝台の空いている縁に腰を下ろした。
近い。
だが今夜の彼女には、いつものからかうような距離の詰め方とは違う空気感があった。
知的好奇心に疼いている様子。
「これはね、多分、宝の地図じゃないのよ」
趙雲の視線が、自然と書簡へ向く。
「……なぜ、そう思う」
「それがね。色々調べたんだけど、方角の取り方が一般的じゃないの。あとこの記号。装飾だと思ったんだけど、隠語じゃないかしら」
○は紙を広げ、指先で数か所をなぞった。
「そもそも紙って高価でしょ?今日、城じゅうの紙と触って比べたんだけど、この紙の質、位の高い人に渡すような物だと思うのよね。で、そこからこの隠語の解読が今の目標」
彼女は書簡をたたみ、それを指で軽く叩いた。
「この程度しか分かってないから、諸葛亮殿には言えないでしょ?」
「……なぜ、急に話した。昼間に問い詰めた時には言わなかっただろう」
「まあ、この位なら誰に聞かれてもいいかなって。…あと」
背中越しに趙雲を見る。
「折角こんな時間に話せるんだし、色っぽい話をしてあげようかと思って。…じゃ、おやすみ」
笑ってそういうと、また書簡を見ながら衝立の向こうに歩いて行った。
○は城下の路地裏を歩いていた。
(……やっぱり、気のせいじゃなかった)
昨夜の酒場。
酔客のふりをして壁際に座っていたあの男。
酒も飲まず見ていた男は、○の指の合図に反応してきた。
昨夜の酒場に出向いて今夜の仕込みを始めていた店主に聞いてみたが、初めて見た顔らしい。
(あれは呉の手信号よね)
ほんの数年前、山越の連中と取引をしていた頃に何度も見てきた合図だ。
この辺りの間者なら呉の者かと踏んで出してみた合図だったが、あたっていたらしい。
“危険” “監視中” “接触不可”
昨夜の合図は、それらを組み合わせたものだった。
(……なぜ蜀の城下に)
相手は○が呉の合図を知っていたから、呉の人間だと思ったのだろう。
丁寧に合図を返されたので間違いないと思う。
(表の同盟は続いてる。でも、裏はではそうでもないのかも…?もし呉との関係が崩れたら…)
面白くなってきた、と○は微笑む。
孫尚香はどうなるだろう。
二人の年齢差や結婚した時期の都合の良さを考えたら、恋愛結婚ではなさそうだ。
かなり露骨な政略結婚の匂い。
互いの不信を縫い止めるためのものだ。
もし、水面下で同盟が揺れているなら。
もし、呉が別の選択肢を探っているなら。
(奥方様をそのままにするかしら…相手は孫家のお姫様。取り返したいはずだわ)
もう少し調べてみたい。
○は色々気になる事が出てきて、それをつなぎ合わせたくなってきた。
政治の裏側や歴史を繋ぎ合わせるのは、○の趣味でもあった。
踵を返し、城へ戻る道に進む。
その途中。
町の一角がいつもより少し騒がしいことに気づいた。
布が張られ、竹が組まれ、子どもたちが走り回っている。
商人たちが屋台の準備をし、女たちが紙飾りを結んでいた。
○は足を止め、しばしそれらを眺めた。
人々は明日の不安を抱えながらも、今日を楽しもうとしている。
ふと、趙雲の横顔が脳裏に浮かぶ。
戦場と城しか知らない男。
でも、こういう光景を壊さぬために槍を取る男。
○は苦笑し、祭の準備で忙しそうにしている人に声をかけた。
「ねえ、これ……何の準備?」
話しかけたのは年配の女だった。
「ああ、明日ね。小さい祭りを開くんだよ。戦が続いてるから、大袈裟なことはできないけど……それでも、何もしないよりはね」
隣では、若い男たちが屋台の骨組みを組んでいる。
子どもたちは、その周りを邪魔にならないよう走り回っていた。
「ねえねえ!」
声をかけてきたのは、箱を抱えた少女だった。
くりっとした目で○を見上げている。
「お姉ちゃん、美人だね。これあげる!」
箱の中から、ひょい、と木札を二本抜き出す。
「なに、これ?」
「くじ!当たるとね、景品がもらえるの!二本あるから、恋人と来なよ!」
悪気のない満面の笑み。
○は一瞬きょとんとしてから、吹き出した。
「恋人、ねえ」
「いないの?」
「どうかしら」
そう言いながらも、差し出されたくじを受け取る。
「ありがとう」
少女は嬉しそうに頷いた。
「明日ね!待ってるから!」
○は手を振り、踵を返す。
その時ふと、ある立て札が目に入った。
趙雲は○を探して城内を一巡していた。
執務室にも、資料室にも、食堂にもいない。
中庭にも、鍛錬場にも気配がない。
自由行動を許してはいるが、ここまで姿をくらますことは稀だ。
(こういう時は…裏庭か。あるいは、勝手に外に出たな)
人の気配が薄い方へと足を向ける。
城壁沿いの、見張りも疎かな一角。
出入りするならここだ。
すると。
城壁からカシャン、と金属が擦れる小さな音。
鉤縄の金具が覗いている。
見上げると城壁の縁から影がひとつ、するりと降りてくる。
「ん?……やだ~!お尻見ないでよ」
軽い声。
振り返った○が、いつもの調子で笑っていた。
地面に降り立つと土埃のついた指先を払う。
「勝手に外に出たのか」
「ちょっとだけよ。探し物」
叱るべきだ。
無断外出、危険行為…言うべき言葉はいくつもあったはずなのに、趙雲は声を失った。
胸のざわつきが、奇妙な形を取り始める。
焦りでも、怒りでもない。
(……ちゃんと戻ってきた)
ただそれだけで、胸が緩む。
「外で何をしていた」
「それは内緒」
○は鉤縄をまとめながら笑う。
「そんな顔しないでよ。確証が持てないから教えられないだけ」
「何の話だ」
「うーん……もしかしたら、出し方によっては私自身の首が飛ぶような話になるかも?」
冗談めいて言うが、目は笑っていない。
冗談として受け流すには、あまりに生々しい表現だった。
「だからもうちょっと裏を取ってから。他人を巻き込むなら確実じゃないと。私一人なら簡単なんだけど」
「……勝手な判断はするな」
言葉は厳しくした。
だがその裏にある感情は、もはや単なる警戒心ではない。
○は首を傾げ、それから楽しそうに笑った。
「心配してるの?」
「違う」
○はそれ以上突っ込まず、くるりと背を向ける。
「じゃあ別にいいじゃない。今日はここまで。続きは……もう少し待ってて」
その背中を見送りながら、趙雲は立ち尽くす。
趙雲は夜、自室にいた。
まだ○が帰っていない事が気になって眠れずにいた。
すると、戸がほとんど音もなく開く。
スルッと影が室内へと入り込む。
寝台に座っている趙雲を見て、それは声をかけてきた。
「あら、まだ起きてたの?夜更かしさんね」
灯りに照らされて現れたのは、やはり○だった。
その手には折り畳まれたあの書簡。
「またそれか……」
趙雲が言いかけると、○は小さく肩をすくめた。
「そ。調べれば調べるほどなの」
そう言いながら、彼女は趙雲の寝台の空いている縁に腰を下ろした。
近い。
だが今夜の彼女には、いつものからかうような距離の詰め方とは違う空気感があった。
知的好奇心に疼いている様子。
「これはね、多分、宝の地図じゃないのよ」
趙雲の視線が、自然と書簡へ向く。
「……なぜ、そう思う」
「それがね。色々調べたんだけど、方角の取り方が一般的じゃないの。あとこの記号。装飾だと思ったんだけど、隠語じゃないかしら」
○は紙を広げ、指先で数か所をなぞった。
「そもそも紙って高価でしょ?今日、城じゅうの紙と触って比べたんだけど、この紙の質、位の高い人に渡すような物だと思うのよね。で、そこからこの隠語の解読が今の目標」
彼女は書簡をたたみ、それを指で軽く叩いた。
「この程度しか分かってないから、諸葛亮殿には言えないでしょ?」
「……なぜ、急に話した。昼間に問い詰めた時には言わなかっただろう」
「まあ、この位なら誰に聞かれてもいいかなって。…あと」
背中越しに趙雲を見る。
「折角こんな時間に話せるんだし、色っぽい話をしてあげようかと思って。…じゃ、おやすみ」
笑ってそういうと、また書簡を見ながら衝立の向こうに歩いて行った。