本編【16話~30話】
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その夜、灯りを落とした部屋で、趙雲は寝返りばかり打っていた。
昼間の出来事が次々と浮かぶ。
○と馬超が並んでいた姿。
×の必死に押し隠した問い。
○が脇腹を押さえて笑っていた様子。
どれも胸に棘のように引っかかり、眠気はまったく訪れない。
(……落ち着かぬ夜だ)
そんな中、布擦れの微かな音が耳に入った。
衝立の向こう。
○が寝台から抜け出す気配がした。
わずかな足音。
衣擦れ。
そして、そっと戸口へ向かう気配。
趙雲は体を起こし、静かに声をかけた。
「どこへ行くつもりだ」
「起きてたの?」
「寝られなくてな。それで、今度は何をしに外へ?」
○はわざとらしく笑う。
「逢引きよ。男と寝てくるの」
「はぁ…嘘をつけ。その腹の傷で情事などできぬはずだ」
あの口の減らない○が咳払いだけで済ませるあたり、急いでいるのかもしれない。
「正直に言え」
「…………………今日ね、闇医者を呼んでるの。城の近くまで来てるはずだから、診てもらいに行くの」
「闇医者だと…?」
目を見張る趙雲。
「城の医務室では駄目なのか」
「嫌なの」
「夜の城下は危険だ。まして傷を負った身で……」
「大丈夫だってば。闇市でも分かったでしょ?慣れてるから」
「……私も行く」
「え?やめてよ、冗談でしょ。あなた目立つし…」
「大丈夫だ。もう変装の方法は分かっている」
趙雲は寝台から出てくると、鎧を着けずに黒い外套を着る。
○は眉をひそめた。
「なら約束して。今夜見たものや聞いた事は、誰にも言わないで」
「分かった」
○はそっと廊下に出た。
見張りに見つからない様に出た城下の外れは、人の気配がほとんどなかった。
深夜の風が路地裏を抜け、灯籠の火が揺れている。
昼間とは違う湿ったような匂いが漂っていた。
○は足音をほとんど立てずに歩く。
これはきっと彼女の癖なのだろう。
思えばいつも足音は最小限だ。
「痛むのか?」
「別に」
言葉は強いが、その呼吸はほんのわずかに浅い。
「無理をするな。闇医者に着く前に倒れられては困る」
「大丈夫よ。そもそも一人で行くつもりだったんだし」
そうして沈黙する○を、趙雲は盗み見る。
月明かりの下で彼女を見ると、あの海で見た月の事を思い出す。
しばらく歩いていると、道の先に一つだけ灯りがともる小さなあばら家が見えた。
何年も前から人が住んでいない様子の家だ。
「……あそこよ」
「この様な所で…?」
「依頼すると向こうから場所を指定されるの。だからいつでもいるわけじゃないわ」
薄暗い明かりの中。
闇医者の小屋は、薬草と血の匂いで満ちている。
室内は生臭く、城の医務室とは全然違う。
闇医者は○を簡易的な寝台に寝かせる。
趙雲は衝立の向こうに座らされた。
「これを噛んでろ」と、布を口に押し込まれる様子が聞こえる。
(本当に、こんな者に任せて大丈夫なのか?)
覗きたくなるが、絶対に見るなと○に言われていたので堪えた。
闇医者が脇腹の包帯を剥がす音。
○が息を止めるのが分かる。
「雑に縫いすぎだ。これじゃあ化膿する。また自分でやったのか。縫い直すから気合い入れろ」
そう言うと○が「ヒッ」と息を吸う音がした。
そこからは唸るような声がずっと聞こえてくる。
たまに寝台が軋む音と、医者が「ジッとしろ」と怒る声。
途中何度も聞いていられずに小屋を出て行こうかとも思ったが、○の傷は自分の為に負ったものかもしれないという思いで耐えた。
時間にしたら半刻にも満たなかったはずがとても長く感じた。
やっと治療が終わったらしい。
「はい終わり。固定するまで動くなよ」
医者の声と共に、大きく息を吐く○の声がする。
闇医者が薬の調合をしている隣の寝台で、○はしばらく息を整えるように動かなかった。
額には脂汗。
肩はまだわずかに震えている。
「……動くな。まだ痛むだろう」
衝立を越えて来た趙雲が聞く。
「大丈夫」と○は答えて動こうとした。
「旦那、それ動かない様に押さえつけとけ。薬草の湿布張って固定するまで動かすな。すぐ動くんだ、こいつ」
「…旦那ではない」
(この空気でそこ気になる?)
○は見えない所で笑う。
闇医者は聞いていないのか、薬草を浸した布を趙雲に渡す。
「旦那がこれ、傷口に押し当てといてくれ」
「だから、旦那ではない」
「そうよねえ、私達まだ恋人だもん」
「…悪ふざけを言うな」
言いながらも布を○の脇腹にあてる。
そこには小さいが深そうな傷があった。
化膿しかけて真っ赤に腫れている。
(これは相当痛かったのではないか…?)
思わず眉をしかめた。
「強い痛み止めを飲んでたな。じゃなきゃこれで動き回るのは無理だ」
「…」
「闇市のヤツだろ。飲み過ぎたら副作用で最悪死ぬぞ。旦那もいるっていうのに」
「…わざと言っているな」
闇医者はとりあえずの軟膏を○に渡し、○は武将の一月分程度と思われる大金を軽々と渡す。
患部にしっかりと薬草と包帯を巻かれて治療が終わった。
闇医者の小屋をあとにすると、路地裏に夜風が吹き抜けた。
さっきまで脂汗を流していた○が、今はまるで別人のように軽やかに歩いている。
流石に立ち上がる時にはよろけてこけそうになっていたが、気合なのかなんなのか。
「はぁ…縫い直されるとスッキリするわね。今までの痛みが嘘みたい。あの先生、腕は確かだわ」
「…だからといって無茶をするな。人間の身体は道具ではない。一度失った物の代わりはないんだぞ」
「今更こんなもの」
小さくそう言った○は、少し遠い目をしていた。
しばらく歩いたあと、ふいに趙雲がため息交じりに言葉を漏らす。
「……お前といると、どうにも落ち着かぬ」
「へぇ?」
「×殿といる時は、もっと心穏やかだというのに」
「なにそれ、惚気?」
「…そういう意味ではない」
「じゃあどういう意味なんだか」
「…………」
趙雲は自分でも説明できなかった。
○が薄く笑う。
「趙雲、×殿と相性がいいと思うわ。つまり私と正反対。そりゃ落ち着かないわよ」
「×殿とは……ただ、話がしやすいだけだ」
「それを世間では”相性がいい”といいマス」
ふざけた物言いの○は、楽しそうに笑う。
人を茶化す時が一番楽しそうだ。
「大丈夫よ。ちゃんと分かってるから」
「…なにをだ」
「色々。趙雲は選択を間違えないだろうから安心だわ」
二人は居眠りしている門番の前を通り過ぎて城内に入った。
部屋に入ると、○は水がめに晒を浸して絞る。
それを持って衝立の向こうに周り、服を脱ぐ音がする。
晒で身体を拭いているらしい。
しばらくその音が室内に響いて、次に寝台に倒れ込む音がした。
「やっと寝れる…もう無理…おやすみ……」
途端に寝息が聞こえ始める。
深い、泥のように重たい眠りだ。
○が寝たのを確認して趙雲も寝台に寝ころんだが、昼間の出来事が再び頭を巡った。
馬超の真っすぐな優しさを受け止める○。
×殿の震えた声。
闇医者のくだらぬ誤解。
○の笑顔と痛み。
まとまらず、整理もつかず、ただ胸の奥にざわつきだけが残った。
「……今日は、疲れたな」
そう呟いた瞬間、まるで何かが切れたように急激に眠気が落ちてきた。
深夜の静寂。
同じ空間で二人はようやく眠った。
昼間の出来事が次々と浮かぶ。
○と馬超が並んでいた姿。
×の必死に押し隠した問い。
○が脇腹を押さえて笑っていた様子。
どれも胸に棘のように引っかかり、眠気はまったく訪れない。
(……落ち着かぬ夜だ)
そんな中、布擦れの微かな音が耳に入った。
衝立の向こう。
○が寝台から抜け出す気配がした。
わずかな足音。
衣擦れ。
そして、そっと戸口へ向かう気配。
趙雲は体を起こし、静かに声をかけた。
「どこへ行くつもりだ」
「起きてたの?」
「寝られなくてな。それで、今度は何をしに外へ?」
○はわざとらしく笑う。
「逢引きよ。男と寝てくるの」
「はぁ…嘘をつけ。その腹の傷で情事などできぬはずだ」
あの口の減らない○が咳払いだけで済ませるあたり、急いでいるのかもしれない。
「正直に言え」
「…………………今日ね、闇医者を呼んでるの。城の近くまで来てるはずだから、診てもらいに行くの」
「闇医者だと…?」
目を見張る趙雲。
「城の医務室では駄目なのか」
「嫌なの」
「夜の城下は危険だ。まして傷を負った身で……」
「大丈夫だってば。闇市でも分かったでしょ?慣れてるから」
「……私も行く」
「え?やめてよ、冗談でしょ。あなた目立つし…」
「大丈夫だ。もう変装の方法は分かっている」
趙雲は寝台から出てくると、鎧を着けずに黒い外套を着る。
○は眉をひそめた。
「なら約束して。今夜見たものや聞いた事は、誰にも言わないで」
「分かった」
○はそっと廊下に出た。
見張りに見つからない様に出た城下の外れは、人の気配がほとんどなかった。
深夜の風が路地裏を抜け、灯籠の火が揺れている。
昼間とは違う湿ったような匂いが漂っていた。
○は足音をほとんど立てずに歩く。
これはきっと彼女の癖なのだろう。
思えばいつも足音は最小限だ。
「痛むのか?」
「別に」
言葉は強いが、その呼吸はほんのわずかに浅い。
「無理をするな。闇医者に着く前に倒れられては困る」
「大丈夫よ。そもそも一人で行くつもりだったんだし」
そうして沈黙する○を、趙雲は盗み見る。
月明かりの下で彼女を見ると、あの海で見た月の事を思い出す。
しばらく歩いていると、道の先に一つだけ灯りがともる小さなあばら家が見えた。
何年も前から人が住んでいない様子の家だ。
「……あそこよ」
「この様な所で…?」
「依頼すると向こうから場所を指定されるの。だからいつでもいるわけじゃないわ」
薄暗い明かりの中。
闇医者の小屋は、薬草と血の匂いで満ちている。
室内は生臭く、城の医務室とは全然違う。
闇医者は○を簡易的な寝台に寝かせる。
趙雲は衝立の向こうに座らされた。
「これを噛んでろ」と、布を口に押し込まれる様子が聞こえる。
(本当に、こんな者に任せて大丈夫なのか?)
覗きたくなるが、絶対に見るなと○に言われていたので堪えた。
闇医者が脇腹の包帯を剥がす音。
○が息を止めるのが分かる。
「雑に縫いすぎだ。これじゃあ化膿する。また自分でやったのか。縫い直すから気合い入れろ」
そう言うと○が「ヒッ」と息を吸う音がした。
そこからは唸るような声がずっと聞こえてくる。
たまに寝台が軋む音と、医者が「ジッとしろ」と怒る声。
途中何度も聞いていられずに小屋を出て行こうかとも思ったが、○の傷は自分の為に負ったものかもしれないという思いで耐えた。
時間にしたら半刻にも満たなかったはずがとても長く感じた。
やっと治療が終わったらしい。
「はい終わり。固定するまで動くなよ」
医者の声と共に、大きく息を吐く○の声がする。
闇医者が薬の調合をしている隣の寝台で、○はしばらく息を整えるように動かなかった。
額には脂汗。
肩はまだわずかに震えている。
「……動くな。まだ痛むだろう」
衝立を越えて来た趙雲が聞く。
「大丈夫」と○は答えて動こうとした。
「旦那、それ動かない様に押さえつけとけ。薬草の湿布張って固定するまで動かすな。すぐ動くんだ、こいつ」
「…旦那ではない」
(この空気でそこ気になる?)
○は見えない所で笑う。
闇医者は聞いていないのか、薬草を浸した布を趙雲に渡す。
「旦那がこれ、傷口に押し当てといてくれ」
「だから、旦那ではない」
「そうよねえ、私達まだ恋人だもん」
「…悪ふざけを言うな」
言いながらも布を○の脇腹にあてる。
そこには小さいが深そうな傷があった。
化膿しかけて真っ赤に腫れている。
(これは相当痛かったのではないか…?)
思わず眉をしかめた。
「強い痛み止めを飲んでたな。じゃなきゃこれで動き回るのは無理だ」
「…」
「闇市のヤツだろ。飲み過ぎたら副作用で最悪死ぬぞ。旦那もいるっていうのに」
「…わざと言っているな」
闇医者はとりあえずの軟膏を○に渡し、○は武将の一月分程度と思われる大金を軽々と渡す。
患部にしっかりと薬草と包帯を巻かれて治療が終わった。
闇医者の小屋をあとにすると、路地裏に夜風が吹き抜けた。
さっきまで脂汗を流していた○が、今はまるで別人のように軽やかに歩いている。
流石に立ち上がる時にはよろけてこけそうになっていたが、気合なのかなんなのか。
「はぁ…縫い直されるとスッキリするわね。今までの痛みが嘘みたい。あの先生、腕は確かだわ」
「…だからといって無茶をするな。人間の身体は道具ではない。一度失った物の代わりはないんだぞ」
「今更こんなもの」
小さくそう言った○は、少し遠い目をしていた。
しばらく歩いたあと、ふいに趙雲がため息交じりに言葉を漏らす。
「……お前といると、どうにも落ち着かぬ」
「へぇ?」
「×殿といる時は、もっと心穏やかだというのに」
「なにそれ、惚気?」
「…そういう意味ではない」
「じゃあどういう意味なんだか」
「…………」
趙雲は自分でも説明できなかった。
○が薄く笑う。
「趙雲、×殿と相性がいいと思うわ。つまり私と正反対。そりゃ落ち着かないわよ」
「×殿とは……ただ、話がしやすいだけだ」
「それを世間では”相性がいい”といいマス」
ふざけた物言いの○は、楽しそうに笑う。
人を茶化す時が一番楽しそうだ。
「大丈夫よ。ちゃんと分かってるから」
「…なにをだ」
「色々。趙雲は選択を間違えないだろうから安心だわ」
二人は居眠りしている門番の前を通り過ぎて城内に入った。
部屋に入ると、○は水がめに晒を浸して絞る。
それを持って衝立の向こうに周り、服を脱ぐ音がする。
晒で身体を拭いているらしい。
しばらくその音が室内に響いて、次に寝台に倒れ込む音がした。
「やっと寝れる…もう無理…おやすみ……」
途端に寝息が聞こえ始める。
深い、泥のように重たい眠りだ。
○が寝たのを確認して趙雲も寝台に寝ころんだが、昼間の出来事が再び頭を巡った。
馬超の真っすぐな優しさを受け止める○。
×殿の震えた声。
闇医者のくだらぬ誤解。
○の笑顔と痛み。
まとまらず、整理もつかず、ただ胸の奥にざわつきだけが残った。
「……今日は、疲れたな」
そう呟いた瞬間、まるで何かが切れたように急激に眠気が落ちてきた。
深夜の静寂。
同じ空間で二人はようやく眠った。