私は規格外【陸遜】
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城の蔵の隅、ひんやりとした空気と古い木材の匂いに包まれて、○は膝を抱えてまどろんでいた。
結局中庭での騒動が周瑜の耳に入って、○は何故か一人で全責任を負わされて夜間巡回をさせられている。
そのせいで寝不足になった○は、命じられていた書庫の整理を抜けて物陰に隠れていた。
(……少しだけ、少しだけ休憩……)
そう思って寝ようとしていた時、蔵の外の廊下から、穏やかながらにどこか沈んだ声が聞こえてきた。
「……やはり、見当たらぬか」
「はい。カラスが開いていた窓から、何かを咥えて飛び去るのを兵が見たそうで…もしやそれではないでしょうか」
劉備と、その側近である孫乾の声。
○は息を潜めて聞き耳を立てた。
「あれは前妻から預かった、唯一の形見のような護符なのだ。……この呉の地に来て、婚姻という祝事の最中に、亡き妻の物を探してくれ等と呉の方々に頼むのは、あまりに不躾であろうな…」
「左様でございますな…。我々で極秘に探させてはおりますが、この広い城内では難航しております。土地勘もありませんし」
劉備のいつになく力ない、寂しげな溜め息。
○は孫尚香を心から慕っている。
彼女の新しい門出を祝うこの時期に、前の奥方の話が出るのは、確かに呉の人間としては複雑な思いがあった。
なにせ親友であり一国の姫が嫁ごうという所だ。
けれど、先ほど聞いた劉備の悲しみに満ちた声は、あまりに切なすぎた。
(……尚香だって、劉備様がそんな顔をしてるのを知ったら、きっと『探しなさい』って言うはずだわ)
それに何より、あの趙雲が命を懸けて守っている主君が、こんなにも落ち込んでいるのを黙って見過ごすことなんて、○にはできない。
○は音を立てないように蔵の窓から身を乗り出し、屋根の上へと這い上がる。
カラスが持ち去ったと言っていた。
よく城に食べ物を漁りに来るあのカラスであれば、巣の場所に心当たりがある。
前に女官が珠を盗まれた事があるからだ。
その時は近くの林で見つかった。
そっと城壁の外に出た○は、近くの林に向かって走り出した。
数刻後。
○は城の裏手に広がる鬱蒼とした林の中にいた。
木々に登り、カラスの巣を一つずつ確認して回るという、気の遠くなるような作業。
やがて。
「……あった!」
大きな樫の木の枝先、乱雑に組まれた巣の隅に、夕日に反射してキラリと光る小さな箱を見つけた。
○は危なげない足取りで枝を渡り、その箱を手に取る。
中を確認すると、古びているが大切に扱われてきたことがわかる護符が収められていた。
「よかった……。これ、早く返してあげないと」
木を降りた○は、服についた木の葉や土を払いながら、どうやって劉備に返すかを考え始める。
自分が直接渡せば、なぜ知っているのかと問い詰められるし、劉備は呉の人間に借りを作りたくないかもしれない。
かといって、その辺に置いておくわけにもいかない。
そう思案しながら橋に差し掛かった時、○の目に、橋の下の河原を必死に探す趙雲の姿が映る。
泥に汚れ、額に汗を浮かべながらも捜索をしている趙雲。
その献身的な姿に胸が熱くなるが、○はぐっと堪えた。
今ここで声をかけたら、自分がサボっていた事と盗み聞きしていたことがバレてしまう。
それに趙雲は(今更ながら)そういう人間が嫌いだと思うので、あまり知られたくない。
(よし…)
○は橋の欄干に身を隠しながら、小石を一つ拾う。
そして、趙雲の立ち位置から少し離れた茂みに向かってそれを投げた。
がサッと音がして、感覚の鋭い趙雲がそちらを見る。
その隙に、○はその視線の延長線上…趙雲の目の届く範囲に、布で幾重にも包んだ護符の箱を投げ落とした。
ドサッ、と小さな音と、そちらを見た趙雲。
それを見届けた○は素早く橋の欄干にしゃがみこんで、大急ぎで城に向かって走った。
「誰だ!?」
趙雲が橋の上を見上げた時には、もうそこには誰もいない。
趙雲は不審に思いながらも、落とされた布包みを拾い上げた。
中を確認して、目を見開く。
そこには自分たちが血眼になって探していた、主君の大切な護符の箱。
趙雲はすぐに橋の上へと駆け上がるが、通りにはもう人影がまばらだ。
ふと見ると、橋の上で日向ぼっこをしていた老人が、不思議そうに血相を変えている趙雲を見ていた。
「失礼、御老人。今、この橋の上から何かを落として去った者を見かけませんでしたか?」
老人は目を細め、去っていった道の先を指差してのんびりと答える。
「ああ…えらく背の高い…、髪の長い女の子が、ここで何かコソコソしとったなぁ。あっちに走っていったよ。橋の上からアンタに何か落としとったのか?悪い事するねえ…」
「背の高い…髪の長い女の子…」
「そうそう。本当に背の高い…アンタより少し低い位の」
趙雲の脳裏にはメンコを投げつけるあの女性の姿が浮かぶ。
(……○殿か)
趙雲は護符の箱を優しく握りしめると、彼女が走り去った道を見つめた。
「どこをほっつき歩いていたんですか、あなたは!」
城に戻るなり、待ち構えていた陸遜の怒声が飛んでくる。
○の姿を一目見るなり、彼はさらに眉間のシワを深くした。
その髪には木の葉が混じり、着物にはあちこち泥や草の汁がついている。
「……その汚れ。……もしや、またどこかで昼寝でもしていたのですか」
「あ、あはは…」
元々は蔵で昼寝をしていたのは事実なので、○は笑ってごまかす。
陸遜は、「この忙しい時期に、呉の将としての自覚が——」と、説教を始めた。
陸遜の説教の後、一人で回廊を歩いていると、背後から落ち着いた足音が近づいてきた。
「○殿」
呼び止められ振り返ると、そこには趙雲が立っていた。
主君の護符を取り戻した安堵からか、その表情は心なしか柔らかく見える。
一方で○は直立した。
「○殿。……あなたが護符を見つけてくださったのですね。心から感謝いたします」
趙雲の真っ直ぐな謝辞。
しかし、○は瞬きを一つすると首を傾ける。
「護符……? 何のことでしょう、趙雲様。私はずっと昼寝をしており、今しがた陸遜に怒られたばかりなのですが」
とぼける○の瞳に、迷いはない。
劉備が「呉の人間に知られるのは忍びない」と言っていた以上、たとえ趙雲が相手でも、自分が関わったことを認めるつもりはなかった。
「……橋の上から、落としましたよね。布包みを」
趙雲が一歩踏み出し、少しだけ声を潜めて言う。
「近くの老人が見ていたそうです。『背の高い髪の長い女性』が、何かを落として去っていったと。私より少し低い位の女性など、滅多にいません……あなたしか思い浮かびませんでした」
しかし、○はどこか清々しい声で答える。
「知りません」
趙雲はしばらくの間、○の瞳をじっと見つめていた。
やがて彼は、負けたと言わんばかりにふっと短く笑い、深く一礼した。
「……左様ですか。覚えのないことを問い詰めて、失礼いたしました。ですが、その……『親切な御方』のおかげで、我々がどれほど救われたか。それだけ、お伝えしたかったのです」
「それでは、私はこれで」
と去っていく趙雲の背中を見送りながら、○はふぅ、と長く止めていた息を吐き出した。
結局中庭での騒動が周瑜の耳に入って、○は何故か一人で全責任を負わされて夜間巡回をさせられている。
そのせいで寝不足になった○は、命じられていた書庫の整理を抜けて物陰に隠れていた。
(……少しだけ、少しだけ休憩……)
そう思って寝ようとしていた時、蔵の外の廊下から、穏やかながらにどこか沈んだ声が聞こえてきた。
「……やはり、見当たらぬか」
「はい。カラスが開いていた窓から、何かを咥えて飛び去るのを兵が見たそうで…もしやそれではないでしょうか」
劉備と、その側近である孫乾の声。
○は息を潜めて聞き耳を立てた。
「あれは前妻から預かった、唯一の形見のような護符なのだ。……この呉の地に来て、婚姻という祝事の最中に、亡き妻の物を探してくれ等と呉の方々に頼むのは、あまりに不躾であろうな…」
「左様でございますな…。我々で極秘に探させてはおりますが、この広い城内では難航しております。土地勘もありませんし」
劉備のいつになく力ない、寂しげな溜め息。
○は孫尚香を心から慕っている。
彼女の新しい門出を祝うこの時期に、前の奥方の話が出るのは、確かに呉の人間としては複雑な思いがあった。
なにせ親友であり一国の姫が嫁ごうという所だ。
けれど、先ほど聞いた劉備の悲しみに満ちた声は、あまりに切なすぎた。
(……尚香だって、劉備様がそんな顔をしてるのを知ったら、きっと『探しなさい』って言うはずだわ)
それに何より、あの趙雲が命を懸けて守っている主君が、こんなにも落ち込んでいるのを黙って見過ごすことなんて、○にはできない。
○は音を立てないように蔵の窓から身を乗り出し、屋根の上へと這い上がる。
カラスが持ち去ったと言っていた。
よく城に食べ物を漁りに来るあのカラスであれば、巣の場所に心当たりがある。
前に女官が珠を盗まれた事があるからだ。
その時は近くの林で見つかった。
そっと城壁の外に出た○は、近くの林に向かって走り出した。
数刻後。
○は城の裏手に広がる鬱蒼とした林の中にいた。
木々に登り、カラスの巣を一つずつ確認して回るという、気の遠くなるような作業。
やがて。
「……あった!」
大きな樫の木の枝先、乱雑に組まれた巣の隅に、夕日に反射してキラリと光る小さな箱を見つけた。
○は危なげない足取りで枝を渡り、その箱を手に取る。
中を確認すると、古びているが大切に扱われてきたことがわかる護符が収められていた。
「よかった……。これ、早く返してあげないと」
木を降りた○は、服についた木の葉や土を払いながら、どうやって劉備に返すかを考え始める。
自分が直接渡せば、なぜ知っているのかと問い詰められるし、劉備は呉の人間に借りを作りたくないかもしれない。
かといって、その辺に置いておくわけにもいかない。
そう思案しながら橋に差し掛かった時、○の目に、橋の下の河原を必死に探す趙雲の姿が映る。
泥に汚れ、額に汗を浮かべながらも捜索をしている趙雲。
その献身的な姿に胸が熱くなるが、○はぐっと堪えた。
今ここで声をかけたら、自分がサボっていた事と盗み聞きしていたことがバレてしまう。
それに趙雲は(今更ながら)そういう人間が嫌いだと思うので、あまり知られたくない。
(よし…)
○は橋の欄干に身を隠しながら、小石を一つ拾う。
そして、趙雲の立ち位置から少し離れた茂みに向かってそれを投げた。
がサッと音がして、感覚の鋭い趙雲がそちらを見る。
その隙に、○はその視線の延長線上…趙雲の目の届く範囲に、布で幾重にも包んだ護符の箱を投げ落とした。
ドサッ、と小さな音と、そちらを見た趙雲。
それを見届けた○は素早く橋の欄干にしゃがみこんで、大急ぎで城に向かって走った。
「誰だ!?」
趙雲が橋の上を見上げた時には、もうそこには誰もいない。
趙雲は不審に思いながらも、落とされた布包みを拾い上げた。
中を確認して、目を見開く。
そこには自分たちが血眼になって探していた、主君の大切な護符の箱。
趙雲はすぐに橋の上へと駆け上がるが、通りにはもう人影がまばらだ。
ふと見ると、橋の上で日向ぼっこをしていた老人が、不思議そうに血相を変えている趙雲を見ていた。
「失礼、御老人。今、この橋の上から何かを落として去った者を見かけませんでしたか?」
老人は目を細め、去っていった道の先を指差してのんびりと答える。
「ああ…えらく背の高い…、髪の長い女の子が、ここで何かコソコソしとったなぁ。あっちに走っていったよ。橋の上からアンタに何か落としとったのか?悪い事するねえ…」
「背の高い…髪の長い女の子…」
「そうそう。本当に背の高い…アンタより少し低い位の」
趙雲の脳裏にはメンコを投げつけるあの女性の姿が浮かぶ。
(……○殿か)
趙雲は護符の箱を優しく握りしめると、彼女が走り去った道を見つめた。
「どこをほっつき歩いていたんですか、あなたは!」
城に戻るなり、待ち構えていた陸遜の怒声が飛んでくる。
○の姿を一目見るなり、彼はさらに眉間のシワを深くした。
その髪には木の葉が混じり、着物にはあちこち泥や草の汁がついている。
「……その汚れ。……もしや、またどこかで昼寝でもしていたのですか」
「あ、あはは…」
元々は蔵で昼寝をしていたのは事実なので、○は笑ってごまかす。
陸遜は、「この忙しい時期に、呉の将としての自覚が——」と、説教を始めた。
陸遜の説教の後、一人で回廊を歩いていると、背後から落ち着いた足音が近づいてきた。
「○殿」
呼び止められ振り返ると、そこには趙雲が立っていた。
主君の護符を取り戻した安堵からか、その表情は心なしか柔らかく見える。
一方で○は直立した。
「○殿。……あなたが護符を見つけてくださったのですね。心から感謝いたします」
趙雲の真っ直ぐな謝辞。
しかし、○は瞬きを一つすると首を傾ける。
「護符……? 何のことでしょう、趙雲様。私はずっと昼寝をしており、今しがた陸遜に怒られたばかりなのですが」
とぼける○の瞳に、迷いはない。
劉備が「呉の人間に知られるのは忍びない」と言っていた以上、たとえ趙雲が相手でも、自分が関わったことを認めるつもりはなかった。
「……橋の上から、落としましたよね。布包みを」
趙雲が一歩踏み出し、少しだけ声を潜めて言う。
「近くの老人が見ていたそうです。『背の高い髪の長い女性』が、何かを落として去っていったと。私より少し低い位の女性など、滅多にいません……あなたしか思い浮かびませんでした」
しかし、○はどこか清々しい声で答える。
「知りません」
趙雲はしばらくの間、○の瞳をじっと見つめていた。
やがて彼は、負けたと言わんばかりにふっと短く笑い、深く一礼した。
「……左様ですか。覚えのないことを問い詰めて、失礼いたしました。ですが、その……『親切な御方』のおかげで、我々がどれほど救われたか。それだけ、お伝えしたかったのです」
「それでは、私はこれで」
と去っていく趙雲の背中を見送りながら、○はふぅ、と長く止めていた息を吐き出した。