私は規格外【陸遜】
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その日、呉の城内はソワソワしていた。
理由は明白だ。
「○、ねえ、どの服が良いと思う?髪飾りはこれにしようと思うのよね」
「どれでもいいんじゃない?」
練師に手伝ってもらいながら、箪笥からあれやこれやと服を出しては見せてくる孫尚香を、○は椅子に腰掛けて眺めていた。
「なによ~その興味なさそうな態度」
「カンケーないもんねー」
今日は劉備軍から劉備が来るのだ。
先の赤壁の戦いの後、劉備軍と同盟を組む話になり、その折に孫尚香と劉備の結婚話が浮上した。
今回正式に顔合わせをする事となり、劉備が数人の武将を帯同して呉にやってくるのだ。
それが今日。
孫尚香は劉備の人柄を気に入っているので、会えるとなってウキウキしている。
「○も宴会に出るんでしょう?ちゃんとした格好なさいよ?」
「え!私も出るの?なんで?」
「○は私の親友であり、副官でしょ?まず挨拶に行かなきゃ駄目よ」
「ええええ…じゃあまあ、私はいいよ、このままで。どーせ変わらないし」
○はだらしなく椅子に座る。
「駄目駄目!最初が肝心なの。それに○はもっと着飾る事を覚えた方がいいと思うわ!ね、練師」
「ええ。私も以前からそう思っていました。○様は背も高くスラッとされています。着飾ると、きっとより一層美しくなられると思いますよ」
にっこり笑う練師にたじろぐ。
「や、やめてよ。なんか怖いなぁ」
照れた様に口を尖らせる○。
そんな○に近付いた孫尚香は、そっと耳打ちをする。
「知ってた?実はね、趙雲殿も帯同されるのよ?」
途端に○の顔がゆでダコの様に真っ赤になった。
実は赤壁の戦いに参戦していた○は、同じく劉備軍として参戦していた趙雲と知り合った。
知り合ったと言っても、○が一方的に趙雲を覚えているだけで、彼からすれば呉軍の一武将でしかないのだろうが。
ぼーっと趙雲を目で追っていた○に、孫尚香は気づいていたらしい。
城に戻った途端にその話題でからかってくるようになった。
今までこんな話題でからかわれる事のなかった○は、どうしたらいいか分からず立ち上がる。
「もうそこまでからかわれるんなら、私、絶対に宴会に参加しない!」
そんな○の言葉を無視して、練師が服を脱がしにかかる。
「尚香様の一番のご友人であり副官の貴方が、婚姻の初顔合わせの宴会に出ないわけにはいかないでしょう?今後のお付き合いもあるのですから」
有無を言わさないその顔に、○は反論できなかった。
○は着替えをさせられながら、赤壁の戦いで趙雲を見たときの事を思い出した。
最初に彼と話したのは、戦前の補給拠点だった。
■■■■■■■
補給物資の最終確認をしていた○は、拠点内を歩き回っていた。
背の高い○は、高いところにある物にも手が届くという理由から補給拠点の確認を任される事が多い。
補給物資は湿気対策や大雨、洪水等があっても濡れないように、高い所に置かれている事が多いからだ。
(よし、揃ってるわね。あとはこの薬の壺で最後か)
最後の物資を確認しようと思ったが、それは補給拠点でいつも一番高い棚に置かれている物だった。
○ですら台に乗らなくては手が届かず、確認が大変なので最後に回していた。
(えーっと。踏み台は…ないな)
辺りを見渡すが、踏み台に使えそうな物はない。
仕方なく、棚の一部に足を引っ掛けて棚に乗り上げた。
このまま、棚を2、3段登れば薬の壺に届くだろう。
棚に、がに股でへばりつきよじ登る。
「もう…ちょっと!」
手を伸ばしていると…
「取りましょうか」
穏やかな声が後ろから聞こえた。
後ろには背の高い、体格のいい男が立っている。
爽やかな笑顔を向けると、○の背中側から手を伸ばして棚に置いてあった薬の壺を取り出す。
「どうぞ」
紳士的な態度で渡された壺を、おずおずと受け取った○は、その時、彼の顔を直視することができず、「どうも」としか言えなかった。
満足そうに微笑んだ彼を盗み見ると、かなりの男前だった。
彼は去り際に、そうだ、と言って一度振り返った。
「女性があの様な格好…してはいけませんよ。武装しているとはいえ、かなり際どい格好でしたから」
それだけ言って立ち去った彼が、劉備が最も信頼を置く趙雲という武将だったという事は、戦の最終配置確認で知った。
○は趙雲と陸遜をはじめ、その他三人の武将とで諸葛亮の控える祈祷所の守りと攻めを任された。
そこはおそらく敵が一番攻め寄せるであろう場所で、時と場合によって攻守を切り替えなくてはならない重要な位置だった。
陸遜は指揮官としてそこにいた。
○達の役目は敵をなるべく通さない事と、諸葛亮と陸遜を守る事だ。
○は自分の獲物である、偃月刀を担いで馬にまたがっていた。
趙雲はここからは豆粒ほどにしか見えない場所にいる為、顔などは見えないのに、なんだか緊張してしまう。
(…とにかく!趙雲様には良いところを見せたい!!)
気合満々で握り拳を作る○に、すぐそばにいた陸遜は首をかしげた。
「○、気合を入れるのは結構ですが、空回りしないでくださいよ」
「へっ?」
「咆哮が聞こえてきそうな顔をしていますよ。ここの守りはとても重要なので、気をつけてください」
「わ、分かってるわよ。陸遜こそ、もう無茶な囮作戦させないでよ」
そう言うと陸遜は、く、と喉で笑った。
陸遜と近い場所に置かれる戦では、よく○が囮にされた。
それも突然だ。
戦の最中にいきなり囮になるように仕向けられてしまう。
○がきちんと生還するものだから、陸遜もすっかり安心して囮にした。
それに対して抗議をすると「勝てたのですから、いいではないですか」で一蹴。
確かに○は呉の軍でもそれなりの戦功を持つ武将だ。
その為か孫尚香の副官なのに、こうして別行動を取らされることもある。
陸遜のこの様子では、また囮にされるのではないか…、と不安がよぎった。
そうこうしている間に戦が始まった。
曹操軍との大決戦ということもあって、魏軍の気合は十分だった。
祈祷所にいる諸葛亮を狙って押し寄せる兵士を必死で蹴散らしていく。
○はとりあえず近くにいる陸遜の援護をしつつ、彼の指揮に従って動いていたが、不意に陸遜が大きな声を出して近づいてきた。
周囲の雑踏に紛れて、陸遜が何を言っているのか分からない。
「え!?なんか言った!?」
聞こえないうちに陸遜が馬で駆け寄ってきて「○!ここに兵士が溜まるとよくありません!行ってください」と言うなり○の馬の尻を思い切り引っ叩いた。
驚いた馬は大きく鳴くと、敵軍に向かって走り出す。
○の馬は敵兵の塊を突っ切って走る。
そのせいで敵兵が○を囲んできた。
まんまと囮にされた○は敵兵のど真ん中に出てしまう。
遠く陸遜を見るが、余裕の表情で少なくなった自身の周囲の敵を倒していた。
○が攪乱したことで、祈祷所の入り口の敵兵が減って対処しやすくなっている。
いつもこうなったら救援要請を出すのに、当の陸遜が来てくれた試しがない。
今日はなんとなく趙雲に良いところを見せたかったのに、側から見ればこんな訳のわからない行動を取った自分を、真面目そうな彼はどう感じるのだろうか。
その気持ちが動揺に繋がったのか…右下から突き出された槍に気付けなかった。
咄嗟の反射神経でそれを避けたが、避けた拍子に落馬してしまう。
落馬をしてもすぐに態勢を整えて、獲物を振り回し間合いを取る。
しかし周りは運の悪いことに騎馬隊だらけ。
これはさすがにまずい。
「助けて――――!陸遜!!」
○の叫び虚しく、槍が振り下ろされた。
これは死んだな、と思い目を閉じた○だったが、頬と腕に槍が掠めただけだ。
目を開けると、目の前に見覚えのない背中があった。
呉の人間ではない。
そこにいたのは趙雲だった。
彼は○に向けられた槍の柄を全て叩き切っていた。
背中越しに○を見ると、彼女が落とした偃月刀を足で摺り寄せて持たせる。
「立てるか!?」
「は、はい!あり、ありがとうございますっ」
「礼は良い。早く立て!」
急かされて立ち上がった○は獲物を握り直す。
(良いところを見せたかったのに…これじゃ台無しじゃない…)
なんだか泣きそうになった。
同じ呉の人間なのに助けに来てくれなかった陸遜には腹が立つわ、あんな遠くにいたのに自分の危機に気づいて駆けつけてきてくれた趙雲に感動したわで、感情がグチャグチャだった。
○は趙雲に背中を向けて立つ。
「適当にあしらってここは抜ける!ついて来い!」
それに○は頷くと、共に敵兵に切り込んでいった。
かくして赤壁の戦いは連合軍の勝利となった。
その後の宴でも趙雲に話しかけることはできなくて、遠くから背中を盗み見ることしかできなかったが、自分が趙雲に恋をしてしまったのだということは痛いほどに分かった○であった。
■■■■■■
着替えが終わった○は、次は練師に化粧を施されていた。
(思えば、一目惚れ同然なんだよなぁ)
あのような状況は初めてだった。
自分の背中を覆うような体制になっても、自分が届かなかった所に手が届いていた。
呉の男共は○を男性扱いして来るので、女性扱いされたこともかなり新鮮だった。
自分だけが名前を知っていて、遠くから彼を見つめてドキドキして。
まさか自分がこんな恋の仕方をするとは思っていなかった。
もっと猪突猛進に「好きです!」と声高に叫ぶかと思っていた。
「はい。できましたよ」
得意げに笑う練師の横で、孫尚香が嬉しそうに笑う。
「わぁ!綺麗よ!」
そう言って鏡を向けられた。
そこには今まで自分でも見たことがない顔がある。
目元にも赤い色が挿してあり、口紅もしっかり。
「や、やだな、なんかこれ。自分じゃないみたいで落ち着かない」
「すんごい変わり様よね。でも、私ずっと思ってたわよ?○、身体を動かしてるから引き締まってるし、実は綺麗な顔してるのに勿体無いなって」
「ええ!?そんな事、言われたことないんだけど…。私で遊んでない?」
驚いて顔が引きつった。
「ほら、背筋を伸ばして!○は背が高いのを気にしてるけど、それはそれでとっても素敵な事なのよ?」
優しい顔で笑った孫尚香に、そっと手を握られる。
「とにかく、今回の宴会は外交の意味合いが強いんだから、大人しくしてる事!いいわね!淩統や甘寧と悪ふざけしないで、とにかく笑顔で静かに淑やかに」
「今日、おかしなことをして陸遜殿に叱られたら、流石に○殿が悪いですよ?」
二人がかりで説得されて頷くしかない○。
「ちなみに…周瑜の話だとしばらくはこちらにいてもらう予定だから、趙雲殿と仲良くなれたらいいわね」
「…もうやめて。死ぬ」
照れた様に言う○に孫尚香は楽しそうだった。
「このくらいでいいですね。では、あとはお任せします」
宴会の準備をしていた陸遜は、作業を一通り終えると後は女官に任せて部屋を出た。
自分自身も着替えなくてはならない。
部屋に向かって歩いていると、角を曲がった所で誰かにぶつかった。
女性の様だ。
「失礼いたしました」
「い、いえ!私もちゃんと前を見ていなくて!!」
「…………ん?」
そこに立っていたのは見覚えの無い女性だった。
煌びやかな衣装を着て、髪を綺麗に結い上げている。
一目見て、美人だと感じられる顔立ちをしていた。
(どこかで見た様な。…誰だ?)
不審な目で見てくる陸遜から目をそらす様に顔を背ける女は、陸遜よりも背が高い。
「…………あんまり見ないで」
「…。……。………○!?」
何呼吸も置いて陸遜が大声で言った。
○は口の前に人差し指を出して、シーッと言う。
「こ、声がでかい!!」
「な、なんですその格好は…仮装かなにかですか?」
「相変わらず失礼な奴ね。宴会に出る事になったから、尚香と錬師に着せられたのよ!いつもの服でいいって言ったのに。私を弄んで楽しんでるのよ、あの二人は」
決して私の本意では無い!と何度も小声で叫ぶ。
仮装だなんだと言ったものの、内心陸遜は驚いていた。
いつも趣味の様に来ていた武闘着を変えれば、こんなにも美しくなるのかと。
孫尚香の高価な着物をかりて着ていることも相まって、背筋を伸ばしていれば、どこかの貴族かと思えるほどに美しく見えた。
こうして見ると、いつもからかっていた身長も彼女の凛とした雰囲気を醸し出している。
「くううう、陸遜には会いたくなかった…!」
「は?」
「だってそうやってからってくるのが分かってたもの。会食まで時間があるし、凌統に匿ってもらおうと思ってたの」
いそいそと○は陸遜の隣をすり抜ける。
「○」
「ん?」
呼ばれて振り向く○。
「あ、いえ」
呼び止めたものの、陸遜は何も言わず首を横に振った。
やはりいつも言い合いをしている彼女だとは思えない。
この荒っぽい振り向き方。
所作はいつも通りだが。
○は首をかしげたが、手をポンと叩いた。
「あ、そうそう。今日の宴会、あの方も出席されるそうよ。頑張ってね」
「あの方?頑張る?」
「もう!大喬様よ、大喬様!だってこういう時くらいにしか砕けて話せないじゃない。戦の後の宴には参加されないし」
そう言って握りこぶしを作り、「やるっきゃない!」と鼻息荒く言う○に、陸遜はため息をつく。
「はあ…○、あまり公の場でその方の名を呼ばないでください。本当にガサツなんですから。それに姫様の外交の意味合いを兼ねた婚姻なのですよ。私も他に構っていられるか分からないのです。あなたはそんな事にばかり熱心で…」
陸遜の説教が始まりそうだったので、○は背を向けてササッと角を曲がってしまった。
○が去った後、大きくため息を吐くと壁にもたれかかった。
(危なかった…何を言おうとしたのでしょう、私は)
先程○を呼び止めた時、褒め言葉の一つでも言ってやろうかと思ってしまった。
(いつもと違う格好をしていたからといって、柄にもないことを柄にもない人間に言うものではありませんね)
数刻後、宴会が始まった。
呉の姫君の婚姻がかかっているので、呉の重鎮が勢揃いだ。
劉備は、趙雲と孫乾、簡雍を帯同して呉に入り、彼らが劉備の傍や宴会場の隅にいて劉備を警護している状態。
親衛隊も宴会に参加している様だ。
そんな物々しい中で、陸遜は凌統の隣に席が作られていたのでそこに座っていた。
凌統はすでに家を継いでいるため宴会に参加している。
「そういえば凌統殿、会食前まで○と?」
「ああ。あいつ、あの格好が恥ずかしいからって部屋から出なくってさ」
そう言って何列も離れた長机に座る○を顎で指した。
「凌統殿は、あの様なめかし込んだ○と会ったことがあるのですか?」
その問いに、なに?気になんの?と聞き返されたが受け流す。
「勿論。親同士も交流があるからね。昔からああいった格好をするのは苦手みたいで、ここぞという時にしかしないんだよ。勿体無いと思わないかい?付き合いの長さから贔屓目に見てもキレイだと思うんだけど」
こういう褒め言葉をさらっと言ってのける凌統には、時々…いや、しょっちゅうついていけないことがある。
なんとなく○の方を見ると、陸遜から○との延長線上に大喬がいた。
大喬はその可愛らしい仕草で劉備側の人間の相手をしている。
(さすが大喬様。あのしとやかな所作に美しく慈しみ深い微笑み。それに比べて…大丈夫なのか、アレは…)
大喬の向こうに見える○と言えば、孫尚香にいざなわれて劉備に挨拶に行っている。
ギクシャクした動きでガチガチの笑顔を向けていた。
大方、孫尚香あたりに大人しくしていろとでも言われたのだろう。
律儀に守っている様子だが、不自然極まりない。
劉備の隣に控える孫乾に酌をするように孫尚香に言われた様だ。
しかし、普段酒を樽ごと抱えて飲んでいる様な女だ、酌など慣れていない。
ここまで聞こえて来るほど大きな、ガチッという陶器がぶつかる音がする。
「わ!申し訳ありませんっ!」
○の謝る声がする。
酌をされた孫乾と隣の劉備は笑っている。
陸遜は顔を下に向けて笑いをこらえた。
そしてそれを見かねた孫尚香に頼まれて、酒のお代わりを取りに行くことになった様だ。
声は聞こえないが1つ1つの動作が大きいので、彼女が何を言われているのかが手に取るように分かる。
ワタワタと立ち上がった○は部屋から出て行った。
陸遜は、ヤレヤレ…といった様子で立ち上がると、凌統に軽く声をかけて部屋を出た。
猪突猛進な○の事だ。
上手くいかなくて落ち込みまくっているに違いない。
からかってやろうと思った。
宴会場はぐるっと一周した回廊にあり、部屋を出ると中庭を挟んで向かいの廊下が見える。
その向かいの部屋が酒を置いている台所だから、そこに○は向かったはずだ。
少し歩くと、案の定○を見つけた。
ここからからかってやろうと思ったが、ふと○の向かいに人影を見つけた。
(ん…?あれは趙雲殿?)
趙雲は○と向かい合っていた。
穏やかな表情で笑う趙雲の正面で、ここからでも分かるほどに顔を真っ赤にしている○。
(…どうやらお邪魔な様ですね)
相手が劉備軍の将でなければ、また彼女をからかう材料にしてやろうと思ったが、流石に他国の、しかもあの劉備の側近の趙雲にその様な無礼は働く事はできない。
声をかけるのを止めた陸遜はそこから離れた。
そんな陸遜は、宴会場に戻る途中、大喬に会った。
彼女は縁側に腰掛けて休憩をしている様だ。
恐れ多いとは思ったが声をかけてみると、可愛らしく笑いかけてきた。
彼女の表情に、陸遜は自分の耳が真っ赤になるのを感じる。
思えば大喬と二人きりで話をするのは数か月ぶりだ。
隣に腰掛けると、ポツリポツリと話をした。
陸遜はずっと心臓が飛び出しそうだった。
理由は明白だ。
「○、ねえ、どの服が良いと思う?髪飾りはこれにしようと思うのよね」
「どれでもいいんじゃない?」
練師に手伝ってもらいながら、箪笥からあれやこれやと服を出しては見せてくる孫尚香を、○は椅子に腰掛けて眺めていた。
「なによ~その興味なさそうな態度」
「カンケーないもんねー」
今日は劉備軍から劉備が来るのだ。
先の赤壁の戦いの後、劉備軍と同盟を組む話になり、その折に孫尚香と劉備の結婚話が浮上した。
今回正式に顔合わせをする事となり、劉備が数人の武将を帯同して呉にやってくるのだ。
それが今日。
孫尚香は劉備の人柄を気に入っているので、会えるとなってウキウキしている。
「○も宴会に出るんでしょう?ちゃんとした格好なさいよ?」
「え!私も出るの?なんで?」
「○は私の親友であり、副官でしょ?まず挨拶に行かなきゃ駄目よ」
「ええええ…じゃあまあ、私はいいよ、このままで。どーせ変わらないし」
○はだらしなく椅子に座る。
「駄目駄目!最初が肝心なの。それに○はもっと着飾る事を覚えた方がいいと思うわ!ね、練師」
「ええ。私も以前からそう思っていました。○様は背も高くスラッとされています。着飾ると、きっとより一層美しくなられると思いますよ」
にっこり笑う練師にたじろぐ。
「や、やめてよ。なんか怖いなぁ」
照れた様に口を尖らせる○。
そんな○に近付いた孫尚香は、そっと耳打ちをする。
「知ってた?実はね、趙雲殿も帯同されるのよ?」
途端に○の顔がゆでダコの様に真っ赤になった。
実は赤壁の戦いに参戦していた○は、同じく劉備軍として参戦していた趙雲と知り合った。
知り合ったと言っても、○が一方的に趙雲を覚えているだけで、彼からすれば呉軍の一武将でしかないのだろうが。
ぼーっと趙雲を目で追っていた○に、孫尚香は気づいていたらしい。
城に戻った途端にその話題でからかってくるようになった。
今までこんな話題でからかわれる事のなかった○は、どうしたらいいか分からず立ち上がる。
「もうそこまでからかわれるんなら、私、絶対に宴会に参加しない!」
そんな○の言葉を無視して、練師が服を脱がしにかかる。
「尚香様の一番のご友人であり副官の貴方が、婚姻の初顔合わせの宴会に出ないわけにはいかないでしょう?今後のお付き合いもあるのですから」
有無を言わさないその顔に、○は反論できなかった。
○は着替えをさせられながら、赤壁の戦いで趙雲を見たときの事を思い出した。
最初に彼と話したのは、戦前の補給拠点だった。
■■■■■■■
補給物資の最終確認をしていた○は、拠点内を歩き回っていた。
背の高い○は、高いところにある物にも手が届くという理由から補給拠点の確認を任される事が多い。
補給物資は湿気対策や大雨、洪水等があっても濡れないように、高い所に置かれている事が多いからだ。
(よし、揃ってるわね。あとはこの薬の壺で最後か)
最後の物資を確認しようと思ったが、それは補給拠点でいつも一番高い棚に置かれている物だった。
○ですら台に乗らなくては手が届かず、確認が大変なので最後に回していた。
(えーっと。踏み台は…ないな)
辺りを見渡すが、踏み台に使えそうな物はない。
仕方なく、棚の一部に足を引っ掛けて棚に乗り上げた。
このまま、棚を2、3段登れば薬の壺に届くだろう。
棚に、がに股でへばりつきよじ登る。
「もう…ちょっと!」
手を伸ばしていると…
「取りましょうか」
穏やかな声が後ろから聞こえた。
後ろには背の高い、体格のいい男が立っている。
爽やかな笑顔を向けると、○の背中側から手を伸ばして棚に置いてあった薬の壺を取り出す。
「どうぞ」
紳士的な態度で渡された壺を、おずおずと受け取った○は、その時、彼の顔を直視することができず、「どうも」としか言えなかった。
満足そうに微笑んだ彼を盗み見ると、かなりの男前だった。
彼は去り際に、そうだ、と言って一度振り返った。
「女性があの様な格好…してはいけませんよ。武装しているとはいえ、かなり際どい格好でしたから」
それだけ言って立ち去った彼が、劉備が最も信頼を置く趙雲という武将だったという事は、戦の最終配置確認で知った。
○は趙雲と陸遜をはじめ、その他三人の武将とで諸葛亮の控える祈祷所の守りと攻めを任された。
そこはおそらく敵が一番攻め寄せるであろう場所で、時と場合によって攻守を切り替えなくてはならない重要な位置だった。
陸遜は指揮官としてそこにいた。
○達の役目は敵をなるべく通さない事と、諸葛亮と陸遜を守る事だ。
○は自分の獲物である、偃月刀を担いで馬にまたがっていた。
趙雲はここからは豆粒ほどにしか見えない場所にいる為、顔などは見えないのに、なんだか緊張してしまう。
(…とにかく!趙雲様には良いところを見せたい!!)
気合満々で握り拳を作る○に、すぐそばにいた陸遜は首をかしげた。
「○、気合を入れるのは結構ですが、空回りしないでくださいよ」
「へっ?」
「咆哮が聞こえてきそうな顔をしていますよ。ここの守りはとても重要なので、気をつけてください」
「わ、分かってるわよ。陸遜こそ、もう無茶な囮作戦させないでよ」
そう言うと陸遜は、く、と喉で笑った。
陸遜と近い場所に置かれる戦では、よく○が囮にされた。
それも突然だ。
戦の最中にいきなり囮になるように仕向けられてしまう。
○がきちんと生還するものだから、陸遜もすっかり安心して囮にした。
それに対して抗議をすると「勝てたのですから、いいではないですか」で一蹴。
確かに○は呉の軍でもそれなりの戦功を持つ武将だ。
その為か孫尚香の副官なのに、こうして別行動を取らされることもある。
陸遜のこの様子では、また囮にされるのではないか…、と不安がよぎった。
そうこうしている間に戦が始まった。
曹操軍との大決戦ということもあって、魏軍の気合は十分だった。
祈祷所にいる諸葛亮を狙って押し寄せる兵士を必死で蹴散らしていく。
○はとりあえず近くにいる陸遜の援護をしつつ、彼の指揮に従って動いていたが、不意に陸遜が大きな声を出して近づいてきた。
周囲の雑踏に紛れて、陸遜が何を言っているのか分からない。
「え!?なんか言った!?」
聞こえないうちに陸遜が馬で駆け寄ってきて「○!ここに兵士が溜まるとよくありません!行ってください」と言うなり○の馬の尻を思い切り引っ叩いた。
驚いた馬は大きく鳴くと、敵軍に向かって走り出す。
○の馬は敵兵の塊を突っ切って走る。
そのせいで敵兵が○を囲んできた。
まんまと囮にされた○は敵兵のど真ん中に出てしまう。
遠く陸遜を見るが、余裕の表情で少なくなった自身の周囲の敵を倒していた。
○が攪乱したことで、祈祷所の入り口の敵兵が減って対処しやすくなっている。
いつもこうなったら救援要請を出すのに、当の陸遜が来てくれた試しがない。
今日はなんとなく趙雲に良いところを見せたかったのに、側から見ればこんな訳のわからない行動を取った自分を、真面目そうな彼はどう感じるのだろうか。
その気持ちが動揺に繋がったのか…右下から突き出された槍に気付けなかった。
咄嗟の反射神経でそれを避けたが、避けた拍子に落馬してしまう。
落馬をしてもすぐに態勢を整えて、獲物を振り回し間合いを取る。
しかし周りは運の悪いことに騎馬隊だらけ。
これはさすがにまずい。
「助けて――――!陸遜!!」
○の叫び虚しく、槍が振り下ろされた。
これは死んだな、と思い目を閉じた○だったが、頬と腕に槍が掠めただけだ。
目を開けると、目の前に見覚えのない背中があった。
呉の人間ではない。
そこにいたのは趙雲だった。
彼は○に向けられた槍の柄を全て叩き切っていた。
背中越しに○を見ると、彼女が落とした偃月刀を足で摺り寄せて持たせる。
「立てるか!?」
「は、はい!あり、ありがとうございますっ」
「礼は良い。早く立て!」
急かされて立ち上がった○は獲物を握り直す。
(良いところを見せたかったのに…これじゃ台無しじゃない…)
なんだか泣きそうになった。
同じ呉の人間なのに助けに来てくれなかった陸遜には腹が立つわ、あんな遠くにいたのに自分の危機に気づいて駆けつけてきてくれた趙雲に感動したわで、感情がグチャグチャだった。
○は趙雲に背中を向けて立つ。
「適当にあしらってここは抜ける!ついて来い!」
それに○は頷くと、共に敵兵に切り込んでいった。
かくして赤壁の戦いは連合軍の勝利となった。
その後の宴でも趙雲に話しかけることはできなくて、遠くから背中を盗み見ることしかできなかったが、自分が趙雲に恋をしてしまったのだということは痛いほどに分かった○であった。
■■■■■■
着替えが終わった○は、次は練師に化粧を施されていた。
(思えば、一目惚れ同然なんだよなぁ)
あのような状況は初めてだった。
自分の背中を覆うような体制になっても、自分が届かなかった所に手が届いていた。
呉の男共は○を男性扱いして来るので、女性扱いされたこともかなり新鮮だった。
自分だけが名前を知っていて、遠くから彼を見つめてドキドキして。
まさか自分がこんな恋の仕方をするとは思っていなかった。
もっと猪突猛進に「好きです!」と声高に叫ぶかと思っていた。
「はい。できましたよ」
得意げに笑う練師の横で、孫尚香が嬉しそうに笑う。
「わぁ!綺麗よ!」
そう言って鏡を向けられた。
そこには今まで自分でも見たことがない顔がある。
目元にも赤い色が挿してあり、口紅もしっかり。
「や、やだな、なんかこれ。自分じゃないみたいで落ち着かない」
「すんごい変わり様よね。でも、私ずっと思ってたわよ?○、身体を動かしてるから引き締まってるし、実は綺麗な顔してるのに勿体無いなって」
「ええ!?そんな事、言われたことないんだけど…。私で遊んでない?」
驚いて顔が引きつった。
「ほら、背筋を伸ばして!○は背が高いのを気にしてるけど、それはそれでとっても素敵な事なのよ?」
優しい顔で笑った孫尚香に、そっと手を握られる。
「とにかく、今回の宴会は外交の意味合いが強いんだから、大人しくしてる事!いいわね!淩統や甘寧と悪ふざけしないで、とにかく笑顔で静かに淑やかに」
「今日、おかしなことをして陸遜殿に叱られたら、流石に○殿が悪いですよ?」
二人がかりで説得されて頷くしかない○。
「ちなみに…周瑜の話だとしばらくはこちらにいてもらう予定だから、趙雲殿と仲良くなれたらいいわね」
「…もうやめて。死ぬ」
照れた様に言う○に孫尚香は楽しそうだった。
「このくらいでいいですね。では、あとはお任せします」
宴会の準備をしていた陸遜は、作業を一通り終えると後は女官に任せて部屋を出た。
自分自身も着替えなくてはならない。
部屋に向かって歩いていると、角を曲がった所で誰かにぶつかった。
女性の様だ。
「失礼いたしました」
「い、いえ!私もちゃんと前を見ていなくて!!」
「…………ん?」
そこに立っていたのは見覚えの無い女性だった。
煌びやかな衣装を着て、髪を綺麗に結い上げている。
一目見て、美人だと感じられる顔立ちをしていた。
(どこかで見た様な。…誰だ?)
不審な目で見てくる陸遜から目をそらす様に顔を背ける女は、陸遜よりも背が高い。
「…………あんまり見ないで」
「…。……。………○!?」
何呼吸も置いて陸遜が大声で言った。
○は口の前に人差し指を出して、シーッと言う。
「こ、声がでかい!!」
「な、なんですその格好は…仮装かなにかですか?」
「相変わらず失礼な奴ね。宴会に出る事になったから、尚香と錬師に着せられたのよ!いつもの服でいいって言ったのに。私を弄んで楽しんでるのよ、あの二人は」
決して私の本意では無い!と何度も小声で叫ぶ。
仮装だなんだと言ったものの、内心陸遜は驚いていた。
いつも趣味の様に来ていた武闘着を変えれば、こんなにも美しくなるのかと。
孫尚香の高価な着物をかりて着ていることも相まって、背筋を伸ばしていれば、どこかの貴族かと思えるほどに美しく見えた。
こうして見ると、いつもからかっていた身長も彼女の凛とした雰囲気を醸し出している。
「くううう、陸遜には会いたくなかった…!」
「は?」
「だってそうやってからってくるのが分かってたもの。会食まで時間があるし、凌統に匿ってもらおうと思ってたの」
いそいそと○は陸遜の隣をすり抜ける。
「○」
「ん?」
呼ばれて振り向く○。
「あ、いえ」
呼び止めたものの、陸遜は何も言わず首を横に振った。
やはりいつも言い合いをしている彼女だとは思えない。
この荒っぽい振り向き方。
所作はいつも通りだが。
○は首をかしげたが、手をポンと叩いた。
「あ、そうそう。今日の宴会、あの方も出席されるそうよ。頑張ってね」
「あの方?頑張る?」
「もう!大喬様よ、大喬様!だってこういう時くらいにしか砕けて話せないじゃない。戦の後の宴には参加されないし」
そう言って握りこぶしを作り、「やるっきゃない!」と鼻息荒く言う○に、陸遜はため息をつく。
「はあ…○、あまり公の場でその方の名を呼ばないでください。本当にガサツなんですから。それに姫様の外交の意味合いを兼ねた婚姻なのですよ。私も他に構っていられるか分からないのです。あなたはそんな事にばかり熱心で…」
陸遜の説教が始まりそうだったので、○は背を向けてササッと角を曲がってしまった。
○が去った後、大きくため息を吐くと壁にもたれかかった。
(危なかった…何を言おうとしたのでしょう、私は)
先程○を呼び止めた時、褒め言葉の一つでも言ってやろうかと思ってしまった。
(いつもと違う格好をしていたからといって、柄にもないことを柄にもない人間に言うものではありませんね)
数刻後、宴会が始まった。
呉の姫君の婚姻がかかっているので、呉の重鎮が勢揃いだ。
劉備は、趙雲と孫乾、簡雍を帯同して呉に入り、彼らが劉備の傍や宴会場の隅にいて劉備を警護している状態。
親衛隊も宴会に参加している様だ。
そんな物々しい中で、陸遜は凌統の隣に席が作られていたのでそこに座っていた。
凌統はすでに家を継いでいるため宴会に参加している。
「そういえば凌統殿、会食前まで○と?」
「ああ。あいつ、あの格好が恥ずかしいからって部屋から出なくってさ」
そう言って何列も離れた長机に座る○を顎で指した。
「凌統殿は、あの様なめかし込んだ○と会ったことがあるのですか?」
その問いに、なに?気になんの?と聞き返されたが受け流す。
「勿論。親同士も交流があるからね。昔からああいった格好をするのは苦手みたいで、ここぞという時にしかしないんだよ。勿体無いと思わないかい?付き合いの長さから贔屓目に見てもキレイだと思うんだけど」
こういう褒め言葉をさらっと言ってのける凌統には、時々…いや、しょっちゅうついていけないことがある。
なんとなく○の方を見ると、陸遜から○との延長線上に大喬がいた。
大喬はその可愛らしい仕草で劉備側の人間の相手をしている。
(さすが大喬様。あのしとやかな所作に美しく慈しみ深い微笑み。それに比べて…大丈夫なのか、アレは…)
大喬の向こうに見える○と言えば、孫尚香にいざなわれて劉備に挨拶に行っている。
ギクシャクした動きでガチガチの笑顔を向けていた。
大方、孫尚香あたりに大人しくしていろとでも言われたのだろう。
律儀に守っている様子だが、不自然極まりない。
劉備の隣に控える孫乾に酌をするように孫尚香に言われた様だ。
しかし、普段酒を樽ごと抱えて飲んでいる様な女だ、酌など慣れていない。
ここまで聞こえて来るほど大きな、ガチッという陶器がぶつかる音がする。
「わ!申し訳ありませんっ!」
○の謝る声がする。
酌をされた孫乾と隣の劉備は笑っている。
陸遜は顔を下に向けて笑いをこらえた。
そしてそれを見かねた孫尚香に頼まれて、酒のお代わりを取りに行くことになった様だ。
声は聞こえないが1つ1つの動作が大きいので、彼女が何を言われているのかが手に取るように分かる。
ワタワタと立ち上がった○は部屋から出て行った。
陸遜は、ヤレヤレ…といった様子で立ち上がると、凌統に軽く声をかけて部屋を出た。
猪突猛進な○の事だ。
上手くいかなくて落ち込みまくっているに違いない。
からかってやろうと思った。
宴会場はぐるっと一周した回廊にあり、部屋を出ると中庭を挟んで向かいの廊下が見える。
その向かいの部屋が酒を置いている台所だから、そこに○は向かったはずだ。
少し歩くと、案の定○を見つけた。
ここからからかってやろうと思ったが、ふと○の向かいに人影を見つけた。
(ん…?あれは趙雲殿?)
趙雲は○と向かい合っていた。
穏やかな表情で笑う趙雲の正面で、ここからでも分かるほどに顔を真っ赤にしている○。
(…どうやらお邪魔な様ですね)
相手が劉備軍の将でなければ、また彼女をからかう材料にしてやろうと思ったが、流石に他国の、しかもあの劉備の側近の趙雲にその様な無礼は働く事はできない。
声をかけるのを止めた陸遜はそこから離れた。
そんな陸遜は、宴会場に戻る途中、大喬に会った。
彼女は縁側に腰掛けて休憩をしている様だ。
恐れ多いとは思ったが声をかけてみると、可愛らしく笑いかけてきた。
彼女の表情に、陸遜は自分の耳が真っ赤になるのを感じる。
思えば大喬と二人きりで話をするのは数か月ぶりだ。
隣に腰掛けると、ポツリポツリと話をした。
陸遜はずっと心臓が飛び出しそうだった。