私は規格外【陸遜】
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○は、呉の職人が精魂込めて織り上げた深い朱色に金糸の刺繍が踊る豪華な礼装に身を包んでいた。
儀式を終えて、町を凱旋して、最後は広間に集まる。
本来の儀式よりもかなり簡略化されたものだったが、○にとっては十分長いものだった。
広間は熱気あふれる宴の場となる。
主役である劉備と孫尚香が並んで仲睦まじく挨拶をする姿は、まさに絵に描いたような美しさ。
それを眺める○の胸にも、込み上げるものがある。
涙を浮かべてその様子を見ていた○だが、身体の限界も迎え始めている。
「ふぅ……肩凝ったぁ……」
孫尚香が話し終えたのを見計らい、○は呉の面々が座る末席で、ゴキ、ゴキゴキッと、およそ礼装を纏った女性とは思えない音を立てて首を鳴らした。
「おい、すんげえ顔してるぜ」
隣に座る凌統が肘で小突く。
今朝到着した淩統には会うなり一連の流れを話したので、事情をすべて理解している。
「せっかく綺麗に着飾ってんだからさ。ニコニコしてろっての」
「そうは言うけどねえ。すっごい重いのよこの衣装」
「お前達……。挨拶の間くらいは静かにしろ。呉の将がこれほど騒がしくては、品位を疑われるぞ」
凌統の隣に座っていた韓当が、身を乗り出して低く窘めてくる。
その圧に押し黙った○は、ふと視線を感じて自分と凌統の斜め前に座る陸遜を見た。
陸遜はフンッと鼻で笑う。
「うーわ、見た?鼻で笑った!あの態度!」
「だから静かにしてろっつってんだろ」
淩統と陸遜と韓当と○が顔を突き合わせて小声で揉め始めた時。
挨拶がてら酒を注いで回っていた趙雲が、不意に傍で足を止めた。
四人が顔をあげると物おじせずにその場に膝をついて酒を差し出す。
韓当が器を差し出してそれを受けた。
「呉の将星の皆様。本日は誠に、素晴らしい日となりました」
趙雲の爽やかな挨拶に、四人ともが居住まいを正す。
皆の目線で(お前が話せ)と促されて、陸遜が口を開いた。
「趙雲殿、こちらこそ。……我が姫がお世話になります」
「いえ、こちらが支えられてばかりです。……ところで○殿、先ほどの挨拶の間、少し辛そうに見えましたが、どこかお加減でも?」
首を鳴らしているのが見られていた○は固まる。
隣で凌統が「ぶふっ」と吹き出したので、○が机の下で足をつねる。
「いいえ!あの、天井が気になったもので」
「……そうですか。ならば安心しました。宴はまだ長いです。何かあれば、遠慮なく私を呼んでください。……あなたの笑顔が見られないのは、この宴にとって大きな損失ですから」
趙雲はそう言って、○にだけ見えるように微かに目配せをすると、再び次の席へと去っていった。
宴はさらに熱を帯び、広間の中央では、上機嫌な張飛が「呉の若造も来い!」と凌統を引っ張り出し、何やら奇妙で豪快な踊りを披露し始めていた。
凌統が振り回されながら叫ぶ姿に、○は思わず吹き出す。
いつもの呉の宴会のような、どこか懐かしい光景だ。
しかし、ふと視線をその賑わいの向こう側へ移すと、柱の影で一人、静かに杯を傾ける陸遜の姿が目に留まった。
陸遜は騒ぎに参加することなく、じっと一点を見つめている。
その視線の先にあるのは、劉備に酌をしながら穏やかに微笑む大喬の姿。
(……やっぱり)
○は、手に持っていた箸を止めた。
大喬を想う陸遜の眼差しは、鋭い軍師のそれではなく、ただ一人の青年のものだ。
けれど、大喬が彼の方を振り返る気配はない。
二人の距離は、呉にいた頃から一歩も縮まっていないようだ。
○と陸遜の付き合いは長い。
彼が孫家に取り立てられる前から知り合いだ。
だから彼には幸せになってほしい。
(さて、殿方は深夜まで飲むだろうし、そろそろ尚香は部屋に連れて帰るか)
そう思って身支度を整えていると、後ろから孫尚香が声をかけてきた。
「あ、尚香。そろそろ帰るよ」
そう言って振り向くと、真っ赤な顔の孫尚香が立っていた。
隣には彼女が倒れないよう、絶妙な距離感で付き添っている趙雲の姿まで。
「趙雲殿、これは、○です!」
孫尚香がへにゃりと笑って、○を紹介する。
「存じております」、と控え目に答える趙雲は困っているようだ。
「何やってんの!趙雲様が困ってるでしょ!…酔ってるわね」
「酔ってない!」
「酔ってるじゃない。ほら、立ってたら危ないからちゃんと座って!あ!裾がめくれる!」
趙雲は孫尚香の裾の下を見てはいけない、と目を逸らす。
○が彼女の手を引いてゆっくり座らせた。
すると孫尚香は、○の膝に頭を乗せて一瞬で眠ってしまった。
「ん?尚香?ちょっと?ここで寝ないのっ」
ピタピタと頬を叩くが起きる気配がない。
○はため息をつくと、立ったままの趙雲に頭を下げた。
「あ、あの。姫様が失礼いたしました」
「いえ。少し驚きました。こんなにも酔われるのだな」
「普段はこんな、絡み酒みたいなことはされないんですけど」
「というと?」
「あ、いえ…多分、それだけ安心されたんだと思います。久しぶりに国の皆に会えたから」
趙雲はその場に座った。
「あなたとは、こうして酒の席でしか、ゆっくりとお話ができていない気がしますね」
「そうでしたか? たった昨日、城下で小喬様を探しながら、あんなにたくさん……」
○が不思議そうに問い返すと、趙雲は少しだけ視線を彷徨わせ、それから語尾を笑って誤魔化す。
「いや。ゆっくりというのは、もっとこう……」
「……?」
○は首を傾げる。
(私にとっては、かなりゆっくりお話できたと思うんだけどな…)
そうは思うが言えなかった。
「…はあ、暑いから部屋に帰りたかったのに…どうしよう、尚香」
○はたまらず、空いた左手でパタパタと自分の顔を仰く。
「どうしました?」
「あ、いえ……この衣装、暑くて。いつもはもっと軽い服を着ているので」
「そういえば…○殿は普段、いつでも鎧が着られるような服装でいる。今日ほどまでには行かなくとも、女性らしい着物は着ないのですか?」
趙雲の問いに、○は少し照れくさそうに頬をかいて笑った。
「私には不相応ですよ。陸遜には『仮装大会でもあるのか』と言われるし、淩統には『祭のノボリ』と言われるし。私を弄る言葉ばっかり探してるんですよねー、奴ら。私、奴らのその変な例えのせいで着れなくなった服が山のようにあるんです。食堂のおばあちゃんとか、死にかけの蜂とか」
そう言って趙雲に詰め寄ると、ブハッと吹き出した様に笑った。
初めて見た趙雲の笑った顔に心臓が高鳴る。
少しお酒が入っているせいか、頬もわずかに赤らんだその無防備な格好良さに、心臓が痛い。
微笑んだ顔は何度か見たが、顔をクシャクシャにして笑った顔は初めてだ。
○の顔が真っ赤になる。
だがそれよりも気になるのが…
「そ、そんなに面白い事言いましたか?」
「ああ、いや…ははは、そうじゃなくて」
趙雲は肩を震わせ、右手をこちらに出して横に振る。
「ああ、いや……ははは! すみません、そうじゃなくて……くくっ」
しばらく笑いをこらえようと格闘していた趙雲は、ようやく一息つく。
「実は……今までにも、○殿の言動や有様で笑いそうになることが、本当にたくさんあったのです。ですが、知り合って間もない女性に失礼になってはいけないと、ずっと我慢していたのですが……」
趙雲はまだ少し肩を揺らしながら、困ったように眉を下げた。
「いや、酒のせいもあって気が緩み申し訳ない。…ともあれ」
趙雲はそう言うと、不意に笑いを収め、潤んだ瞳でじっと○を見つめる。
「美しい衣装を纏ったあなたも素敵ですが、川に石を投げたり、泥だらけで遊ぶあなたが、私は好きですよ。サボりは感心しませんが」
さらりと言われた言葉の破壊力に、○は膝の上の孫尚香の髪を鷲掴みしてしまう。
そのまま彼女が起きないのをいいことに、孫尚香の髪を弄ぶ。
「ま、またまた!もう……お上手なんだから、趙雲様!」
顔は薄暗い宴会場でも分かるのではと思えるほどに真っ赤だ。
趙雲は目をそらさない。
「嘘ではない。あなたの飾り気のない様は、とても素敵だ。……話していると、とても楽しくなる」
そう穏やかに告げた趙雲。
すると背後から軽く悲鳴が上がる。
どうやら酒の勢いに乗った張飛たちが、躓いて転んでしまったようだ。
「おっと、あちらも止めてこなければ。……では、○殿。今夜はゆっくり休んでください」
趙雲は一礼すると、凛々しい背中で騒ぎの中へと消えていく。
膝の上では孫尚香が幸せそうな寝息を立てている。
○はしばらくそこから動けなかった。
儀式を終えて、町を凱旋して、最後は広間に集まる。
本来の儀式よりもかなり簡略化されたものだったが、○にとっては十分長いものだった。
広間は熱気あふれる宴の場となる。
主役である劉備と孫尚香が並んで仲睦まじく挨拶をする姿は、まさに絵に描いたような美しさ。
それを眺める○の胸にも、込み上げるものがある。
涙を浮かべてその様子を見ていた○だが、身体の限界も迎え始めている。
「ふぅ……肩凝ったぁ……」
孫尚香が話し終えたのを見計らい、○は呉の面々が座る末席で、ゴキ、ゴキゴキッと、およそ礼装を纏った女性とは思えない音を立てて首を鳴らした。
「おい、すんげえ顔してるぜ」
隣に座る凌統が肘で小突く。
今朝到着した淩統には会うなり一連の流れを話したので、事情をすべて理解している。
「せっかく綺麗に着飾ってんだからさ。ニコニコしてろっての」
「そうは言うけどねえ。すっごい重いのよこの衣装」
「お前達……。挨拶の間くらいは静かにしろ。呉の将がこれほど騒がしくては、品位を疑われるぞ」
凌統の隣に座っていた韓当が、身を乗り出して低く窘めてくる。
その圧に押し黙った○は、ふと視線を感じて自分と凌統の斜め前に座る陸遜を見た。
陸遜はフンッと鼻で笑う。
「うーわ、見た?鼻で笑った!あの態度!」
「だから静かにしてろっつってんだろ」
淩統と陸遜と韓当と○が顔を突き合わせて小声で揉め始めた時。
挨拶がてら酒を注いで回っていた趙雲が、不意に傍で足を止めた。
四人が顔をあげると物おじせずにその場に膝をついて酒を差し出す。
韓当が器を差し出してそれを受けた。
「呉の将星の皆様。本日は誠に、素晴らしい日となりました」
趙雲の爽やかな挨拶に、四人ともが居住まいを正す。
皆の目線で(お前が話せ)と促されて、陸遜が口を開いた。
「趙雲殿、こちらこそ。……我が姫がお世話になります」
「いえ、こちらが支えられてばかりです。……ところで○殿、先ほどの挨拶の間、少し辛そうに見えましたが、どこかお加減でも?」
首を鳴らしているのが見られていた○は固まる。
隣で凌統が「ぶふっ」と吹き出したので、○が机の下で足をつねる。
「いいえ!あの、天井が気になったもので」
「……そうですか。ならば安心しました。宴はまだ長いです。何かあれば、遠慮なく私を呼んでください。……あなたの笑顔が見られないのは、この宴にとって大きな損失ですから」
趙雲はそう言って、○にだけ見えるように微かに目配せをすると、再び次の席へと去っていった。
宴はさらに熱を帯び、広間の中央では、上機嫌な張飛が「呉の若造も来い!」と凌統を引っ張り出し、何やら奇妙で豪快な踊りを披露し始めていた。
凌統が振り回されながら叫ぶ姿に、○は思わず吹き出す。
いつもの呉の宴会のような、どこか懐かしい光景だ。
しかし、ふと視線をその賑わいの向こう側へ移すと、柱の影で一人、静かに杯を傾ける陸遜の姿が目に留まった。
陸遜は騒ぎに参加することなく、じっと一点を見つめている。
その視線の先にあるのは、劉備に酌をしながら穏やかに微笑む大喬の姿。
(……やっぱり)
○は、手に持っていた箸を止めた。
大喬を想う陸遜の眼差しは、鋭い軍師のそれではなく、ただ一人の青年のものだ。
けれど、大喬が彼の方を振り返る気配はない。
二人の距離は、呉にいた頃から一歩も縮まっていないようだ。
○と陸遜の付き合いは長い。
彼が孫家に取り立てられる前から知り合いだ。
だから彼には幸せになってほしい。
(さて、殿方は深夜まで飲むだろうし、そろそろ尚香は部屋に連れて帰るか)
そう思って身支度を整えていると、後ろから孫尚香が声をかけてきた。
「あ、尚香。そろそろ帰るよ」
そう言って振り向くと、真っ赤な顔の孫尚香が立っていた。
隣には彼女が倒れないよう、絶妙な距離感で付き添っている趙雲の姿まで。
「趙雲殿、これは、○です!」
孫尚香がへにゃりと笑って、○を紹介する。
「存じております」、と控え目に答える趙雲は困っているようだ。
「何やってんの!趙雲様が困ってるでしょ!…酔ってるわね」
「酔ってない!」
「酔ってるじゃない。ほら、立ってたら危ないからちゃんと座って!あ!裾がめくれる!」
趙雲は孫尚香の裾の下を見てはいけない、と目を逸らす。
○が彼女の手を引いてゆっくり座らせた。
すると孫尚香は、○の膝に頭を乗せて一瞬で眠ってしまった。
「ん?尚香?ちょっと?ここで寝ないのっ」
ピタピタと頬を叩くが起きる気配がない。
○はため息をつくと、立ったままの趙雲に頭を下げた。
「あ、あの。姫様が失礼いたしました」
「いえ。少し驚きました。こんなにも酔われるのだな」
「普段はこんな、絡み酒みたいなことはされないんですけど」
「というと?」
「あ、いえ…多分、それだけ安心されたんだと思います。久しぶりに国の皆に会えたから」
趙雲はその場に座った。
「あなたとは、こうして酒の席でしか、ゆっくりとお話ができていない気がしますね」
「そうでしたか? たった昨日、城下で小喬様を探しながら、あんなにたくさん……」
○が不思議そうに問い返すと、趙雲は少しだけ視線を彷徨わせ、それから語尾を笑って誤魔化す。
「いや。ゆっくりというのは、もっとこう……」
「……?」
○は首を傾げる。
(私にとっては、かなりゆっくりお話できたと思うんだけどな…)
そうは思うが言えなかった。
「…はあ、暑いから部屋に帰りたかったのに…どうしよう、尚香」
○はたまらず、空いた左手でパタパタと自分の顔を仰く。
「どうしました?」
「あ、いえ……この衣装、暑くて。いつもはもっと軽い服を着ているので」
「そういえば…○殿は普段、いつでも鎧が着られるような服装でいる。今日ほどまでには行かなくとも、女性らしい着物は着ないのですか?」
趙雲の問いに、○は少し照れくさそうに頬をかいて笑った。
「私には不相応ですよ。陸遜には『仮装大会でもあるのか』と言われるし、淩統には『祭のノボリ』と言われるし。私を弄る言葉ばっかり探してるんですよねー、奴ら。私、奴らのその変な例えのせいで着れなくなった服が山のようにあるんです。食堂のおばあちゃんとか、死にかけの蜂とか」
そう言って趙雲に詰め寄ると、ブハッと吹き出した様に笑った。
初めて見た趙雲の笑った顔に心臓が高鳴る。
少しお酒が入っているせいか、頬もわずかに赤らんだその無防備な格好良さに、心臓が痛い。
微笑んだ顔は何度か見たが、顔をクシャクシャにして笑った顔は初めてだ。
○の顔が真っ赤になる。
だがそれよりも気になるのが…
「そ、そんなに面白い事言いましたか?」
「ああ、いや…ははは、そうじゃなくて」
趙雲は肩を震わせ、右手をこちらに出して横に振る。
「ああ、いや……ははは! すみません、そうじゃなくて……くくっ」
しばらく笑いをこらえようと格闘していた趙雲は、ようやく一息つく。
「実は……今までにも、○殿の言動や有様で笑いそうになることが、本当にたくさんあったのです。ですが、知り合って間もない女性に失礼になってはいけないと、ずっと我慢していたのですが……」
趙雲はまだ少し肩を揺らしながら、困ったように眉を下げた。
「いや、酒のせいもあって気が緩み申し訳ない。…ともあれ」
趙雲はそう言うと、不意に笑いを収め、潤んだ瞳でじっと○を見つめる。
「美しい衣装を纏ったあなたも素敵ですが、川に石を投げたり、泥だらけで遊ぶあなたが、私は好きですよ。サボりは感心しませんが」
さらりと言われた言葉の破壊力に、○は膝の上の孫尚香の髪を鷲掴みしてしまう。
そのまま彼女が起きないのをいいことに、孫尚香の髪を弄ぶ。
「ま、またまた!もう……お上手なんだから、趙雲様!」
顔は薄暗い宴会場でも分かるのではと思えるほどに真っ赤だ。
趙雲は目をそらさない。
「嘘ではない。あなたの飾り気のない様は、とても素敵だ。……話していると、とても楽しくなる」
そう穏やかに告げた趙雲。
すると背後から軽く悲鳴が上がる。
どうやら酒の勢いに乗った張飛たちが、躓いて転んでしまったようだ。
「おっと、あちらも止めてこなければ。……では、○殿。今夜はゆっくり休んでください」
趙雲は一礼すると、凛々しい背中で騒ぎの中へと消えていく。
膝の上では孫尚香が幸せそうな寝息を立てている。
○はしばらくそこから動けなかった。