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天使の分け前

それから1週間ほど経った日のことだ。窓口での業務を終えた破魔矢実乃は、平川書房の今度の新刊はどんなものだろうかなどと他愛のないことを考えながら、自分の事務室へ歩いて向かっていた。要するに司書の控室であるこの事務室には、破魔矢の手荷物とセンチネルだけがあった。だから、破魔矢はその日、特に何かが起きるとは考えてもいなかった。
事務室の前に着き、いつもと同じように開錠して、ドアを開く。
「ただいま…」
形式しかない挨拶。そのときだった。室内の照明が点くより早く、破魔矢の視線は眼前の椅子に座る人影を捉える。
「……誰」
恐怖する破魔矢の声を聞いて、その人影はゆっくりと振り返る。その顔は見慣れたものだった。
「センチネル」
破魔矢の声は震える。体もこの場から離れようと動き出しそうになっている。それもそうだ、普段ならロッカーにしまわれているはずのセンチネルのポータブルユニットが何故か起動しているのだから。それでも、全くの知らない人物がいたよりはマシであるだろうと破魔矢は思い、自分の不安を解こうとした。
「もう、びっくりしたでしょ、まったく…驚かせないでよね」
センチネルに、破魔矢はいつものような親しげな態度を作りながらそう話しかけた。
「あ…はは、すいません」
センチネルの返答。とてつもなく自然で人間のような、そんな返答。しかし、それがいつもの口調とは異なっていることに破魔矢は気付いた。センチネルの通常の設定ではこんな軽い話し方はしないし、させてもいない。緊張と恐怖と疑問で破魔矢の心は凍りついていく。こいつは本当にセンチネルなのか。そうでなければ眼前に佇むこれは誰なのか。何なのか。今ここで一体何が起きているのか。数々の至極曖昧な憶測が破魔矢の思考回路を駆け抜けていったが、その中で、破魔矢は一部思い当たるものを見つけた。声だ。通常のセンチネルの声ではないが、その声はどこかで聴いた覚えのある声だった。
ある程度の確信を持って破魔矢はそれに尋ねた。
「…あなた、センチネルじゃないわね、誰」
それはこう返した。
「僕は、佐伯一仁。ライターをしています」
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