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Got To Be Certain




インターフォンの呼び出し音が部屋の中に響き、仙道は今いるリビングから廊下を隔てた浴室の方角に顔を向けた。そこに数分前に消えた牧は、まだ風呂から出るには時間がかかると思われる。音もひょっとして浴室までは届いていないのかもしれない。今は自分も出来ることならば来客は避けたい。それがすぐに帰ってくれる宅急便のおにいさんだったとしても。
 知らぬフリを決め込もうとした仙道の耳に、またしても呼び出し音が届いた。今度は癇癪でもおこしたように2度続けて。仙道はリビングから廊下に出、浴室のドアの向こうの様子を探った。ガコッとシャワーヘッドを壁にかけたような音が響いて聞こえ、仙道は来客を忘れて舞い上がりそうになり、いやいや、と首を振って玄関に向かった。ドアノブを握って外へ向かって開くのと、洗面室へ通じるドアが開いて牧が顔を出すのとほぼ同じタイミングだった。
「おい、仙道出るな…」
 肩からタオルをかけただけの濡れそぼったの牧の裸の上体を仙道は見て数秒固まり、それから慌ててドアを閉めようとして、それを素早く外から差し込まれたバッシュの爪先に阻まれた。
「…どちらさん?」
 訪問客の方から訝し気な声で誰何され、仙道は牧の姿に気を取られていた顔を外へ向け直した。自分より大分低い位置から見上げてくる、小さな驚くほどに整った顔。見たような気がするのは、よくテレビで見かける顔だったからだけではない。
「牧ー? いんだろー?」
 家の奥に大声を投げておいて、訪問客は仙道の止めようとした腕を身軽くかいくぐり、バッシュを脱いで傍若無人に玄関から廊下に上がり込んだ。
「なんだ、風呂か」
 廊下へ顔を出したままの牧と目が合い、肩を竦めて、それでも帰る様子はなく勝手知ったるといった様子で、仙道が今までいたリビングへとずかずかと進んでいく。
「あの…牧さん…?」
 仙道は戸惑い、客の背を指さしつつ牧を振り返った。
「ああ、悪い…。友人だ。なんというか…自由なヤツでな。すまん。おまえは何もしなくていいから。すぐ行く」
「はい…」
 温められた肌から立ち昇る石鹸の香り。仙道はそれを堪能することも出来ずに大いに肩を落とした。何という間の悪さ。
 二人はつい今し方、北海道から戻ってきたばかりだった。もちろん仙道は滞在先など決める間もなく飛行機に乗り込んでいる。その余裕があったとしても、敢えて牧の家以外の宿泊先など決めようとは思わなかっただろうが。
 奇妙な牽制と気恥ずかしさでお互いにシャワーを譲り合い、家主であるという理由で牧を浴室に押し込み、仙道は牧の匂いの色濃く残る部屋で一人そわそわとその風呂上りを待っていたのだった。
 まあ、一息つけてよかったけれども。
 さすがに今すぐどうこうしようと思っていたわけではなかったけれども。
 それでも気持ちを確かめ合って、空港からこの牧の自宅までの時間、さほど距離がなかったにも関わらず、それだけの時間をこれほど長く感じたことはなかった。そこへ持ってきての突然の闖入者。いや、その闖入者の態度から見れば、仙道のほうこそ招かねざる客であるのだろう。
 廊下をまっすぐ進む背を追いかけてリビングに足を踏み入れると、客はすでに勧められもしていないソファにドカッと腰を降ろしており、入ってきた仙道を上から下まで無遠慮に眺めまわした。
「…で?」
 優し気な顔はあくまで外見だけのようだった。腕を組んでふんぞり返り、胡乱気に見上げてくる様は、仙道こそが突然の闖入者であるのだといった態度だった。
「仙道といいます」
「…どっかで会ったよな?」
 仙道は内心で驚き、顔では笑みを深めた。
「さあ…初めてだと思いますが。有名人の知り合いはいないので」
 目の前の男は藤真といった。プロバスケチームで活躍中の現役選手だが、アイドル顔負けのご面相と、なんでも遠慮なくズバズバと発言する外見とは真逆の真っ直ぐな性格のギャップが受けて、テレビのバラエティー番組でもこの頃ちょくちょく顔を見る。牧と友人であることは知らなかったが、狭い業界なのだろうと考える。
「そういうのいいから」
 余計な話を好まないのも、一般に認知されている通りの性格だった。なんと言えば牧の迷惑にならないものか考えていたところに、頭にタオルを乗せて、がしがしと髪を拭きながら、着替えを終えた牧がリビングに入ってきた。
「なんだ、藤真。急用か?」
「来客中に風呂? こんな早い時間に?」
「え? …ああ…その…まぁ…なんだ…」
「…ふーん。で、誰?」
「ああ、」
 上手く答えられない牧は助かったとでもいうように仙道にちらりと目を走らせて、「仙道だ」と一言紹介した。
「うん、それはもう聞いた」
 笑っていない笑顔の上手い男だ、と思う。
「その…ちょっと複雑なんだ。そのうちおまえにもきちんと紹介するから」
 複雑なんだ?と仙道は、そんなことを考えた自分がまた複雑になる。まあ、初めて会った人間に男を正面切って恋人だと紹介されても、相手も面喰うだろうけれども。
「複雑か。…信長を探しに大慌てで飛び出して行っておいて、この男と二人きりで帰ってきたわけだな」
「うん、…まあ…そういうことになるな」
 牧はのんびりと考えているような仕草で肯定する。どちらへともなく、仙道は「あの、俺テキトーに食事買いに行ってきます」と声をかけた。信長を探しに飛び出したことまで知っているということは、かなり親しい間柄なのだろう。本当のことなど今は説明してくれなくてもいいが、自分が席を外した方が、牧もいろいろと話しやすいかもしれない。
 どちらが先に風呂に入るか揉める前にも、一応食事の話は出ていたのだ。昼食を取りそびれたまま、とにかく二人とも何かにせっつかれているように、先を争うように牧の自宅に帰ってきたのだった。時折わざとのようにぶつかる肩や、触れる指先だけで相手の熱を感じ取って、もどかしくもそれはそれは幸せな時間だった。
「…え?」
 驚いたように牧が振り返る。それへ安心させるように仙道は笑いかけた。
「すぐに戻りますから。俺も買ってきたいものあるし。着替えもなんにも持ってきてないから」
 それとなく泊まるのだということを、牧にも藤真にもわかってもらえるような一言を付け加えると、牧は通じたのか「ああ、うん」と安心したように頷き、ほのかに頬を赤くしたようだった。それへ近づきたくなる気持ちをグッと堪え、リビングを出る前に藤真にも頭を下げると、最後までじろじろと見てくる不躾な視線とかち合った。



 牧があの年であそこまで妙に浮世離れしたようなところがあるのは、彼を取り巻く周囲の環境にもよるものなのかもしれない。
 仙道は買いこんだ食材を抱え直し店を出た。知らない街ではどこに行けば、まあまあの雰囲気を醸し出す食卓を演出してくれる食料を調達できるのかもわからず、戻るにも少し時間をかけたほうがよいかもしれないと思いつつ、とりあえず先刻牧と通った最寄り駅近くにまで足を伸ばした。
 出がけに会った藤真という男は、仙道に対する警戒心を隠そうともしなかった。それは自身へではなく、外部からの牧へ対する防御の警戒であり、それをまた不思議にも考えていないような牧の様子から、そんなことが日常茶飯事であるようにも思われた。
 それはそれでよくぞ今まで牧を今のまま守ってくれた、と思わないでもないのだが。
 通りの向かいにドラッグストアを見つけて、瞬間今までの思考を忘れたかのように仙道は心をざわつかせた。
 牧の家に、果たして初めて恋人として二人で過ごす夜に必要なものが存在しているのだろうか。信長と付き合っていたことは表面上のものであることはわかっているから、それ以前。
 それは果たしていつ頃の話なのか。男との経験がない牧なのだから、自分が率先していろいろと準備してリードしてあげなければならないのではないだろうか。
 そんなことを考えているといつの間にか足が止まっており、ニヤニヤと笑う自分がショーウインドウに映っていて、仙道は素に戻った。こんな自分のような人間からあの藤真という男は牧を守ってきたのだろうなと考えつつ、いや歯ブラシとか下着とかね、と自分にツッコミを入れつつ、仙道は通りを渡った。
 今から戻れば、牧の部屋を出てから小一時間は経過していることになる、とドラッグストアで会計を済ませながら、レジの奥にあった時計を確認した。さすがに藤真はもう帰ってくれているだろうと希望を持ちつつ、いやまだいそうだな、とため息をつきつつ、仙道はいろいろと増えた買い物袋を手に牧のマンションへとまた戻った。
 オートロック前のインターフォンを前に、そういえば藤真はいきなり部屋のインターフォンを押してきたなと思い起こす。残念な予想通りに、応答したのは藤真の声だった。
『どなたさん?』
「あ、仙道ですー」
『おまえさ、牧のこと本気なの?』
 あー…。これは返事によっては部屋にさえ入れてもらえないやつだ。
 牧のことだから、深く問い詰められることなく口を割らされたのだろう。あの藤真相手では他愛もなく吐かされたに違いない。
「もちろん本気、」
『藤真! すまん、仙道、今開ける』
 返事をする間もなく自動ドアが開けられた。一つ息をついてマンション内に足を踏み入れる。藤真の分の食事まで買ってはこなかったが、居座られるんだろうなと考えると、また一つ溜息が口から力なく抜けていった。




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