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knock on wood




 リングのある公園は今朝からの寒波のせいか晴れているのに人影も見当たらなかった。コートを取られそうな心配もなくまだ待ち合わせの時間には余裕があったので、三井はコート脇のベンチに陣取り白い息をはきながら郵送されてきたばかりの封筒を開いてまた眺めはじめた。
 悪くはない。リーグ一部二部の強豪チームを持つ大学の名前も合格圏内に食い込んできた。推薦入学の学生だけの入部を許す大学ははじめから除外。一般入試の学生も無条件に部に受け入れるとサイトに掲載している大学もあったが、まじめに高校生活を送ってきたとしても自分にはちょっと無理そうな難関校だからこれも除外。インターハイ本選には出られなかったが、国体でいい成績を残すことができた。そういった学生のために入部テストを受けさせてくれる大学もある。きつい練習を課して一般入試の部員をふるいにかけていく部もあるというが、入学入部さえできればあとは根性。それしかない。自分でも調べまくったが、田岡が実際に受け入れ実績のある大学をリストにして渡してくれ、多少のコネもあるから入部テストを行っていない大学でも口を聞けるところがあるとその大学にはチェックを入れてくれた。本当に頭が下がる。その顔を思い浮かべて思った。出来れば教員免許を取得できる学校。
「M大は?」
「わっ!」
 ふいに背後の頭上からかけられた声に驚いて模試結果を持つ手から、紙はひらひらと地面に落ちた。流川はそれを前に回り込んで拾ってやる。
「縁起ワルイ」
「うるせー!おまえが急に声かけるから!…M大?」
 それへこくりと頷き、流川は三井の隣に座った。確かにリーグでは一部だがそこのバスケ部に何かいい情報でもあるのかと向き直ると「姉さんが行ってる」とかあまり有力とはいえない返事が戻ってくる。
「なんだ、おまえの姉ちゃんが行ってたって。うーん、そこはちょっとキビシイなー。浪人はできないしなー」
 何の遠慮も見せずに手元をのぞき込んでくる。そうか、こいつはまだ一年なんだよなー実感湧かないよなーと思う。
「おまえはどこ行きたいとかもう考えてんの?」
「おれはアメリカ行く」
「アメリカ?!」
 またこくりと頷く顔を見ながら得心する。そっか、こいつならそんなことも夢じゃない。自分が考えてみたこともない未来を簡単に口に上らせる男がちょっと眩しく見えた。そういえば、あいつはどこに行くんだろう。早い大学は目ぼしい選手を1年2年から目をつけて声をかけると聞いたことがある。どこかからもう推薦の話が来てるんだろうか。それともこいつと同じように。
「ナニ考えてるの」
「…え、何って大学」
「ウソだ。この紙見てなかった」
 漆黒の瞳に真っすぐに見つめられて三井は居心地悪く視線を逸らした。ホントにこいつは無駄に顔がいい。
「…バスケしないのかよ。年内はこれが最後だぞ。ってか、あとは入試終わんないとムリ」
「する。でもあとで」
 本当は今日だって会う予定ではなかった。珍しく「どうしても」と電話口で粘られてカレンダーに目をやればなるほど、と思う。その日はクリスマスイブというやつだ。流川でもそんな日を気にするのかと意外に思い、少し絆されてここにいる。本当はこんなことしている暇は自分にはないとは思うけれども。風邪でも引いたらどうしてくれる。
「顔が見たかったから」
 三井の頭の中を覗いて先回りするようなことを言う。言葉が少ない割にこいつは要所をせめてくるな、と三井は思った。
 受験生である三井を気遣ってなのか、会った頃に驚いたような強制する言葉は言わなかった。あれから三井も明確な意思表示をしたわけではなかった。ただの他校の先輩と後輩。バスケをしたり遊びに行ったり食事に行ったり。それでじゅうぶん楽しかったし、そんなことをしているうちにこいつの中でもおれの立ち位置が変わってきたのかな?と思うと、突然こんな甘えたようなことを言ったりする。腹が立つほどに整った外面ではあるが、バスケをしている時以外はボーっとしているようではあるのに、見るとこはきっちり見ていて時々驚くような的確な一言を放ったりもする。こんなやつがなんでおれを?と本気で不思議に思う。
「おまえってホントにおれのこと好きなの?」
 あ、と思ったときには疑問が口に出てしまっていた。ずるいとは思いつつ相手に甘えて置き去りにしてきたことを自分でひっくり返した。
 思わず顰めた顔の前に、流川の顔がふいに大きくなったかと思うと、唇を塞がれていた。少し乾いた感じの触れるだけのキス。離れたあとに間近で目を覗き込まれていてようやく照れで顔が熱を持った。
「言ったでしょ」
 小さな声で囁かれて大きなダッフルコートにそのまま抱き込まれる。暖かくて三井は頭をそのまま肩に埋めそうになってここが壁も天井もない外であることを思い出した。照れを押し隠すように無言で流川の頭を押しのけて身を離し、ようやく金網の外に立ってこちらを見ていた人影に気づく。
 やべ、と思って盗み見れば見覚えのあり過ぎる、長身を余計に強調させるような印象的なツンツン頭。
 あ、デジャブ。
 そういえばここで初めてあいつに会ったんだった。自在にボールを操る姿に目を離せなくなって、ただ息をのんで立ち尽くすしかなくて。自分が抱え込んでいた絶望的に思えた問題さえもそれはただの甘えだと断罪するような圧倒的な存在感。
 打ちのめされながらももっともっと見ていたいと思った。自分もあそこに立ちたい。あいつと一緒にやってみたい。それが自分の高校のバスケ部後輩だと知り、なけなしの勇気を振り絞って部に復帰した。
 流川が自分の視線を追って仙道に気づく。それを睨みつけながら三井に声をかけた。
「まだあいつが好きなの」
 仙道の後ろから女の子が走ってくる。また違う子だ。見るたびに違う女の子。今日みたいな日は仙道の取り合いで大変だろうな。
「ごめんな」
 流川の気持ちはうれしい。すごくうれしい。嘘をつきたくないから正直に自分の本当の気持ちを告げていた。
「ごめん」
 なんでおれなんだろうな。なんであいつなんだろうな。
 気づけば仙道の姿はなく、ジーンズに落ちた水滴で三井は自分が泣いていることに気づいた。


 バーンと音を立てて扉を両脇に押し開けば既に体育館の中にいた数人の見知った後輩達が緊張感のある顔を自分に向けてきた。それを左右に眺めて三井は不敵に笑い、ゆっくりと上げた右手の親指を立てて見せた。
「受かったんですか?!」
「ホントに?まじで?!」
「ウソ?!」
 一瞬の静寂の後、驚いたような興奮したような顔が次々と走ってきて周りを取り囲まれる。
「おう、まだ全部わかったわけじゃないけどな。とりあえず行けるとこは確保した」
「奇跡だーっ!」
 部員全員の考えを代表して越野が叫ぶ。後輩達に揉みくちゃにされながら三井は心から笑った。
 今日合格結果を知ったのは1校。受験したのはあと2校あるが、もう肩の荷が降りたも同じだった。そうと決まれば今度は入部テストに向けてバスケ漬けで勘を取り戻さなければ。
「おめでとうございます」
 部員に揉みくちゃにされていた三井が、静かな声に振り向くと仙道がそこに立っていた。
「おう…。サンキュ」
 礼を言うと目に笑みを浮かべて少し首を傾げて三井を見つめる。胸がキュッとしてわざと声を荒げた。
「おまえまだ遅刻してんのかよ!」
「いやー寝坊しちゃって」
「キャプテンだろうが」
 どこか上滑りな会話の後に仙道はまた黙って自分を見つめてくる。アーと無意味な声を出して三井は他の後輩達に向き直った。その背に仙道の声がかかる。
「また一緒にできますね」
 小さいといっていい声だったのに三井の動きを止める。足を無理に動かして三井はまた揉みくちゃにされながらコートに向かった。


 隣を歩く後輩の圧がすごい。なんとなく、なんとなくだが大分機嫌が悪そうだ。三井はそっと仙道の様子をうかがうとマフラーに鼻まで潜らせて口を尖らせた。
 練習中は普段と変わりなかったように思えたが、2人になった途端に無言の圧がかかり、たまに口を開いても固いそっけない言いようだった。
 態度はいつものままだ。言葉遣いだって先輩の自分をたてるいつもの敬語。だが話しが盛り上がったり少しだが甘えたようなことを言うときは砕けた物言いになるのに、今日は顔を合わせたときからずっと堅い敬語のままだった。それに文句があるわけではないがちょっと、というかだいぶ空気が重い。いつもはニコニコ笑って機嫌を取ってくるくせに。
 何かをやらかした覚えはない。流川といたところを見られてからはじめて顔を合わせたわけだが、あれからもう2カ月近く経ってるし、気まずくはあっても、なにより仙道が機嫌悪くする理由はない。そう思うとだんだん三井はむかっ腹がたってきた。またしてもデートを邪魔したかもしれないけれども自分のせいじゃない。
 なんでおれが仙道に気をつかわなきゃならないんだ。まだ帰宅の方向は一緒だが無理して並んで歩く理由もない。元が短気であるところに少し泣けてきそうな寂しさを覚えて忍耐が切れた。
「じゃ、おれ先行くから」
 言い置いて足を早めようとしたところでようやく仙道が口を開いた。
「話しがあります」
 …話し…?
 なんだか似たような状況あったな。あの時はおれが言い出したんだけど。
 いつの間にか三井に向き直っていた仙道はいつにないコートの中で見るような顔だった。真剣なようなちょっと怖いような。怖いと認めることはできなくて更に三井のへそが曲がる。
「おれはねぇ」
「おれん家行きましょう」
 覚えてる。ここで左に曲がれば仙道の住むアパート。まっすぐ進めば駅。だが三井の言葉を無視した仙道に、迷うことなく駅へと足を真っ直ぐに踏み出したところで腕を取られた。
「こっち」
 つかんだ手に容赦のない力が入っている。余裕で片手でバスケットボールを掴んでゴールに叩きつける手だ。三井は思わず振りほどきそうになって堪えた。
「帰る」
「だめ」
 はぁ?!
 有無を言わせず腕を掴んだままズルズルと三井の体を引き摺っていく。この馬鹿力。意地で三井も踏ん張るが、そんな二人に少なくない通行人の目が集まる。「ケンカか?」と聞こえて、三井は焦って声を上げた。通報でもされたらヤバい。おれも、こいつも。
「わかった!行くから!行くから手ぇ離せって」
 仙道は無言で三井を見、納得したのか手を離す。が、用心しているのか駅方面へ体を入れていつでもまた三井を捕まえられる態勢だ。こんなディフェンス抜けねぇよ、とせめて三井は矜持を持って仙道の部屋へ自分から歩きはじめた。


「適当に座っててください。なんか飲みます?」
 ごく普通の6畳のワンルーム。だが仙道の部屋だ。落ち着かずキョロキョロと部屋を見回す三井に、玄関から上がったすぐ右手にある小さな台所から仙道は声をかけてきた。
「茶」
 喉は乾いてる。すごく。
「あったかいの?コーヒー飲みます?」
 聞かれて部屋の中央で立ち尽くしていた三井は仙道を見た。あったかいの、と言ったらお湯でも沸かして淹れる気か?マメなやつだな、と思い、そういえばまだ暖房のきいていない部屋の寒さに少し震えがきて、素直に頭を縦にふった。
「牛乳も。砂糖も」
 それに仙道は笑って頷いた。
 笑った。いつも見ていた仙道の笑顔。その顔を見て三井も強張っていた肩の力を抜いた。
 部屋が暖かくなってくるのと同じようにようやく心も落ち着いて周囲の様子が頭の中にはいってくる。ベッドに腰掛けようとしてためらい、ローテーブルを前に床に腰を落としてベッドに背を預けた。目につくものにバスケ関係の雑誌やらDVDが多いのは三井の部屋も同じ。一人暮らしにしては片付いてるな、と思い、ああ、彼女か、と考えたところで仙道がマグカップを二つ持って部屋に入ってきた。
「キレイにしてんじゃん」
 まだ少し機嫌の悪かったところを引き摺ってイヤミにしたつもりが、言葉が足りずに誉め言葉になり、仙道は何も気づかずまた笑う。
「ああ、月に一度は母が掃除やら食料の補充やらで来るから」
「へー」
「それが一人暮らしをする最低限の条件。でもおれも料理とかしますよ」
「できんの?」
 カップを受け取りながら意外に思って聞き返す。こいつが料理?想像がつかない。 
 仙道は「しないと」と言って三井の隣に座り込み、「食べてきます?」と顔を覗いてくる。
 このタラシめ、この手で女の子を引っ張り込んでるな、と思いあたって睨みつける。仙道は能天気に笑って頭をかいた。
「やっぱり三井さんには通じないなー」
「ったりめーだ」
 口先を尖らせてそっぽを向き、なんでおれに通じさせる必要があると思う。
 もらったカップに口をつけるとほのかに甘く暖かさにホッとする。仙道もカップに口をつけくつろいでいる。先刻までの険悪だった雰囲気はウソのように消えていた。なんとなくくすぐったいような時間で壊したくない。壊したくはないが、そもそもの仙道の話も気になる。先刻までの仙道からすると聞くのが怖い気もしたが、今の空気であればさほど深刻そうでもないが。
「…なんなんだよ、話って」
「んー…」
 促しても困ったように笑うばかりだ。
「告るのはじめてだからなんて言っていいのかわかんなくて」
 すぐには意味が飲み込めなくてコーヒーをもう一口含み、それから眉を寄せた。
「・・・は?」
「三井さんが好きなんです」
「は?」
 今度はわかった。わかった途端、瞬時に怒りがこみあげてくる。
 ナニ言ってんだコイツ。ナニ言ってんだ!
「ふざけてんのか?」
 地を這うような低い声が出る。
「からかってんのか?!おれがホモだから?それとも流川に嫌がらせか?!」
「はぁ?なんでおれが三井さんからかわなきゃいけないの!どうしてここに流川が出てくるの?!」
「どうやって信じろってんだよ!ちょっと前まで見るたんびに違う女連れてたくせに!」
「それはあんたのせいでしょ?!」
「はぁぁっ?!おまえの女遊びがどうしておれのせいなんだよ!」
「じゃなくて…!」
 仙道は自分を落ち着けるように息を吐いた。
「もう…絶対こうなるってわかってたから…。おれん家でよかった」
「なんでもかんでもおれのせいかよ!」
 怒りより悲しみが勝った。なんでこいつは今更こんなこと。なんで、なんで。
「帰る」
 これ以上何か喋るとまた目から余計なものがこぼれてきそうで、立ってカバンを掴み上げた。
「待って。待ってよ」
 後ろから追ってきた仙道にカバンごと抱きしめられる。長い腕が体の前で交錯してじんわりと背が温まる。
 好き?こいつが?仙道がおれを?ホントに?
 期待したい気持ちが湧き上がってきて、でも何度も冷水を浴びた心が冷静になれと自分に言い聞かせる。
 からかっているのではなくても仙道は自分の気持ちを勘違いしているのではないかという疑いが消えない。流川、そうあの生意気な一年坊に自分の先輩を取られそうだからとかそんな。全部自分のものでなきゃ気が済まないんじゃないのかとかそんな。そんな醜い感情を持つ疑惑が後からあとからあとから湧いてくる。
「信じてよ。本当にあなたのことが好きなんだ」
「…わかった…わかったからちょっと離せって」
 ゆっくりと体の前の腕が解かれて背中の温かみが消えていく。振り返ると眉の下がった情けなさそうな顔の仙道が三井を見つめていた。
 ああ、好きだなぁと思う。自分は仙道が好きだ。バスケが上手くて顔がよくてデカい自分よりさらに体がデカくて、なんでもうまくやっているように見えて実はみんなが思っているよりちょっとヘタレの後輩が、好きだ。
「…あー。わかった。でもちょっと待ってくれよ。急だし」
「…はい」
「今日は…帰る」
 仙道が何か言いかけて、だが「はい」とおとなしく頷く。三井が玄関を出るときも心もとない表情は変わらず、こいつでもこんな顔をするんだなと三井は振り切るように外へ踏み出した。
 外階段を降り切ると、前回ここに来たときのことが思い出される。女の子の細い腕が脳裏に浮かび、まだ暑い時期だったなと思う。その時に今のこの状況がわかっていたら。流川に自分の本当の気持ちを告げて、その勢いで仙道に告白しようとしていたのだ。結局空振りしたけれども。今仙道から聞いたことをその時の自分が知れば最高に幸せだったろう。
 けれどもその時に仙道に自分の気持ちを告げることができていたら、きっと玉砕していたのだ。

 [newpage]

 女遊びって。
 売り言葉に買い言葉であっただろうことはわかるけれども、やっぱり三井にそんな風に思われていたのだ。
 自分としては女の子をポイ捨てにしたつもりは微塵もない。むしろ付き合いはじめは大事にしようと思っているのだ、いつも。
 それでも付き合って相手のことがわかるようになってくるとだんだんとしんどくなって面倒くさくなってきて最後は投げやりになってしまう。女の子の外面しか見てないからだ、とよく越野には呆れて言われる。でも仕方ないじゃないか。バスケ漬けの毎日で深く知り合えるような出会いはない。相手だってよくよく自分のことを知りもしないくせに好きだと言ってくるのだからお互い様だと思う。
 そう思っていた。今までは。
 隣のコートに目をやるとゴールポストに集中している三井の姿があった。普段の三井からは想像もできない静謐な表情、周りから音が消える。
 膝から撓んで軽く柔らかく体が宙に浮き、真っすぐに伝わった力が背中から腕へ、ボールへと伸びて放たれ、高く美しい放物線を描いていく。リングにかすることもなくネットを揺らす乾いた音。ボールが落ちてバウンドし、ようやく世界が動き始める。
 ああ、きれいだな、と思う。いつまでも見ていたいけれども、三井にはこっちを向いて笑って欲しかった。いつだって自分勝手で自己中でイラつくことだって少なくないけど。でも子どもみたいな明け透けな表情ですぐそばで笑っていてほしい。
 いつからか抱いていた持て余し気味のこの感情が恋だったなんて、こんな自分にどうしてわかる?
「仙道!」
 苛立った声に我に返って放ったパスは、当初の目測を外れてゴール際に寄り、焦った福田が受け損ねて勢いあまって体育館の壁に肩から体をぶつけていた。
「わるい!」
 福田はじとり、と仙道を睨んだがすぐに手を上げて大丈夫だ、と答える。ミスを見逃さない田岡からはすぐさま怒号が飛んだが、仙道はペナルティを命じられる前に体育館の端に行き、罰として決められていたダッシュ10本を始めた。いつもはキツい練習も頭をカラにすることができて助かる。なのにこちらを見ていた三井に気づくとまたカラになった頭の中に性懲りもなくモヤが広まる。
 キスしてたな。
 その流川とのキスを見たおかげで三井への思いを確信したわけだけれども。
 やっぱりもう付き合っちゃってんのかなー。おれはまったく気にしないけど。でもあの先輩は簡単に略奪されてくれなさそう。
 そんなことをボーッと考えていた頭に飛んできたボールがぶつかり、田岡から再度怒号が飛んだ。


 
 これは想定の範囲内であるけれどもどうにも避けられている気がする。
 練習が終わりいつもであれば居残りをしているのに、ピュッとコートからいなくなったかと思うともう体育館に三井の姿は戻ってこなかった。一応キャプテンである自分にもやることはあるので摑まえるタイミングを逃して学ランの背中を見送る。
 そんなことを繰り返していると気づけば2月も終わりかけていて、これは対策を講じないとな、と考えているとその夜に三井の方から仙道のアパートを訪ねてきて驚いた。ドアを開くと居心地の悪そうな私服の三井がいて、口先を尖らせて自分の足元を見ている。
「…よぉ。用事がなきゃ…入ってもいいか?」
「もちろん」
 体をどかして中に招き入れると、三井は通りがけに仙道に向かって、「これみやげ」とコンビニのビニール袋を突き出した。中を覗くとカロリーの高そうなコンビニ弁当が詰まっている。
「助かります」
「ん…」
「食べる?」
「いや、おれは食べてきたから」
 三井は小さく答えてベッドに座った。
 どことなく緊張した様子に電話でなく夜に自分ひとりの部屋を訪ねてきたことを思えば、これは期待してもいいのかなと思う。女の子であれば勝ったも同然といったところだが、相手はなにしろ三井で、仙道も出方に注意を払う。三井に警戒されないように、自分は部屋の入口の台所とのしきりにある柱に身を持たせて腕を組んで寄りかかった。
「こないだのこと」
「はい」
「おまえとは付き合えない」
 ほらね、やっぱり。
 夜に一人で好意を告げられた相手のところに来たのであれば通常は逆パターンだろう。それで相手のベッドに座って自分を見上げてくるのが三井という人。でもこの間のような怒鳴り合いはもうしたくない。
 ふっとため息を吐いて仙道は想定していた理由の名前を慎重に口にした。
「…流川?」
「とも付き合ってない」
 これは意外。
「前にさ、言っただろう。バスケ関係でそういうの作らないって」
 そういえばそんなようなことを言っていたような気もする。黙っていると肯定と取ったのか、三井は話しを続けた。
「膝ケガして、その時くらいに知り合った男のこと好きになって、自分がそうなんだって自覚して、そうしたらもうバスケに戻れないんだって思った」
「そんなの隠してるスポーツ選手なんていくらでも」
「そうだな、それでもその時は膝のこともあったし自暴自棄になってた。バカだったと自分でも思うけど。それでもそんな時におまえを見て」
「公園の…」
「ホントおまえはすごい。おまえを見てて、おまえのおかげでバスケに戻れた。おまえが好きだ」
「なら、」
「流川から勇気もらって…でもやっぱりダメだ。おまえからバスケを奪うようなことおれは」
「そんなこと可能性の問題でしょ。なんで決めつけんの」
「おまえ、おれで勃つ?」
「はい…?」
 今何の話をしてたんでしたっけ。
 意表を突き過ぎた質問で何を聞かれたのか理解するのに時間がかかった。その間を勘違いした三井が短気に腰を上げようとする。
「なんだ、言葉だけかよ」
「何言ってんの。昨日もあなたで抜いたから」
 途端に三井の勢いがしぼんで顔が赤くなる。この人はなんというか…もうホントかわいい。
 仙道は方向性の変わってきた話題に乗って三井を逃がさないように、距離を詰めてそっと隣に座った。その気配に三井の肩が揺れる。顔を下に向けたまま、持ってきたボディバッグを開けて乱暴に逆さに振った。出てきたのはローションとゴムのパッケージ。さすがに仙道の動きが止まった。
「…じゃあさ、一度だけ。思い出くれよ」
 顔を上げて、なんでもなさそうに笑って。仙道の目を見つめてねだる。でもその目は不安そうに揺れていて。
 仙道はもう何も言わなかった。ただ誘うように開かれた唇にキスをした。


 準備はしてきたという。それでもさすがにそのまま突っ込むのは自分も不安で状態を確認しようと指を伸ばした。何度も払われたから口づけて舌を絡めて三井が夢中になったところで手をしつこく握っていた臀部から滑らせる。「んっ」と塞がれた口の中から声が上がって引けた腰を片手で強引に引き寄せる。逃がさないように強く吸った舌を首を振って振りほどかれた。伸びた銀糸が二人の間をつなぐ。
「や、やめろって…!」
 ここまでしておいてまだ何を気にすることがあるのか。でも掠れたような欲をにじませた声はとてもいい。制止というより煽られている気がする。もちろん無視して人差し指をゆっくりと突き入れた。
「んん…!」
 しなる背中と思わず、というように開く唇に覗く赤い舌。たまらず噛みつくようにまたそれへ口づける。もう三井に制止する力もなく、自分の中で動く指にただもう耐えるように眉を寄せる。指は思ったような抵抗もなく入ったので、挿れたまま中指で周りを撫でて人差し指に沿わせるようにして中へ潜りこませる。もっと余裕を作ろうと2本指を交差させるようにして動かしていると三井の腰が跳ねた。
「ふっあぁぁ!」
 ああぁ、もうヤバいヤバい。首に回った三井の両腕に抱きしめられ、そのまま腰を進めたくなって仙道は焦ってゴムの位置を確認した。
「三井さん、ゴムつけるから。待って」
 了解したように首から腕が解かれる。ゴムに手を伸ばしながら見ているとその腕で隠すように三井は顔を覆った。ローションのボトルをひったくって三井の足の間に陣取る。
「待てって…後ろから」
 言って腰を起こして寝返りを打つ三井の白い肢体に目が焼かれる。でもダメだ。やっぱりせっかくの三井のいい顔は見たい。
「前がいい」
 突き出された腰は腰で撫でまわして、ローションを指に絡めて再度中を探る。だいぶ柔らかくなったように感じて3本目も滑るように受け入れられると、仙道は口でパッケージを破って片手で手早く自分に装着した。三井は四つん這いになった肩を怒らせながら「楽…なん…だって」ときれぎれに答えた。それならばもう待てない。乱暴に尻を掴んでから、伏せた何かを耐えるような横顔に少し正気を取り戻し、息を吐いてゆっくりと腰を進めた。じんわりと暖かくてキツい三井の中にもうそのまま突き入れたくなる。大丈夫なのかな、と思いついて手を三井の体の前に回すと、それは半勃ち状態で判断に迷う。
「キツい?」
「だい…じょうぶ」
「動いていい?」
「う…ちょっと…待って」
 本当は待てない。待てないけど自分を受け入れようと背中を震わせる三井がかわいくて愛おしくてがんばってみる。
 この人、初めてなのかなとふと思った。いきなり誘ってきたり好きな男が過去にいた話をしたりしてきたから、男とも経験があるのだと思っていたけど。もしそうだったらちょっと焦り過ぎたかもしれない。そしてちょっと、というか脳が沸くほど感動する。
「抜く?」
 あり得ないと自分で思いながら声をかけると「いいよ、動け」とお許しが出た。ゆっくりと奥へ全てを埋める。
 一度だけ?思い出?何言ってんの、この人。おれのことなんだと思ってんの。
 奥まで辿りついた時、腰を震わせる快感を得て仙道は吐き捨てた。終わらせるわけない。
 気づけば夢中で三井を貪っていた。ただ喘ぐ三井の顔が見たくて腰を一度引き、片足を掴んで体をひっくり返す。いきなり乱暴に扱われて、びっくりしたような顔が仙道を見た。掴んだ右足を顔の横に寄せ、内側のくるぶしをくるりと舐めて歯を立てる。
「一度で終わらす気、おれ、ないから」
 足首にキスを続けながら横目で三井を見降ろすと、悔しそうな赤い顔で両腕の肘を立てて取られた足を奪い返そうともがく。その腰をとらえて本能のまま最奥まで一息に突き入れた。


 まあ、顔は合わせにくいだろうなあとは思ったけど。
 仙道は空になった自分の隣を見てため息をついた。念のために息を潜めてみたけれど、狭い部屋の中で人の気配はまったく感じられなかった。
 終わった後に気持ち悪いだの狭いだの風呂に入りたいだのごねるのをなだめすかして、腕の中に大切に抱え込んで寝たのを確かめたのに。自分もいつの間にか寝入ってしまって部屋の外はもうかなり明るい。朝練はサボリ決定だった。
 三井もあの調子だと休みかな、と考え、とりあえず風呂、と気持ちよくだるい体を動かして立ち上がる。
 熱いシャワーを浴びると昨夜のいろいろな三井が頭の中によみがえってきて顔が勝手ににやけた。
 できたら朝もお願いしようと思っていたのに。
 かわいい先輩。セックスも最高。三井なら付き合って1か月記念とか一緒に祝ったっていい。いや、むしろ祝いたい。三井は絶対言い出さないだろうけど。
 三井はこれで関係を切ろうとしていたようだけど、同じ高校の先輩後輩、普通にだってつきあいは続いていくだろうし、それでセックスできるんだったら建前はどうであれもう恋人として付き合っているのと同じだろう。三井がそれでも気にするんだったら建前を守っていってやってもいい。その間にゆっくりとでいいから三井の信用を勝ち取っていく。
 いろいろと解決しなければいけない問題は多いような気はしたが、仙道は上機嫌で風呂から出た。



 パキッと小気味よい音がして、越野は音の出所を見た。真顔のまま動かない仙道の大きな手の中でシャーペンが真っ二つになっていて、思わず越野は二度見した。
 呑気に眠そうにあくびを繰り返していたサボり癖のあるキャプテンにちょいキレ気味に苦言は呈したが、そこまでキツいこと言ったっけ、とちょっと腰が引けた。こちらに近づいてこようとしていた福田が立ち止まり、くるりと踵を返して教室の端からこちらを窺っている様子が目の端に映る。卑怯者が!
「…え、なに…?」
「あ…だから…練習はあまりサボってはよくないんじゃないかなー…と」
「その前」
「えーと…あ、朝練で?三井先輩が挨拶して…午後からもう引っ越しで来られなくなるからって、今までありがとうとか、あの人わりとまともなこと言えんだなっとか?そんな…?」
「引っ越し?!」
「あぁ、第一志望受かったって、そのそばで下宿するって」
「…あのやろう…」
「…え?」
「気分がものスゴク悪いから早退する」
「え…?」
 午後こそは首根っこひっつかんで連れてこいと田岡にキツくお達しを受けていたが、カバンだけをひっつかんで外に飛び出していった仙道に、越野は「お大事に…」と、福田とその他のクラスメートと一緒に見送ることしかできなかった。


 そして1時間後には仙道はトラックの運転席のベンチシートで肩身も狭く、大きな体を小さくして揺られていた。隣には腕を組み、眉間に深く縦皺を刻んでいる無言の三井。そのまた隣にはなんともいえない困ったような顔をして居心地悪く運転する引っ越し屋さんのおにいさん。
 助けを求めるように窓の外を見ると、ようやく第3京浜に乗れたところで、目的地までにはまだ1時間はかかるだろうなぁと仙道はちょっと遠い目をして空を眺めた。
「おれはさ、起こしたよ?おまえを」
 長かった沈黙を破って、低い低い声で三井が唸る。
「挨拶するから行かないとって」
「…はい…すみません」
「でもおれもギリギリに起きちまったしおまえ蹴飛ばしても起きねぇし?通じてなかったかもって、朝練で福田にも伝言頼んだわけ」
「…はぁ」
「聞いてねぇの?」
「いや…ちょっと…聞けなかった…か、な?」
「で、なんだって…?おれが?」
 逃げるな!と小一時間前に叫んだのは自分。
 三井の家は知っていた。というか、キャプテンの立場を利用して調べた家の前まで何度か行った。冬の寒い日、どんなに遅くても灯りがついている窓があって。頑張ってるんだなぁと思うと邪魔するようなことはできなくて、ただしばらく眺めて帰ることを自分ヤバいと思いつつ何度かやった。
 その駆け付けた三井の自宅前でトラックに乗り込もうとしていた三井の胸倉をつかんで引き摺り下ろして逆にグーパンチを受けて「この寝坊ヤロー!バカヤロー!!」と怒鳴り返された。
 その一言、いや二言でなんとなく自分がやってしまった感が理解できたわけだが、あっけにとられて見ていた多分三井の親だろう人の手前で詳しい説明もできず立ちつくしていたところを、これも言葉に詰まった三井にトラックに詰め込まれた。割を食ったのは見ざる聞かざる言わざるを遵守してくれている運転手のおにいさんだろう。
「昨日だってもっと話したいことはあったんだ。なのに…おまえむちゃくちゃやりやがって」
「…あぁ…へへ」
 頭をかいてヘラっと笑った自分に三井から殺されそうな勢いの視線が刺さる。
「…今だって腰つれぇ」
「あ!」
 運転手には聞こえないような小さな声でボソっと呟かれて仙道が慌てて学ランの上着を脱いで三井の腰の下にひこうとすると、思い切り頭をハタかれた。それへ「ちょっとおにいさん達暴れないでねぇ」と引越屋のおにいさんから申し訳なさそうに注意が飛ぶ。三井は「すみません」と謝り、落ちつくように大きく息を吐きだした。
「…いろいろとバタバタでよ。第一志望の入部テストにも受かったけどすぐに練習に合流しろって言われるし、引越しも3月になると混むし高くなるから早めにやっときたかったし。だいたい逃げるなってなんだよ。まだ卒業してねぇし!」
「あ。そうでしたね…」
 昨日の今日で逃げられたと思って。頭に血が上っていました。
「…説明はきちんとしようと思ってたよ。ま、おまえがきっちり起きさえすればよかったんだけどな!」
「…ホントすみません」
 何を言われてもしかたない。ここは殊勝に謝っておく。仙道には仙道で言いたいこともあったしやりたいこともあったが、ここじゃあまだまずいと判断する冷静さはあった。とりあえず三井の引越しを手伝ってそれから。二人きりになったら。
「第一志望のとこ入部できたんですね。N大ですよね。おめでとうございます」
 当たり障りのないところから三井の機嫌を取っていく。
「うん…」
 素直に頷く三井がかわいい。見えないと思って運転席と反対側の三井の手を握って、「反省してねぇ!」と、もう一度三井に頭をハタかれた。
 まずは三井の信用を勝ち取ること。
 そうだった。はじめから躓いてしまったが、怒りきれていない三井の赤い顔と繋がれたままの手を見ると、未来への展望は明るいような気がする。同じ東京への道のりでも実家に戻るときとは格別に違う空気に、仙道に久しぶりの心からの笑いがこみあげた。


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