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seasons.




 三井はキッチンの棚に置いた小さな時計に目をやった。12時ジャストに声をかけたからもう30分はスルーされている。予想はしていたから、昼食はサンドウィッチだ。これなら伸びる心配もないし、冷めてまずくなるなんてこともない。
 自分の分は流川に声をかけてから、いつ起きてくるのかわからない男を待つこともなくすぐに食べ終わった。三井はコーヒーを飲み干すとテーブルから立ち上がり、流川の分のサンドウィッチの乗った皿を持って台所に行き、ラップを手に取った。サンドウィッチであれば流川はパンを1斤は食べるから、大皿に盛られたベーコンのはみ出しているそれに十字にきれいに覆ってラップをかけた。
 昨夜、流川は帰ってくると風呂に入ってすぐに寝室に引き上げた。声をかけると頷くぐらいはしたのかもしれない。休日の場合は朝は何も食べずにそのまま寝ていることが多かったから不問だが、昼食までもとなると既に三食抜いていることになる。
 夜中に自分の寝る傍から流川がベッドを出ていった気配を感じた。トイレかと思ったがしばらく待ってみても戻ってくる気配はなかった。夕飯は温めるだけにして冷蔵庫に入れておいたから、それを食べていてくれればいいがきっとそうではないのだろう。
 三井が流川の後を追ってそっとリビングに入ると、温い夜風が顔を撫でるのを感じた。吹いてきた方角に目をやると窓が開いており、その先のベランダに流川の広い背中が見えた。両腕を塀の上にもたせかけその上に顎を乗せて、寝付けない夜に視界に広がるまだ明けない静まり返った街の風景をただ眺めているだけのように見えた。
 声をかけようとして三井は躊躇った。自分には初めて見たその姿だったが三井と離れている時も、帰国してこうして一緒に暮らし始めてからも、何度もこうやって己れの中の葛藤や悔恨や反省や無念と向き合ってきたのかもしれない。簡単には飲み下せない感情をそうやって抑えつけてきたのかもしれない。自分には見えないものを追うその背中は今はただ遠く手が届かないように見えた。
 三井は声をかけることなく寝室に戻った。時計を見ると夜明けまではまだ間があるようだった。まんじりともしない夜は流川との距離を必要以上に感じさせた。



「昼飯は食えー」
 皿を片手にペットボトルを脇に挟んでノックなしにドアを開くと、朝に三井が見た時と同じ形状の盛り上がりがベッドの上にそのままにあった。流川のことであるからもしかしたらまた本当に寝入っているのかもしれない。
 近づいてベッドサイドに皿を置くと、三井は容赦なく被っていたシーツを引っ張り上げた。丸まった大きな体から寝ぼけていても鋭く感じられる切れ長の瞳が動いて、三井を見上げてくる。
「起きてんじゃねーか。呼んだら返事くらいしろ」
 内心の動揺を押し隠して三井が声を上げると、いきなり手首を掴まれて勢いよくベッドに引き込まれて、気が付くと三井の体は流川の体の上に倒れこんでいた。
 思わず寄った眉は息を深くついて穏やかに戻した。
「…食うべきもんは食っとけよ。プロだろ」
「脱いで」
 三井はもう一度眉間に盛大に皺を作り、だが流川の体に手をついて起き上がり、言われた通りにTシャツを脱いで床に放った。続いて下も全て無造作に取り払い黙って流川を見下ろす。流川はその一部始終を見つめ、それから三井の手を取って今度はゆっくりと自分の体の上に倒して、背中に長い腕を巻き付けてきた。そのまま動かなくなった流川に、その胸に顔を押し当てさせられていた三井の方が身動いだ。
「…おい?」
 声をかけると腕の拘束が少しだけきつく締まった。下腹にあたるそれは寝起きのせいもあるのか緩く兆している。手を伸ばして触れると、「いい」と払われた。
 帰宅後ようやく出た第一声で脱がされて、ならばと手を伸ばせば拒否られて三井はさらに眉間の皺を深くした。
「おまえ…」
「じゃま」
 ボソッと一声発した流川はやおら起き上がり、その体の上から脇のシーツの上に転がり落ちた三井が呆然と見上げる中、自らもTシャツとアンダーを脱ぎベッド下に放り、それからまたおもむろに三井に手を伸ばして腕の中に抱え込んだ。
 フーっと深く吐いた流川の息を耳元に感じて、三井はぶつけようとしていた言葉を喉の奥に飲み込んだ。
 空調の効いた静かな部屋の中に時計の立てる音だけが眠れない夜に聞くそれのように響く。が、やがて三井の耳に届く音は全て、全身から伝わる流川の鼓動に塗り替えられていった。
 居心地悪く流川の腕の中で裸の体の収まりどころを見つけようとしていた三井も、いつしか目蓋がとろとろと重たくなってきたことを自覚した。
 少し荒れてきた外の天気とは裏腹に、穏やかに時が流れる部屋の中は外気温が下がってきたのか空調の設定が低すぎたか少し肌寒いくらいで、全身に触れる人肌が暖かく、乾いて滑る感覚はただ気持ちがよく、心の底から安心できた。
 快楽を伴って一つになる行為とはまた違った充足感は、それを見つけて教えてくれた流川に「でかした」と頭を撫でてやりたいぐらいに三井をいたく満足させた。
 戦い終わり、棒切れのように放心して帰りついた流川の心も、今は自分と同じ、凪いだ安寧に浮かんでいてくれればいい。
 目を閉じて流川の首もとにため息をつくと、同じように穏やかに息をついた流川もそうなのだ、と三井は確信することができて、笑みが漏れるより先に昨日はテレビの前で出なかった涙がなぜだか今頃になって出そうになった。
「起きたら食えよ」
 誤魔化すように言うと、「うん」と素直に返事がかえった。見れば同じように泣きそうな目が三井を見つめていた。
 いや、少し違う。自分のように感傷に浸った眼差しではない。
 大人になっても失われない流川の真っすぐさ、言葉や態度には出さずとも三井だけは汲み取ってきたそれが、形を取って今正に自分へと向けられているような。いずれにしても長い付き合いの自分でも初めで見る表情で、三井はしばし言葉を失った。
「なに持ってきてくれたの?」
 なのに自分を長い腕で抱きしめて安心させる男はそんなことを聞いてくる。
「サンドウィッチだよ。起きたら食えよ」
「食べさせてよ」
「今か」
 この格好でか。
 何と言って突っ込もうか考えていると、流川は腕を解いて期待するような視線を投げてくる。さすがに腹が減ったのだろう。当たり前だ。
「起きろよ。喉詰まらせるだろ」
 先に起き上がって腕を引っ張り上げると、意外に素直に流川は起き上がりベッドの上に胡坐をかいた。真っ裸のせいか大きな子供のようだ。三井は笑いながら片足を床に降ろし、身を乗り出してサイドテーブルの皿からラップを取り去った。
「ほら。零すなよ?」
「ん」
 大きく開けられた口にサンドウィッチを突っ込むと、一口大きく齧り取られた。すぐにそれは嚥下されてまた大きく口が開けられる。
「ほら、もう自分で食えよ」
 残りを全部突っ込むように口に入れると、その手を取られてまた齧り残したサンドウィッチを返される。ちょっと楽しくなってまた開いた口に残りを突っ込むと、手を取られて咀嚼した後に手のひらを舐められた。
「やめろって、真面目に食え」
 笑いながらミネラルウォーターのボトルに手を伸ばしてキャップを外し、「飲めよ。そんながっついて食べてっと詰まらすぞ」と渡す。2Lのペットボトルは流川の手が持つと一回り小さく錯覚して見えるようだった。
 もう一つサンドウィッチを手に取って、一息に半分ほど飲み終えたペットボトルと交換してやる。実は三井の大好きな流川の健啖ぶりが大いに発揮されて、大皿のサンドウィッチはあっという間に流川の腹に消えていった。
「どうだ? まだ腹減ってないか? おまえ昨日の夜からなんも食べてなかったんだからな?」
「うん、まだ減ってる」
「ちょっと待ってろ。なんか見繕って持ってきてや…おい!」
「うん、もうちょっと」
 また流川の腕が伸びてきて三井の体はベッドに逆戻った。あっという間に流川の体から力が抜けて、スーッと穏やかな規則正しい寝息が聞こえてきて三井は目を瞬いた。
 やっぱりベッドに横になってはいても寝ることが出来なかったのかもしれない。
 精神だけではなく肉体もまた限界まできていたのかもしれない。
 力の抜けた体は押せば抜け出すことが出来そうだったが、腕はしっかりと三井の腰に回って離すことが出来なかった。
 顔にかかる流川の髪が擽ったい。それがどうにも幸せに感じられて、額に寝息を感じつつ三井も瞼を降ろした。



end

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