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フレンチキス




 ガタン、と大きな音と振動とともに頭が揺れて、仙道は目を覚ました。目の前にすぐ迫るように背もたれがあってそこに自分の膝が強く押しつけられていて、何かに焦っているのに足が動かなかったもどかしい夢の理由を、醒めきらないぼんやりとした頭で理解した。未だ狭い檻の中に閉じ込められていたように体が強張っている。190を超す自分のサイズでは拷問に等しい。これだから電車は嫌いだ、とぼやきながら自分がどこにいるのかわからず、だが次の瞬間には慌てて体を起こして左隣の席を見た。
 いない。
 暖かかった肩も今は冷めている。肘掛けにあった鞄もいつの間にか消えている。そういえば自分の膝の上を、何かが文句を言いつつ乗り越えていった気配がしたような気もする。
 慌てて立ち上がり、車両先頭の現在位置の表示を見、まだ目的の駅ではないことを確認したが、乗っている新幹線が停車する駅は幾つかを過ぎていた。車両内を焦ってきょろきょろと見回すが、深夜近い車内に乗客は少なく、その中に探し求めている顔はなかった。
 やっちまった。
 牧は気付いていたのかもしれない。自分が牧にしつこくついて行く理由。鞄の中に忍ばせたもの。
 いや、もしかしたら寝落ち前のあの…?
 そこまで考えて、鞄の中に入れたものがバレたと考えた時にはなかった、背中がひやりと冷たくなる感触を味わった。
 ナニいらんことやってんだ自分。ホントらしくない。
 ごちゃごちゃとまとまりなく考える頭で乱暴に前の座席の背もたれを掴み、通路に出たところで連結部の自動ドアが開いた。そこに立っていた人間を見て、その肩に背負われていた鞄を見て、仙道の顔が情けなく安心に緩んだ。
「牧さん…」
「仙道」
が、牧は厳しい顔をして歩いてくると、手に持っていたものを仙道の顔の前に突き出した。
「これはおまえのか?」
「あ?…あー…」
 牧が手に持っていたものは小さな苗だった。極力小さくするために鉢には入れずに、土の周りを防水シートで覆いアルミに包んである。その周りを更にシートで包んであったが、鞄の中で揺れて紐が解けたか、不審に思った牧に剝がされたかしたのか、生えかかった小さな葉が頼りなく見えている。根本の厳重に縛った紐に牧は指に引っ掛けていて、言い淀む仙道の前で突き出したそれが苛々と揺れた。
「あー!」
 乱暴な扱いに仙道は思わず叫び、牧が吃驚して怯んだ隙に両手で苗をそっと奪って顔の前に掲げ、傷がないかチェックした。とりあえず折れてはいないことを確認し、ハーッと深く息をつき、「もー乱暴に扱わないでくださいよー」と文句を言うと、牧の顔が更に怒りの形相に変わった。
「おまえっ! 胡散臭いヤツだと思ってたらやっぱり! 人の鞄に勝手に何を入れた!?」
「ちょっ牧さん、周りにご迷惑ですから」
 いきなり怒鳴り始めた牧に、同じ車両の中の少ない乗客が眠そうな顔で睨みつけてくる。牧は声は止めたが、それでも怒りが止まずに自分を座席に押し込み座らせた仙道を睨み上げた。
「説明しろ! おかしなもんじゃないだろうな?!」
「あー…」
 仙道は頭をかき、牧を見たが下手な言葉では納得しそうにない様子を確認して、苗を抱えてしおしおと牧の隣の自分の席にに腰を降ろした。
「…ぶどうの苗です…」
「…は?」
「ぶどうの苗」
「ぶどう…? あの食べる…?」
「はい。これは食べはしないけど」
「食べないでどうする?」
「あー…飲みます」
「…飲む?」
「はい」
「わからん、ちゃんと説明しろ」
 仙道は一つ大きく溜息をついて、前方の背もたれのテーブルに苗を置き、それを見つめながら渋々と説明を始めた。
 3年ほど中部地方のワイナリーで住み込みで仕事をしていたこと。生まれ育った地元でブドウ園を持ちたいこと。土地の目星はもうつけてあって、分けてもらったこの苗で自分だけの品種を育てていきたいこと。そのぶどうでいつかは自分のブランドのワインを作りたいという夢があること。
「この小さいのでブドウ園なんてできるのか?」
「ここから交配していくんですよ。3年近く働いてやっと分けてもらえた」
「…ふーん…。…そうなのか。でも、ならなんでそんな大事なもん俺の鞄に入れた?」
「あー…牧さんなら手荷物ノーチェックかと思って。この苗はちゃんと労働の対価に賃金とは別に手に入れたものだけど、俺はまー…真面目に働く前…そのー昔にいろいろあって。面倒なことになるかなーと…すみません…」
 最後に誤魔化すように笑いを付け足すと、牧は空港での仙道の騒ぎを思い出したのか、更に眉間の皺を深くした。
「そういや空港でボディチェック受けてたな。普通の乗客なら、しかも国内線でそんなことされないだろう」
「ちょっと昔馴染みのお節介な刑事さんと会っちゃって。その人俺の顔見るとボディチェックしたがるんですよねー。なんでかなー? 好かれちゃってんのかなー」
 どこまでも惚けたように説明すると、牧は諦めたように溜息をついた。
「この苗を追っかけてきたから、いろいろいらん世話を焼くフリをして俺にくっついてきたわけだな?」
「え、やだなー。ホントにこっちに用事があるんですよ。牧さんも一人だとなんか心配だし?」
「余計なお世話だ」
 仙道は調子よく笑い、愛おしそうテーブルの上の苗を撫でた。
「…北海道の用事って、それか。おまえの地元」
「…まあ、そうです」
「どこだ?」
「Y町です。ってわかります?」
「わかる。…ウィスキーの醸造所があるな?」
 牧は少し考えるように頭を捻り、それに仙道は食いついた。
「あ、知ってます? そうなんですけどワイナリーも盛んなんですよ。特区に認定されてて製造最低数量とかの酒税法の規制が緩和されてんです」
「…へえ…そうなのか。初めて聞いたな。おまえの実家もやってるのか?」
「実家というか…養ってもらった家でやってますけど…あー、その…俺はとうに縁切られてて」
「そうなのか? あ、や、すまん、立ち入ったことだったな」
 牧は近くで見ると大きく薄い色の瞳を自分が傷ついたように見開き、それから仙道に頭を下げた。仙道は「やだな、気にしないでくださいよ」と言いつつ、チョロいな、と思う。チョロ過ぎて本当にこの人が心配だ。
「もう昔のことですから。 あ、ちょっと心配なんでこいつに水やってきていいですか?」
「あ…? ああ、行ってこい」
「どうも」
 仙道はニッコリ笑って苗を持って立ち上がり、足早に洗面室へと向かった。
 洗面室に入るとキョロキョロと通路に首を出して辺りを見渡し、カーテンを隙間なく念入りに閉める。向き直って苗を台の上に置いて、苗を半端に覆っていた包みを解いた。苗の根を覆う土の部分に丁寧に水をかけてもう一度アルミで覆ってそっと脇に置くと、2重にしていた包みを解いた。が、目当ての物が見つからず、仙道は慌てて包みを逆さに振り、それでも諦めきれずに梱包材を隅々まで広げて更に何度も逆さに振った。
 ない。…ない。
 仙道は茫然と鏡の中の自分を見つめた。
 牧に見つかったのか?
 いや、あの真面目な男があれを見つけたらあんなものじゃすまないだろう。見つけて黙って通報しようとしているか、まさか自分のものにしようとしている?
 いやいや、まだ短い間しか一緒にはいないが、そんなことができるような人間には見えないし、やったとしてもあの堅物じゃどこか挙動が不審になるだろう。
 包みが解けた時にもしかしたら牧の鞄の中に落ちたのかもしれない? や、牧が苗を見つけた時に床に落ちたのかもしれない。
 そう思い立つと、仙道は慌てて洗面室を出て、近辺のトイレの中や車両連結部の床を丹念に探して回った。が、やはりない。
 仙道は息を一つついて洗面室に戻り、もう一度苗の土の部分にそっと水を含ませて丁寧に梱包し直した。
 まだ牧から離れられない。
 そう考えると面倒なような、安心したような複雑な気持ちを自分の中に認めてしまった。
 ちょっとばかり複雑な育ちを口にすれば、仙道のしでかした怪しい行動は別のこととして、自分のことのように苦しそうに顔を歪めて頭を下げて謝ってくる。きっと愛情に満ちた家庭で、何一つ不自由することなく真っすぐに育てられてきたのだろう。牧はこれまで自分が避けてきた、そんな種類の人間に違いない。それなのにどういうわけだか気になって、それを覆い隠そうとすると苛々として、調子が狂っていつものようにいかない。
 仙道は考えるほどには困った顔をしていない鏡の中の自分の顔を見つめて、また一つ深い溜息をついた。



 席に戻ると牧は起きて顔を肘で支えて、ぼんやりと窓の外を眺めているようだった。夜の真っ暗な中では灯りも少なく見えないが、景色は直に幼い頃から飽きるほど眺めてきた見慣れたものになる。仙道はそこからは意識を逸らし、極力さりげなく、「そういえば」と口を開いた。
「なんだ?」
「あー、苗の梱包なんですけどー…えーと大丈夫でした?」
「大丈夫とは? 苗は折れてなかったよな?」
「あ、はい、それは大丈夫です。じゃなくて、ちょっと梱包が解けてたみたいなんで鞄の中が土とかで汚れてないかなーと」
「ああ、そういえば紐が解けてたな。土ー? 勘弁しろよ」
 言うなり、牧は自分の鞄を掴んで膝の上に逆さにしようと持ち上げて構えた。
「あー! 待って待って!」
「なんだ?」
 牧がびっくりしたように動きを止める。
「あーその、そんなことしてもし土が鞄の中にあったら洋服汚れちゃうでしょ? よかったら俺鞄預かって、」
「うるさい」
 その時、自分のものでも牧のものでもない声がかかって、二人は動きを止めた。声がかかった方向を同時に見ると、前の座席の背もたれ越しに顔を半分出し、じっとりと半目で睨みつけてくる男がいた。
「さっきからおまえら、いー加減うるせー。寝られない」
「すみません…」
「あ…」
 慌てて謝る牧の隣で仙道は男を見て固まった。
「…福田」
「よぉアニキ。おかえり」
 福田と呼ばれた男は無表情に立ち上がり、よっと声をかけて座席を回転させ、仙道の対面にドッカリと腰を落として腕を組んだ。
「おまえ…なんでここに…」
「東北の品評会の帰り。うるせーやつらの前の席になっちまったと思ってたら。おまえこそ何年振りだ? 今までどこでナニしてた」
「まあ…いろいろと…?」
「ナニがいろいろだよ」
 福田は吐き捨てて、仙道の横に座るびっくり顔のままの牧に目を移した。
「で、そちらさんは? 仙道が今付き合ってるヤツ?」
「…は? え?!」
 牧はさらに顔を驚かせて、膝の上の鞄を胸元に抱き寄せた。仙道も驚いて目を丸くする。
「おまえナニ言って、」
「さっきうるさくて文句言おうとして振り返ったら、すっげー濃厚なやつ、」
「あーー!」
 仙道はいきなり大声を上げて立ち上がり福田を遮った。牧は驚きの顔を解けないままに今度は仙道を見上げ、福田は迷惑気に眉を寄せた。
「だからおまえうるせーって、」
「そうっ、俺の彼氏! カッコイイでしょ?」
「はあぁっ?!」
 仙道は座り直し、続く驚きに上がりっぱなしの牧の肩に腕を回して強引に引き寄せ、その耳に唇を寄せるフリをして、「話合わせて。お願いします!」と小さく吹き込んだ。牧は身を捩って体を離し、至近距離から探るような目を仙道に向けてきた。それを福田はどうとったのか、「あーそういうの二人だけの時にやってもらえます?」と嫌そうに手を振った。
「大丈夫ですよ、こいつが誰と付き合おうが今更誰も驚かねーし」
「いや、俺は、」
 言いかけた牧に仙道は縋るような目を向け続けたのが功を奏したのかどうなのか、牧は言葉を切り仙道の顔をもう一度見て、諦めたように頷いた。
「…はい…。仙道さんとお付き合いさせていただいています…」
「そうっ! もう俺たちラブラブでさー」
 肩に回した腕で更に牧の体を引き寄せると、牧の肘がキツく仙道のわき腹を抉り、仙道は辛うじて表情をそのままに、口の中でグッと呻いた。
「そういうことなら、えーと」
「牧です。牧紳一」
「そうそう、シンイチさん」
 調子のいい仙道にギロリと牧が向けた視線に気づかず、福田は頷いて言った。
「牧さん、あんたにも家に来てもらった方がいいな」
「…はい?」
「福田、俺は家に戻りに来たんじゃないから。あそこに帰る気ないよ」
 仙道が牧を庇うように後を引き継ぐと、福田は身を乗り出し、表情の読めない顔を深刻そうなものに変えて言った。
「…実はオヤジが。田岡先生がもうヤバい」
「…え? おまえなに言ってんだ…?」
「今年いっぱいもつかどうか…」
「オヤジが…? まさか…」
 仙道の顔からいつも貼りついていた笑いが剥がれ落ちていく。それでも福田が冗談を言ってるのではないかと口元をぎこちなく歪ませた。
「おまえに一目会いたいって。ここで偶然おまえに会えたのもオヤジが引き合わせたのかもしれないな」
「ちょっ、待てって。俺は!」
「仙道」
 福田を遮ろうとした仙道の腕に牧が手をかけた。
「戻れ。俺は大丈夫だから」
「牧さん、でも…」 
 仙道は聞かされた情報を頭の中で整理しきれないように瞳を揺らし、真剣に気遣ってくる牧の顔を見つめた。
「いや、できればあんたにも来てもらえたらありがたいんだけど」
「え? 俺? なんで?!」
 牧はギョッとして仙道から手を離し、福田を見返した。
「なんでってあんた仙道のパートナーなんですよね? あんたみたいな人だったらオヤジきっと安心するし」
「パッ!? いや、それは」
 牧は断ろうとして、隣で目を見開き、固まったまま動かない仙道を見て口を噤み、眉間を寄せて頷いていた。



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