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春夕焼け





呼び出されていった先の公園に三井はいた。
ブランコに座ってゆっくりと揺らしながら、不貞腐れたように投げ出した自分の足元を見ている。
用があるなら電話でもいいだろうし、顔を合わせなければ通じないことなら今までの付き合いを思えばの直接自分の部屋に来るだろう。
おまえだって陵南のキャプテンを引き継いだし。
春からの進学先が決まって東京へ行って寮生活を始めると言った三井が、自分から目を逸らして、なかなか会えなくなることをこちらのせいでもあるような口振りでそう言った。
ズルい人。ズルくて弱くて、そんな困ったところまで大好きな人。
三井の考えなんかわかった上で、「大丈夫ですよ」といつも以上に能天気を装って笑えば、「おまえは楽観的でいいよな」と口を尖らせた。
それからは電話をかけてもなかなか出ない。3回に一度くらいの割合でやっと出て、不機嫌な声で「忙しいから」とぼやく。わかっていても背後の様子に耳を澄ませてしまう。
道々そんなことを思い出しながら歩き、三井のその姿を見た時に、ぼんやりと頭にあった嫌な予感が的中したことを仙道は悟った。小走りだった足がだんだんと遅くなり、ついには立ち止まった。
このまま回れ右をして家に戻ろうかとも考える。でもそんなことをすれば三井は一人で、「すぐ行きます」と言った自分を待つことになる。
それはできなくて、でも下を向いた三井がどんな顔をして自分を見るのか怖くて、仙道は公園の入り口で立ち止まったまま決めあぐねて両手をジーンズに突っ込んで空を仰いだ。
暮れかけた色に染まった空はきれいで澄んでいて、いつかこの色を思い出す日が来るのかなと思うと鼻の奥がツンときた。
「仙道」
遠くから呼ぶ声に肩を揺らせて仙道は顔を向けた。
薄暗い公園の中、三井が顔を上げて自分を見ていた。
表情は影になって見えない。ちらちらと名残りの桜の花びらが、夕方になって吹いてきた風に乗ってブランコの周りを舞う。その様子がどこか頼りなくて、仙道は自分の胸が掴まれたように苦しくなるのを感じた。
往生際が悪いよなぁ俺。
ここで逃げたところで状況が好転するわけでもないのに。
仙道は極力いつもと変わらなく見える笑顔を作って、「遅れてすみません」と声をかけながら近づいた。
並んで隣のブランコに座ろうとすると、踏板が思ったよりも横が短くて手間取った。隣の三井の腰の辺りをみれば余裕はないようだけれどスッポリとはまって座っている。そういえばこの人お尻小さいよな、と自分の両手で全て覆えるほどだったと感触とともに思い出す。
「おまえ太ったんじゃねぇの」
そんな自分を見て、憎まれ口を叩いてくる三井はいつもと変わらない様子に見えた。
「太ってなんかないです。三井さんのお尻が小さいだけ。かわいいお尻」
「バッ…!バーカ!なに言ってんだバーカッ!」
言い返せば予想した通りに顔を赤くしてすぐ怒る。怒ると語彙も少なくなってバーカを繰り返す。
ホント子供みたいな人。




三井のことはIH予選から知ってはいたが、まともに話したのは選抜の合宿からだった。部屋割りの表の名前に同じ部屋番号が書いてあったのが始まりだった。
部屋の中がちょっと肌寒く感じて、三井が寄りかかっている自分に割り当てられていたベッドの上に放ってあったパーカーが目に入った。
「ちょっとすみません」
声をかけて体越しに取ろうと腕を伸ばすと、三井の肩が上がって手とぶつかって失敗した。
「あ、ごめんなさい」
偶然伸びをしたところとぶつかったかなと、今度は上からではなく脇に腕を伸ばすと、三井の腕が上がって取れずに終わった。三井を見ると、それまで見ていた雑誌から顔を上げてニヤニヤと笑っている。
面倒だな。
初日からきつい練習からの長いオリエンテーションの後では気を遣う努力も湧かなくて、仙道は小さく息をつくと体ごと三井にのしかかり抑え込んでから腕を伸ばした。
「っのやろ!」
体の下で三井が暴れている感覚が伝わってくるが、ウェイトではこちらの勝ちだった。見かけより細いなーと頭の端で考えながら指にパーカーがひっかかりそうになったところで、わき腹を擽られて息が漏れ、その隙に押し返された。
「ちょっと三井さん」
今自分がパーカーを着られなかったところで、他校の3年生に何の益があるとも思えない。ただの嫌がらせ。子供っぽく悪戯そうな顔が嬉し気に笑っている。
陵南の3年生にはこんな先輩はいない。なにがそんなに楽しいのかな。
仙道は伸ばしていた腕とは反対の、床について体を支えていた腕から力を抜いた。自分の上体の重さが全て三井にかかり、体の下から「ぐえ」とわざとらしく苦し気な声が上がった。
「あっとすいません」
「ギブギブ」
体を上げると今度は目を閉じて、何の真似だかわざとらしく唇を突き出してくる。その顔を眺めて、唇にチュッとキスを落とした。途端に腹を蹴られて、三井は両手足をばたつかせて後ろ向きにベッドに這い逃げた。
「な…ナニ…!」
「キスして欲しかったみたいなんで」
「ジョーダンに決まってんじゃねーか!ホントにすんじゃねぇよ!」
「…出直しましょうか?」
開けっ放しのドアの入り口に立った笑顔の神がそう言って、三井は顔を真っ赤にして「うるせぇ!」と怒鳴った。



懲りるかと思った他校の一年先輩はそれからというもの、顔を合わせればふざけて唇を突き出す真似をしてきた。
こっちが踏み出しても届かない距離からからかうようにニヤニヤ笑い、小さな傷のある口元を尖らせる。
選抜合宿は始まったばかりで、これを1週間続けるつもりなのかわからないが、初対面の印象は変わった。
言葉も目つきも悪い他校の3年生。自分と直接絡むポジションでもないし、ずば抜けた3P決定率は覚えていたけれども、同室になったと分かった時はただ上級生は面倒だな、と思った。
気づくと人に囲まれて顔をくしゃくしゃにして笑っている。あの唇とキスしたんだなーと眺めていると、その顔がクルッと回って自分を見た。
遠くから投げキッス。本当に毎日やってくる。
福田がチロっと自分を見て、「仲良しだな」と言ってきた。
仲良し?ではないよな、と思うけれど、いつの間にか他校の誰よりも自分の中で近い存在になっていた。



ミーティングの後に部屋に戻ると、先に戻っていた三井だけがまた自分のベッドに寄りかかって雑誌を読んでいて、同室の神と清田の姿は見えなかった。
「あれ?三井さんだけ?」
「自主練だってよ」
そういえばミーティング中に10時まではアリーナを開放すると田岡先生が言っていた。あの練習の後にまだやりたいとかさすが海南組。
「三井さんは行かないんですか?」
「おまえは?」
「んー今日はもういーかなー。三井さんもいるし」
同室の先輩がやらないなら自分もいいかなぐらいの気持ちで言うと、目の前の男は「おまえはすぐそういうことを」と口を尖らせて横を向いた。
「もてそうだよな、おまえって」
「そんなことないですよ。三井さんこそ」
話しの流れで何の考えもなく話をふれば膨れていた顔はもう忘れて、「まあな」とか自慢そうにしてくる。素直というか単純というかちょっとかわいい。
思ったよりストレートに人を受け入れてくれて、気づけば三井の隣に腰を下ろして、読んでいる雑誌を覗き込んだりお互いの高校の話をして、海南組が戻ってくるまで隣にいた。




「俺、明日引っ越す」
手伝うから、と引越しの予定はいつなのだと何回も聞いても教えてくれなかった。
明日。
部活はあるけどそんなものサボればいい。
でもきっとサボったところで三井は来るなと言うんだろうな、と仙道はただ「そうですか」と小さく返事をした。
「で、明後日から大学の部活始まる」
「入学式前から?」
「そう」
「…ふーん」
引越しのことが言いたかったわけではないだろう。
なかなか本題を切り出さない三井に、仙道もどうして自分を呼び出したのか問いかけなかった。
聞いてしまったら言われてしまう。
少しでもこの時間を引き延ばしたい臆病な自分がいて、冷たくなってきた風が身に沁みて泣きそう。
そう考えた自分に仙道は驚いた。
泣く?俺が?
俺がここで泣いたらこの人はどう思うんだろう。
考え直したりしてくれたり…はしないだろうな、とまた少しグズついた鼻の奥を無視することにする。
半年前、選抜が終わってから、陵南に戻ってしばらく経って、心にぽっかり空いた隙間を仙道は感じた。
なんだろう、と考えて、湘北の3年生のやんちゃな笑顔が思い出された。呼び出せば気軽に応じてくれて、何度か会って確信した。
「あなたが好きです」
そう言えば驚いた顔をして、それから下を向いて怒ったように「マジかよ」と低い声で呟いた。
怯まず「マジです」と返すと、上げた顔は案に相違して真っ赤であっちこっちを向いた挙句、尖らせた口で小さく「つきあってやってもいいぜ」と言ってくれた。
照れた顔はまだ赤いけれど、真っ直ぐな瞳で視線を逸らさない。そんなあなたが好きだった。
今日みたいに風が少し冷たい日で、並んで歩いていた手が触れてそれが冷たかったから、思わず手にとって指先に口づけた。
真っ赤な顔のまま手は驚いたようにすぐ逃げていったけれど、唇に残った冷たさはその日、アパートの部屋に帰ってもずっと残っていた。
足の上に力なく置いていた手に何かが当たった。
あの日感じた冷たさではなく、雨か?と思うと自分の目から落ちたもので、仙道は驚いて顔に手をやった。それ以上に驚いた顔が隣から自分を見ていた。
「なに、おまえ…」
「え?」
顔にやった手は指先が少しだけ濡れていた。
「あー花びらが目に入っちゃったかな」
「そんなもん入るか」
だって三井さん。
俺フラれたことなくてどんな顔していればいいのかわからないよ。
初めて会ったときのことや、人の邪魔をして意地悪く笑っていた顔や、真っ赤な顔で頷いてくれたことや。
もういっぱいいっぱいで、一度堰を切ったそれは後から後から出てくる。
「おまえさ」
いつの間にかブランコから立ち上がって隣に立っていた三井が自分に向かってタオルを突き出していた。
礼を言って受け取り、顔を埋めるとほのかに三井の香りがして、初めて肌を合わせた時を思い出してまた目元がじわじわと熱くなった。
言いかけたまま三井は何も言わない。また隣からブランコがギィコギィコと軋む音が聞こえてきた。
「なんですか?」
顔を見ていなければなんとか乗り切れそう。
そう思って声をかけた。
「俺と別れんの?」
「…へ?」
「だってあんたが」、と言いかけて仙道はタオルから顔を離した。
「違うの?」
「俺がいつそんなこと言ったよ!」
「だってこんな時間に公園で会うなんて初めてだったし!話があるなんて深刻そうに言うし!」
「おまえん家行くと大体エッチするじゃんよ!俺明日引越し早いんだよ。まだ片付けおわってねぇし!」
「…あー…」
仙道は持っていたタオルに目を落とした。
なんだ。
なーんだ。
ホッとすると今度は笑いがこみ上げてきて、仙道はまたタオルに顔を埋めた。
「おい、」
慌てたような三井の声。
「違うんだよな?」
慌ててる。
ちょっと悔しいから、頭の整理がつかないから、このままでいようかなんて思ったけれども。
顔を上げてここははっきりと訂正しておく。
「違います。絶対違います」
「そうかよ」
三井は乗り出していた体をまたブランコに収めて、ゆっくりと揺らし始めた。
で、結局自分をこんなとこに呼び出した用事はなんだったのかと、疑問が湧いてくる。
おかげで泣き顔まで晒してバカみたいだと思うが、なんだか胸に溜まっていたモヤモヤはすっきりなくなっていた。
「そりゃーおまえ」
聞くと、言いづらそうに下を向く。
その顔が赤く染まっていて、仙道は答えを聞かずともモヤモヤが消えた胸の中が温まって口元を緩ませた。
釣り下げられた鎖を掴んでいた指に手を伸ばした。やっぱり冷たくて、顔の前に持ってくると握っていた鎖の鉄の匂いがした。
「おまえ、すぐそれすんのな」
唇に当てた指は今はもう逃げない。
「俺の愛情表現ですから」
「キザなんだよ」
ギィとブランコが寄せられて、すり抜けた指の代わりに唇が触れた。
薄く開いた瞼から目を閉じた三井が見えて、仙道も目を閉じた。
ブランコの向こうに咲いた夕暮れの散りかけの桜。
いつかまた思い出す日には目の前の人と一緒がいい。





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