春疾風






 花形透はほぼ見た目通りの男だ。
 真面目、誠実、賢い、融通が利かない。
 並べた言葉をみれば甚だ面白みに欠ける男のようにみえるが、一度付き合えばそんな単純なばかりの男ではないことがわかる。
 わかるが敢えてこれを喧伝するつもりは藤真には全くなかった。
 例えばこれも人が驚く花形の特技だ。(藤真から見れば全く驚くべき特技だった)
 昼休みに用事があって花形のクラスを覗くとそこにあの一際デカい姿はなく、聞けば女子と二人、音楽室にいるという。藤真はそれを知った時、花形を疑う気持ちは全く湧かなかったが嫌な予感には捉われた。急ぎの用事ではなかったが、足は急いたように音楽室に向かった。
 近づくと耳には案の定、ピアノの音が聞こえてきた。曲も知っている。合唱祭の課題曲だ。藤真のクラスでも面倒極まりないことだが明日から練習が始まって、貴重な昼休みと放課後の時間を幾らかづつ奪われる。
 演奏の上手い下手は藤真にはわからない。だが花形がピアノを弾くと大抵の人間は感心したように聞き入って、何故だか花形自身にも興味を持つ。禍根は速やかに断たれなければならない。
 扉を開く前に顔の前にある扉の小窓から覗くと、グランドピアノを弾く花形と、その脇には見知らぬ女の子が一人立っていた。やはり女子の表情がおかしい。そりゃそうだと藤真は同調した。2m近い普段は教室内の電信柱か何かに思っている男がいきなり流れるようにピアノを弾き始めたのだ。自分より下に目線がくればその電信柱の顔が意外にも男前であることだってわかる。続いて彼女は電信柱男の名前が、定期テスト毎に張り出される成績順位の5位より下に落ちたことがないことも思い出すだろう。
 藤真は曲が終わるまで待つことはせずに遠慮なく少々乱暴気味に扉を開いた。だが曲は途切れることはなく、2対の目に迎えられて藤真はさらに対外用の微笑みをその顔に乗せた。藤真の浮かべている表情を見て花形は少し眉を寄せ、ようやくピアノを弾く手を止めた。
「悪い。花形を借りてもいいかな」
 問いかけではない。自惚れでなく藤真がにっこり笑ってお願いをすれば大体の女の子は顔を赤く染めて頷いてくれた。例外なくその女の子もほんのり赤く頬を染めて頷いた。効果とその発動のタイミングはもちろん付き合いの長い花形にはバレているはずだったが、特に思うことはないのか何の表情も浮かべずに目の前の楽譜を閉じた。
「どうした?」
「うん、ここじゃちょっと」
 ちょっとも何もない。体育館の使用許可書を手渡すだけの用事を、藤真は顔を深刻に作って言葉を濁した。花形は女の子に、「すまない、また後で」と告げて藤真について音楽室を出た。
「伴奏やるのか?」
「候補に挙がってるだけだ」
「バスケをやっていれば指にケガをすることも多いぞ」
「彼女はバレー部だからどっこいどっこいだな」
 なるほど。件の女の子が対立候補というわけだ。
 藤真は次の練習試合を早めることを考慮に入れた。海南の牧辺りにゴネれば自分の希望は通るだろう。合唱祭の練習もサボる口実になる。一石二鳥だ。
「で、どうした?」
「うん、これ。来月分の締め切り今日の4時までだったんだが俺今日日直だからおまえやっといて」
 花形は藤真から受け取った用紙を見て、少し眉を寄せた。
「これだけ?」
「ああ」
「そうか。やっておく。じゃあ」
 てっきり自分と一緒に戻ると思っていた花形が音楽室の中に引き返そうとして、その制服の背中を藤真は掴んだ。
「あともう一つ。職員室来てくれ」
 今日日直に当たったがために嵩張って重い教材を運ぶという雑用を頼まれうんざりしていたところだった。日直当番のもう一人は女の子で、そんな荷物を持たせることはできない。ちょうどいい荷物持ちがいた、と藤真はにっこり笑って思いついた。
 だが花形には自分のスマイル攻撃は効かない。眼鏡の奥から胡乱気な目で見られて、藤真は無駄に微笑んだことを後悔した。
「いいから来いって」
 先に立って歩けば花形はついてくる。それは藤真も確信していた。




 
 先月花形と公園でキスをした。
 猫を拾って花形にそれをやって手を握ってキスをした。
 それからも毎日部活で顔を合わせた。帰りもこれまで通り一緒に帰っている。が、それから進展というものは全くみられず関係は停滞したままだった。
 藤真としては関係をもっと先に進めたい。進めばいずれ行き着く先がある。はっきり言ってしまえばやりたい。だが男相手はさすがに初めてで、なんとなく男同士の行為はわかるが失敗は避けたかった。が、何をどこでどう調べればいいのか皆目わからない。肝心の相手がこの問題についてどう考えているのかもわからない。
 そもそも花形に性欲はあるのか?本気で疑いたくなる時が藤真には度々ある。
 公園でのことで話題に上ることといえば拾った猫のことぐらいで、何が変わったということもなく雰囲気に恋人の甘やかさが加わるなんてこともない。そうして無神経にも花形は人気のない昼休みの特別教室棟で女子と二人きりピアノなんかを弾いている。
 俺というものがありながら。言語道つきあってくれって言ってねぇ!
 愕然として藤真は立ち止まった。
 この男は、花形は、頭がいい癖におかしなところでおかしなことを考えているし考えてもないやつだった。まさかとは思うがもしかしたらその場の勢いだったとかそんな風に思っているのかもしれない。
「どうした?」
 追いついて隣を歩いていた花形が足を止めた藤真を振り返った。
 言うなら今だ、とは思うが、意外なようだが藤真は言葉を大切にする男だった。大事なことを伝えるにはまず頭の中で言葉を慎重に選ぶ。
 そうして花形の顔を見ながらこの頭はいいが色恋には鈍い男の心を動かす効果的なセリフを考えて立ち尽くしていると、花形はストライドの大きい長い足で近づいてきて、藤真の腕を掴んで防火シャッターの脇の扉の陰に押し込んだ。
 なにしやがる、と言いかけた口を花形のそれに塞がれて藤真の目が瞠られた。
 なんだ、通じてたんじゃん、と安心する気持ちと人気がないとはいえ昼休みの学校というシチュエーションを思い出して藤真の息も一気に上がり、花形の制服の前を掴んだ。
 唐突にきたキスは唐突に終わり、花形は藤真の両肩を掴んで離れた。
「悪い」
「わるくねぇ」
 むしろ短い。
 不満を声に出せば、花形は困ったように片手でズレた眼鏡をかけ直し、視線を外した。
「…あまりそんな目で見てくれるな」
 そんな目?こいつは人が考え事をしている顔にムラッとくるのか?
 やっぱり頭がいいやつは考えることも変わっている。そう思いながらも頭にはきっちりメモっておく。
「俺たち、付き合ってるんだよな?」
 考えた言葉ではなかったけれども、ここの確認ははずせなかった。
「俺はそうだと思っていたが。違うのか?」
「違くねえ」
「うん」
「その通りだ」
「ああ」
 藤真にはもう音楽室で待ちぼうけを食らっている女子を苦々しく思う気持ちはなかった。男はか弱い女子には優しくあらねばならない。己の損得勘定に関係のない限りは。
「やっぱ職員室一人で行くわ。おまえ戻れよ」
「…いや。行くよ。ちょっと待っててくれ。彼女に断ってくるから」
 花形ははにかんだように笑い、背を向けた。
「…変なやつ」
 滅多に見られない花形のその表情に心底驚き、蟠っていた毒気はどこかに飛んで藤真の顔にも自然な笑みが浮かんだ。







「というわけで、近々我が校との練習試合を受けてくれ。頼む」
 それとこれとは話しは別で、全校生徒並びに教職員の前で花形にピアノなんか弾かせるわけにはいかない。
 牧を呼び出して要求と、それに至る理由を伝え頭を下げると、ライバル校のキャプテンは藤真に押し付けられたプリンを食べ終えて目を瞬いた。
 お互いに一年生の頃から強豪校の熾烈な争いの中でレギュラーの座を勝ち取り、インターハイ本戦にも連続して二校並びたって出場している。気心が知れた仲とまではいかないが信用はおける人間で、その男がこれまた自分と同じく新学期を迎えてキャプテンに選出されたことも、藤真にとってはなにかと話しの通りがスムーズになることが期待され喜ばしいことだった。
「ああ、それはいいんだが」
 なんだ、簡単に要求が通んだったら賄賂はいらなかったな、と藤真はコンビニのビニール袋に牧が持っていた空になったプリン容器を受け取って入れた。
「少し混乱しているんだが、」
「早期は難しいか?」
「いや、それは大丈夫だと思う。そうではなくてその…花形…?」
「ああ、俺たちと同学年で2m弱の眼鏡をかけたセンターの」
「いや、それは知ってる。…やっぱりその花形なんだよな?」
「そうだ。正にこのベンチだ」
 指し示すと、牧はギョッとしたように自分が今腰をかけているベンチに目を落とした。
「なんだ、猫はもういないぞ?」
「いや…うん」
「うん?男同士で付き合うのがおかしいか?」
 牧はそこでゴホッと噎せて慌てたように手を上げた。
「いや、違う。それは違う」
「だろう」
 藤真にはある確信があった。であればこそ、理由を明確に正直に告げた方が牧のような男には要求が通りやすいと考えたのだ。それに確信が事実であれば願ったり叶ったり。こちらにもいろいろと聞きたいことがある。
「いや、実は」
「偶然ですね、お二人さん」
 牧が口を開き、事の成り行きが己の考えた方向に進んだと藤真がほくそ笑んだとき、ベンチの背後から脳天気な声がかかった。ファンからは天使のようなとも形容される藤真の顔が一瞬にして下衆に歪み舌打ちがこぼれた。
 木の陰からぬっと出てきたこれまたバカでかくさらに煽るように髪を逆立てた男が、しばらく前からそこにいて自分達の話しを立ち聞きをしていたことは知っていた。それでも一応は上級生二人の話に入ってこないだろうと読んでいたのに、態度だけでなく性格までが図々しい。藤真は苦々しく他校のスーパールーキーとか仇名される二年生を睨み上げた。
「仙道!偶然だな」
 単純に能天気に声を上げる牧も腹立たしい。なわけあるか天然め、と隣に座る男に舌打ちしつつ、「他校の上級生同士の話しを立ち聞きするとはな」と睨み上げると、仙道はヘラっと笑って頭をかいた。
「どーも。藤真さん、お久しぶりです」
「牧とはお久しぶりじゃないわけだな」
 突いても仙道はにこやかな顔を寸分も変えずにヘラヘラしている。相変わらず食えないヤローだと思いつつ、藤真は歪めた顔を正した。
 この二人に週末会ったときこそ全くの偶然だった。
 休日の早朝の人も疎らな交差点で花形と朝練に向かうところで、二人信号待ちをしている時だった。このバスケ以外ではボーッと人生生きてる男が赤信号に気付かず足を踏み出したところを、後ろにいた仙道がその腕を掴んで引き寄せて二人の体が重なった。
 それだけのことだが、その間に流れる空気の濃度と視線に藤真はあることに気が付いた。それは藤真が憧れもとい、ある特定の関係の場合に醸し出される親密さで、先に自分達に気が付いた仙道の余裕のあるにやついた顔つきで確信に至った。
「…あんまり牧に甘えんなよ」
 声を低く作って言えば、だらしのない顔から見飽きた余裕のある気に食わない視線が藤真に流れた。
 が、聞くなら奥手の牧よりこっちの方が手っ取り早い、と気づき、藤真は仙道の腕を取って、「悪い、少し借りる」と牧から離れた。
「おい、ネタは割れてるんだ」
「はい?」
「おまえ、牧とはどこまで進んでる?」
 聞くと、焦るどころか仙道はだらしのない緩んだ顔つきで人差し指で鼻を掻き、藤真は瞬間頭に血が登って話を聞くどころの騒ぎではなくなり、仙道の肩を思いっきり殴りつけてその場を後にした。








続く…のかな?
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