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who can I turn to ?






9月も半ばに差し掛かり、ようやく夜に涼しくなってきた風が心地よかった。
海から吹いてくるそれは潮の香りが強く、遠く街の明かりがきれいだと思った。
そのひとつにひとつに人の暮らしがあるのだと思うと、今この場で自分がこれから言わんとすることにも勇気づけられる。
「おまえときどききっしょいねん」
だが隣の幼馴染みは容赦ない。
「潮でベッタベタするし磯くさくてかなわんわ。こないなとこ来ないとダメなん? 話しってなんやねん。はよ言え」
不機嫌そうな様子はいつものことながら、今日は格別語調が鋭く突き刺さる。
いつもなら受け流せるそれに、岸本は挫けそうになる気持ちを叱咤して、予め用意していた通りの言葉を口に乗せた。
「…話し、聞いたで」
「あぁ?」
ガラが悪い。
まあそれはお互い様ながら、親に探りを入れられつつ、ようやく借り出したトゥーランのケツの初心者マークが侘しい。
「推薦、来たんやろ?」
負けずズバリ言うと、さすがの南の舌鋒も怯んだ。
こちらを睨み付けていた視線が外されて、顔がふいっと海を向く。
夜になると海は見えない。
暗すぎて顔もよく見えない。
それも岸本には誤算だった。
ただの暗い広い空き地のような、湿気た風が吹いてくる方向に、表情のよく見えない顔を向けたまま、南は「よぉ知っとるな」と呟いてまた口をつぐんだ。
「なに悩んどるねん」
「おまえにはわからん」
「おまえんことでわからんことなんか俺にはないで」
「いーや。俺のことならなんでも知っとる癖にそんな口きいてくるおまえになんか俺のことはわからんわ」
…ん?と考えて顔が上を向いた岸本を見て、南はハーッと大きくため息をついた。
「話してそれか? ならもう終わりやな。さっさと帰るで」
「ちょ待て。俺やて反対や」
「ならますます話すことなんかあらへんな」
「いや、おまえはハナから選択肢に入れとらんやろ。家のこととか考えて」
「そこまでわかっとるならもう言うな」
「いーや、俺が反対するのはおまえん家の事情やない」
そこまで言った岸本に冷えた南の視線が飛んだ。
「…またその話しか」
「あのキツネ目はぜーったいおまえを良くない目で見とる。そんなやつとチームメイトなるいうんは心配や」
「あほか。考え過ぎや。ひつっこい」
「考え過ぎなんかやない。でも俺の考え抜きにおまえは選択肢に入れるべきや」
「…もうおまえが何を言いたいのかわからんのやけど」
「おまえがあの高校で成績落とさんよう頑張ってきたのも知っとる」
豊玉は進学率があまりよろしくない。
だが北野先生がいた。
北野先生がいたから南も岸本も迷わずに豊玉を選んだ。
自分の場合はその時の成績に相応していた学校だったけれども。
その中でバスケを続けつつ、成績を保ちつつ南が踏ん張ってきたのは、早くに父親を亡くして、女手一人で頑張ってきた南の母親の為であることもよくわかっている。
でもバスケットが好きで好きで好きな南のことも、岸本には痛いほどよくわかっている。
だからこそリーグ一部に所属する大学から声がかかったことは岸本にとっても滅茶苦茶に嬉しいし、それ以降南の顔から笑顔が消えたことはとてつもなく寂しい。
その大学には薬学部はなかったから。
「…そんなこと言うためにここまで引っ張ってきたんか。悲しい色やねか。あほか」
言いたかったことはもちろんそれだけではなかった。だが、南の口から心を見透かされたようにベタな歌の名前が出て、岸本の口が滑りを悪くする。
口を尖らせた岸本を見て、また南が深くため息をつく。
人を説得するのは苦手だった。
ましてや100%自分が勧めたいと思えることではない。
それでもこの何日かふさぎ込んだままの南のことを考えれば、岸本に黙っている方はなかった。
「つまり…おまえは俺のことも家のことも考えんと自分で自分の未来決めたらええ。…と思う」
「は? なんでそこにおまえが出てくんねん」
「なんでておまえ…」
そこは言わなくてもわかって欲しかった。
お互い似たようなバカをやりつつ、気づけば部活も直に引退で、その後の高校生活などもうあってないようなものだ。
岸本はグッと拳を握った。
「俺は、」
「おまえがさっさと先に進路決めよってん」
口を開こうとした先に、つまらなさそうに柵についた腕に顔を乗せた南が海を見つめたまま言った。
岸本は実家を継ぐことを決めている。その前の猶予として三部リーグに所属する地元の大学から声がかかったとき、さっさともうそこに決めてしまった。
「まさかおまえが学士様かよ。取り柄は持っとくもんやな」
親と全く同じことを言われてグーの音も出ない。
「別にそれはおまえの自由やから俺が口だすことやないけどな。だからおまえも俺んことは余計な口出しせずに」
「するわ!」
海を向いていた南の顔が驚いたように岸本を見た。
それへ岸本は大股に近づき、グッと両腕を伸ばしてビクついた顔を固定して顔を近づけると、自分を避けようとして遠ざかろうとしていた頭が逆に勢いづいて、額に思い切り頭突きを食らった。
「~った!!ったー?!!なにすんねん!」
「なにって! おまっ…おまえが…!」
見れば近距離で見る南の顔が滅多に見ない色に染まっていた。
それを見て岸本は体に力が宿るのを感じた。
無言で南に近づき、その体に腕を伸ばして頭突きを食らわないように後頭部に手を這わせ、南の頭を自分の肩に押し付けた。
「俺…待ってるから。休みには絶対帰って来いよ」
しばらく暴れていた南は、その言葉を聞いてから、じっと額を岸本の肩に押し付けたまま動かない。
その温かさに岸本の方が落ち着かなくなってきた頃合いに、ようやく南が口を開いた。
「…むかつくわ。岸本のクセに。決めつけて。なにカッコつけとんねん」
変わらない毒舌に安心して、少し残念に思って、岸本は弛めようとしていた腕にまた力を入れた。
「待ってるってなんやねん。何を待ってるん」
「何ておまえ…」
が、すぐに腕から力が抜ける。
この手の話しになると、こいつには強気に出られない。
ガキの頃からずっと。情けないことに今でもずっと。
腕の力が弱まったところで、南は岸本の腕からすり抜けた。
胸に手を突いて体を離し、その手を首もとに動かしてTシャツの襟首を掴みあげた。
驚いた岸本が引いた顔を追うように、南の顔が迫ってきて、あっと思った時にはキスを受けてすぐにまた離れていった。
「ファーストキスは俺の方が1年早かったわ」
胸を手のひらで突かれて、何をされたかようやく理解した岸本の体がよろける。
「ハ…ハハ!初エッチは俺の方が半年早かったで」
「暴発したんはノーカウントや」
「おっおま!なんで知って、」
「やっぱりか!道理でおまえが付き合うてた子、聞いてもビミョーな顔しとったわ」
「嘘や!ジョーダンや!」
大笑いしながら車の方に歩き出した南の背を、岸本は慌てて追った。
「なんでもええから帰るで。明日も朝早いんや」
「なんでもよくない!ちゃんと話そ」
「おまえの武勇伝なんか聞きとうないわ」
「南ー」
「帰りはしゃんと運転しとけよ。また当てそうになったらおまえの車には金輪際乗らへん」
捕まえようとした体は助手席側に回ってもう手が届かない。
岸本はポケットの中のキーのスイッチを押した。
ロック解除の音がして、南と岸本はほぼ同時に車に乗り込んだ。
シートベルトに手が延びる前に、お互いの体に腕が延びる。
上体を隙間なく引き寄せあってどちらからということもなく口づけた。
舌がすぐに絡まりあって、狭い車内でお互いの息づかいと濡れた音で耳と頭がいっぱいいっぱいになる。
「…おまえも」
息を継ぐ間に南が口を開いた。
暗闇でも涎液で光るその唇から岸本は目を離せない。
「ヒマできたら遊び来いよ」
「アパートか。ええな」
「そんな金あるかい。ド助平が。寮や寮」
「寮か!ますます心配、」
言った岸本の鳩尾に南の拳が埋まる。
「今度それ言うたらもう知らん」
「…わかっ…わるかっ…」
岸本が瞬間息が詰まった苦しさの中でなんとかそれだけを言うと、南はもう体を離してシートベルトを引き出していた。
「って、おまえもうその大学行くって決めてたのか」
運転席のシートベルトを引き出して固定させつつ、岸本は少しの寂しさと、どこか妙に晴れ晴れとした清々しさを感じていた。
「迷ってたけどな。おまえのアホな話し聞いてたらもうええか、思えてきたわ」
「ハハッ!俺も役に立つやん」
「ホンマや。アホで助かる」
南は変わらぬ辛辣なセリフを吐きながらも、口許に小さな笑みを浮かべていて、岸本はブレーキペダルを踏む前にエンジンをかけてしばらく発進できずにあたふたとハンドル回りを覗きこんだ。
「その前におまえと心中なんてゴメンやで」
「人にはなんでも初めてがあるもんや」
「…暴発さすなや?」
「もうそれ忘れてお願い」
おかしそうに笑う南を見て、岸本は情けなく眉を下げつつ、ようやくエンジンを入れ直して車を慎重に発進させた。
「あとな、あの曲、別れの歌やろ。…ビビらすなや」
「そうなん?!」
「読解力以前の問題やな」
南は気に入らなかったようだったけれども、初のドライブデートは港に行くと決めていた。
なかなか気持ちよかったと思う。
岸本は今度は昼間に南を連れてこようと懲りずに決めた。




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