逆回転lovers







 もう少しで駅に着く、というところで右手に持っていた紙袋の取っ手の限界がきて千切れて落ち、詰め込まれていた中身が八方に転がり出た。色とりどりの包み紙に包まれた大きさもまちまちな小箱が道路に散乱した様を見て、仙道は思わず「あー…」とため息をついていた。せめて建物の軒下で濡れていない道路脇に転がってくれたのはよかった。一つ一つ拾っていっても、左手にはスポーツバッグと開いたままの傘を持っていて、拾った端からまたこぼれ落ちていく。
「あーったくしょーがねぇなー!まず荷物置けよ」
 音と声に振り返った越野が手伝うでもなく同情するでもない声を上げて、面倒くさそうに声をかけたきた。仙道は仕方なく肩にかけていたバッグを雨の中の歩道に置いて傘をたたみ、また一つ一つ拾い始めた。そこへ彦一が慌てて走ってきてバッグを拾い上げて肩にかけ、傘をさしかけてくれた。結構な雨量の中、氷雨と面倒臭さで死にそうになりながら顔を上げ、「サンキュ」と声をかけると、朴訥な顔に照れくさそうな満面の笑みが浮かんだ。
「越野ー、なんか袋持ってねー?」
「んなもの持ってるわけねーだろ」
 眉を下げて頼んでみるが越野から返ってくる言葉は相変わらず冷たい。隣に並んだ仏頂面に視線を変えても、福田も黙って首を横に振るだけだった。周りもほぼ似たような態度で、一年生の中には慌てて自分のバッグを開けて中を確認してくれている部員もいたが、みな一様に残念そうに首を横に振った。
「200mくらい戻ったとこにコンビニあったな」
 植草が思い出したようにつぶやいたがこの雨の中では絶望的なアドバイスだった。仙道は雨に煙る元来た道を見てまた溜息をつきそうになった。バッグに詰め込もうにもバッシュと試合後の汚れ物でいっぱいで、そこに無理やり押し込むのも気が引けた。
「駅にもなんかあるんじゃね?」
「じゃあ駅までこれ一個づつみんなで持ってってくれる?」
 笑顔をつけて頼んでみたが、これには彦一にですら横を向かれた。
 海南との練習試合で訪れた日がたまたまバレンタインデーだった。帰りがけに真面目そうな女の子が二人、足早にやってきて件の紙袋を目の前に突き出された。
「夏のウチとのインターハイ予選を見てあなたのファンになった女の子たちからのプレゼントです」と、早口の固い声で紙袋を押し付けられ、礼もなにも言う間もなく走り去っていった。残ったのはチームメイト達の冷たい視線だけで、正直なんでおれが、と溜息が止まりそうになかった。
 持てるだけの箱を持って、もう一度頼もうと顔を上げると、立ち止まっていた部員達がざわつきながら道の左右に割れていった。何事?と見ていると傘を差した男が一人目の前に現れて、その傘の内の顔を見て仙道の動きが止まった。
「…牧さん」
「何してる?」
「なにって…あー…」
「仙道さん、海南の女の子達にチョコもろたんですけど雨で入れてた紙袋しけって破けてもうて袋ものうて」
 止める間もなく彦一が状況を一気に説明してくれて、仙道は弱って「ハハ」と笑って頭をかいた。
「ああ…」
 牧は傘をさしたまま、小箱を抱えるかがんだままの仙道と、その脇にちらばった小箱を眺めて口を開いた。
「…ウチに来るか?駅の反対側なんだが。なんかあるだろ」
「え…いいんですか?」
「ああ、でもこれから試合後のミーティングがあるか」
「いえ、今日はもう終わりです。じゃあかいさーーーん!!」
 いきなり立ち上がって声を張り上げた仙道に、ギョッとしたような視線が集まった。それまで黙っていた越野が慌てて口を出す。
「解散っておまえ、どーすんだミーティ、」
「じゃあそういうことでまた明日。学校で。副キャプテン」
 頼むからお願い聞いて?と顔に書いて越野の肩書を強調すれば、納得しない顔が様子を伺うように牧を見てからもう一度仙道を見て、それでも黙って口を閉じてくれた。その間にも牧は屈んで箱を拾っており、それを見た陵南のメンバーが慌てて他の小箱を拾い始めた。





 仙道はスニーカーを脱ぐのに手間取ったフリをして、荷物とチョコレートを脇に置いて上がり框に座り込んだ。
「すぐに見つからないかもしれない」
 と、牧が先に立って家の中に入っていくとすぐに立ち上がって、期待に満ちた目で廊下の奥を背伸びして見渡していた彦一の目の前に立ちはだかった。その手からチョコを受け取って自分の持ってきた分に並べて床に置くと、彦一の肩に腕を回した。自分と牧で持ちきれなかった分のチョコレートを持ってきてくれたことににっこり笑って礼を言いながら、早口になにやらを捲し立てる彦一をそのまま強制的に玄関にUターンさせて、家の外に押し出し鍵をかけた。
 牧がいるらしき部屋の中に足を運び室内を覗き込むと、牧は入って左手のダイニングで3つ並べたマグカップに湯を注ぎ終わったところで、茶まで出してくれようとしている様子に仙道は少し驚いた。気配に顔を上げた牧は一人で入ってきた仙道の前のテーブルにマグカップを一つ置き、「あいつは?」と訊ねた。
「なんか急ぎの用事があるみたいで」
「そうか」
「今日、観に来ませんでしたね」
「ああ、大学の部に呼ばれてな。今から行こうとしていたんだが、遅かったな」
「勝ったよ」
「そうか」
 どちらが?とも聞かない。自分が予想していた結果に自信があるのか、その顔に表情らしきものは浮んではいなかった。
「…よかったんですか?」
「なにが」
「まさか家にまで上がらせてもらえると思ってなくって」
 出されたカップの中から温かく立ち上る湯気を見ながら、それにすぐ手を伸ばすこともできずに仙道は言葉を選んだ。
「家の近所で知った顔が困ってれば見過ごせないだろ」
「それだけ?」
 返事はかえらず、仙道はキッチンカウンターと冷蔵庫の間の隙間を覗き込んでいる背を見つめた。牧はしゃがみ込んでその隙間に腕を突っ込み、紙袋を引き出して中を覗き込んだ。紙袋の中にはさらに畳まれた紙袋が何枚も入っていて、それを見て仙道は笑った。
「あーウチもそれやってる。なんで母親ってのは紙袋やらビニール袋やらやたらとっとくんですかね」
「それで今おまえは助かるんだろうが。ほら、これでいいか?」
「どーも」
 仙道は破れた先刻の紙袋よりはよほど大きくしっかりした作りの袋を受け取って礼を言い、テーブルの上に置かれていた牧が持ってきた分の小箱の山を腕で寄せて、袋の中にぞんざいに落とし込んだ。
「海南はチョコレート禁止だ」
「え?」
「バレンタインデーに校内でチョコレートを異性に渡す行為を禁止している」
「へー!また無茶な校則だな」
「…だからその子達も一所懸命だったんだろう。丁寧に扱ってやれよ」
「…優しいね」
 牧は自分に淹れたカップに口をつけようとして動きを止めた。それが少し心許ないような表情に見えるのは惚れた欲目なのかもしれない。そう思うと忘れようとしていた想いが自虐的に口から溢れそうになった。
「なあ、仙道、その」
「牧さんは優しい。フった相手を家に入れて助けてくれるんだから」
「…そのことで俺も話があるんだ」
 仙道は驚いてまだ畳み掛けようとした口を止めた。
 牧は止めていた手を動かしカップの中身を一口含んでから気づいたように、「座らないか?」と仙道に向かって言った。仙道が素直に椅子を引いて席についたのを見ると、牧もその向かいの席についた。
「考えたんだが、」
「はい」
 なんだか面接みてー。
 仙道はテーブルを間に挟んで牧と対峙しながら、目の前のカップに目を落とした。






 インターハイ本選に出られなかったというショックが引いていくと、ある男の顔が頭に残って離れなくなった。
 それは試合でギミックを潰された瞬間であったり、張り付いたディフェンスを受けたこともないフェイクにひっかかって突破された瞬間であったり、アリーナの自販機前で話しかけられた時であったり、最後のダンクに賭けた計算を読まれた瞬間であったりした。
 悔しい、という感情はなくて、ただ高揚する身の内を考えると今度こそ越えてやると部の練習にも身が入ったが、そのうちに思い出されるものが顔だけでなくその下の体に移動していき、驚いた自分で自分にツッコミが入った。しかし止めようとすればするほど思い出されてくるその体はやがて試合中のものではなくなり、おかしな夢に夜飛び起きることもあった。その時に付き合っていた女の子の顔に重ねてしまうこともあった。さすがにこれはおかしい、と考えているところで選抜に選出され、また牧と顔を合わせることになり、もう否応もなく自分で認めざるを得なくなった。
 惚れてる。牧に。男に。
 合宿で短期間生活をともにした男は、だが思っていたほどにすべてに完璧ではなく、むしろ生活面でいえば他人に世話をそれとなく焼かれることで日々が成り立っているようだった。それが同じ高校の神であったり清田であったりすればまだ見過ごせていたが、他校の例えば藤真であったり赤木であったりすると、胸の中をチリッと焦がすものがあり、神業染みた牧のプレイに対する執着だと最後に賭けた望みは簡単に打ち砕かれて、どうやら自分は本気なのだと観念した。
 付き合っていた彼女には牧の名前を呼んで誤解されて(誤解ではないのかもしれないが)とうにフラれていた。自分側に制約はない。想いを叶える、というよりは己の内にケリをつけようと牧に告白した。
「あんたが気になって仕方ない。つきあってもらえませんか?」
 そう牧に告白したのは選抜の合同合宿の最終日だった。
 日誌を書いていた手を止め、想像していた顔と大差ない表情を浮かべて、牧は動かなくなった。無理もない、と思いながら他にやりようもなく、仙道はおとなしく牧の言葉を待った。
「…付き合う?」
「うん」
「それは具体的にどういう…」
「えーと、恋人?として?」
 見る間に牧の眉が寄っていく。感心しながらそれを見つめ、いきなり殴られたりはしねーよな?と、牧のきれいに筋肉の乗った褐色の腕に目がいって少しだけ及び腰になった。
「…冗談、ではないよな?」
 そこでヘタれて頷いたりしたら本当に殴られることは簡単に予想できて、「本気です」と仙道は常にない自分の面構えを自覚した。
「そうか…」
 それからしばらく沈黙が続いた。返事を急かそうとは思わなかったが居心地の悪い間が続き、仙道が耐えかねて視線を窓の外に投げると、「すまないが…」と牧が言いにくいように口を開いた。
「いや、気にしないでください。すいません、ヘンなこと言って」
 仙道は牧の言葉を遮り用意していた言葉を連ねて、牧へ背を向けた。
 まーこんなもんだ。
 秋の只中にあって動かなくとも汗をかくほどに暑い日で、とりあえず息をつこうと入ったアリーナはその希望を叶えてはくれなかった。カートの中のボールを手にすると、牧との最後の試合がすぐに頭の中で自動再生された。ボールを戻せば、苦手な食材を後輩に食べてもらっていた姿が思い出された。
 告白したってフラれたって何も自分は変わらない。
 諦めとともに息を吐いて、もう一度手に取って構えて放ったボールはリングに当たって、仙道が立つ位置から遠くに転がっていった。
 生まれて初めての失恋は思ったより喉が渇くな。
 仙道はTシャツの襟口を片手で引っ張って顔を拭った。






「秋におまえが言ったことなんだが」
 いよいよこれは面談だ、と仙道は考えた。定期テストで自覚するほどに失敗した成績を残したときに似ている。いや、部活をサボって遊んでいたところを生活指導に見つかって親を呼び出された時の。
 考えて、いや、今回は自分は悪くない、と思い直し、「いいんですよ、もう」と牧を遮った。
「秋に成績が残せたのはおまえの存在が大きい」
 だが牧は話しを続け、その話しの方向が急回転し、仙道は顔を上げた。
「冬は残念だった。だが夏に見たおまえとはまた違った。何が違うのかと考えて、個人プレイではなくチームの中にあるおまえだと気づいた。主将になったのだから当たり前だがそうではなくて、」
 なんだ、これは。
 仙道はおとなしく聞きながらどうしようもなく強まる苛立ちに眉間の幅が狭くなった。
 もうあんたは選抜のキャプテンじゃない。振るなら振ったまま放っておいてくれ。
 未練たらしくこんなところまでのこのことついてきた自分が余計に阿呆のように思えた。
「上手く言えない」
 が、仙道が声を上げる前に、目の前の牧は突然、勝手に白旗を上げてテーブルに肘をついて両手に顔を埋めた。
 刻んだ眉間の皺も取れずに何をどうツッコんでいいのか仙道が戸惑っていると、「つまり」と手で覆われた顔からまた言葉が続いた。
「ずっとおまえを見てきた」
 ずっと?おれを?
 牧が言った言葉に何か表面上ではない意味があるのか?、と仙道が考えていると、「秋からじゃない」と言葉が足され、さらに仙道は混乱した。
「思えば夏からでもなかった」
「え…?なに?ちょっと待って、牧さん何言ってんの」
「いや、夏だ」
「は?」
「おまえが一年の夏だ」
 言い切ると牧が顔から手を離し、仙道を見ていた。幾分か頬が紅潮し、仙道は期待せざるを得ない。が、牧のことだった。
「…どうして?」
 慎重に仙道が訊ねると、牧は言葉に詰まったように視線を手元に落とした。
「…はじめはおまえのプレイに目を引かれた。それからおまえを目で追うようになって、2年になったおまえと実際に当たることが出来た。それからは試合でなくても気づくとおまえを見ていた」
 それって。
「おれと同じ」
「だが気が付かなかった。今まで。おまえに言われても。あれから何か月も経っている。もちろん人の心は変わる。だから」
「…なんで気が付いたの?」
 牧の顔が今度こそ赤くなって目が瞠られた。それがあらぬ方向に逸らされて、声が小さくなった。
「道路に落ちていたおまえ宛のプレゼントを見た時だ」
「今日?!ってかさっき!!」
「…そうだ。おまえへのプレゼントをいくつも抱えて持って歩きながら、どうしてこんなにイライラするのか考えた。そうしたら答えがわかった」
「牧さん…」
「だがおまえは俺が気になってしかたがないとしか言っていない。それはどういうことなんだ?」
「それはさ、」
 恋人になりたい、と言ったのにこの鈍い人には届いていなかったようだった。仙道は席を立ち、牧の座る側へ歩いて回った。
「あんたに惚れてるってことです」
 言って屈み、キスをその唇に落とすと、牧の顔が面白いように赤く染まった。
「あんたは?答えってなに?教えてください」
「そんなのわかるだろう」
「あんたの口から聞きたいんです」
 だってこんなに待ったんだから。
「おまえが…おまえをこの中の誰かに取られると思ったら」
 そう言うと牧はいきなり立ち上がった。背を見せて冷蔵庫を開けて、その姿に仙道はまたしても戸惑わされた。振り返った牧に突き出されたものに目を落とすと、そこには板チョコが一枚。
「母が買ってきたものだが間に合わないとまずい。すまない」
 何がまずいの。
 笑いが耐えきれそうになくなって、仙道は牧に両腕を伸ばした。
「ありがとうございます。おれはあんたが好きです」
「うん…俺こそ…その、ありがとう」
 抱きしめると腹の辺りでもぞもぞと板チョコを持ち替えているような仕草が感じられて、やがてその手がゆっくりと自分の背に回り、仙道は笑った顔を牧の肩に埋めた。






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