stretched interpretation
目が覚めると隣が空だった。ブラインドから漏れる光はまだ弱い。珍しいこともあるもんだと牧は隣の空の空間をしばらく眺めて、体を起こした。
シャワーでも浴びているのかと洗面所に行くがその様子もない。ついでに口を濯ぎ、歯ブラシを咥えて廊下を歩くと、リビングのドアに嵌められたガラスから床に伸ばした足首が見えた。少し驚いて近づくと、足首から長い脛を辿って膝上まで見えて、時折それは揺れて、滑らせるように伸ばされた腕が見えた。
ストレッチをしているのかと合点がいって眺めていると、足の先まで真っ直ぐに延ばされた指に目が留まった。昨夜、手に掴んだ感覚を思い出した。
仙道の足の指は長くて、爪もきれいに切り揃えられている。それが自分の動きに合わせて何かを掴むように広げられたかと思うと一点に集中するように縮められた。気を取られて踝に唇を寄せた次の瞬間にきつく締めあげられて持っていかれそうになり、足を抱えたまま仙道の顔の横に手をついた。仙道はその自分の腕に顔を寄せ、眉を潜めたまま手首に唇を押し当てた。
リビングには入らずに意識を昨夜に飛ばしてぼんやりとドア越しに眺めていると、足首から力が抜けて足先が上を向いた。もう一度伸ばされた爪先が見たくてそのまま佇んでいると、伸ばされた膝の上にいつの間にか倒されていた悪戯そうな笑いを浮かべた顔がこちらを見ていた。自分の考えていたことがわかったわけではないだろうがなんとなくバツは悪くて、咥えていた歯ブラシを思い出したフリをして洗面所に向かった。
うがいをして顔を上げると鏡の中、左手の開け放した洗面所のドアの上枠に手をついてにこにこと笑った顔があった。目が合って内心の驚きを隠して壁にかけられていたタオルを手に取った。
「おはよ」
「ああ…早いな」
「うん、なんだか寝てられなくてさ。起こしちゃった?」
「いや…。ストレッチしていたのか?」
「うん。見てたの?」
目が合ったのだから気づいていたはずだが、そう聞いてきて仙道はまた笑った。自分の顔を覗き込むようにしている鏡の中の仙道の横顔を見つめ、何も言えずにいると、「なんてね」と突いた手に弾みをつけて戻ろうとしたので、牧は咄嗟にその腕を掴んだ。
「なに?」
「いや、手伝おうか?」
「なに?ストレッチを?」
またこちらを見ていたあの悪戯そうな顔と同じ笑みがその顔に浮かんだ。
掴まれたままの腕で逆にこちらの手を引っ張るようにして仙道が廊下を進む。その背についてリビングに入り、何を企んでいるのかと思えば覗いていた時と同じ、センターテーブルが寄せられて場所を広げたソファの前に敷いたマットに足を広げて座り込んだ。本当にただのストレッチかと肩透かしを食らう。
「なんか違和感があるとかじゃないよな?」
「うん、それはない」
促されて牧は仙道の背後に回った。
「上肢か?」
「うん、お願いします」
肩甲骨に膝を当てて、折り曲げた両肘に手を当てて後部上方へゆっくりと引く。そこから膝を下に滑らせて固定し、ゆっくりと仙道の体を左に捻る。
「うぁー…牧さん力あるから効くわ」
「違和感あったら言えよ?」
「うん」
膝頭に緩くうねる筋肉の流れを感じながら3回捻ると、今度は右にゆっくりと捻っていく。仙道の頭が時折耐え切れないように上がり、見下ろすと開いた口の中に白い歯の並びが見えた。何かがまずいような気がして、牧は手を離すと、「うつぶせろ」とぶっきらぼうに命じた。
「え?」
「前腕やってやる」
「うん」
大きな体で身軽く足を引き寄せると仙道は言われた通り素直にマットの上にうつぶせた。その脇に移って、肩甲骨に片手を置き、反対の手でそっと腕を上に持ち上げていく。Tシャツ越しではあっても手のひらの方がさらに肌の下のうねりが感じられるようだった。少し肌寒いかなと思っていた肌が、ストレッチを手伝う側にもかかわらずに暖まっていく。
「う…ん」
「痛いか?」
「う…うぅん、気持ちい…」
なんとか左右両腕を終わらせると、牧は無言で腕をひっぱり体を仰向けに返した。仙道の正面に回り、こちらの意図が読めないように見上げてくる顔の後ろに手をやって頭を床にぶつけないようにそっと倒していく。そうして足の間に入り、肩に右足を背負った。今度は下肢かな、と心得たのか仙道は何も言わない。床に置いたままの左足の上に跨ぎ、真っすぐに足を伸ばさせたまま体に乗りあがるように足を上にゆっくりと開かせていく。頭の脇にきた爪先が外に向かないように手で寄せると親指の乾いた感触が耳に掠めた。無理をさせていないか顔に目をやると、気付いた仙道が笑ってきた。
「これって、」
余計なことを言いかけたなと感じて少し力を入れて伸し掛かると、仙道は唇を閉じて眉を寄せた。
「ちょ…!ちょっとイタイかも」
力を入れ過ぎたか、と慌てて体を引くと、耳の傍の指が今度は頬を掠めた。痛いと言った顔が笑っている。長い前髪の下で笑いながら目を細めて見上げてくる視線、その表情に牧は動きを止めた。
「ねぇ、もういいよ」
そう言いながら足は肩から降ろさない。牧も支えた手は離さずに、唇を締まった足首に寄せて舌を這わせた。放り出されていた仙道の手が蠢いて同時に両膝を撫でてくる。牧は堪能した足首をゆっくりと降ろして、仙道の顔の脇に両腕を突いた。
ゆっくりと顔を降ろして口づけると、その唇が笑ったように感じて牧は顔を上げた。
「さっき見てたよね。なんで誤魔化すかな」
やっぱりか、と思いつつ逃げられずに頭から離れない残像を口にした。
「…足首が」
「足首?」
「なんでもいいだろ」
「言ってよ」
「黙ってろ」
「え、牧さんって足首フェチ?」
なのかもしれない。
そう頭に浮かんだが答えはしなかった。にやにやと笑う唇をキスで塞ぐと、仙道の両手がTシャツの中に入ってきて背中を撫で上げていく。
「俺は牧さんのどこが好きかな」
肌を這いまわっていた手に引っ張られてTシャツを屈めた首から引き抜かれる。
「やっぱここかな」
両掌をピッタリと胸に当てられて体の線に沿って滑らされていく。
「…ここかな」
腰まで回ってきたところでその両手を取って床に縫い付けた。
「足首が一番好きなわけじゃないぞ」
「…うん、知ってるよ」
体に絡みつく長い手足も、甘く寄せられる唇も、時折繊細な視線を寄越す目も。
全てが自分を捉えて離さない。
end