青嵐
自分の打ったメールの文面をもう一度確認してため息をつき、覚悟を決めて送信したところで「三井先輩」と声をかけられて顔を上げた。
湘北のバスケ部マネージャーがニコニコ笑ってフェンスの外から手を振っていた。モバイルをカバンに突っ込み、腰を上げてそれへ近づくと「おはようございます!」と元気のいい声がかかった。
派手な容貌をしているが化粧っ気はなくて、巻かれた髪の毛を無造作にひとまとめにしてキャップに突っ込んでいる。媚びるところの一つもない健康的な笑顔に、三井は気を張っていた心が浮上するような気がして、自然に笑えて挨拶を返した。
「よう、おはよ。今日はおまえかよ。毎回来なくったって大丈夫だって」
「気になりますよ。後輩の面倒押し付けたようなものだったから。でもホント…大丈夫っぽいっすね」
彩子がチラリと流川の方へ視線をやって手を振るのに、三井は頷いた。
「素直なもんだぜ? 時間に遅れてくることもないし」
「んーさすが三井先輩! やっぱバスケ絡みだとヤツもおとなしくなると思ったわたしも天才!」
先日来た木暮から聞いた話しでは、実は流川の家庭教師は三井の前に二人いたらしい。そのどれも流川に愛想を尽かして自分から辞めていったとか。
確かにあのふてぶてしい態度と愛想のなさは、共通の接点でもなければ大目にみてやれない人間もいるのかもしれない。
「また授業すっぽかしでもしてたら説教の一つもしてやろうと思って来たんですけどね」
「今んとこないぜ? 教えてる間もボーッとしててちゃんと聞いてんのかは謎だけどな」
「あの流川を机に向かわせたことが奇跡ですよ! 前の家庭教師の時なんて授業の途中で、バスケするって出てっちゃったらしいし」
あり得そうで三井は笑った。
「じゃあ朝にこうやってバスケ付き合ってやってんのがいいのかな」
「なんかそこまで…申し訳ないです」
「いや、俺も夏は部を休んでるけど、自分のペースで体は動かしてぇからちょうどいいしよ。明日なんか一緒にプール行くぜ?」
「へ? 誰と?」
「誰って。だから流川」
「え? 流川が行くって言ったんですか?!」
「いや、あいつから声かけてきたぜ?」
「…え? えぇーっ?!」
大げさに大きな目を更に剥いて驚く彩子を見て、そこまでか?と思う。まあ確かに友達が少なさそうなやつではあるけれども。
「あの流川がねぇ…」
信じられないというような顔をしている彩子を見て、三井は流川を振り返った。立ち話をしている自分達には全く興味を示さないようで、一人シュート連を続けている。
先日木暮が来たときには何が気になるのか、こちらに顔を向けて何やらサインらしきものを送っていた。
全く意味はわからなかったが、サボらず真面目にやっていると伝えろということだったのだろうか。二人が心配して様子を見に来るところからして。
「だって性格はともかくあの顔だからすんごい女の子にモテるんですよ。でも誰にもなびかないどころか興味も全然示さなくて、それをまた男子に嫌われるという負のスパイラル」
「…ふーん?」
まあ確かにそんな感じなのかもしれない。
三井は初対面の印象を思い出した。だがそれを本人が気にしてる様子も見られない。全くのマイペースで我が道を突き進んでいるバスケバカ。
嫌いじゃねえけどな。
それでも不器用に市民プールに誘ってきた流川を思い出して、かわいいとこもあるんだけどなぁと考えて、三井は首を振った。
いやいや、かわいいって。
「興味を示すのがバスケだけだと思えば腹も立たないんですけどね」
「…そうか?」
それにしちゃーちょいちょいいろんなことを聞いてくるな?
三井の頭に少し疑問が生まれたが、あの狭い部屋で二人することといえば勉強しかないと考えれば、どんなことでも他に逃げたくなるのかもしれない。
湘北のマネージャーと別れてコートへ行くと、そのぶすったくれた顔が三井を迎えた。『遅い』と顔に書いてあるようだった。それも懐いた証拠と思えば確かにかわいかった。
「待たせたな。ホラ、やろうぜ? おまえからでいいから」
「トーゼン」
ボールを持てば顔つきが変わる。自分より少し目線が下の中学生が瞬間大きく見えて、三井は気合を入れ直した。
プールからこっち流川の態度がおかしかった。なるほど、これが前任者2名を辞めさせた反抗か?と思ったが、どうもそれとも違うような気がする。
授業の途中で出て行くことはなかったし、時間に遅れることもない。朝のバスケの練習も続いている。
だが人の目を見て話さなくなった。前は不躾なくらいの視線を平気でくれて、無表情ながらその考えていることを感じ取れていたような気がしていたのに。
かと言って無視されているわけでもない。気づけば流川の視線がこちらを向いていることもあって、だが視線が合う前に逸らされる。なんかやったかな、と考えてみるが、特に変わったことはなかったように思われる。
「スマホ」
「へ?」
机に向かう流川の横顔を盗み見ながら要因となりそうなものを探っていると、不意に声をかけられた。顔はやっぱりノートの上に向けられたままだった。
「この頃見ない」
「あ…ああ、ゴメンな。もうこの時間は電源落としてるから」
「いいの?」
なにが、と聞こうとして、流川が珍しく自分へ顔を向けたのに気づいた。顔だけでなく、椅子に座った上体を捻るようにして三井に体ごと向いている。
「カノジョ」
ああ、そういうことか、と思った。なんだかんだいってこいつもお年頃ということだ。
「なんだよ、好きなコできた?」
ニシャっと笑って聞くと流川の眉が怪訝気に寄せられる。
「あんたの話ししてる」
「俺のはいいんだよ」
「よくない」
なんで?
三井は何の話しをしていたんだっけ?と考えた。
そう、スマホ。で、カノジヨ?
見れば流川は真剣な顔をしていて、こちらをからかおうとか好奇心で、とかいうそんな軽い雰囲気ではない。
「別れた」
その顔に気圧されたわけではないが、正直に答えると流川の眉からふっと力が抜けた。もっと突っ込んでくるかと思っていろいろ説明する言葉を考えたが、それっきり流川は机に向かって自分を見なかった。
付き合ってた女の子と別れたのは本当だった。元々が友人に紹介されて、無責任だったかもしれないが、かわいいしまあいいかな?ぐらいで付き合い始めた。
それが付き合っているうちにどうにも行動が縛られているような気がしてだんだんと面倒になってきた。そんな自分勝手な理由をこの無愛想でいながら何かと自分を気にかけてくる中学生に言いたくはなかった。
「おれ、センセーが好きかも」
流川の顔は机に向いたままだった。
言ったことは聞き取れたけれども少し理解するのに時間がかかった。どう捉えていいのかわからなくて流川を見たが自分を見ることはなかった。
つまり、家庭教師として?か、年上の友人としてだな、と解釈して「サンキュー」と返すと、机に向かっていた流川がまたこちらを見ていた。
「プール楽しかった」
「寒かったけどな」
「うん。また行きたい」
「今度は暑い日な」
「寒くてもいい」
「やだよ」
思ったままを返すと流川は無表情ながら拗ねたような面になって、視線がまたノートに戻った。
この頃の年頃ってナニ考えてたかな。
ふと三井は自分の頃を考えてみたが、特に何も思い出せなくて流川のその整った横顔を見て溜息を一つついた。