better late than never
郵便受けに手を突っ込み、手に触れたものを掴んで引き出そうとすると、あまり広くはない枠に新聞がひっかかり、折りたたまれた角の部分が少し破けたように見えた。あ、と束の間新聞に目を落としたが、流川はそれ以上気にすることなく郵便受けの扉を閉めた。数歩歩いてまた戻り、郵便受けのロック式のつまみを回し鍵をかける。これをやらないと大風が吹いたときに小さな扉が風圧で開いて中の郵便物がロビーに散乱するのだ。
行ったばかりのエレベーターを見てため息をつき、壁に寄りかかって待つこと数十秒。降りてきた犬に足元の匂いを嗅がれながらそのリードを持った老人が降りるのを待って、すれ違いにエレベーターに乗り込み、奥まで進んでまた壁に寄りかかり目を閉じた。ドアが開いた気配に目を開くと、そこはなぜだかまだホールで、乗り込んできた女性が流川を見て顔を赤く染めた。
「何階ですか?」
尋ねられて、行先階数のボタンを押していなかったことに気が付く。
「14階。お願いシマス」
告げてまた目を閉じる。犬。飼うんだったら犬より猫がいい。どっかで拾えねーかな、と考えていると箱が止まる気配があって、目を開くと一つ下の階だった。降りる女性の会釈に自分の頭も下げる。14階がこのマンションの最上階で、この階には自分たちの家しかない。玄関ドアを開き、真っすぐにリビングまで進んで続きのダイニングに足を踏み入れる。ダイニングテーブルの窓際の端のPCの隣に新聞を置き、キッチンに入って手を洗った。冷蔵庫の中を覗いて牛乳を取り出す。手に持ったパックの軽さに少し考え、開いてそのまま飲もうと口をつけると「こら!」とリビングに入ってきた三井から声がかかった。
「直飲み禁止っつったろ」
睨んでくる三井に、「もうない」と、軽いんだと示そうとパックを持った右手を上下に振る。
「あーシリアルにしようと思ってたのにな。パンまだあったかな」
「冷凍チャーハンがいい」
「朝からか!」
笑いながらキッチンに入ってきた三井が手際よくコーヒーメーカーをセットし、自分の所望したチャーハンを冷凍庫から出してレンジに突っ込む。それを牛乳をパックからラッパ飲みしながら目で追っていると、「お、新聞取ってきてくれたのか」と声がかかって、流川はこくりと頷いた。
朝、目が覚めるとベッドの隣はすでに空だった。手をやってまだ暖かいことに安堵して廊下に出ると、バスルームを使う音がした。これ幸いと乱入しようとしてふと思いつくことがあり、リビングを覗くとそこにはまだいつも目にするアレがなかった。
はじめは違和感があった。実家にも普通に置いてあったはずだが、匂いが外の、何か別の世界のものを連れてくるように感じられるアレ。自分では手に取ることはないもののいつの間にかまたなくてはならなくなったもの。朝いつもは三井が自分で取りに行くが、自分が取って来てみたい、とただ思った。が、「サンキュ」と声をかけられると自分のためではなく、三井のために動いたのだと思われていそうで、そうではなくて、と説明したかったのだが、特にその必要はないのだと考えて流川はそのまま「うん」とこたえた。
結局自分の朝食を別に作るのが面倒だったのか、三井も同じチャーハンを食べてテーブルの上の皿をまとめて席を立つ。「もう一杯飲むだろ」と声をかけられて、返事をする前にミルの音がキッチンから響き渡った。一般にコーヒーを飲むと目が冴えるそうだが、流川は逆にこの匂いを嗅ぐと反射的に瞼が重くなる。それは二人揃った休日の、特には決めてはいなかったが習慣となっていて、その記憶が自分をリラックスさせる合図になっていたのかもしれない。ソファに身を預けると心地よい眠りがすぐにやってくる。
起こされたのは大きな笑い声だった。
「これ」
やかましさに目をやると、いつの間にか三井が流川の座るソファの反対側のひじ掛けに浅く腰掛けいて、その上体は手に持っている広げた新聞で見えなかった。が、視線を感じて目を凝らすと、新聞の中央あたりに穴が開いており、そこから悪戯そうな三井の笑う目が見えた。
「おまえだろ、これ」
破られた新聞を怒りもしないで、何のツボに入ったのやら笑い転げている。見つめ続けていても止まらない笑いは浅く掛けていた体を傾けさせて、屈託なく笑い続ける顔ごと流川の隣に倒れてきた。流川に逆さまに見せた笑顔に朝日が当たって白く光って見える。今日は晴れたんだ、とその笑顔を見て気づく。胸がぎゅっと痛くなって、流川は上体を倒して、当たる光に眩しそうに目を細める三井に逆さのまま口づけた。上機嫌そうな唇が笑みの形のまま流川にキスを返した。
「どっか行くか?晴れたし」
「…いい。このまま。このままがいい」
三井の口角がさらに上がるのを見て、流川は再び上体を倒して三井に口づけた。
end
special thanks to aiko-san
行ったばかりのエレベーターを見てため息をつき、壁に寄りかかって待つこと数十秒。降りてきた犬に足元の匂いを嗅がれながらそのリードを持った老人が降りるのを待って、すれ違いにエレベーターに乗り込み、奥まで進んでまた壁に寄りかかり目を閉じた。ドアが開いた気配に目を開くと、そこはなぜだかまだホールで、乗り込んできた女性が流川を見て顔を赤く染めた。
「何階ですか?」
尋ねられて、行先階数のボタンを押していなかったことに気が付く。
「14階。お願いシマス」
告げてまた目を閉じる。犬。飼うんだったら犬より猫がいい。どっかで拾えねーかな、と考えていると箱が止まる気配があって、目を開くと一つ下の階だった。降りる女性の会釈に自分の頭も下げる。14階がこのマンションの最上階で、この階には自分たちの家しかない。玄関ドアを開き、真っすぐにリビングまで進んで続きのダイニングに足を踏み入れる。ダイニングテーブルの窓際の端のPCの隣に新聞を置き、キッチンに入って手を洗った。冷蔵庫の中を覗いて牛乳を取り出す。手に持ったパックの軽さに少し考え、開いてそのまま飲もうと口をつけると「こら!」とリビングに入ってきた三井から声がかかった。
「直飲み禁止っつったろ」
睨んでくる三井に、「もうない」と、軽いんだと示そうとパックを持った右手を上下に振る。
「あーシリアルにしようと思ってたのにな。パンまだあったかな」
「冷凍チャーハンがいい」
「朝からか!」
笑いながらキッチンに入ってきた三井が手際よくコーヒーメーカーをセットし、自分の所望したチャーハンを冷凍庫から出してレンジに突っ込む。それを牛乳をパックからラッパ飲みしながら目で追っていると、「お、新聞取ってきてくれたのか」と声がかかって、流川はこくりと頷いた。
朝、目が覚めるとベッドの隣はすでに空だった。手をやってまだ暖かいことに安堵して廊下に出ると、バスルームを使う音がした。これ幸いと乱入しようとしてふと思いつくことがあり、リビングを覗くとそこにはまだいつも目にするアレがなかった。
はじめは違和感があった。実家にも普通に置いてあったはずだが、匂いが外の、何か別の世界のものを連れてくるように感じられるアレ。自分では手に取ることはないもののいつの間にかまたなくてはならなくなったもの。朝いつもは三井が自分で取りに行くが、自分が取って来てみたい、とただ思った。が、「サンキュ」と声をかけられると自分のためではなく、三井のために動いたのだと思われていそうで、そうではなくて、と説明したかったのだが、特にその必要はないのだと考えて流川はそのまま「うん」とこたえた。
結局自分の朝食を別に作るのが面倒だったのか、三井も同じチャーハンを食べてテーブルの上の皿をまとめて席を立つ。「もう一杯飲むだろ」と声をかけられて、返事をする前にミルの音がキッチンから響き渡った。一般にコーヒーを飲むと目が冴えるそうだが、流川は逆にこの匂いを嗅ぐと反射的に瞼が重くなる。それは二人揃った休日の、特には決めてはいなかったが習慣となっていて、その記憶が自分をリラックスさせる合図になっていたのかもしれない。ソファに身を預けると心地よい眠りがすぐにやってくる。
起こされたのは大きな笑い声だった。
「これ」
やかましさに目をやると、いつの間にか三井が流川の座るソファの反対側のひじ掛けに浅く腰掛けいて、その上体は手に持っている広げた新聞で見えなかった。が、視線を感じて目を凝らすと、新聞の中央あたりに穴が開いており、そこから悪戯そうな三井の笑う目が見えた。
「おまえだろ、これ」
破られた新聞を怒りもしないで、何のツボに入ったのやら笑い転げている。見つめ続けていても止まらない笑いは浅く掛けていた体を傾けさせて、屈託なく笑い続ける顔ごと流川の隣に倒れてきた。流川に逆さまに見せた笑顔に朝日が当たって白く光って見える。今日は晴れたんだ、とその笑顔を見て気づく。胸がぎゅっと痛くなって、流川は上体を倒して、当たる光に眩しそうに目を細める三井に逆さのまま口づけた。上機嫌そうな唇が笑みの形のまま流川にキスを返した。
「どっか行くか?晴れたし」
「…いい。このまま。このままがいい」
三井の口角がさらに上がるのを見て、流川は再び上体を倒して三井に口づけた。
end
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