our funny valentine

 3年生の教室まで行って扉の上部のガラス部分を少しかがんで中を覗くと、学ランが5人、現国の先生が1人見えて、そののんびりとした緊張感のなさにいつかテレビ番組で見た山村の小学校の授業風景を流川は思い出した。
 学ランの3人まで見知った顔で、その中の一人がバスケ部のセンパイだった。
 5分に一度は大きく欠伸をして首を回す。どうみても授業に集中はしておらず、それならとっとと出てこい、と睨みつけていたけれども、どんなに念を送っても鈍いセンパイには届かないようだった。
 しばらく眺めていたけれども、まだまだ授業は続くしセンパイは自分には気づかないようだったので、その時間をどこか寝て過ごせる場所はないかと辺りを見渡し、隣の空き教室に入って机に座り、いつもの授業中のポーズ通りに両腕に頭を預けて、流川は目を閉じた。

 ボソボソと続く話し声がうるさかった。意識が浮上しきらない頭を巡らし、見覚えのない教室と自分ひとりであることを見て、はてここはどこだったかと考え、そうだ、センパイを連れ出しにきたのだと思い出して流川は席を立った。
 廊下に顔を出すと、待っていたセンパイとそれに知らない女が一人。
 ボソボソ続いていた声はコイツか、と思うと眠りを妨害されたことが思い出されて腹が立ち、大股に歩を進めて三井の腕を取り階段のある方向へ引っ張った。
「ちょっ…!なんだよ、いきなり!離せ、流川!」
 なかなか動かない腕に後ろを振り向くと三井が足を動かさず踏ん張っており、手は自分に取られて倒れそうになっている。どんくさい。
「部活デキン」
「はあっ?!」
「出禁」
「ナニ言ってっかわかんねーよ。とにかく腕離せって!」
 まだ知らない女に用があるのかとむかついて掴んだ腕を更に引っ張るとようやく三井は足を動かした。ついでに女が両手で差し出していた小さい紙袋を掬うようにして受け取る。
「わるい、部活行くわ。これありがと」
 自分に引っ張られながら、なんだかカッコつけた聞きなれない声を出す三井を流川は横目で睨んだ。
 ようやく隣に並んで腕を回して自分の手を払い、「日本語で話せ」といつもの面倒くさそうな声をだす。ムカつくけど、さっきの声よりよっぽどいーと思いながら、流川はカバンを肩にかけ直した。
「部活来るなって。宮城センパ…キャプテンが」
「はあ?なんかやったの、おまえ」
「なんも」
「イミわかんねー。とりあえず体育館行くぞ」
「っす」
 本校舎から体育館への連絡通路に足を踏み入れようとして、隣を歩いていた三井が足を止めた。
「うわっちゃー。コレか」
 体育館の周りにはなぜか人が沢山いた。抜けてくのメンドーそうだ、と思っていると今度は三井に腕を取られて元来た廊下に引っ張られた。
「おい、ひっかえせ!」
「部活…」
「今日はムリだろ!」
 折角捕まえてきた三井にまで同じことを言われて流川は落胆した。仕方ないから正面突破してくれようかと考えていると、反対から宮城が歩いてくるのと行き会う。
「あ!流川、おまえ、今日は体育館来んなっつったのに!」
「バスケ練習し」
「だまっとけ!宮城、こいつ外連れてくから」
「すいません、三井さん。あ、正門もダメ。違うガッコの生徒張ってる」
「あー…わかった。じゃあ裏から出るか。ほら、行くぞ、流川」
「イヤだ」
「駄々こねてんじゃねぇ。練習ならおれが付き合ってやるから」
 流川は三井を見た。
 取られていた腕はそのままに、流川は三井が促す方向へ素直に従った。



「もう見えねーな」
 公園にある外灯はコートからは少し離れていて、まだ冬の短い陽はあっという間に落っこって辺りはもう暗く、ボールと地面の境を曖昧にしていた。
 掴み損ねて転がったボールを拾い上げ、見当をつけてリングに放つと、パシュッという音がしてそれでリングを通過したことがわかった。
「おー」
 大して驚いてもいないような声が上がり手を叩く音がする。
 白い息が上がって、その向こうに地べたに座りこんでいる三井が薄暗闇の中に見えた。
「もう終わりな」
「まだ足りねー」
「ムリだろ。見えねーよ」
 ボールを拾いに行き、バウンドさせて再度放つと、リングとバックボードに当たった大きな音がして顔を顰める。
「ほら。ラーメン奢ってやるからよ」
 言われて、腹が空いていたことに気づく。
 息をつき、ボールを拾って手の中で回し、ついていた細かなゴミを払った。
「おまえさ、」
 三井が立ち上がりながら声をかけてくる。
「今日、帰ってきちゃってよかったの」
 言いたいことがわからず、薄暗闇の中の三井の表情を探す。尻についた枯葉を払う仕草を見せてから、三井は自分に近づいてきた。
「チョコ。なんも聞かず引っ張ってきちまったけど。もらってこなくてよかったのか?」
 脳裏を過ったのは廊下で向かい合う三井と女。三井が女の手から掬いあげた薄い色の小さな紙の手提げ。
 ああ、この人はもうもらったから自分に付き合ってくれたということか?
「別に。いらない」
 チョコだかなんだか三井がもらっていたものと似たようなものなら朝から下駄箱や机の中に何個も突っ込んであった。メンドーだからそのままにしてあるけれど、明日片付けがやっぱりメンドーだ。流川は想像してうんざりしたように肩を竦めた。
「ハハ、あっそう」
「あんたはもらってた」
 近づいてきた三井が目を瞬いて見てくる。
「おまえぐらいだな、あーいうとこで邪魔いれてくんの」
「付き合うの?」
 三井は大きな目を更に見開いた。でけー目。茶色の。
「今日会ったばっかの子だし。んなのわかんねーよ」
 チョコなんていらねーけど。
「おまえは?気になるやつとかいねーの」
 気に入らねーやつならいる。目の前に。
 体育館に土足で乗り込んできたり。
 なのにバスケ上手かったり、子供みてーなバカやったり、練習に付き合ってくれたり、バカみたいに笑ったり、チョコもらってカッコつけてたり、顔中ぐしゃぐしゃに濡らして泣いたり。
 もうすぐいなくなっちまったり。
「チョコ」
「へ…?」
「欲しい」
「はい?おまえ、いまさらなにを…」
 三井との間を一歩詰めて、チョコレートみたいな瞳を舐めた。舐めたと思ったら瞼を閉じられていて、そこを舌で触れた。睫毛が舌先に触れてチクチクして、瞼越しに眼球が動くのが感じられる。
 もちろん甘くなんかなくて少ししょっぱかった。汗かな、と思ってもう一度舐めようとしたら三井が両手で自分の顎を押さえていて下を向けなくなっていた。
 ムカついて顎に力をいれて下を向くと、暗闇のなかでもわかる真っ赤な顔の三井が自分を見返していた。
「誰とも付き合わないで」
 顎を支えられたまま強請ると、目の前のチョコレート色の瞳が揺れた。
「オレとずっと一緒にバスケして」
 顎から手が落ちるように離されて顔が自由になる。
「おまえ…欲張りだな。おまえ…」
 センパイはぽつりぽつりと溢したきりいつもみたいに怒りだしもしないし喚きもしない。拍子抜けするようでいて胸の奥が締められるようにむずがゆくて、もっと近くにきて欲しくて両腕を伸ばして目の前の体を抱きしめた。
 すれ違った耳が冷たくて、でも触れ合った体は暖かい。
 ポンポンと背中を叩いてくる手に、そーじゃねーと思いながら、でも心地よくて目を閉じて三井の首に顔を埋めた。


[newpage]


「さびー」
 確かに体の前面はあったかいが、背中はしんしんと冷えてくる。
 シャツ一枚でバスケをしていたから、汗をかいた体が冷えて、気づけば手先も冷たくなっていた。
「ラーメン行くぞ、ほら」
 ポンと最後にもう一度背中を叩くと、流川は渋々といった様子でのろのろと両腕を解いた。
 それぞれにカバンの上に投げ捨ててあった学ランを羽織り、コートに腕を通す。
 首を振ってついてこいと促すと、すぐに隣に自分よりも大きな体が並んだ。
「…ずっと一緒にバスケしたいってさ」
 返事はないがこちらを窺う気配があって、三井は続けた。
「今となんか違うの」
 ここは大切なところだ、と三井は思う。
 告白されたわけでもなくて、目玉を舐められただけ。咄嗟に目を瞑ったけれど。
 初めて会ったときよりもなんとなく流川の心の動きは読めるようになってきた、とは思うけれど、もしかして自分がとんでもない勘違いをしている可能性もある。だって流川だから。
 バスケだけ流川と一緒して誰とも付き合わない、というのはあり得ねーよなと三井は思う。
 びっくりした。あのトーヘンボクがこんなことを言ってくるなんて。
 心臓がとび跳ねてドキドキして、流川も男なのに嫌悪感はまったくなくて、却って優越感のようなものが湧いてきて、女の子にチョコレートをもらったときよりも断然気持ちが浮ついた。
 これってそういうことなんだよな、と自分で思うから、今のうちに言質は取っておきたいのだ。
 ちらっと隣を見ると大層難し気な顔をして眉間に皺を寄せている。
 あれ、やっぱりおれフライングした?と思うと、逆に流川の気持ちを自分に向かせたくなって、でもこれ以上なにを言ったらいいのかわからなくて、小石を蹴った爪先を見て口先が尖がる。
 もうすぐ湘北メンバーともよく部活帰りに寄るラーメン屋の灯りが見えてくる。ラーメンすすって駅で別れて、明日またガッコ行って部活で会って、バスケして帰りラーメンすすって。
 楽しいけど、それだけじゃねーよな!意を決して顔を上げると、自分を見ていた目と合って不本意ながら顔が赤らむのを感じる。
「あんたのトクベツになりたい」
 ぐっときて、だから続けられるような言葉喋れよ!と思う。
「…つ、付き合いたいとか?そーいうことか?」
 不格好にどもってしまって舌打ちしたくなる。
「またカッコつけた声だした」
「…はぁ?!」
 カッコつけたのまえに「また」がついてる。なんだそれ、と雰囲気忘れて頭にのぼりかけた血が、流川の目を見て勢いがしぼんだ。
「いつものあんたがいい。いつものあんたが好き」
 言った…。言われた。
 よっしゃ!心の中でガッツポーズを作るが、それでも顔は赤くなるし気持ちはどこまでも浮ついて上がっていく。
「うん…」
 挙句言えたのはこんな一言。
 それでも流川には十分だったらしくて、口角がわずかに上がった口元を信じられない思いで見る。
 初めて見たな、笑ったとこ。
 そう思うと体は勝手に動いた。
「流川、こっち」
 ラーメン屋の手前の小路を折れて、街灯の明かりが届かない壁際に後輩を連れ込む。
 このままラーメンってこたーナイだろ、と自分より少し高い位置にある後ろ首に片手を回して引き寄せる。
 小さく息を飲んだ唇にキスして素早く離れた。
 少し乾燥した唇は柔らかくて、吐息がくすぐったくて、自分は間違っていなかった、と確信して三井は満足した。
「行くぞー」
 いつ見てもムカつくくらいに整った顔が驚いたような惚けたような表情をさらしていて三井は笑った。
「チョコの代わりなんでも好きなやつ奢ってやる」
 下を向き、顔を片手で押さえた後輩が近づいてきたと思ったらそのまま体当たりされて腕に囲い込まれる。
「ぉい!」
 路地は暗いけれどいつ人が入ってくるかわからない。焦って腕を突っ張ってもバカ力は緩まない。
「先輩がワルイ」
「あ、桜木」
 途端にパッと解かれる腕に苦笑が漏れた。恨みがましく見てくる目に笑って大通りに足を戻す。背後についてくる気配を感じてくすぐったくなる。
「食い終わったら公園」
「…いーけど。なんで」
「続き」
 背中から強請られて、自分でもどうかしてるというくらい三井は顔をニヤつかせた。

 
 


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