glam you up
フライ返しを握りしめ、ウンともスンとも返してこないAIアシスタントを三井は睨みつけた。
コンロの火を止めてまだ3つの卵が半熟加減にも早いベーコンエッグを用意しておいた大皿の上にフライパンから慎重に移し、両手でその皿を持ってキッチンからダイニングにすり足で抜けて、テーブルの上のどんぶり飯とこれまた大皿のサラダの隣にそっと置く。
そこからは大股にリビングを出て乱暴に音をさせて寝室のドアを開くと、自分が抜け出した時から寸分変わらない山がベッドの上でピクリともしない。
「流川ぁーーー!!」
怒鳴るとその山が申し訳程度に動いた。が、やはり起きる様子はない。
近づいて布団を掴み力を込めて引っ張ると、丸まった大きな体から剥がれた布団は、あっけなく三井の手にあった。
「おら、起きろ! 何のためのアレクサだよ! こっちは朝食の準備してんの! 手間かけさせんなって」
言いたいことを全て言う前に伸びてきた長い腕が布団の端を掴んで引っ張る。
取られるまいと三井が踏ん張ると、突然起こしてきた上体から伸びた逆の腕に腰を掴まれて、気が付いたときには暖かいベッドの中だった。
宥めるようにポンポンと背中を叩かれ、ついでにフーと溜息までつかれて三井の眉間に深く縦皺が寄る。
足を使って布団を蹴上げると目を固く瞑ったままの流川が、「かえで」とボソッと主張した。
「あぁ?」
「かえで。まちがえないで、ひさしさん」
ああ。
三井は寄せていた眉を開いた。
どうしても叱る時は先輩面になって、呼び名が慣れた姓になる。
「さっさと起きろよ、かえでちゃん。先方に迷惑かけんな」
「…行くのメンドー」
そう言って流川は三井の背中に回した腕をきつく締めて、肩口に額をごりごり押し付けてくる。
「行かなきゃダメ? せっかくの休みに」
甘えたような物言いに三井の心も簡単に揺らいで、語調が少しばかり穏やかになる。
「取材があるから休みもらったんだろうがよ」
でなければ試合はなくとも今日も練習だったはずだ。
「…バスケ雑誌でもないし」
「…いいか、楓」
低く声を作ると眠さで不機嫌そうな顔が渋々と上げられる。
長めの前髪をかきあげてやると年を重ねてなお衰えないどころか、研鑽した月日に見合って艶を増した男の美しい顔が見上げてくる。
朝の光の中で、それは付き合いの長い三井でも見惚れる程だ。
「今日のおまえは日本のバスケ界を背負ってると思え。生かすもコロすもお前の愛想次第だ」
「オーゲサ」
瞼が眇められて半目になった寝惚け顔でも、これ以上は近づけないという位のアップでも、耐えうるほどに男前。
確かに幾分か誇張はしたかもしれないが、強ち間違っちゃいないと思う。
「いーんだよ。まずは客をアリーナまで連れてくることが重要なの。そのきっかけを今日のおまえが作るんだよ」
自分がHCを務める2部チームで、口を酸っぱくしたような顔でフロントスタッフから言われて続けていることを、少々不本意ながらもそのまま借りる。
きっかけはなんでもいい。とにかく来て観て興味を持ってもらわなければ始まらない。
それは三井にもわかっているが、自分でも選手にも実践すること、させることは難しい。
であるから、本来のバスケットで勝負したい気持ちも痛いほどわかって、流川かわいさも手伝い強硬な態度にも出にくい。
「スタジオまで送ってってやっから」
自分でも甘いよな、と思うような言葉を三井は起き上がってベッドから降りながら口にして、立ち上がって流川の腕を引っ張った。
「…ホント…?」
もう少しゴネるかと思った男が掴んだ腕に力を入れて、三井をまたベッドに引き寄せながら現金に聞いてくる。
企んでいない上目遣いに間近から覗かれて、思わずその瞼にキスを落とした。
「秒で起きてこい!」
今更に照れた顔を見せるのも癪で、三井は力を込めて引っ張り上体を起こした流川をベッドにおいて、来た時と同じように大股に寝室を出た。
起床時から不機嫌な男を宥めすかせて、栄養、カロリーに配慮した朝食を作り、身綺麗にナリを整えてやって一歩引いて三井はパートナーの姿を眺めた。
先方が撮影用の衣装等は用意するのだろうが入りで舐められることは自分が許せない。
うん、完璧だ。
どこから見ても完璧。美丈夫なアスリート。
この鉄面皮がなければ、滅多な芸能人にだって負けやしない。
「めんどくせー」
それなのにこの男はぶすったくれた表情を変えようともしない。
「そう言うなって。帰りはどっかで美味いもんでも食いに行こうぜ」
手櫛で最後の仕上げに髪を整えてやると、その手を取られた。
「やだ、すぐ帰りたい。…迎えに来てくれんの?」
手の甲に口付けられる、というより甘えるようにすり寄られながら、自分より高い位置にある顔から器用に上目で強請られて、三井はまた赤くなりそうになった顔を背けて自分の手を奪い返した。
「ちゃんと撮影に協力して早めに終わらせんだぞ? じゃなければ置いて帰るからな」
「うん…わかった。がんばる」
どこまで本気かわからない言葉で先に廊下へ踏み出そうとしていた背中を抱き締められる。
自分より高い体温がまた愛しくて、三井は顔を緩ませて首の前に回された腕を軽くタップした。
そうして2人慌ただしく出掛けた朝の自分の服装はといえば、流川ばかりに気を取られていて、部屋着にしている長袖のカットソーと、いつどこで買ったかも忘れたジーンズだった。
それが今はハイブランドのスーツにタイを締めて、髪までセットされている。
帰宅して一息つくと、すぐに息苦しさを思い出してノットに指を入れて緩めた。流川の手がそれに絡む。
「まだ取らないで」
「あぁ?」
三井は眉間に縦皺を寄せて流川を見た。
流川もディテールや生地の色合いが全く同じでないながら、ほぼ自分の着ているものと似たスーツを着ていて、こちらはもうちゃっかりとネクタイを取り去っている。
そもそも。
自分が休日だというのにこんな格好をしているのは、目の前のこの男のせいだった。
いや、自分のミーハーな根性があったことも、まあ認める。
流川を送ったところを、顔見知りの編集者に捕まった。
バスケ雑誌の人間だが、流川の扱いの難しさを聞いた今日のスタッフにオブザーバーとして立ち会いを求められたという昔馴染みだった。
「三井ヘッドコーチ! 流川さんを送って来られたんですか? せっかくだし見学してってくださいよ」
男だったらキッパリと語調も強く断れたが、高校時代からの知り合いの年上女性の威圧感さえ感じさせる勧めは三井にも断り難かった。
隣で赤べこのように首を縦に振り続ける流川から耳に吹き込まれた、「寿さんいたらがんばれる」攻撃もあって、三井も渋々とスタジオに足を運んだ。
案の定、髪をセットされてファッション雑誌が面子にかけて厳選したと思われるスーツを着せられて、その場に集う人間にため息をつかせた後の流川は、だがカメラの前ではただの木偶の坊だった。
笑えと言われても笑わない。
座れと言われても座らない。
見ている三井がハラハラするほどにスタジオの空気は凍っていく。
「ちょっと」
と、隣に立つ相田という名の三井を引っ張ってきた女性編集者に袖を取られた。
「三井さんもスーツ着てくれない?」
「はぁ?」
「高校の頃からの先輩が手本見せてやれば少しはやる気出すと思うねん」
関西弁が飛び出た相田も本気なのだろう。
依頼であるようでいて、もう目は肯定の返事しか受け入れない強さで満ちていた。
それからはあっという間だった。
拉致されるように更衣室に連れ去られ、はじめから用意されていたのでは、と疑うようなジャストサイズのスーツを着せられ、髪をセットされて、三井がチームの事務手続きを思い出してそれを訴える頃には、相田が中間に入って速攻で所属するクラブチームの承諾を得られていた。
そうしてスタジオに戻ると、のんびりとミネラルウォーターなどを飲みながらバスケ雑誌を捲っていた流川に、「おせー」などと言われる始末。
だが、その文句を言う口が止まった。
「…すげー…似合ってる」
両肩に手を置かれてスタジオの空気が先刻とは違った意味で止まった。かのように三井には感じられて、焦って両腕を振り回して手をはねのけた。
「ちゃっちゃと終わらせて家、帰んぞ」
離れ際にその耳に口早に吹き込むと、惚れ惚れするような男前の顔に見慣れた嬉しげな笑みが浮かんだ。
あの時、すかさずシャッター音がしたよな。
帰宅して思い起こすと、自分だけが知る流川の顔がカメラの中に収まってしまったのかもしれない、とおかしな妄想にちりっと胸を焼かれる。
傍に立った流川を見上げるとなぜだか困ったような顔が自分を見つめ返してきた。
唇 が降りてきた、と思うと自分のそれをすぐに塞がれて、激しくなるキスに応えていると、体で押されてどんどんとリビングの中央まで後ろ向きに進められる。
膝の裏にソファーの座面が当たったと思った瞬間、一押しされて気がつけばソファーに横たえられていた。
「おい、スーツが、」
気に入ったから買い取りを選んだんだろう、という暇もなくまた唇が降ってくる。
撮影が終わってソッコー着替えようと、更衣室に足を向けると、腕を流川に取られた。
「このまま」
「へ?」
「買い取りっていうのができるらしい」
「あぁ?!」
ラベルは三井も知るハイブランドのものだった。
いくらすんだ?!
声に出そうとして、周囲を憚って目に力を入れて流川を睨み上げた。
確かにNBA帰りのこいつには大したことのない金額なのかもしれない。それは気に食わなかったが、流川が着るものに拘りを見せたのも初めてで、三井は出しかかった声を飲み込んだ。
「…今日だけだぞ?」
小さく呟けば、「うす」とどこか満足したような表情がこそばゆかった。
「こんなたけースーツ、くしゃくしゃにするわけいかねーだろ。上からどけ」
「このまま」
「はぁ?!」
やり取りに既視感を覚えて頭痛がする。
これを狙ってやがったのか、と三井は覆い被さってくる広い背中を乱暴に叩いた。
「いつも見てる。試合中のあんた」
叩く三井の手が止まった。確かに試合中はスーツだった。同じスーツでも値段の桁は違うが。
「ゲーム中はよく知ってる。でもテレビで観るあんたは知らなくて」
意味不明の言葉のようで、三井には言葉の足りない流川の訴えんとするところがわかって、懐くように首もとに顔を埋めてくる男がかわいくて、なにより愛しく感じられてしまう。
こんな感情の乱高下が日常茶飯事に続いていて、自分もまだまだ大概だよな、と諦めに似た幸せを感じる。
「…しょうがねぇなあ。あ、ぜってー破くなよ?」
皺くらいなら仕方ない。自分だっていつにも増して男前のこいつに実はすっかり舞い上がっていたのだから。
「りょーかい」
などと嬉しそうに囁く男はやはり自分だけの知る流川で、三井は満足してまたしても幸せを感じてしまうのだ。
end
イラスト:monaka様💓ありがとうございました✨