バンビーナ

 時間より1時間ほど遅れて店に入り、案内された個室の引き戸を開くと、もうだいぶ出来上がっているダミ声と歓声に迎えられて仙道は頭に手をやりヘラリと笑った。
「おせーよ!ナニやってんだよ!」
「先輩たちより女を優先しやがったな」
「いやだなー、そんなわけないじゃないですかー。広報に呼ばれてたんですよー」
「うそつけー」
 次々と上がる声に頭を下げつつ適当に言葉を返して、空いた席はどこかと首を巡らせると、並んだ卓に挟まれた端に使われていない皿と箸が置いてあるのが見てとれた。そこに背を向けた席に座る見慣れた茶色の短髪が仙道を見ていて、視線が合わされる前にすっと逸らされた。
 並んだチームの同僚の背を蹴らないように気をつかいながら、長い足で器用に小さな空いたスペースの畳を踏んで目的の席に辿りつくと、掘りごたつのテーブルの下に足を滑らせて座った。勢いがついて、背が真後ろに座る三井の背に当たる。詫びようとするとその背は仙道が向き直るのを阻止するように力を込めて寄りかかってきた。あれ?と思いつつ、ここでまたやり合うわけにもいかず寄っかからせたままにしていると、三井のテーブルの先輩が「なんだ、三井。もう撃沈か?」と手を伸ばして起き上がらせたようで、その温かさはすぐに消えていった。
 隣の同僚がすぐにビール瓶を持って酌をしてくるのにコップを持って応えながら、頭の中ではさっきの背の重みと温かさについて考えていた。今回は折れてくるのが早かったな、とか、いや、そう見せかけてまたこっちから来させようとしているな、とか。まあ、そんなことを考えている時点で三井を許してしまっていることは自明で、俺も大概甘いかなーと思いつつ注がれたコップに口をつける。ハーフタイムのショーに出演していた、自分のファンだというスポーツキャスターがしのばせてきた連絡先のメモは、勿体ないがゴミ箱行きに決定だった。そんな仙道の腹の中も知らずに、酌をした同僚は盛んに仙道を呼び出したキャスターについて聞きたがった。
「どうなの、やっぱり電話番号とか渡されちゃったりしたの」
「いやーそんなのなかったよ」
「嘘つけ。近くで見るとどう?化粧濃かった?」
「かなー」
 言い終わるくらいで、また背中に今度は激しく三井の背が当たった。聞こえてる。仙道はニンマリと笑い、手に持ったコップをテーブルに置いて、ぶつかられた勢いで足の間にこぼれたビールを拭うべく使ったおしぼりに手を伸ばした。その顔を勘違いした同僚はさらに絡んでくる。
「シマんねー顔してんじゃねぇよ。っとにどうしてコイツだけもてんのかねぇー」
「顔だろ、顔」
「え、俺って顔だけ?」
「顔だけ顔だけ!」
 他愛もないバカ話を続けていると背中の重みがすっとなくなって、チェッと思ってまたコップに手を伸ばす。一息に呷ってふっと息をつき、後ろに背を伸ばして手をつくと、同じように手をついていた三井の指と重なった。爪の部分が触れているだけだったが、人差し指を伸ばし指の上に置いてみる。返してはこないが避けられる様子もない。指を2度3度、ゆっくりと辿って、伸ばして指の股に触れてそこを撫で上げると、下にしていた手が引かれて蠢いていた自分の指を掴まれた。かと思うとすぐに離され、背後で立ち上がる気配があった。三井が周りに「ちょっとゴメン」と断りながら卓につく大男達の隙間を歩き、廊下への引き戸に手をかけてちらりとこちらを振り返ったところで目が合った。仙道はほくそ笑んで、誤魔化すためにいつの間にかつぎ足されていたコップに口をつけると、「スケベな笑い方してんじゃねぇよ!」と結構な勢いで隣に座るPGから頭を叩かれた。



 20分程経ったことを腕時計で確認し、「ちょっとすみません」と言って席を立ち、やっぱりだのふざけんなだのと酔っ払いのやっかみ僻みを潜り抜けて廊下へ出た。サンダルは履かずに自分の靴を出して履き、男子トイレを覗いてみるが三井の姿はなかった。まさか帰ったんじゃないよなーと、首を巡らすとこちらを伺っていた店員と目が合って、「お連れ様はこちらです」と案内された少人数向けの狭い個室に三井はいた。
「遅せーよ!」
 仙道の顔を見た途端に口を尖らせて文句を飛ばす。テーブルの上には新しく注文したと思しき既に半分ほど空いたジョッキがあって、仙道は引っ込みかけていた店員に「同じの」と声をかけた。呼びつけられてすぐにノコノコと顔を出すのも癪に障る程度にはまだ仙道も怒っていたので、その文句についてはスルーする。個室の奥の壁に造作されたソファに座る三井の正面の椅子には座らずに、テーブルの角を隔てた同じソファの右隣に腰を下ろして、テーブルの上に置いてあったどうでもいい三角形の紙の広告を手に取って眺めた。見たことのある女優とウィスキーの宣伝が印刷されてあって、あ、こっちにすればよかったかな、と思う。
 無視された三井はさらに口を尖らせて、ジョッキを取り上げて残りを呷った。大きな音を立ててテーブルにジョッキを置くと、腕で口を拭って無言で立ち上がろうとする。反対の腕を引っ張り、力任せに座らせると怒ったような目が睨み上げてきて、仙道は唇を引き上げた。「失礼しまーす!」と大声がかかって個室の引き戸が開けられる。三井は舌打ちし、顔をそむけた。ジョッキが卓に置かれて店員が下がると、三井は仙道の前に置かれたジョッキに手を伸ばした。また呷るのかと見ていると、ちょっと口をつけてすぐに戻す。そんな子供っぽい仕草に構えていた力がすっと抜けた。
「今度の人は?カメラマン?だっけ」
「おまえこそスポーツキャスター」
 やっぱり聞いてた、と下を向いて笑いを誤魔化す。
「俺は脱いでないけど」
「写真!撮るって言うから…」
 撮るって言われたから脱いでキスしてヤベーヤベーなわけか。仙道はその話を聞いた時の怒りを再現しそうになり、息を吐きだした。笑い話にしたかったのか、自慢話か嫉妬でもさせたかったのか。それを撮られた写真とともに報告してくる三井もどうかと思うが、同じような状況を何度も許してきた自分もどうかしてる。
「最後までやってねーし」
「…どこまでやっちゃったの」
「キスだけだって。気が付いたら…」
 気が付いたら。
 本当にこの人は。
 おだてられて持ち上げられて調子に乗って「気が付いたら」。なのだろうと思うと頭が痛くなってくる。
「…なぁ、俺んち来ねぇ?」
 それでも酔った赤い目元で不安げに見上げてくる三井は、その気がない人間にも目の毒というやつだった。
「舐めてよ」
「へ?」
「舐めて」
「おまえ、こんなとこでナニ言って…。…手でやってやるよ」
 一言で通じたらしく、赤い顔を戸惑わせて代替案を出してくるが、それには「ダメ」と首を振る。しばらく顔を顰めたり、仙道から顔を背けたりしていたが、何かを思いついたように笑って口を開いた。
「じゃあキス、しろよ」
 その表情が、赤い半目の酔っぱらいの顔が。さっきまでの不安顔はもう消し飛んでいて、いやらしく歪んで半笑いに誘いをかけてくる。どうしたってこの人を手放せないと思うのはこんな時だ。
 左腕を襟元に伸ばして掴み、引き寄せて赤い唇に食らいつく。待ち受けていたように唇が解かれて、誘いこまれるように舌が温かく湿った中に滑り込んでいく。思う存分蹂躙しているようでいて、三井の手の内に嵌ったのはこちら側なのかもしれなかった。腕が伸びてきて、シャツの上から熱い両の手のひらがゆっくりと自分の胸を滑り降りてベルトにかかり、器用に下を寛げていく。そちらに気を取られていると唇をきつく吸われて音を立てて涎液を吸い込み、顔を離していやらしく舌を出してこれ見よがしに厚めの光る唇を舐める。もう目が離せなくなった舌が俯いて見えなくなった、と思うと、自身が熱い粘膜の中に覆われていた。思わず低く声が漏れると揶揄うように先をチロチロと舐められる。この野郎、と後頭部を掴んで押し付けると、いきなり喉の奥まで咥えられて腰が思わず動いた。後はやりたい放題。派手に水音をたてながら舌が絡みつき、かと思うとまた最奥まで咥えこまれて上下に激しく扱かれて、仕掛けたはずのこちらが声をあげないように片手で口を押さえなければならなかった。
「も…出るから…!」
 白旗を上げても三井は離れない。ぐっと指で根本を押さえつけられて鈴口を舌先で擽られる。腰が突き上げるように動くのを抑えきれない。自分の手の中でくぐもった音が漏れるのを回らない頭で聞く。
「み…ついさん…指、離して…!」
 頼んでも絡みついた指が緩まることはない。じゅぽっと音をさせて口を離したかと思うと舌が伸び、茎を下から上にぞろりと舐め上げた。その濡れた瞳と目が合う。
「降参?」
 欲情していながら口角が上がった面白そうな顔が気に入らないものの、乾ききった口は言葉を放つことが出来なくて、仙道は首を何度か縦に振った。もう一度奥まで口の中に飲み込まれて、強く吸われて頭の中が白くなると同時に指を離される。跳ねた腰が三井ごと浮き、肩をテーブルの裏に打ちつけて三井は唇を離して呻いた。
「ってー!」
 呻く口から白濁が見える。口だけじゃなく、納まりきらなかった残滓が顔に散っている。熱に沸いた頭でその顔を見つめていたが、だんだんと我に返り、仙道は慌ててシャツを脱いだ。と、止める間もなく三井がおしぼりに手を伸ばし、顔を拭き始めた。
「あー…」
 二人の口から同時にやっちゃった声が出る。三井は汚したおしぼりを掴んで席を立った。
「便所行ってくる」
「あ、俺も行くから待って」
 仙道は手早く身繕いをして、よろよろと個室を出て行く三井の後を追った。


 結局、酔って気分の悪くなった三井を仙道が送る、という形で二人は店を出た後にタクシーを捕まえた。
 ハイペースで飲んでいた三井を見ていた人間は多かったし、実際、トイレで三井を介抱する仙道と思しき場面に遭遇した同僚もいたので、それは快く受け入れられて送り出された。が、タクシーの中の空気は重い。
「おまえ調子に乗り過ぎなんだよ」
 自分だけに責任を転嫁する三井の言葉はどうかと思うが、調子に乗ったことは確かだった。
「三井さん、大丈夫?」
 三井も大分切羽詰まっていたように見えたが、今は大人しくバックシートに埋もれて窓の外に流れる夜景を見ている。
「ダメ」
 その言葉に仙道が顔を上げると、「おさまんねー」と顔は窓の外に向けたままポツリと漏らされる。まあそりゃそうだろうなーとは思う。さすがに2つしか個室がなかった居酒屋のトイレで事に及ぶのは躊躇われた。半端な情事は体の奥の熾火を起こしただけで、自分もまだまだおさまるどころか三井の様子が気になって仕方がない。だがやられたことを思い返すと素直に三井の誘いに乗るのも業腹だった。
「あれだけ悪戯しといて」
「だっておまえがしつこいから」
 しつこい?しつこかったでしたっけ。
 元はといえば、と考え始めて、仙道は頭を振った。いつもは流す三井の言葉に苛つくのも、その熾火が既に身を灼きはじめているからだ。
「寄ってくだろ?」
 折よく止まったタクシーから片足を踏み出し、流された視線に仙道は溜息をついた。



 なんでこんなことになってっかなーと、ちらりと頭を過ぎった瞬間にまたいった。もう前からは出ない。でも後ろからもいけなくてナニがなんだかよくわからなくて、あ、またイったとのかな思うと腹の中が震えてもう勘弁してくれ、と頭が沸いた。上から垂れてきた水滴が汗だとわかって鼻の頭にきたそれを顔を振って落とす。両手は仙道のデカい手の中で離してもらえない。
「せ…んどぉー… も…マジでもー…!」
 散々謝ったのに。
 あー泣きそーと思って、あ、もーボロボロ泣いてたって思い出したのも何回目だか忘れた。足首を掴まれて乱暴に体を返される。今更体位なんて変えんなよ。どーでもいいだろ。文句は浮かぶのに口から出るのは何を言いたいのかわからない喘ぎやら呻きやら泣き言ばかりでイヤになる。
「もー…ホンっと…カンベン…し…」
 熱いものに背中に覆いかぶされた、と思った瞬間に奥まで突かれてなんか出た。ナニが出たかなんてもうどうでもいい。今度は背中に汗が降る。グチャグチャ…ぐっちゃくちゃ。尻でなってるのか背中でなってるのか、
 ぁああぁぁぁーぁあああぁー
 ヘンな音がずっと聞こえると思ったら自分の喉がなってる。それでも上に被さるバカなヤツは動きを止めない。よく続くよなーと思って「チ…ロー!」と枯れた声で叫んだら尻を叩かれた。あ、それいい。もっと。と思って尻を突き出すのに勘違いしたバカなヤツはバカみたいに腰を振るだけで欲しいものをくれない。チロー!チロー!と叫んでいたらようやく気づいたのか欲しいものをくれて満足して、でもまだまだ腰が揺れる。チロー!
 忘れてた。こいつ後半強い。うちのチームとおんなじ。
 バカなことが頭に浮かんで、あ、ホントもうダメだ、と思ったときに頭ん中が真っ白にスパークして後ろでイケて、仙道もいったっぽい。バカヤロー!!最後に叫べた。キスがうざったくて顔を振ったらまた尻を叩かれて、おちた。



 目を閉じているはずの視界が黄色で目が覚めた。開けっ放しのカーテンから顔に直射日光が当たっていて、布団を被ろうとして手元になくてのろのろと腕を上げて顔を庇う。それでも布団どこにいった、と考えて、そうすると腰の脇の濡れたシーツが気持ち悪くて意識が浮上した。
 仙道。仙道が無茶やりやがった。
 とりあえず眠いのに頭が醒めてしまったことを人のせいにしていると、コーヒーのいい匂いがして機嫌が少し浮上した。ベッドから足を下ろすと柔らかい感触があって、重い体をいなして布団を拾いあげた。
「コーヒー」
 リビングに足を踏み入れて、匂いの元を自分にもよこせと主張したのに返事がかえってこない。目をいやいや全部開いて見渡すと、あのデカい図体が見当たらない。いきなり泣きそうになって、なんでだと思って、でも止まらないから涙があふれるままにしているとトイレの水洗が流れる音がして、慌てて手のひらで顔をこすった。
「あ、起きたね。おはよう」
 能天気な顔がミョーにすっきりしていてムカつく。
「コーヒー」
 不発に終わった単語を口にすると、「はいはい」と返事して仙道がキッチンに入っていく。バカヤロー。返事は一回でいいんだ。声には出さないで背中に罵る。
 手渡されたカップに口をつけると苦みが喉から胃まで流れ落ちていって、ようやく重たい夢から覚めたような気がした。
 ソファに座ってテレビを眺めている後ろ頭はもう髪の毛が立ち上がっている。「帰んの」と聞くと振り向いた顔の濃い眉毛が下がった。
「今日練習ないし」
 答えになっていない、それだけを聞いて、自分の中の数日前からざわついていた腹の虫が完全に収まった。
「いれば」
 一言投げてコーヒーにまた口をつけると、仙道のうれしそうな顔に満足している自分がいて顔が歪んだ。でもどうしようもない。マグカップ片手に隣に座ると嫌味なほどに長い腕が肩に回されて、ムッとはしたけれどもそれにもなんだか安心して大人しく仙道の肩に頭を預けた。





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