g.o.t
まだ明けきらない海の突堤から眺める視界はほとんど灰色一色で、見慣れた空と海の判別も覚束ない。ボラードと人間の区別もつかない。だから初めて話した見知らぬヤンキーの失恋話を聞くことになってしまったのだ。諦めにも似た溜め息を吐いて、仙道は眠気で取り落としかけた釣り竿を握りなおした。
「でよ、俺は言ったわけ。てめーのことが好きだからだよって」
「え、告っちゃったんですか」
なぜか仙道は、隣に膝を抱えて蹲るヤンキーの恋バナを聞くはめに陥っていた。しかも女の子ならまだしもヤローの。
その日は雨こそ降らなかったけれども、釣り日和の分厚い雲の曇り模様で、日の出後でもまだ薄暗かったから、だから気づけなかったのだ。
たまたま早くに起きられて、というよりは目が覚めてしまって、仙道は釣り道具を下げていつもの突堤のいつもの場所に腰を下ろして荷物を広げた。つもりだった。釣り餌をつけて海に釣り糸を垂らし、本格的に日が差してくるのを待ついつもの時間だった。
歩き始めて2つめのボラードが見える少し手前(係船柱をボラードというということは、ここに来てから年配の釣り人に教えてもらった)に陣取り、仙道にとっては場所の目安になる金属製のそれに、着てきた上着をかけたら、そのボラードが動いた。ボラードだと思い込んでいたから驚き過ぎて動けなくて、上着の下から長い髪の毛がこぼれてきた時は叫びそうになった。
「余計なことすんじゃねぇよ」
ボラードはそう言った。正しくはボラードじゃなくて、ヤンキーだったけれども。そして長い髪の毛が見えたから女の幽霊かと思ったら、流行りのロン毛に髪を伸ばした男だったけれども。
驚いて動けないでいた仙道に、ヤンキーは上着を突っ返してきた。どうやらボラードは、いやヤンキーは、仙道が気を遣って上着を体にかけてきたのだと思ったらしかった。ヤンキーだとわかったのは、まあまあな丈に切り詰めた短ランを着ていたのと乱暴な言葉遣いと、なによりそのきつい視線だった。あー面倒だな、と思ったけれども、もうその時には釣りの道具を広げていて、今更「失礼しましたー」と逃げるには遅かったし、荷物をまとめて移動するのはさらに面倒だし業腹でもあった。
短ランを受け取った時、そのヤンキーの表情にまた驚いて手を引っ込められずに固まっていると睨み返された。
「んだよ。見てんじゃねーよ」
ヤンキーは泣いていた。ボロボロと涙を流して、いつからここにいて泣いていたのかはわからなかったけれども、睨みつけてくる大きな目は腫れあがっていた。もう一度、手にした上着をかけてしまいそうになるくらい。いや今突っ返されたんだった、と思い出して自分のジャージを掴みなおす。
「あの…大丈夫…? デスカ?」
「大丈夫じゃねーよ!」
あ、これはダメだ。
面倒でもなんでもやっぱり場所を移動しよう、と海に垂れた釣り糸を巻き取ろうとした時、「…こんな朝早くに釣れんのかよ」と声がかかった。意外にも声は平穏で、もう存分に泣き尽くした後だったのかもしれない。
「早朝じゃないと釣れないんですよ。日が昇っちゃうとダメ」
「そうなの?」
心底驚いた顔をして、ヤンキーは釣り針の先のまだ真っ暗な海の中を見透かそうとでもするように身を乗り出した。
「です。できたら晴れていない方がベスト」
「今日みたいな日か」
「です」
「へぇ…」
大抵の釣りをやらない人はこの話を聞くと、物好きだなとか、早起きツラとか言って、曖昧な薄笑いを浮かべる。だがこのヤンキーは、仙道から聞いた話をそのまま素直に聞いて、いいとも悪いとも言わずに、暗い海の中を見つめるだけだった。
「まあ、日中も来たりしますけどね。サボってボーッとするのに都合がいいから」
意外にヤンキーって素直なんだなーと思いつつ本音をもらすと、ロン毛のヤンキーは「ふはっ」と息が抜けたような笑いを漏らして、「なんだそれ」と背中を叩いてきた。距離の詰め方が早くて、人懐こいヤンキーだとも思った。
「でもわかる」
小さく呟いた言葉は自分に聞かせるためではなかったようなので、仙道は黙って同じように釣り糸の先の海を見つめた。
「…俺さー、男を好きになっちゃったんだよ」
それが突然、吃驚する話しを始めたから、ついつい耳を傾けて今に至るのだった。
「告ったってそのテツオさんに?」
「他に誰がいんだよ。そーだよ、その鉄男ー。だってよー俺の言うことなんでも聞いてくれんだもん。ぶっきらぼうだけどよ。脈あんのかなーって思うじゃん」
少し語尾が震えて、ヤベェまた泣き出すのか?と、仙道はおそるおそる隣を盗み見た。ヤンキーの目にはまた涙が溢れ上がってきていたけれども、それを乱暴に腕で拭ぎ払い、それから仙道の視線に気づいて「あんだよ!」と睨み返してきた。睨むのはもうヤンキーのお仕事のようなものだから仕方ないのかもしれない。でも慣れてはいなくてドキドキしてしまうからちょっとは控えてほしいなーと思いつつ、仙道は垂れた釣り糸の先の少しだけ光を弾いたように見えた海に希望を見つけたような気がした。
ようやく日が射してきて、昇ってきた日の光で辺りも薄く明るくなって、その時にはじめてまともにヤンキーの顔が見えた。男を好きになったというから、もしかしたら化粧でもしてるんじゃないかと恐れていたその顔は意外にも男らしく整っていて、でも涙が堪えた顔は少し幼くも見えて、仙道はしばらく朝日に照らし出されたその顔を見つめてしまった。
「んだよっ!」
同じ年くらいかと思える顔が見えてしまうと、ドスをきかせたダミ声も怖くはなくなった。ケンカでもした後なのか傷だらけだったけれども、涙が滲んだその顔は綺麗と言ってもいいくらいだった。
「…それでテツオさんは? なんて?」
「あー…。『ワリー』って…一言だけ。…そういやアイツに謝られたの初めてだわ」
「あー…」
「…あーってなんだよ…」
「いやぁー」
自分が謝るのは、告白してきた相手とは付き合えないって時だけだった。理由はいろいろあるにしても、「ごめん」の一言で相手は引き下がってくれたから。改めて鼻をすするヤンキーを見ていると、自分は随分、女の子達に対して冷たいことをしてきたのかなぁと仙道は思う。
「それだけしてくれた人なら、あんたのこと憎くは思ってないと思うけど」
自分に対する言い訳みたいだよなーと思いつつ口を開くと、「それじゃダメなんだよ」と膝を抱え直してヤンキーは小さく呟いた。
「あ、ヤベ、ガッコだわ。もう行くわ」
左腕の腕時計に目を落として、ヤンキーは突然慌てたように立ち上がった。
「サンキュ。なんかすっきりしたわ。じゃな!」
お礼が言えて学校に行くヤンキー。
あっという間に小さくなっていった後ろ姿を見送りながら、仙道はなんとなく微笑ましくなって笑い、それから長い溜め息をついて、また一人海に向き直った。
もう会うこともないだろうと思っていたヤンキーにまた会ったのは、それからきっかり一か月後だった。
やっぱり同じ場所同じ時間に、同じボラードと化して、そのヤンキーはあの時と同じく膝を抱えて座り込んでいた。もうだいぶ季節は暖かくなっていて、それなのに少し寒そうに見えた背にかける上着を持っていないことを仙道はちょっと残念に思った。前と同じように隣に座るかどうか逡巡し、やっぱり通り過ぎようとした時にすすり上げた鼻音を聞いて立ち止まり、仙道は天を仰いで一息ついて、そのすぐ隣にそっと腰を下ろした。
「…んだよ。またおまえかよ」
顔を上げた気配。夜明け前の薄暗い中で顔はよく見えなかったけれども、髪型が違っていた。あのロン毛ではなくて、スポーツでもやっていそうな短髪で、声があのヤンキーのものでなければ人間違いかと思ったところだった。暗闇の中でも濡れて光る瞳。
「また失恋ですか?」
「っ!! うっせーな! そーだよ! わりーかよ!」
なんでまた隣に座っちゃったかなーと後悔はしたけれども、またこの人の恋した人が男なのかどうか、ちょっとだけ気になった。
「また男?」
「だよ!」
「ケンカの強い?」
「そうだよ!」
この人も懲りないけど、自分も懲りないなあ。
そんなことを考えつつ、自省を込めて釣り針の先に餌をつけて暗い海に放った。
「その髪の毛は失恋したから?」
「は?」
一瞬意味がわからないというように、ヤンキーは自分の髪の毛に手をやり、それから顔を赤くして怒鳴った。
「んなわけねーだろ! …気分だよ気分」
短髪でいるとヤンキーには見えない。でも感情が高まると怒鳴る癖は抜けないようで、すぐ隣に座ったことを仙道が後悔し始めた時に、ヤンキーは口を開いた。
「なんかよー、おまえのやさしいようでどうでもいいような声聞くと落ち着くかなーと思ってよ」
やさしいと言われて仙道は目を瞬いた。嫌味を言っているようには見えなかった。嫌味だと思うのなら、失恋したばかりの男がわざわざこんな時間にこんな場所へ来たりはしないだろう。だが、どうでもいいような、と言われたのは、仙道が今まで生きてきた中でうまいこと隠せていると思っていたことだったから、少なからず動揺はして、ヤンキーのことを見ていられなくなって、海へと顔を戻した。
「もしかして俺待ってました?」
「まっ待ってなんかねーわ!」
「ですよねー」
聞き上手と言われることはある。でも結局は他人に興味がないから、適当に流せるだけなんだろうと言われたこともあった。直近で付き合っていた彼女だったかもしれない。
「…そんな感じに見えます?」
「聞いてはくれっけど。…別に俺のことなんてどうでもいいだろ?」
一瞬心の中を読まれたのかと思った。
確かにその通りだったから。見知らぬヤンキーが男に惚れようがフラれようが、仙道には関わりのないことだった。だが、初めて会った後も、なぜだかこのヤンキーのことが忘れられなくて、釣りに来るとこの突堤に目をやる回数が増えたことも確かだった。
「それってなんかいいよな」
「え?」
「楽っていうか。なんかいい」
聞き違いかと思ったけれども、そうではないことは目を赤くしたヤンキーがほんのり笑っていることで正された。初めて見た笑い顔は、まだ明けきらない海の中でまた一つ、仙道の心に忘れられないものを残した。
それから聞いたことは、だが穏やかとは程遠いことだった。前回会った時に聞いた、『誰よりも強いテツオ』のグループを拳で倒した男に惚れたのだと、ヤンキーは言った。
「もうバスケ部には来るなって何回も何回も殴られてよ」
特殊な性癖を持つヤンキーなのだろうか。殴られるのが好き?的な?
え、待って、バスケ部に殴り込み…? なぜ。
そこから問うと面倒になりそうだったので、敢えて仙道はスルーした。
「…ケンカが強い男が好き? なんですか?」
そうとは言えずに遠まわしに尋ねると、ヤンキーは力強く頷いた。
「やっぱ男として憧れんじゃん。ケンカ強ぇの」
そうかなー。
仙道の通う高校にも不良はいる。それに惚れるか?と考えて、いやいやいやと仙道は首を振った。
「それって本当に好きなのかな」
「へ?」
このヤンキーが恋愛対象として男を好きになるのはいいとして。
「憧れってことはないんですか? ケンカが強いから、とか?」
「な…」
ヤンキーは驚いたように口を開いてすぐに否定しようとしたように見えたが、考え込んでしまった。
「いや…惚れんのはケンカしてる最中じゃねぇんだ。そいつがさ、そんな強い男が仲間に気づかれないように見せる気遣いってーか」
あーなんとなくわかった。
なんとなくわかって、なんとなく面白くなくなって、仙道は引きもしていない竿を上に持ち上げてみた。
「で? また告ったんですか?」
「…おう」
「そしたら?」
「また『すんません』ってよ」
「あー…」
「だから、あーってなんだよ。なあ、謝られるのってなんだ? 振られるにしても別に謝って欲しいわけじゃねーのに」
仙道は困って、当たりがこないかと釣り竿を握りなおしてみた。そしたら答えなくて済むだろうに。
だが数秒待っても釣り竿はピクリともしなかった。仕方なく仙道は考え込むフリをする。
「んーなんででしょうねー」
「断りゃいいじゃん、フツーによ」
「んー」
自分が謝って断る時は、大概その相手に興味がないためだった。当たり障りなく、頭を下げて済む話しだったら、仙道は簡単に相手の女の子に頭を下げてきた。でもこのヤンキーの場合は、その状況とは違う気がする。このヤンキーが好きになった相手は恋ではないにせよ、聞いた話しから考えるにこのヤンキーのことを大分特別に思っている。多分他に下げることはないだろう頭をこのヤンキーだからこそ下げたのだ。
チリッと胸の中を走った苛立ちを仙道は不思議に思い、釣りの浮きを睨みつけた。苛つく。どうしてかわからないところも苛つく。
「ねー、ヤン…お名前は?」
「え、あー名前? 三井。三井寿」
「三井さん、俺じゃダメなの?」
「へ?」
驚いたヤンキー、もとい三井の顔を見て、仙道はヤベッと内心顔を顰めた。
付き合うつもりなんか全くないのに。どうしてそんなこと。
自分の悪いクセだ。面白いヤツだと、興味を持つと、揶揄いたくなる。冗談だと言おうとして、だが見る間に目の前の三井は顔を赤くしていった。
「え、なにおまえ。俺と付き合いたいの?」
ヤベーと思いながら仙道は、赤い顔の三井の真っすぐに見てくる瞳に否、とは言えなかった。まあいきなり言われたってさすがのヤンキーも受け入れたりはしないだろうけども。失恋したてらしいし。
「どう…? なんだろ?」
「ふーん…まあ……いいけどよ」
え、まさかのオッケー? さすがにヤバいだろ、と仙道は自分を責めたが、まだ目が涙で潤んでいる赤い顔の三井に今冗談にするのは面倒そうだった。
「おまえ、名前は?」
名前も知らない相手と付き合うのか?と仙道はちょっと話しの流れを可笑しく思う。
「仙道です」
「仙道…なに?」
「彰」
「彰ね。仙道彰」
「よろしくな」
そう言ってニカッと笑った三井に、仙道は眉を下げて「よろしく」と返した。まあ適当に話を合わせて、そんな流れになっちゃったらやっぱりごめんなさいでした、と謝ればいい。そう考えて、仙道は引きの来ない釣り竿を恨めしく思った。
付き合い始めた、といっても何が変わるわけでもなかった。もっとうるさく言ってくるかと思った三井は意外に大人しくて、「一応」と連絡先を手渡してからは何を強請るということもなかった。とりあえず仙道は、海には足繁く通ってみるようにはしている。三井は早朝、ランニングの経路に仙道が釣りをする突堤を組み込んだようで、仙道が釣りをしていれば必ず来た。 驚いたことに三井はバスケ部だった。
「え、バスケ部襲撃したんじゃないの?!」と思わず問うと、「いろいろあんだよ!」とだけ三井は言って、口を尖らせて短い前髪をひっぱった。
それでその短髪。確かにスポーツマンっぽい。いつまでも黙っているのも居心地が悪く、「俺もバスケ部ですよ」と仙道は白状した。
「え、おまえも? ってか高校生? 何年? どこ高よ」
「陵南の2年です」
「年下かよ」
今お互いの年齢を知ったことにどこかにあった違和感をまた仙道は覚えた。自分は面白い人に会ったぐらいに三井のことを思っていたから仕方ないにしても、三井は付き合ってもいいと思った人間のことをあまり知ろうとしない。ここで会うのももう五度目くらいで、男同士ならこんなもんなのかなあ、と思う。
「三井さん、湘北でしょ? 湘北ともこないだ練習試合しましたよ。そういえば三井さんいなかったけど」
「…そん時はいろいろあったんだよ」
グレてたしね。
声には出さずに微笑むだけに留めると、三井は赤くした顔を逸らした。あれ?と仙道はその横顔を眺める。
そういえばこの頃、三井は怒鳴らなくなった。さすがに付き合っている相手には元ヤンでも怒鳴らないことにしているのかもしれない。かわいいとこもあるんだよなーと思う。ふとその尖らせた唇に目がいって、触れた感触は女の子と同じなのかどうか気になった。
「三井さん」
呼ぶと三井は振り返り、仙道は自分を見上げた顔にキスを落とした。開いたままの瞼に三井の睫毛が触れる。驚いた大きな瞳に自分が映って、あんま女の子と変わらないんだなーと感じて、軽くキス音を立てて離れた。
「お、おま…!」
みるみる真っ赤になっていく顔。意外にこの人こういうことは初めてなのかもしれない、と思うと、手が三井の頬に触れていた。逃げられないように頭の後ろに手を伸ばして、もう一度顔を近づける。三井は真っ赤な顔で睨んできたが、逃げることはしなかった。
今度は深めに。唇を重ねてちろっと舌を出すと、唇が動いた。
「あのよ! 飯食いに行かねぇ?」
胸を手で押しのけられて、真っ赤な顔が下を向きながら問うて来た。お、とうとうここ以外の場所へのお誘いが来たと仙道は眉を上げた。
「飯? いいけど。あ、釣った魚食います? 俺ん家で。俺作りますよ」
「おまえん家?」
「すぐそこです。一人暮らしなんで気ぃ使わないで、」
「はぁ?」
真っ赤な顔は変わらず、さらに驚いたような顔をして睨んでくる三井を見て、いつもの友達を誘う調子で言ってから「あ、ヤバかった」と思っても後の祭りだった。
そういえば付き合ってることになってたし、その前に興味半分でキスしちゃったし。
「おまえって…まあモテそうだもんな」
下唇を自分の親指で押し潰すように捻って、三井はそっぽを向いた。先刻触れたばかりのその唇の弾力が自分の口元に感じられて、仙道は頭を掻いた。
「あーいつもこんなんしてるわけじゃないッスよ? 三井さん男だからつい」
「…だよな」
そっぽを向いたまま黙ってしまった三井に、更に下手を言ったと仙道は顔を顰めた。もう面倒臭くなっている。そろそろ潮時かなーと思いつつ、「飯、どっか行きたいとこあったんッスか?」と仙道は尋ねた。
「行きたいってか、いつも行ってるとこなんだけどよ。こっから近いし、美味ぇし量あっから」
「いいですね。そこ行きましょうか」
そこでやっぱり、って切り出してもいい。突堤の上に広げていた身の回りの物を片付けて、立ち上がった三井の後に続いた。
軋む引き戸を開くと、すぐに「いらっしゃい、好きなとこどうぞー」と年のいったスタッフから声をかけられた。自校の近くにもあるような定食屋で、建具の古び具合や店内の匂いまで似ていた。三井はしばらく店の中を何かを探すように見渡し、結局カウンター席に腰を掛けた。仙道も足元のカウンター壁に押し付けるように釣り道具を置いてその隣に陣取る。
「おすすめあります?」
「おすすめなんてもんはねぇけど、丼物は全部美味いな」
「そっか」
卓上に立てかけてあったパウチされた品書きを、三井との中間くらいに置いて覗き込む。想像通りのラインナップで、その先頭に書かれていた物に仙道は決めた。
「あれ、おにいさん釣りしてきた?」
目が合った親ぐらいのスタッフから声をかけられる。スタッフの目は床に置かれた仙道のクーラーボックスを見ていた。
「あ、はい。そこで」
「釣れたんならそれ調理しよっか。おまかせ定食になるけど」
「え、いいんですか。うれしいなあ。じゃあそれでお願いします。三井さんも? アジとかありますよ」
「やー俺はいいや」
「アジ嫌い? あとはシロギスとかイシモチとかー」
「え? アジ?」
三井はどこかそわついて、目を瞬いて今話しかけられたように仙道を見た。
「いえ、なんでもないです。三井さんは何にします?」
「あー俺は麻婆丼かなー」
自分が付き合いを断ろうとしているのを察しているのだろうか。だが隣の三井に暗い様子は見えない。まあいいか、と仙道はクーラーボックスを持って邪魔にならないよう店員と調理場の方へ向かった。アジを調理してもらうように頼んで、他の魚も全部引き取れるのだったらお連れさんの飲食代も無料でいい、と調理をしていた料理人に言われ、仙道は二つ返事で首を縦に振った。今日は大漁でラッキーだった。三井はどんな顔をするだろう。いつも海へ向かってボーッとしてるだけの釣りとか言われていたから、少しは見直すのかもしれない。
満面の笑みの仙道が席に戻ろうとしたところで店の扉が開いた。ガクランを着たヤンキーが四人。どこかで見たことがあるなーと思っていたら、その中の一人が声を上げた。
「あ、ミッチー」
「ホントだ」
「ちぃっす」
声をかけられた方を見ると、三井は大袈裟なくらいに驚いて、「よお、偶然」と返していた。元ヤンのお友達はやっぱりヤンキーなんだなあと思いつつその隣へ進もうとすると、四人の中の小柄な一人が店内を横切って仙道に向き直った。絡まれるのはイヤだなー、と思っていると声がかけられる。
「仙道さん。ですよね?」
ヘラヘラ笑って三井を構いに行った他の三人とは違う。口元は笑みを浮かべていながら全く笑っていない目。名を呼ばれて、やっぱりどこかで会ったか?と記憶を探っていると、「おまえら会ったことあんの?」と三井がカウンターから声を上げた。
「ミッチーの連れ?」
「あ…まあな」
照れて半端に笑う三井は、先刻見た真っ赤に頬を染めた、怒ったようでどこか戸惑っていた仙道が知っている顔ではなかった。
「…へえ」
目の前の男は小さく呟くと、次の瞬間には破顔していた。
「花道応援しに陵南までお邪魔しましたぁー」
ニッコリ笑う顔にはもう先刻の、人を見透かすような影はなかった。その時、仙道にも腑に落ちたものがあった。
あぁ。そういうことね。
他の三人に揶揄われるようにじゃれつかれている三井を見てから、とっとと別の卓について頬杖をつきながら壁の品書きを見上げている小柄なリーゼントに目をやる。感情の読めない横顔は、だが三井へと向けられることはなかった。
三人の退散した三井の隣のカウンターに腰を下ろすと、まだニヤニヤ笑いの収まらない三井に仙道は言った。
「あれはテツオさん? ヨウヘイ? どっち?」
三井が驚いて振り向いた視線を横顔に感じながら、仙道は続けた。
「満足した?」
「ちが、」
自分でもひんやりするような声が出たと思った。目の端に何か言いたそうにしてできないでいる三井が見えたが、そのままに捨て置いた。先刻までいつ切り出そうかと思っていた、付き合いを止めようという言葉を、仙道はいったん喉の奥に仕舞った。自分の腹の奥でとぐろを巻いた感情が何なのか、それがわかるまで口を開かない方が利口なように仙道には思えた。
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