sit up late with you





大学から徒歩5分。近いと思って速攻空きを押さえたアパートは失敗だったと気づくのにそう時間はかからなかった。
飲みはしたいが、金はない。そういう時に大体部の連中に乗っ取られる。
新入生の時は仕方ない。一年耐えて、2年に上がったところで見知ったハリネズミ頭が部に入ってきた。
目が合うとニッコリ笑って会釈してくる。俺はもちろんヤツのことは知っていたが、ヤツも俺のことを覚えているとは思わなかった。
対戦したのは過去に一度だけ。選抜でも一緒だったがヤツはスターティングで、俺は言いたかないがベンチスタート。その後のウィンターカップでも陵南との対戦はなかった。
「三井さん」
新歓がはねた後に、店の前で全員が出揃うのを待っているとフラフラと赤い顔の仙道が寄ってきた。
名前まで覚えていやがった。悪い気はしなかった。他校生のバスケで実力があるヤツの目に止まっていたことに小さく自尊心が擽られた。
デカい図体で酒には強くないのか、普段からヘラヘラしている顔が余計にフニャフニャしている。
「おう、久しぶりだな」
「ここに来てあんたが一緒なんて」
名前の次にいきなり「あんた」。眉が寄った自分の顔を見て仙道はヘラッと逆撫でるように笑った。
「そりゃー悪かったな」
「俺ねぇ、あんたがキライだったんです」
「はぁ?」
突然で言われたことを理解するのに時間がかかった。
そう思っていたとして、先輩本人に言うか?
酔ってんのかと睨み上げるが、目の前の顔はいつものニヤニヤ笑いで素なのか酔っているのか真意が読めない。
「ヤンキーやってたんですって? 嫌だなーそういうの」
「…そりゃー悪かったな」
「同じ部だなんてまいった」
絡まれるのには慣れていた。今更説明して歩く気もない。いつも通りスルーしようと背を向けると「あ、ちょっと待って」と声をかけられたが、仙道は別の部員から声がかかって捕まり、自分を追ってはこなかった。




3年に上がると大分回数は減ったが、相変わらず自分の部屋が飲み会に使われることはあった。
そしてそろそろお開きにするか、と誰かから声がかかると必ず仙道はこう言う。
「あ、三井さん、俺片付け手伝います」
はじめは何か企んでいやがるのか、と思った。
新歓からこっち店の外で言われたことに対して謝るそぶりを仙道は見せなかった。
それでいて言葉通りに嫌われている様子も避けられることもない。他の上級生に対する態度と同じようにあたりは柔らかく卒がない。
学年が上がって新入生が混ざってきてもそれは変わらず、むしろよりまめに気遣いの声をかけてくる。
新入部員は先輩である仙道が手伝いを申し出れば、ようやく気づいたように自分もやりますと腰を上げる。遠回しな後輩への指導なのかとも思っていたが、仙道は散らかったゴミを分別してまとめて後輩達に持たせると、そこは物のわかった先輩口をきいて先に帰らせてしまう。
男だけの飲み会で、皿も箸も使い捨てばかりでほぼゴミしか出ないからそんなことで大体は片付くのだが、気付けば二人ということが多い。そしてさらに気づけば終電も終わってる。
困ったように笑ってる顔に、「泊まってくか」と、自分も大概お人好しだとは思いつつ声をかけると、「いつもすみません」と待っていたように口先で言って、勝手知った動作で布団をクローゼットから引き出して敷き始める。
なあ、そろそろ言いてぇことあるんじゃねーの?
風呂から上がって頭にかけたタオルで髪を拭きつつ、まだテレビを見ていた広い背中に声をかけようとして躊躇う。
「なあ、おまえどーしてキライな俺の部屋泊まんの」
部の飲み会はほぼ強制だから仕方ないとして。
片付けとか殊勝な言い訳抜きにして居座る理由はなんだ?
嫌がらせにしたら礼儀正し過ぎる態度で迷惑にもならない。仙道が帰っていった後は却って部屋の中はきれいになってるぐらいだ。
狭い部屋ががらんと感じられるぐらいに。
「どうしてだろ」
布団を敷き終わるとその場に立ち尽くして、仙道が途方にくれたようにこちらに顔を見せた。
今気づいたような顔をしてやがるけどもう2年目だ。
「…まあいいや。風呂入ってこいよ」
「はーい。いただきます」
促せば深く考える様子もなくさっさと浴室に行き、教えるまでもなくしまわれているタオルを使うのだろう。
それを許している俺もなんなんだと思う。





「…三井さん」
電気を消してすぐに仙道の声が部屋に響いた。
遠くにバイクの走り去る音が聞こえて、そういえば男だけの飲み会の、籠った匂いを逃がすために開けっ放しだったと思い出した。
「寝ました?」
「寝た」
「あのー…怒ってます?」
「ナニが」
「…まだ覚えてたんですね」
忘れるわけねーだろ。
そう思いつつ、覚えてると言うのもしつこい気がして黙っていると、仙道が続けて息を吐きだした。
「俺、すっげーヤなこと言った。一年の頃」
「…ああ。悪りー、窓閉めてくんね?」
仙道が黙って起き上がり、窓に歩いていって締める音が聞こえた。
途端に息苦しく感じたのは、急に部屋の中が静まったせいなのかわからなかった。仙道は布団には戻らずにそこから立ったまま話しかけてきた。
「俺のこと嫌いになりましたよね」
「別に」
「ウソでしょ」
「…時間無駄にしてきたのはホントのことだしな。裏でコソコソ言われるよりマシだ」
「ふーん…」
「三井さん」
「なんだよ」
「好きです」
「はぁ?」
「アハハ、それあの時と同じ返し」
おまえこそ覚えてるんだな。
酒に弱い男から言われたことは深く考えないように布団を被り直した。
こいつの「嫌い」も「好き」もよくわからない。信じていいのかわからない。
「寝ろ、酔っぱらい」
「酔っぱらってませんよー」
「それが酔っぱらってんだよ」
「そっち行ってもいいですか?」
ふいに、声のトーンが変わった。あ、来たなと思い、ヤバいと思った。
「…三井さん?」
「寝ろって」
言いながら体の熱が勝手に上がってくるのを感じる。
ここで仙道が来ることに頷いたら、何かが始まるのだろうか。何かが終わるのだろうか。
わからなくて、怖い。
布団をひっかぶると許可も与えていないのに仙道が近づいて来る気配を感じた。そのまま息を殺していると、自分の寝るベッドが軋む音をたてて足元が沈んだ。
仙道が腰掛けた、とわかって心臓の鼓動が半端ない。腰掛けている仙道にまでベッドを伝わって感じ取られてしまうのではないかというほどに。
「好きな人にどうやって近づいたらいいかわからなくて。ガキみたいなこと言って。嫌な思いさせました」
「もういいって」
「告白してんですけど。そっちは?」
「そっちって…」
「俺のこと、その…どう思いますか。男に告られて気持ち悪い?」
気持ち悪くなんかねー。
布団の中で首を振ると、仙道が困ったような声をかけてきた。
「それどっち? わかんないよ」
「…気持ち悪くねー」
「嫌いじゃない?」
今度は布団の中で今度は首を縦に振る。
「三井さん、わかんないって」
仙道の腕が伸びて布団が引っ張られる。布団を掴んでいた手の力が勝手に緩んで大人しく暖まった砦を手放した。
暗さに目が慣れていて、思ったよりカーテンの隙間から入る街灯の光で、水の中に沈んだような薄暗い部屋の様子が微細に感じられた。
たまらなくなって自分の顔を腕で隠す寸前に、窓を背にした仙道の顔が暗く見えなくて少し残念だと思った。
こいつは今どんな顔をしているんだろう。
マイペースは思った通りそのままだったが、意外に神経質なところとか繊細なところとか気遣いのできるところとか。気が付けば手を止めて自分を見ているところとか。
同じ部員になるまで気づかなかったことをこの一年で感じ取ってきた。
それが好きだからガキみたいなことをした? 今更何言ってくれてんだ。
「都合よく取っちゃいますよ?」
仙道の大きな体が被さってきて、待て待て待てと動けない体で焦った。
仙道は壁際に横になって自分の背中に胸を当て、腕を体に回してきた。
鼓動がダイレクトに背中から響いてきて、それは自分の鼓動の早さと大差ないように感じられた。頭の中の焦りはそのままに、でもどこか安心できる暖かさで体の力が抜けた。
「好きです」
「…うん」
肩口に息が当たって、暖かいそれを吸いたいと考えてまた焦った。その考えはどんどん膨らんでいって、諦めて勢いよく仙道の腕の中で対面に転がった。
「三井さん」
「…んだよ」
「顔見せて」
言いなりになるのが癪だから。
そう自分に言い訳して、伸びあがって仙道にキスをした。
思ったような吐息を感じなかった。動かないままの唇に、早まったかと顔を離すと驚いたような照れたような表情に顔を固めた仙道がいた。きっと白黒の世界でなければ鮮やかな赤色だろう。
もう一つ、意外なことに噂で聞くよりよっぽど奥手な男だった。
こんな下睫毛生やしてやがるからおかしな噂をたてられんだ。
「も一回、いいですか?」
目を情けなく垂らした年下がかわいくなって、手を後頭部に回して引き寄せた。2度、3度と口づけると固まっていた顔がようやく動き始めた。
ぎこちなく応えて、唇を離した時に息を継ぐように吸う仕草に胸を掴まれて、そんなことを考えて自分ヤバいなと思っていると、両肩に大きな手が乗った。
「ヤバい」
一言、体を引き離し唇を引き結んだ仙道が離れた。
「なに、」
「すみません」
「え?」
わけがわからずにいると、「止まらなくなっちゃうから」と小さく答えて仙道は目を細めた。
「おまえ…人のベッドまで乗り込んできた癖に」
「あっ!!」
驚いた顔をした仙道があっという間に布団からいなくなり、ベッドから滑り落ちた。
「…なにやってんの?」
「あー…三井さんが布団から出てこないから…」
「俺のせいかよ」
「いえ、その…三井さんの顔が見たいと思って…すみません」
「…電気つけるか?」
「いえもー…今日はいっぱいいっぱい」
「そだな」
自分も同じだった。このまま寝られるかはわからないけれど。
ベッド脇の床に敷かれた布団にごそごそ入る気配がして、自分の布団の中が急に寒く感じられた。
「三井さん」
「ん?」
「…手、いいですか」
「ん」
片手を布団の外に出してベッドから垂らすと、探り当てるように仙道の大きな手が掴んできた。
あったかい。
口角が知らず上がって、布団を肩にかけ直した。
明日の朝、どんな顔をすればいいかは起きてから考えることにする。
きっと仙道の方が垂れ気味の眉を更に困ったように落として、笑ってくるだろうから。




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