午後三時の紅茶と、その温度について

午後三時の紅茶と、その温度について


 僕の家には執事がいる。
 冗談ではない。本当にいるんだ。黒の三つ揃いを着て、白い手袋をして、ウェーブのかかった髪をかき上げたようにセットした男。
 名前は九条くじょうという。年齢はよくわからないけれど、三十代後半に見える。無口で、物腰が異様に丁寧で、常に背筋を伸ばしている。まるで戦前からやってきた亡霊みたいな男だ。

 彼は僕が生まれた時にこの家にきたと祖父に聞いた。
 祖父の遺言で、屋敷と財産と一緒に「九条くじょう」という存在も引き継がれた。祖父は亡くなる直前、僕にこう言った。

 「九条には逆らわないほうがいい。彼は誠実すぎるんだ。常軌を逸するほどにね」

 その意味を、僕は当時、まだ理解していなかった。





 午後三時。僕がリビングで本を読んでいると、九条は必ず紅茶を持ってくる。
 彼が淹れるアールグレイは完璧すぎて、逆にどこか不気味だった。湯気の立ち上る角度まで、毎日まったく同じように見える。まるで時間が一瞬だけループしているかのように。

 「本日も、紅茶の温度は83度でございます」
 「ありがとう」
 「お飲みになる際、火傷されぬよう、お気をつけください」
 「うん、気をつけるよ」

 彼はいつも一歩後ろに下がり、僕の飲む様子をじっと見ている。
 その目は、執事のものではなかった。
 もっと、そう、きっと猛禽類は、ああいう目をしている。





 ある日、僕は学校を休んだ。
 風邪だった。熱が出て寝汗をかき、食欲もなかった。
 九条は朝からずっと僕の部屋の椅子に座り、黙って僕の額に冷たいタオルを当てていた。まるでそれが、彼の存在理由のすべてであるかのように。

 「休まれるのは、初めてですね」
 「まあ、たまには……」
 「いいえ。具合が悪いというのは、わたくしにとって重大な事象です」
 「そうなの?」
 「もちろんです。あなたの脈拍が乱れるだけで、わたくしの心拍も影響を受けます。あなたの呼吸が浅くなるたび、わたくしの世界は少しずつ崩壊していくのです」

 その時、僕は少しだけ、ゾクッとした。
 彼は、本気だった。





 夜中、ふと目を覚ますと、九条がベッドの端に座っていた。
 手には体温計が握られていて、彼の目は静かに僕の額を見つめていた。
 声をかけようとしたが、彼は先に口を開いた。

 「熱は、37.4度。微熱です。悪くない数字です」
 「……こんな夜中に、どうして」
 「あなたの全ての情報は、わたくしの中に記録されています」
 「情報……?」

 コンデションの話にしては、業務的な言い方だと思った。

 「体温、食事の量、読んだ本、歩いた歩数、視線の動き。すべてです。あなたが誰にどんな笑顔を見せたかも、全部」

 彼の手が、僕の頬に触れた。
 手袋越しだったけれど、その温度は不気味なほど均質で、まるで計算された愛情のようだった。

 「ですからあなたはわたくしだけを頼っていただければ、それでいのです」

 彼の声は、夢の中のように柔らかかった。
 でもその言葉には、静かな狂気が染み込んでいた。
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