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てのひらの上の檻

 彼の指先が力を失った瞬間、肩が小刻みに震えた。
 彼は掠れた声で「ごめん」と繰り返した。何に対しての謝罪なのか、自分でもわかっていないのだろう。

 僕は立ち上がって、冷たい手首を撫でる。擦れた痕が赤く浮かんでいる。それをひとつの模様みたいに眺めながら、彼を抱き寄せた。彼の額が僕の胸に触れる。嗚咽が服を湿らせても、特別な感情は湧かない。
 ただ受け入れることの容易たやすさに、僕は少しだけ安堵した。

 「大丈夫だよ」

 耳もとでそう囁くと、彼の呼吸が少しずつ整っていくのがわかった。泣き疲れた子供をあやすのと同じだ。僕は背中を撫で、柔らかく笑った。

 結局、彼は僕の懐に戻ってくる。僕が腕を広げる限り、そこに沈み込んでしまう。
 それを知っているのは僕だけだ。だから僕は安心して、彼を壊すことができる。
 彼が壊れるたび、僕はこうして抱きとめる。そして彼が壊れるほどに、僕の掌の中はさらに確かなものになる。

 彼は僕の腕の中で、もう一度「ごめん」と謝った。





 彼は今も僕の隣にいる。
 朝の光に照らされて、静かに眠っている。呼吸は規則正しく、夢の中ではきっと僕を追いかけ続けているのだろう。

 僕はその寝顔を眺めながら、コーヒーをひと口飲む。苦味はいつも通りで、何も変わらない。けれどカップの縁に触れる指先には、昨夜の彼の震えがまだ微かに残っている。

 彼は僕がてのひらに作った小さな檻の中で眠っている。そこから出ることはない。出る必要もない。

 僕が「もういいよ」と言えば彼は壊れ、しかし僕の胸に戻ってくる。そういう循環の中で僕たちは生きている。

 カーテンの隙間から差す光は薄く、埃が漂っている。その一粒一粒まで、彼の眼差しの代わりみたいに僕を照らす。
 僕は静かに笑って、そっと彼の髪に指を差し入れた。

 「さあ起きて。今日も、僕の中で生きるんだよ」



てのひらの上の檻 完
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