彼はいつもナイフを磨いていた

 ある晩、僕が仕事から帰ると、彼は僕のスマートフォンを分解していた。
 リビングのテーブルの上には、小さな精密ドライバーと、部品ごとに丁寧に並べられた基板やバッテリーが置かれていた。まるで標本のように。

 「何してるの?」と僕は聞いた。

 「点検してたんだ」と彼は言った。

 「君に不要なものが入り込んでいないか、確認してる。いわばクリーニングだよ。心の。」

 僕はうなずいた。うなずく以外に方法がなかった。
 彼の手の中にあるものを否定することは、自分の存在そのものを危うくするような気がした。

 彼は僕を本当に愛していた。それは疑いようのない事実だった。
 でもその愛は、どこかで少しだけ常軌を逸していた。
 彼は僕の行動パターンを把握していて、僕のスケジュールを僕より正確に記憶していた。僕がランチで何を食べたかも、誰とエレベーターに乗ったかも知っていた。

 「君が誰かに触れられると、僕の中のガラスが軋むんだ」と、ある夜彼は言った。

 「それは嫉妬じゃない。もっと根源的な、存在の危機なんだ。君の一部が誰かに持っていかれる気がする」

 そんなことを言われて、僕はまたうなずくしかなかった。
 彼の世界では、彼の論理がすべてを支配していた。愛の形さえも。





 日曜日、彼と一緒に地下のスーパーに買い物に出かけたとき、僕はふと思った。
 「もし僕が逃げ出したら、彼はどうするだろうか?」と。

 彼は缶詰の棚の前で、トマトソースを手に取りながら僕の方を見ずに言った。

 「そういうことを考えてる顔、してるよ」

 僕は笑ってごまかそうとしたが、彼の目は笑っていなかった。
 それどころか、静かに光を失っていた。

 その夜、彼は久しぶりにナイフを磨いた。
 まるで神に祈るかのように、静かに、集中して、ひたすら磨いていた。

 「これは脅しじゃない」と彼は言った。

 「これは、誓いだ」

 それでも、僕は彼を嫌いになれなかった。
 彼が怖かったけれど、同時に彼がいない生活のほうが、もっと怖かった。

 愛とは何か。
 その答えを探すには、僕はもう、ずいぶん遠くまで来てしまったようだった。
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