しあわせな世界
「休暇をやる」
書斎に入るなり、魔法使いは気楽そうに言った。
しかし返ってきたのは、間髪を入れない騎士の声だった。
「いりません」
青い瞳がすっと細まる。
魔法使いは肩をすくめて椅子に腰を下ろし、差し出された紅茶を受け取った。
「たまには故郷へ顔を出してこい。親兄弟も心配するだろう」
そう促すと、珍しく騎士の眉間に皺が寄る。彼がここまで露骨に渋るのは、本当に久しぶりだった。
魔法使いは茶をひと口含みながら、探るように声を潜めた。
「……何か気になることでもあるのか」
騎士はしばし視線を落とし、やがて静かに口を開く。
「故郷に帰って、戻って来るには一ヶ月近くかかります。それだけの時間、貴方のそばを離れておかしくならない自信はありません」
言葉は淡々としていた。だがその裏に潜む執着の熱は、紅茶の湯気のように確かに立ちのぼっている。
魔法使いは一瞬、言葉をなくし、それから本気で信じられないものをみた顔をした。
「……何言ってんだお前」
呆れを隠そうともしない声音に、騎士はわずかに眉を寄せた。
「私は真剣です」
騎士の声音は冗談ひとつ混じらない。
魔法使いは返す言葉を失い、深々とため息を吐いた。
「…では先日捕らえたドラゴンを使え。移動手段としては申し分ない」
「ですから、私に休暇は必要ありません。貴方のお手を煩わせることなど」
「おまえに休暇をやらんと、王がうるさいんだ」
宮廷仕えとは思えぬ言葉を放ち、不敬な魔法使いは鬱陶しげに頭をかいた。
「もう何年もまとまった休暇を取っていないだろう」という彼の言葉に、騎士はしばし考え込み、やがてゆっくりと頷いた。
「……恐れ多くも、貴方にご同行頂けるのでしたら、お暇を頂きたく存じます」
恭しく頭を下げるその姿に、魔法使いは額を抑えた。
「…わかったわかった…視察の予定でも組んで同行してやる。満足か」
「ありがとうこざいます」
ぱっと顔を綻ばせる騎士に、魔法使いは苦い面持ちで口角を下げる。
ハッとして、騎士はすぐに笑顔を消した。魔法使いは再び盛大にため息を吐く。
「お前は基本的に無欲だが、稀に驚くほど図々しいな」
「……申し訳ございません」
「どこの世界に、休暇を上司と過ごしたがる阿呆がいるのやら」
「貴方はただの上司ではありませんから」
青い瞳を伏せる騎士の声は、やはり真剣そのものだった。
