しあわせな世界

 「予定では二時間も前に奇襲にあっているハズだったんだがな」

 魔法使いは気だるげに頭をかき、ため息を吐いた。騎士は「導入しようという魔法動物の調整に手間取っているのかもしれません」と苦い面持ちで言う。

 待ちぼうけに飽きた魔法使いは、退屈そうにベッドに腰掛けていた。本を片手に読みながら、もう片方の手で魔法を発動させている。
 ぶつぶつと呟きながら、光の粒が瞬くたびにあーでもないこーでもないと文句を言う。
 その様子はまるで、誰も触れられない秘密の宇宙をひとりで覗き込んでいるかのようだった。

 騎士は静かに魔法使いを見守っている。
 身体を壁に傾けたまま、気配を殺して敵の初動を待っていた。

 刹那――ぴく、と彼の耳が跳ねる。
 そっと扉の前に忍び寄ると、引き抜いた剣を縦斜めに切り下ろした。

 ――ぎゃぁあああ

 扉ごと身体を裂かれた者の、叫び声が響き渡った。
 「なんだ人間のほうか」と魔法使いがこぼした。

 合図のように、暗闇の中から虫のように刺客が飛び出した。

 騎士は静かに、それらを一匹ずつ潰していく。彼の刃先が角度を変えるたびに、所々で悲鳴が上がった。

 「そこにもいるぞ」

 魔法使いの放った炎の粒が飛び散り、流れ星のように闇を切り裂いた。

 「誰一人逃すな」

 彼の指先から生まれる火の蝶は、暗殺者の位置を強制的に露わにし、騎士の視界に赤い光で点を作る。
 騎士は一つの漏れもなく、それら全てを斬り伏せた。

 「ふふ」

 ふいに、魔法使いの笑い声が落ちる。
 同時に、空が轟いた。

 火と光をまとったドラゴンが天から降りてきて、燃え上がる炎が暗闇を切り裂く。
 魔法使いの目が、みるみる輝きだした。

 「――おでましだ!!!」

 彼は満面の笑みを浮かべ、白い手を空へかざす。
 途端に空中に光の足場が連なった。軽やかに彼が踏み込む度に、微かな火の残滓が星屑のように散る。
 騎士は残された光の足場を、まるで道標のように辿った。

 「お前もよく見ろ!!本物のドラゴンだ!!!」

 魔法使いは高らかに笑い、両手からさらに小さな光の粒を放つ。

 「こいつは必ず俺のものにする!」

 彼の手から生まれた光の鎖が、ドラゴンの巨体に瞬きながら巻き付いていく。

 騎士は目を見張った。
 その鎖はつい直前まで、ベッドの上でぶつぶつと試行錯誤していたものではなかったのか。

 「貴方という人は!!!」

 無意識に呼吸が浅くなる。
 だがすぐに、騎士は走り出した。空中の足場を辿り、魔法使いの元へと一直線に跳躍する。

 急に接近したもう一匹を威嚇するように、ドラゴンの咆哮が轟いた。
 巨大な羽ばたきが二人をあおり、魔法使いが光の足場からふっと落ちる。

 「っ」
 「掴まれ!!!!」

 騎士は怒声とともに腕を伸ばした。
 魔法使いも迷いなくそれに応える。

 引き寄せるように、騎士はその身体を受け止めた。魔法使いは彼の首へ腕を回し、声を上げて笑う。
 騎士はしっかりと抱え直し、その声に目を細めた。

 「いかがされますか!」
 「ドラゴンの背中へ!」

 魔法使いの嬉々とした声が、夜風に乗って耳に届いた。

 騎士は頷き、彼の腕から光の鎖をつかみ取る。それを手首に巻きつけた後、力いっぱい引っ張った。

 「…っ」

 ふわりと二人の身体が宙に舞い上がる。数秒後、どさ、と音を立て、硬い鱗の上に落ちた。
 魔法使いは鎖を手綱のように引き、青年のように笑った。

 「さぁ、帰るぞ!!」

 騎士もつられて、声を張り上げる。

 「はい!」

 闇に包まれた夜空に、二人の光と笑いがこだまする。
 ドラゴンの背に乗った奇跡のような戦いは、新たな歴史として刻まれた。
7/12ページ
スキ