しあわせな世界
焚き火の炎が、夜風にゆらめいている。
魔法使いは火の揺らぎをただ眺め、騎士はその横顔を守るように背を預けていた。
出し抜けに。闇の奥から鋭い気配が走った。
騎士の瞳が、一瞬にして鋭くなる。次いで、剣が鞘から抜かれる金属音が夜を裂いた。
影が襲いかかる。
抜かれた騎士の刃は正確に敵の肉を断った。血が地面に線を描いて跳ねる。
呻き声が響くたびに、彼の剣はさらに深く、残酷に突き立った。
最後には首を一閃。音もなく転がる頭部。その動きはまるで報復の儀式のようで、徹底していた。
「………」
魔法使いはその背後で微動だにせず、ただ見ていた。
やがて、焚き火の音だけが残った。
返り血で真っ赤に染まった騎士が、振り返る。眉間に皺を寄せ、低い声で告げた。
「……申し訳ありません」
魔法使いの白い頬に、細い血の線がかかっていた。
手を伸ばしかけた騎士は、自身が赤に染まっていることを思い出し腕を下ろす。魔法使いは手の甲でそれを無造作に拭い、ふっと息を吐いた。
次の瞬間、騎士の身体に水の帯が巻きついた。冷たい流れが鎧と肌の間を走り、血液だけを選び取って洗い流していく。
騎士はその感触に目を細め、まるで祝福に浴するかのようにうっとりとした顔を見せた。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
魔法使いは鼻で短く笑い、ため息をひとつ吐いて言った。
「……座れ」
「失礼いたします」
命令に従い、騎士は彼の隣に腰を下ろす。
焚き火の音が、ひときわ大きくはぜた。火の粉が闇に散って、すぐに闇に溶ける。
「いつも言っているだろ」
魔法使いは静かに切り出した。低い声は火の揺らめきと同じくらい淡々としている。
「お前がやらずとも、俺は自分の身は自分で守れる」
騎士は一瞬だけ視線を落とし、こくりと頷いた。
「存じております」
魔法使いは短く息を吐き、焚き火を見据えたまま、吐き捨てるように尋ねる。
「では何故、わざわざ剣を抜く」
沈黙。火の音だけが響いていた。
やがて騎士は膝を折り、魔法使いの正面に片膝をつく。胸に手を当て、深く頭を垂れた。
「貴方の役に立っているという自分に、浮かれているだけです」
その告白に、魔法使いの瞳がわずかに細められる。
「あくまで……自分のため、か」
「えぇ。自分の為です」
そう言いながら、騎士は迷いなく彼のローブの裾に手を伸ばした。
砂埃を吸い、戦場の汚れが染みついた布。それをそっと持ち上げ、ひどく優しい口づけを落とした。
「貴方のために生きられることほど、幸せなことはありません」
魔法使いは心底わからないという風に眉を顰め、冷ややかに見下ろす。長い脚を組み替え、編み上げたブーツの先で騎士の顎を押し上げた。
無理やり顔をあげさせられた騎士の青い瞳は、恍惚とした熱をたたえて主を見つめている。
「……稀有な奴め」
吐き捨てた言葉には、苛立ちが混じっていた。
しかし揺れる火が照らす彼の表情は、ほんのわずかに読み取れない影を宿している。
騎士はふわりと微笑んだ。
魔法使いは火の揺らぎをただ眺め、騎士はその横顔を守るように背を預けていた。
出し抜けに。闇の奥から鋭い気配が走った。
騎士の瞳が、一瞬にして鋭くなる。次いで、剣が鞘から抜かれる金属音が夜を裂いた。
影が襲いかかる。
抜かれた騎士の刃は正確に敵の肉を断った。血が地面に線を描いて跳ねる。
呻き声が響くたびに、彼の剣はさらに深く、残酷に突き立った。
最後には首を一閃。音もなく転がる頭部。その動きはまるで報復の儀式のようで、徹底していた。
「………」
魔法使いはその背後で微動だにせず、ただ見ていた。
やがて、焚き火の音だけが残った。
返り血で真っ赤に染まった騎士が、振り返る。眉間に皺を寄せ、低い声で告げた。
「……申し訳ありません」
魔法使いの白い頬に、細い血の線がかかっていた。
手を伸ばしかけた騎士は、自身が赤に染まっていることを思い出し腕を下ろす。魔法使いは手の甲でそれを無造作に拭い、ふっと息を吐いた。
次の瞬間、騎士の身体に水の帯が巻きついた。冷たい流れが鎧と肌の間を走り、血液だけを選び取って洗い流していく。
騎士はその感触に目を細め、まるで祝福に浴するかのようにうっとりとした顔を見せた。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
魔法使いは鼻で短く笑い、ため息をひとつ吐いて言った。
「……座れ」
「失礼いたします」
命令に従い、騎士は彼の隣に腰を下ろす。
焚き火の音が、ひときわ大きくはぜた。火の粉が闇に散って、すぐに闇に溶ける。
「いつも言っているだろ」
魔法使いは静かに切り出した。低い声は火の揺らめきと同じくらい淡々としている。
「お前がやらずとも、俺は自分の身は自分で守れる」
騎士は一瞬だけ視線を落とし、こくりと頷いた。
「存じております」
魔法使いは短く息を吐き、焚き火を見据えたまま、吐き捨てるように尋ねる。
「では何故、わざわざ剣を抜く」
沈黙。火の音だけが響いていた。
やがて騎士は膝を折り、魔法使いの正面に片膝をつく。胸に手を当て、深く頭を垂れた。
「貴方の役に立っているという自分に、浮かれているだけです」
その告白に、魔法使いの瞳がわずかに細められる。
「あくまで……自分のため、か」
「えぇ。自分の為です」
そう言いながら、騎士は迷いなく彼のローブの裾に手を伸ばした。
砂埃を吸い、戦場の汚れが染みついた布。それをそっと持ち上げ、ひどく優しい口づけを落とした。
「貴方のために生きられることほど、幸せなことはありません」
魔法使いは心底わからないという風に眉を顰め、冷ややかに見下ろす。長い脚を組み替え、編み上げたブーツの先で騎士の顎を押し上げた。
無理やり顔をあげさせられた騎士の青い瞳は、恍惚とした熱をたたえて主を見つめている。
「……稀有な奴め」
吐き捨てた言葉には、苛立ちが混じっていた。
しかし揺れる火が照らす彼の表情は、ほんのわずかに読み取れない影を宿している。
騎士はふわりと微笑んだ。
