YOUTH
2年目1月下旬 桜井兄弟の世話係
主人公side
校門を出てすぐの通りだった。後ろからかけられた「おい、桜井兄弟の世話係」という言葉に、ブレーキをかけた。
振り返るより先に、自転車の後輪を蹴飛ばされる。
「──っ」
思わず横に避ける。でも、完全には間に合わなかった。膝が弾かれ、転ぶ。制服の肘と手のひらが、アスファルトに擦れた。
自転車を立て直して顔を上げると、例のヨタカドの二人組が立っている。
「最近よく会うな」なんて笑っているが、待ち伏せされたらしいのは明白だった。
「また何か用?」
冷たくぶっきらぼうに言う僕に、「まぁそうつっかかんなよ世話係。」と金髪は肩をすくめた。
「今日はてめぇと世間話をしに来たんだ」
「世間話?」
「世話係ってのは、どんなお世話でもしてやってんのかって話だ。この“女みたいな顔”で」
顎を掴まれた手を、咄嗟に払った。
ナイフみたいな言葉に、喉がきゅっと締まる。
そうか。最初から会話をする気なんてないんだ。
「なにが”はば学の天使”だよ。バカじゃねぇの?ケツでも貸してんのか?」
口の端を歪めた嘲笑が、僕の奥底に仕舞っていた何かを静かに引きずり出す。
「…下の世話なら、俺らにも付き合ってくれるんか?」
その瞬間、僕の中で何かが音を立てて弾けた。
汚れた感情が、買い言葉に売り言葉を吐き出した。
「金もらったって、あんたらなんて相手にしないね」
金髪の方が、舌打ちと共に拳を振るう。反射的に身体をひねって避けた。勢いのまま拳が空を切る。続けざまに蹴りが飛んできた。それも紙一重で躱す。
「ちょこまかしやがって!」
次々と繰り出される攻撃。僕はそれを一歩、半歩、捌いていく。
目の端で相手の肩が揺れる、足が回る、軸足が甘い。そうした癖を読み、動きを先取りする。
でも、そのとき。
「──避けるのは自由だけどよ、お前がよけた分だけ、あの二人に食らってもらうだけだぜ?」
言葉の意味を、理解するのに一瞬かかった。
呼吸が止まる。
肩がすくみ、つい先ほどまで自然に動いていた身体が、まるで氷のように固まった。
「……なにそれ」
足が、地面に縫いつけられたように動かない。代わりに、心臓がどくんと大きく脈打った。
想像してしまった。琉夏が、琥一が、こんな風に殴られる姿を。
一瞬の油断だった。
鋭い音が空を裂いて、視界が揺れた。
頬に衝撃。骨にまで響くような拳。
殴られ慣れた身体は、本能的に力を抜いて衝撃を逃がしていた。ふらつきながらも、膝を折らずに踏みとどまる。
口の端を舌で拭えば、じんわりと広がる鉄の味。血の味なんて、ずいぶん久しぶりだ。
「なんだぁ?急に。"はば学の天使"様は、一発も殴り返せねぇのか?」
「男なら、一発くらいやり返してみろ」
下品な笑い声が、道路に落ちた。
拳を握った右手が震える。
それを静かに、強く握り直す。
「……二人にかかわるな!」
怒鳴った自分の声が、冬の空に跳ね返る。
ヨタカドの2人はにやついた。
「じゃあお前が相手してくれよ、なぁ?」
「喧嘩しねぇと、いろいろ溜まんだよなぁ……わかるだろ?」
いやらしく笑う声。
古傷だらけの手が、僕のブレザーを掴もうと手を伸ばしてくる。
僕の喉から、まるで別人のような冷たい声が出た。
「……触んな」
ぴたり、と男たちの動きが止まる。
空気の温度がひとつ、下がったような錯覚。
「好きなだけ殴ったらいい。僕は、"死んでも"人を殴らない。」
それは、僕自身への戒めだった。
父のようになりたくない。
だから僕は、殴られても、蹴られても。
絶対に殴り返さない。
背筋を伸ばす。拳はまだ震えている。
「ほぉ?」って黒髪が指を鳴らした。
瞬間。
「てめぇら!!!」
「カエデに手ぇ出すなっつってんだろうが!!!」
門の向こうから怒鳴って駆けてくる二人が見えた。ヨタカドの二人がニヤッと口角をあげる。
嫌な予感がすると同時に、琉夏と琥一がヨタカドに殴りかかった。
「やめろ!!!!!」
怒鳴る自分の声に、自分が一番驚いていた。
琉夏と琥一の動きがびたっと静止する。
僕は咄嗟に二人の腕を掴んで、自分の方へ引っ張った。
「喧嘩はやめよう。もう暴力はやめよう。」
拳を下ろした二人に、ヨタカドの男は鼻で笑った。
「おいおい、あの“桜井兄弟”が、たかが世話係の言葉に従うってか?」
「ケツで抱き込まれた奴らは、やっぱ尻に敷かれるってか?」
軽薄な声と一緒に、あいつの顔が歪んで見える。
唇の端が切れた痛みよりも、何倍も腹が立った。
「世話係だぁ?」
低く、琥一の声が唸った。
苛立ちを包んだその声音に、空気がびりっと張り詰める。
「っ……!」
隣で握りしめていた琉夏の拳から、ぽたりと赤い雫が落ちた。強く握りすぎたせいか、爪が手のひらを切っていた。
震えている手が、何よりも彼の怒りと焦燥を物語っている。
ざわざわと、他の生徒達の目が向いている。先生を呼ばれるのも、時間の問題だ。
見つかれば、生徒指導だけでは済まない。
「学校前でやめとこうぜ」
ヨタカドの黒髪が、舌打ちと一緒に目を細めて言う。
「場所、変えんぞ。センコーに入られても面倒だ」
金髪のヨタカドの言葉と同時に、車のヘッドライトが、ゆっくりとカーブの向こうから現れる。
昼間でも白く眩しい光が、三人の間を照らした。
「チッ。ルカ。行くぞ」
「おう。」
僕を振り返った琥一の手が、俺の頬に触れかけて──しかしそのまま、空中で止まった。
「……お前は、連れて行けねぇ」
低く、しかし優しさのにじむ声。
「悪いが、病院は自分で行ってくれるか?」
そう言って、琥一は唇を引き結んだまま、拳を下ろす。
俺はゆっくりと頷いた。
痛みなんて、どうだってよかった。
琉夏はこちらを、一度も振り返らなかった。
